2006-08

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タイソンがPRIDEと試合契約を締結

タイソンがPRIDEと試合契約を締結
  アメリカにおけるタイソンは、日本における吉田と同じ位置付けか?


 タイソンがPRIDEと試合契約を結んだという報道があった。
 K-1の時も似たような報道がなされたことがあったが、契約は飽くまでも「ボクシングの試合」の契約だったようで、結局K-1の興行でタイソンの試合が行われることは無かった。
 今回のPRIDEとの契約の詳細に関しては、10月にラスベガスで行われるPRIDE32の前に発表されるとのことなので、おそらくまだ決まっていない部分が多いのだろう。

 さて、日本のPRIDEファンのうち、いったい何%が、タイソンがプロボクシングを引退していることを知っているだろうか? いったい何%が、タイソンがどんな試合を最後にボクシングを引退したのかを知っているだろうか?
 本人は引退声明後も一時期「ターバーとなら試合をしてもいい」と言っていたようだが、主要4団体の7月付けランキングには、タイソンの名前は無い。
 タイソンのプロボクシングキャリアの最後となった試合の内容と試合後のインタビューは、タイソンがプロボクサーとして完全に終わったということを、ボクシングファンに強く印象付けるものだった。「こういう闘いはもう私には出来ない。私はもう野獣ではなくなった」とうなだれる敗者タイソンを、ファンは心から「今までありがとう、お疲れ様でした」とねぎらったのである。

 タイソンは、日本における吉田と同じような位置付けなのかもしれない。
 日本のPRIDEファンでも、PRIDE参戦当時の吉田が「その時点での柔道王者」だと思っていた人はさすがに少数派だろう。ただし、吉田が2002年の全日本柔道選手権大会における1回戦敗退の後、新日鉄から事実上の戦力外通告を受けて同社を退社、柔道の現役から引退した形でPRIDEに参戦したことを知るファンもまた、少数派であろう。(ちなみに、2002年の全日本柔道選手権大会の優勝者は井上)

 柔道の母国・日本でも、吉田が「柔道の第一線においては、完全に終わった」後にPRIDEへ参戦したことは、多分それ程知られていない。
 ボクシングの本場アメリカ、それもラスベガスとなれば、日本とは比較にならないほどボクシングはメジャーなので、タイソンが引退したことはそれなりに広く知れ渡っているだろう。それでも、現在のタイソンの動きに関する受け止め方は、日本におけるPRIDE参戦当時の吉田に似た感じなのかもしれない。

 PRIDE32でリングに上がったタイソンにブーイングが飛ぶということは無いだろうが、タイソンの最後の試合を見た観客なら、(PRIDEとの試合契約の詳細にもよるが)とても無条件で拍手を送るというわけにはいかないはずだ。
 ヒョードルvs小川を最後に、PRIDEのPPVは視聴していないが、10月に予定されているPRIDE32は、ちょっと見てみたい気がする。
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久住小春は「キュトかっこいい」! “色の魔法”が、久住小春を「女性ヒーロー」に変身させる?

久住小春は「キュトかっこいい」!
        “色の魔法”が、久住小春を
                「女性ヒーロー」に変身させる?

 “色の魔法”ということについて語ってみたい。
 私は、かつてそれなりのモー娘。ファンであった。しかし、かおりんこと飯田圭織が卒業して以来、モー娘。の楽曲関連商品を購入することが一切なくなってしまった。たまにメンバーの写真集を買う(ミキスケ、こんこん、亀井の3人のみ)ことと、『ハロモニ。』の視聴を継続していることが、僅かながらファンであることの証明となっていた。(※こんこんは既にモー娘。を卒業~引退している)

 ところが最近、7期メンバーの久住小春のシングルVを買ってしまったのだ。
 中学生をメンバーにすることには昔から否定的だったこの私が、である。
 そのきっかけは実に単純、PVの小春の衣装が青色系(水色)ベースで、私の一番好きな色だったからだ。
 あのPVの衣装が、赤だったり黄だったら、私はあのシングルVを買っていなかったと断言できる。

 私は小春に関しては、中学生であるということ以外でも否定的な印象を抱いていた。『ハロモニ。』出演中も、小春は妙にヘラヘラしていて、可愛くないのである。悪い意味で緊張感がない。ニコニコ微笑んでいるのではなく、ヘラヘラ笑っているように見えるのだ。
「だから、いくらルックスが良くても中学生はダメなんだよ。素人丸出しじゃあ、もう通用しないんだよ」と、私は素人丸出しならぬオッサン丸出しで文句を垂れていたものだ。
 また、比較的小顔が多い現在のモー娘。の中に入ると、小春は顔が大きい。可愛いのに顔が大きいというのは、どうもアンバランスだ。

 その小春が、青色系の衣装を着ただけで、イメージが一変した。まさに、“色の魔法”である。
 もちろん、その衣装の露出度が高く、顔が大きい割には手脚が長いという小春の身体的特徴を引き立たせていた(あるいは、実際よりも更に手脚を長く見せる効果があった)ことも大きい。(小春が意外に手脚が長いことについては、「ターン鳥チキン」のコーナーで既に気付いてはいた)
 つまり、カッコイイのだ。
 露出度の高いその青い衣装を着た小春を、私は「可愛い」のではなく、「カッコイイ」と思った。
 スラリとした手足を振り回すようにしてキビキビと踊っている小春が、まるで名乗りポーズを決める戦隊ヒーローのようにカッコ良く感じられたのだ。

 不思議なもので、カッコイイ、カッコイイと思って見ているうちに、今度は小春の表情や細かい動きが可愛らしく見えてきた。
 “エロかっこいい(エロティックでカッコイイ)”ならぬ、“キュトかっこいい(キュートでカッコイイ)”といったところである。
 小春はまだ中学生だけど、“キュトかっこいい”ので、特撮ファンである私がファンになっても問題はない。“キュトかっこいい”という免罪符を貼られた小春は、私の中でファン対象として許容されるキャラクターに昇格してしまったのだ。

 それにしても、まだ14歳になったばかりのアイドルのシングルVを、この歳になって買うとは思わなかった。自分の娘(いないけど)と同い年ぐらいだもんな。
 しかし私にとって、『恋カナ』の小春が「女性ヒーロー」のポテンシャルを有していたことは紛れもない事実である。それが“色の魔法”によるものだとしても、だ。

 思えば、実写版『セーラームーン』を見るようになったのもセーラーマーキュリーがきっかけだった。
 『ハリケンジャー』のハリケンブルーが、もしもハリケンピンクであったのなら、長澤奈央の写真集やDVDを買わなかったかも知れない。
 「男性ヒーロー」に目を向けても、赤色系のカブトよりも青色系ドレイクやガタック好きだし、実際に玩具もドレイクとガタックのものしか買っていない。

 そうだ。私がもし変身できるとしたら、やっぱり青色系のヒーローがいい。
 “色の魔法”でキャラクターを好きになるだけではなく、“色の魔法”で自分自身が変身できたら良いのに…などと思う今日この頃である。

『仮面ライダーカブト』考2.1 “色とモチーフ”の失敗

『仮面ライダーカブト』考2.1 “色とモチーフ”の失敗


 TV版『カブト』は“色とモチーフ”に関して成功しているが、劇場版『カブト』は“色とモチーフ”に関して失敗している。
 これは、『響鬼』がTV版では“色とモチーフ”に関して失敗しており、劇場版では“色とモチーフ”に関して成功していることの、ちょうど反対のパターンである。

 劇場版『響鬼』は雑な造りではあったが、“色とモチーフ”に関しては成功していた。
 劇場版の5人の鬼と比べると、TV版の3鬼の地味なこと地味なこと。パッと見では、ヒーロー5人と脇役3人である。ある程度寄った絵になると、光沢のあるTV版3鬼は質感が1ランク高級に見えるが、それはパッと見の地味さを補うほどのものではない。スクリーン上での見栄えの良さ、その基盤となる“色とモチーフ”においては、劇場版の鬼がTV版の鬼を圧倒していた。
 また、鬼が繰り出す必殺技に関しても、劇場版の鬼はTV版の鬼とは異なる独自の技を持っており、完全に差別化されていた。TV版の設定との整合性を欠く雑な音撃ではあったが、派手さと分かり易さはTV版以上であり、「TVでは見たことのない必殺技が炸裂」というお祭り的な面白味は確かにあった。

 これに対して劇場版『カブト』は、ひよりを軸にしたドラマ(主人公の行動原理とそれによる展開)を最後まで押し通し、ストーリーにおいては強引ながらもTV版との整合性を見せるなど、物語の造り自体は劇場版『響鬼』より優れていた。「所詮、新フォームの先行お披露目フィルム」に終わるのではなく、ちゃんと一つの作品として曲がりなりにも自己完結しているという点は評価したい。
 しかし、劇場版の3人のライダーは冴えなかった。色は一応、金・銀・銅と、メダル3色で揃えているが、これが余り見栄えがしない。TV版のライダーと一緒に映ると、むしろ地味ですらあった。そして何よりもパッと見で「これが劇場版ライダーだ!」というインパクトに欠けていた。

 劇場版の3人のライダーがインパクトに欠ける存在であったのは、彼らに個性が乏しく、TV版のライダーに対する充分な対比が成されていなかったからである。(キャストオフしないというのは、差別化ではなく単なる手抜きだ)
 
 私だったら、ライダーフォーム時に、より昆虫のモチーフを強く出すことで個性を出す。端的に言えば、より本物のカブトムシっぽくする。
 例えば、コーカサスはマスクドフォームでは金色ベース。デザインは(右肩も含めて)カブトと全く同じ。マスクドフォームでは、逆にカブトとそっくりであることを強調するのだ。
 ライダーフォームでは、明るい感じから一転して黒光りする漆黒のボディとなる。腕のアーマーも漆黒で同色の小さなトゲトゲが並んでおり、まさに一般的なカブトムシのイメージ(ただし、スーツは金色がベース)。カブトと全く同じデザインの顔に、漆黒の三叉のホーンが被さることにより、カブトとは全く異なる顔が生まれる。そして
「チェンジ、コーカサスビートルゥ」
と、例の電子音声が流れるわけだ。

 ヘラクスも、ヘラクレスオオカブトっぽくする。ボディアーマーはメタリックシルバーがベースで、そこにヘラクレスオオカブトのような斑点模様を入れるのだ。ヘラクレスオオカブトのイメージを付与すると共に、昆虫的な模様が明確に入っているライダーはTV版には登場していないことから、彼らとの差別化が図られる。
 アーマー以外のスーツもシルバーメタリックベースで、手足を含めた全身がほぼ銀色。腕にカブトムシの爪を連想させる小さなスパイクが並んでいるのはコーカサスと同じ。
マスクドフォームは艶消しの濃いグレーがベースで、コーカサスと同様カブトに酷似している。

 ライダーフォームに関しては、
・コーカサスは、スーツ部分は金色、頭部とアーマー部分が漆黒の黒光りするライダー。
・ヘラクスは、ほぼ全身がシルバーメタリックで、銀ピカのライダー。
劇場版のライダーは、この金銀豪華、かつ明暗(暗明)のコントラストが効いた二人で良い。

 二人ともマスクドフォーム時は「色違いのカブト」だが、キャストオフすると「カブトとは全くの別人」に変わる。これはある意味、動的な対比だ。
 そして、その二人が並んで立っていること自体がコントラストとなる。これは静的な対比だ。
 カブトのキャストオフに続いてコーカサスとヘラクスがキャストオフすると、この二重対比の構図が出来上がる。映画の見せ場として、充分に機能すると思う。

 コーカサスとヘラクスは、キャストオフ直後、背中からカブトとは異なる固有の武器を取り出す。この武器を肩または胸あるいは肘または膝にセットすると、それが必殺技を発動させるパーツとなる。もちろん、コーカサスもヘラクスも、TV版のライダーとは全く異なるオリジナルの必殺技を披露するのだ。
 TVでは見たことのないライダーの、オリジナルの必殺技が炸裂する。これもまた、劇場版の見せ場の一つであろう。
 サビーやドレイクがやられるにしても、コーカサスやヘラクスのオリジナル必殺技で派手にやられるという“華”がなければいけないと思う。「劇場版ライダーのオリジナル必殺技」×「TV版ライダーが倒される」という文字通りの相乗効果で、客に強くて説得力のある衝撃を与えるのだ。

 これに加え、実際の劇場版にあった「カブトやガタックが、クロックアップしても圧倒されてしまう」という衝撃の映像が後半早々に公開されれば、「一体この先どうなるんだろうか(カブトやガタックはどうやって勝つんだろうか)」と、子供でも喰らいついてくる展開が作れたのではないだろうか。ちなみに、TV版のカブトは、マスクドフォームのままでクロックアップしたワームを倒したことがあるのだ。
 ひよりをドラマの軸にするのは構わないが、実際の劇場版には、そういったヒーロー中心のバトルで引っ張るという部分が少な過ぎた。おそらく児童誌の前宣伝では3人の劇場版ライダーが大きく取り上げられていただろうから、それを期待して観に来た子供たちにとっては、裏切られた格好になったのではないか。

 劇場版『カブト』が“大人の鑑賞に耐え得る”作品だとは思えない。しかし、そんなことよりも重要なのは、言うまでもないが“子供の鑑賞に耐え得る”作品かどうかということである。
 ストーリーが完全には理解できなくても、人間ドラマが何となくしか理解できなくても、起承転結の大まかな流れが掴めて、ハイレベルなヒーローのバトルが一定間隔で展開される作りになっていれば、子供にも映画を充分に楽しむことが出来るはずだ。劇場版ライダー作品として最も重要であるこの点に関しては、劇場版『カブト』は最低レベルであったと言わざるを得ない。

 「SFっていうのは、“絵”だねぇ」というのは野田大元帥の言葉だが、「ヒーローっていうのは、“絵”だねぇ」と私は思う。ヒーロー番組においてテーマやストーリーはもちろん重要だが、パッと見のカッコ良さや、ポーズやアクションのカッコ良さも同じくらい重要である。
 「パッと見のカッコ良さ」は、デザインとともに色という要素が大きく作用する。劇場版『カブト』の3人の劇場版ライダーに魅力が乏しかったのは、ストーリー上の流れもあるが、“色とモチーフ”に関して失敗していた点も大きいと思う。TV版では成功している要素だけに、そこが残念でならない。

『グランドホテル』

『グランドホテル』
  2006年(4月29日~)のDVDまたはビデオで観た映画:2本目
  映画を観た日:2006年8月12日(土)

 1932年製作、アカデミー賞作品賞受賞作品。
 “グランドホテル形式”という呼び方は、この映画からきている。小説では以前から存在していた手法だとは思うが、映画においてこのスタイルを明確に打ち出したのは初めてだったのだろう。

 グランドホテルで、それまで全く無関係だった人物同士によって、いきなりドラマが発生する。この映画におけるグランドホテルは、ドラマ作りの“舞台”というよりは、その機能を持った“装置”に近い。
 偶然によって様々な人間模様が織り成されるうちに、遂には殺人事件にまで行き着いてしまう。
 殺された男性と「グランドホテル内だけでの親密」を構築していた男女が、二人して泣きながら電話でパリ行きの切符を予約をする場面は、この映画のクライマックスである。殺人の場面ではなく、「二人で泣きながらホテルを去ることを決める」シーンがクライマックスなのだ。殺人のシーンで、死体が全く映されないのも、そういった流れを強調するための効果的な演出である。

 死を忘れるためにホテルを去る二人と、新婚の夫婦がホテルの入り口付近ですれ違うシーンも象徴的だ。生と死さえ交錯する場所、グランドホテル。生と死が行き交った後、回転扉が空っぽのまま回り続けていたのも印象的。「何事でも起こり、何事も残らない」グランドホテルの本性の暗喩だろうか。

rihoさんがブログを閉鎖された…

rihoさんがブログを閉鎖された…

 今日、新記事をupしたとき、rihoさんからコメントを頂いていることに気が付いた。タイムスタンプは20日の午前中なので、丸3日間以上も気付かなかったことになる。言い訳になってしまうが、私のブログは「管理人のみ閲覧できます」となっているコメントは見つけにくい仕様になっているため、気付くのが遅れてしまった。結果的に失礼なことになってしまい、この場を借りてお詫びします。

 rihoさんが、ご多忙を理由にブログを閉鎖された。ワールドカップ終了後、ずっと更新が停止していたものの、来月辺りには更新が再開されるのではないかと思っていただけに、とても残念だ。もちろん閉鎖はrihoさんご自身が決められたことであり、一読者に過ぎない私は意見する立場にない。ただ、rihoさんの書かれる文章から学ばせてもらうことも少なくなかった私としては、残念だというのが正直な気持ちである。

 今思い返すと、もしrihoさんのブログを読んでいなかったら、私は『響鬼』の感想記事を書くのを途中で止めていたかも知れない。
 私は元々ブログの更新癖をつけるために『響鬼』の感想記事を書き始めたのであって、『響鬼』自体には余り思い入れがなかった。そんな私が最終話まで感想記事を書き続けることが出来たのは、rihoさんのブログに引っ張られたという側面があったと思う。
 ザンキというキャラクターに対して強い思い入れを抱きつつ、『響鬼』という作品全体を見渡した時のバランスを冷静に見つめる視点を持っていたrihoさんの記事からは、発想のヒントをもらうことが多々あった。また、それ以上に「作品に対する感情移入と分析の両立」というファンのあるべき姿勢そのものを、rihoさんから学ばせてもらったように思う。

 rihoさんがこれまでお忙しい中ブログを続けて下さったこと、そこで素敵な記事を書いて下さったことに感謝します。願わくは、“しばらくして落ち着いたら”…

パシフィックヘブン・イベント 村田めぐみ&斉藤瞳

パシフィックヘブン・イベント
             村田めぐみ&斉藤瞳
                   日時:2006年8月16日(水)16時~

 このイベントは、ファンクラブの会員だけが参加可能な、いわゆるFC限定のイベントである。
 つまり、私は約7年間も拒み続けてきた(大袈裟)、ハロプロのファンクラブに、とうとう加入してしまったのだ。
 私は飽くまでも、個々のメンバー(グループ)のファンであって、ハロプロ全体像のファンではない。増してやハロプロという枠組みの中で、中学生に過密なスケジュールを課すことにより、まだ義務教育中であるにもかかわらず明らかに学業に支障をきたしていると想像できる状況が生み出されてきたことに関しては、全く支持することができない。

 かおりん個人のFCや、メロン単独のFCがあったら、私はとっくの昔に両方とも加入していた。しかし、いつまでたってもメンバーやグループ単独のFCが作られる気配がない。
 かおりんはソロになり、メロンも年齢が上がっていく。もちろん私自身も、どんどん歳を取っていく。
 もう待てなかった。私は、ハロプロのオフィシャルFCに加入し、FC会員限定イベントに応募~参加したのである。

 この日は、30人の列を2列作って待つように指示されたことから、60人程度の規模のイベントだったと思う。
 イベントが行なわれたパシフィックヘブンはレストランとのことだが、ステージはパッと見では造り付けのように映った。ハワイアンミュージックの演奏を聞きながら食事をするというコンセプトのレストランなのだろうか?
 広さは、普段は80席を設定しているというのが「成るほど、そんなもんだろう」と思える広さ。椅子がレストランらしく、座り心地良かったのは有り難かった。

 整理番号27番の私は、3列目に着席。ステージはそんなに近くもないが、遠くもないという微妙な位置。
 しかし、お目当ての村っちが、なんと私から見て正面に立ってくれたのだ! これは嬉しい。
 ところが、期待していたような「近さ」は感じない。村っちの全身が、頭のテッペンから爪先までが、余裕で私の視界に収まってしまう。
 もちろん、コンサート会場だったら最前列レベルであることは間違いない。それでもこの「距離感」に感激しなかったということは、やはり私は かおりんのクリスマスディナーショー で完全に免疫が出来てしまっていたのだろう。あのときは、視力が良くないこの私にも、かおりんの背中にある一対のホクロを視認することが出来てしまい、衝撃的だった。肌の質感も、なんかこう、見ていて伝わってくるものがあったし…。(もっともそれは、かおりんがセンターステージにいた僅かな時間に限ってのことだったが)

 また、パシフィックヘブンのステージは、照明の貧弱さに問題があると思えた。
 ストリップ観劇を趣味としていた頃の記憶を辿ると、照明の種類や当て方によって、対象との距離感が変化していたような気がする。同じ距離にある対象でも、照明によってより細かくディティールが視認できる(質感が確認できる)場合の方が、より接近しているように感じられるのだ。簡単に言えば、ハッキリ見えるものは近くに見えるということ。「今日は普段よりも山が近くに見える」といった類の経験がある人は、直感的に理解できるだろう。
 この日も、村っちが微笑んで、彼女の頬にエクボが出来たのが視認できた瞬間、私との距離がキュッと縮んだような気がした。

 イベント自体は、村っちもヒトミンも大人だけあって、落ち着いた感じでサクサクと進んでいった。
 意外だったのは、村っちもヒトミンも女性アイドルグループのファン、それも結構熱心なファンだったという話。ガキさんがモー娘。の熱心なファンだったという話は聞いたことがあるが、村っちが「MAXのコンサートの前日にジャンプ(いわゆる推しジャンプとはややニュアンスが異なる)の練習をやり過ぎて、当日筋肉痛になった」という話は、全くの初耳であったので驚いた。ヒトミンも、TVを見ながらMAXか何かのダンスの真似をしていたそうで、「こういうの、“振りコピ”って言うの?」と、客席にファン用語の確認を取りつつ語っていた。
 しかも、ヒトミンは今でもCoCoの関連物を引っ張り出したりすることがあるというし、村っちに至っては昔録画したアイドル関連番組のビデオを随時HDDで編集(DVDにダビング?)しているとのこと。
「ビデオテープだと劣化しちゃいますからね」
と語る村っちは、眼鏡こそかけていないものの“村田博士”キャラを連想させた。

 もう一つ意外だったのは、参加者の中に一人、まだ中3か高1かと思える少女がいたこと。参加者の平均年齢は20代後半から30代前半といった感じであり、メロンだから他のハロプロ系コンサートより高いというわけではなかったが、それでも彼女は飛び抜けて若かった。
 私は思わず、その昔、筋少のライブに行ったときのことを思い出してしまった。あのときも、観客の中に一人だけ中3か高1ぐらいの少女が混じっていた。その少女は、ステージ上の大槻ケンヂから「せっかく来てもらってこんなこと言うのもアレだけど、もっと若くて流行ってるアイドルのコンサートに行ったほうがいいんじゃない?」みたいなことを言われても、「筋少サイコー!」とか元気に切り返していた。
 また、今回のイベントは年齢層こそ普段と同じだが、女性の数は約60人中約10人と、普段より明らかに多かったと思う。
 村っちもヒトミンも、客の年齢層や男女の比率を直接話題にすることはなかった。ただ、『二人の北海道』を歌った後、「前日のイベントで、この曲を知らないお客さんがいたことが意外だった」という話をして、今回の会場の客にも知っているか否かの確認を取っており、客層・世代差を意識している様子が窺われた。ちなみに今回の客は、全員が『二人の北海道』を知っていたようだ。

 いよいよイベントも終了。参加者が順番にステージ上がり、村っちとヒトミンと握手してお別れだ。
 ハロプロに関する初めての単独イベントは、かおりんのクリスマスディナーショーだった。
 初めての単独のコンサートは、メロンのコンサートだった。
 そして、初めての“握手”もメロン。
 自分の推しに忠実なこの流れは、ファンとして何だか誇らしく思える。
 握手があることを忘れていたため、何を言おうか全く考えてきていない。いろいろな言葉が浮かんでは消えていく。
 自分の番が回ってきた。
 最初は、ヒトミン。
私「メロン記念日が10周年を迎えられるよう、頑張ってください(よし、噛まずにスラッと言えたぞ)」
瞳「ありがとうございます。応援してください!」
 ここで私は一瞬固まってしまった。自分から言う台詞は考えていたものの、ヒトミンからの返事に対する返事までは考えていなかったのだ。と言うよりは、ヒトミンが「ありがとうございます」以外の言葉を返してくれるとは、全く想定していなかったのだ。
私「…はい…」
 想定外の事態を受けて、私は半分固まったまま、ベルトコンベヤ上のワークのように左手方向に押し流される。
 目の前にいるのは、村っちである。3列目から見ても美人だったが、目の前で見てもやっぱり美人である。私は半分固まったまま村っちと握手をする。村っちの「今日は来て下さってありがとうございます…」という声が、何だか凄く遠くから聞こえてくるような感じがする。
 村っちの口上が終わった後、2秒ほどだが、私は完全にフリーズしまった。いかん、これが“テンパる”という状態なのか? 必死に、待ち時間に考えた台詞を絞り出す。
私「…また、ハロモニに出てください」
村「出ます! 録画してください!」
 村っちの声は、力強かった。

 私の“初めての握手”は、FC会員としての初めてのイベントは、こうして終わった。
 そして、実は2回目の“パシイベ”参加は、既に決定している。
 今度は、握手のときにフリーズしないよう、ちゃんとイメージ・シミュレーションしておこうっと。

『轟轟戦隊ボウケンジャー THE MOVIE 最強のプレシャス』

『轟轟戦隊ボウケンジャー THE MOVIE 最強のプレシャス』
  2006年の映画館で観た映画:24本目
  映画を観た日:2006年8月16日(水)


 平成の戦隊とライダーの劇場版を全て観ているわけではないのだが、それでも言葉の勢いで“最高の出来栄え”と言いたくなるほど面白かった。
 まず、始まりのいわゆる“掴み”が素晴らしい。そこから一気にOPに突入する流れは快感! 本当に、カッコ良さが気持ちいいのだ。
 テンポの良いアクションと切れの良いカット割り。構図の変化もダイナミックだ。この爽快感が、たまらない。
 着ぐるみの出来などの予算が関与する部分を除いた、純粋なアクション映画のクオリティとしては、世界的に見ても充分に評価されるレベルにあると思う。(映画全体ではなく、飽くまでもこの部分に限定しての話ではあるが)

 私はこれまで、アメリカ人の言う「クール」という感覚が分からなかいまま生きてきたけれども、今なら分かる。この映画のスタートから暫く続く部分が「クール」なのだ。今の日本の子供は本当に幸せだと思う。日本の子供向け映画やTVは、世界のトップクラスなのだから。
 私は今まで、この手の劇場版のDVDは一枚も購入したことがないのだが、本作品に関しては、絶対に買うつもりだ。個人的には、バッチャープラント(あるいはサイロと傾斜ベルコン)や、バキュームリフトの盤関係の映像が出てきたところにもニヤリとしてしまった。

 監督が、「虹一がピーナッツを割るところを寄りで見せるような尺の余裕は無かった」と語っている割には、水を飲む菜月の喉の動きを寄りで見せるなど、“男の子”をちょっと変な気持ちにさせようという配慮も嬉しい。
 唯一の不満は、さくら姐さんの水着姿が拝めなかったこと。末永さん、もしかしてお腹周りがヤバいのか? それとも、お子様には刺激が強すぎるほどセクシーなのか? 確かに、全身ずぶ濡れになって横たわっているときのヒップから太腿にかけてのラインは、かなり色っぽかった。
 毎週『ボウケンジャー』を観ている男の子たちは、さくら姐さんと菜月のどっちが好きなのかなぁ?

 余談だが、劇場のある東映会館のビルには大きな垂れ幕が2つかかっていた。
 一つは【カブト&ボウケン 大ヒット上映中】の垂れ幕。
 そのすぐ隣に、【ペルシャ文明展】の垂れ幕。
 “黄金のプレシャス”が目立つその垂れ幕を見て、一瞬「ゴードム文明展か?」と思ったのは私だけではあるまいて。

『劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE』

『劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE』
  2006年の映画館で観た映画:25本目
  映画を観た日:2006年8月16日(水)


 面白くなかった。平成のライダー劇場版は『555』以外は全て観ているが、その中では最低の出来だった。
 考証の誤りは、子供向け映画であるから許される。ストーリーや、TV版との整合性という大筋に関しては問題ない。過去のライダー劇場版が、「所詮ライダーの新フォームのお披露目映画」に見えてしまう雑な造りであったことと比較すると、明らかに一つ上のレベルを狙った作品であったとも思う。
 しかし、肝心要の「ヒーロー・アクション映画」としては、もう全然ダメなのだ。

 とにかく、作品の雰囲気が暗すぎる(画面そのものも暗めだった)。
 そして、カッコ良さがない。だから、爽快感もない。
 こういう映画を造るのなら、ライダーじゃなくて他所でやって欲しいと思う。

                  (以下、ネタばれ有り)

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『仮面ライダーカブト』考2 “色とモチーフ”の成功

『仮面ライダーカブト』考2 “色とモチーフ”の成功


             『響鬼』の失敗と、私の誤り(勘違い)

 『響鬼』が最終回を迎えた数日後、私は 『剣』のDVDの最終巻をBGMならぬBGVにして、“平成ライダーシリーズ考 ~『クウガ』から『響鬼』まで~” という記事を書いていた。
 そして私はハッと気付いた。『響鬼』のオロチの件で、「関東11鬼を一人でも多く(同一現場に)登場させて欲しい」と書いたのは誤りだった、と。
 実は、全く逆なのだ。「関東11鬼を、同一現場に5人以上同時に登場させてはいけない」だったのだ。

 このことは、『響鬼』新オープニング映像を見て直感的には気付いていたのだが、それが具体的な思考にまで反映されていなかった。どこかで、「劇場版の8鬼」のイメージを誤って「TV版の関東11鬼」にダブらせていたのだろう。
 そう、新オープニング映像を見たのなら、分かっていたはずだ。
 関東11鬼を全員集合させたところで、『剣』における“ダークローチの群”と視覚的に大差ないということを。あんな黒っぽいキャラクターを11人も集めたところで、見栄えなどするわけがない。それどころか「みんな黒っぽくて、テカっている」ことから、ダークローチよりも更にゴキブリの群れっぽく見えてしまうだろう。

 失敗作となった『響鬼』の次に作られた『カブト』が成功作になれたとしたら、その違いの一つに、ライダーの“色とモチーフ”において失敗しているか成功しているかということが挙げられると思う。
 そしてそれは、『ガンダム』(1作目)の成功の基本的な部分とも共通する。

             『ガンダム』1作目は色彩でも成功していた

 『ガンダム』の1作目は、いわゆるリアル路線ロボットアニメの第1号であり、アニメ界全体を見渡してもエポックメイキングな作品である。シリーズとしての歴史も長く、全体の人気としては『仮面ライダー』シリーズをも凌駕しているだろう。
 その『ガンダム』1作目における「色の法則」は、こうだ。

・主役キャラクターは、派手な色で差別化する。
・脇役キャラクターは、地味目な同系色でまとめる。

 ガンダムは「白を基調とし、赤・青・黄(色の3原色)を配色」という派手なカラーリンがなされている。これを劇中で「テスト用の機体なので敢えて目立つ配色にしてあった」と説明したとしても、すぐに実戦に即した地味な色に再塗装されなければおかしい。しかし、実際にはそういう説明もなければ、ガンダムが地味な色に再塗装されるということもなかった。1作目はリアル路線であったにも関わらず、そういった「リアルな考証」よりも「絵的な見栄え」を優先した色彩設定を採用したのである。

 もしもガンダムが、通常タイプのザクのように、地味目な同系色でまとめられていたら、どうなっていただろうか? 『ガンダム』1作目や以降のシリーズが、今のような人気を得ることが出来ただろうか? ここで、
「通常タイプのザクが人気キャラクターになったのだから、ガンダムが通常タイプのザク同様のカラーリングであっても、今と同じ人気が出ていたはずだ」
と考えるのは大間違いである。
 通常タイプのザクは、量産兵器であるから、あのカラーリングで良いのだ。「量産タイプの名脇役」として相応しいあのカラーリングが、ザク人気の理由の一つとも言える。
 しかし、ガンダムは量産タイプではないし、脇役でもない。番組のタイトルにもなっている主役キャラクターなのだ。

 当時、『マジンガーZ』に始まるスーパーロボットアニメを見て育った世代が「従来の勧善懲悪のロボットアニメには飽き足らなくなった層」として潜在的に存在していたことは事実だ。しかし、彼らは決してミリタリーマニアではなかった。飽くまでも、「アニメを含めた良質の娯楽を求める一般層」のうちの最若年層であったのだ。
 『ガンダム』1作目は(紆余曲折はあったが)、その一般層を掘り当てた。そのためには、ミリタリーマニアではなく、一般層にアピールする「色」が、主役キャラクターにも必要だったということだ。

 もしもガンダムが、通常タイプのザクのように地味目な同系色でまとめられていたら、後に起こる“ガンプラ・ブーム”も含め、今のようなガンダム人気は存在していなかったに違いない。
(『ガンダム』の後に作られた、よりリアルなロボットアニメである『ボトムズ』のような人気は得られていたかも知れないという考えも、そもそも『ボトムズ』も『ガンダム』の成功があってこそ生まれたわけであるから、一種のパラドックスである)
 いわゆるリアル路線であっても、「主役キャラクターを派手な色で差別化する」ことは重要なのだ。

               『カブト』における“色とモチーフ”

 『カブト』では、ライダーを色で明確に差別化している。
 そして、各ライダーのモチーフに関しても明確化し、デザインにもそれを大きく反映させている。
 仮面ライダーシリーズは、原則として劇中ではライダーのモチーフを明示していない。例外は『龍騎』、『剣』、そして『カブト』である。
 ただし、『剣』は「虫(節足動物)」と「トランプのスート」の両方をモチーフにした二重モチーフ制を採用しているため、その分「虫(節足動物)」というモチーフはデザイン的に弱くなっている。『龍騎』では、ライダーはブランク体の状態から契約したモンスターの意匠を受けた姿にマイナーチェンジするという設定があることから、そのデザインにはモチーフとなっている動物のイメージがそれほど強く反映されていない。
 『カブト』は、仮面ライダーシリーズ中でモチーフのキャラクターが最も色濃くデザインに反映されている作品と言えるだろう。これは『カブト』の大きな特徴となっている。また、色とモチーフは変身前後のキャラクターとも連動している部分があるのも面白い。

カブト…
・赤色のライダー。
・モチーフはカブトムシ。
・マスクドフォームのイメージは「装甲化した幼虫(突起が無くて丸っこい)」あるいは「防御重視タイプ」。
・ライダーフォーム時、頭部はカブトムシの頭部、胸部はカブトムシの背面(上から見た姿)の意匠を強く反映している。
・格闘タイプが万能武器を所有するという意味で、バランス型。
・決め技がキックということから、正統派のイメージがある。
・変身する人間は俺様キャラではあるが、「正義のライダー」であることは外していない。

ザビー…
・黄色のライダー(と言うよりは“蜂と同じ配色”のライダー)。
・モチーフは蜂。
・マスクドフォームのイメージは「蜂の巣」あるいは「ハニカム構造」あるいは「防御重視タイプ」。
・ライダーフォーム時、頭部は蜂の顔、胸部は蜂の腹部の意匠を強く反映している。
・飛び道具や剣を使わない、純粋な格闘タイプ。
・決め技はキックでもパンチでもなく「針で刺す」といった蜂独特のもの。
・4人の人物が変身しているが、常に組織側の人間である。これは蜂(の一部)もまた社会性昆虫であり、巨大組織に属して生きていることを連想させる。悪役としての性格が強い、「悪のライダー」。

ドレイク…
・空色(水色)のライダー。
・モチーフはトンボ。
・マスクドフォームのイメージは「ヤゴ」あるいは「パイプ」あるいは「防御重視タイプ」。
・ライダーフォーム時、頭部は翼(あるいは羽根を広げたトンボの姿)、胸部はトンボの羽根の意匠を強く反映している。よく見ると右腕はトンボの胴体、左肩はトンボの頭部の意匠を強く反映しており、右腕を伸ばすと「左肩-胸-右腕」でトンボの全身の姿を表していることに気付く。
・銃による攻撃を中心にした、射撃タイプ。
・決め技も射撃。
・常に銃を手放さない“ガンマン・ライダー”。それ故、単に相手を両拳で連打するという攻撃でも“普段とは違う、特別な行為”と映る。
・戦いを好まぬ風来坊が変身する、「正義でも悪でもない気ままなライダー」。“風車のベルト”こそ無いが、「風のライダー」とも言える。性格がクールで、見た目にも涼しげなライダー。

サソード…
・紫色のライダー。
・モチーフはサソリ。
・マスクドフォームのイメージは「細いチューブの束」あるいは「触手」あるいは「特殊攻撃タイプ」。
・ライダーフォーム時、頭部はサソリの姿、胸部はサソリの背面(上から見た姿)の意匠を強く反映している。よく見ると両肩がサソリのハサミ、腹部から左大腿部にかけてサソリの尾の意匠を強く反映しており、「両肩-胸から左大腿部」でサソリの全身の姿を表していることに気付く。
・剣による攻撃を中心にした、斬撃タイプ。
・決め技も斬撃。
・お坊ちゃま=高貴=紫、お坊ちゃま=西洋の騎士=剣、お坊ちゃま=ヒラヒラの服=細いチューブの束、サソリ=毒液=血液=細いチューブの束、といった連想も出来る。
・他のライダーとは異なりゼクターが空を飛ばない、モチーフが昆虫ではない、マスクドフォームが他のライダーと比べて特異であることから、当初から“例外”・“特殊系”というイメージがあった。
・“例外”、“特殊系”であり、正義をイメージしにくいサソリをモチーフにしているだけあって、ワーム(本人はその自覚なし)が変身している。

ガタック…
・青色のライダー。
・モチーフはクワガタ。
・マスクドフォームのイメージは「両肩の射撃ウェポン」あるいは「突起」あるいは「攻撃重視タイプ」。これは、突起がほとんど無く「防御重視タイプ」に見えるカブトのマスクドフォームとは正反対(対比キャラ)である。
・ライダーフォーム時、頭部はクワガタのアゴ、胸部はクワガタの背面(上から見た姿)の意匠を強く反映している。
・マスクドフォーム時は射撃タイプ、ライダーフォーム時は格闘タイプという意味で、バランス型。
・キックを決め技に持つことから、正統派のイメージがある。
・カブトと共通点が多い(変身アイテムがベルトである、カブトとデザインが似ている部分が他のライダーよりも多い、キャストオフ時に自動変形ギミックが作動する、キックを決め技に持つ)ことから「カブトが1号ライダーなら、2号ライダーはガタック」というイメージがある。
・カブトムシとクワガタが昆虫の人気コンビであるように、カブトとガタックも「正義のライダー」としてコンビを組む。

                      整合性と多様性

 今までTV版の『カブト』に登場したライダーは全員、虫(節足動物)をモチーフにしており、マスクドフォーム→キャストオフ→ライダーフォームというフォームチェンジを行なうという点で共通している。それと同時に、前述のようなキャラクターの多様性も実現しているということに関しては、評価して良いと思う。
 特に、カブトとガタックが対を成すデザインになっており、キャストオフ時に自動変形ギミックが作動するという共通項において他のライダーとは差別化されていることは秀逸である。
 また、ドレイクのデザインは石ノ森氏本人によるものであるかのような印象を与えるという意味で特筆すべきだろう。この意味において、ドレイクは平成ライダーの中では最も石ノ森ライダーのテイストが感じられるライダーなのだ。昭和ライダーシリーズ世代に限定した感覚かも知れないが、嬉しいことである。

 サソードについても触れておこう。
 格闘ゲームには、「パワー型」・「スピード型」・「中間型」といったキャラの他に、「特殊型」のキャラが存在することが多い。『カブト』におけるサソードは、この「特殊型」のキャラに相当するように思える。
 登場するキャラクター全員が、基本となる設定やコンセプトといった「規格」にキチンと収まっているよりも、そこからはみ出したキャラが一人いた方が、作品全体を面白くする。「何事にも例外がある」のではなく、むしろ「何事にも例外が必要」なのではないか、ということだ。もちろん、そのキャラが他から余りにも浮き過ぎていたら逆効果であるし、その存在が作品自体の論理的閉鎖性(整合性)を壊していては、作品における「例外」ではなく「間違い」になってしまう。この辺のサジ加減が難しく、また面白いところでもある。
 シリーズものや、同一の番組内に複数のヒーローが同時に登場する場合は、全体を通しての統一性とそれぞれの個性のバランス、整合性と多様性のバランスが常に課題となるのだ。

 TV版『カブト』では2クール終了時点で5人のライダー(変身前後セット)が登場している。この数は、平成ライダーシリーズの中でも『龍騎』並みに多い。しかも、早い段階で総勢13人であることが明らかにされていた『龍騎』とは違い、『カブト』ではライダーが最終的に何人登場するか現時点では分かっていない。私はこの点で、『カブト』に惹き付けられている部分もある。
 『カブト』が、平成の『アマゾン』とも思わせた『響鬼』の後番組であることと、カブトのデザインがストロンガーを思わせることから、『カブト』にテントウムシをモチーフにした女ライダーが登場するのではないかという期待感も持っている。

 『響鬼』での私のお気に入りキャラであり、同作品の玩具としては例外的に売れ行きが好調だったディスクアニマルは、“色とモチーフ”において成功していた。しかし、同作品のライダーに関しては、そうではなかった。
 『カブト』に関しては、ライダー自身が“色とモチーフ”において成功していると思う。これが、玩具の売れ行きを含めた作品自体の成功に結びついてくれることを願う。私も、ささやかながら応援している。

小泉首相の靖国神社参拝について

小泉首相の靖国神社参拝について

   どうせなら、ヒトラーも靖国神社に合祀すればいいのに


 誰か、小泉首相に質問すればいいのに。
「ドイツに、ヒトラーを含めたナチス戦犯及びその多大勢の軍人を、英雄として祀った宗教施設があるとします。
 ドイツの“敗戦の日”に、ドイツの首相がその宗教施設を参拝したら、ドイツの侵略を受けたヨーロッパ諸国は、一体どう思うでしょうか?」

 日本(大日本帝国)は、ナチスドイツと手を組んで、連合国と戦争を行っていた。
 今の国連は、大日本帝国やナチスドイツに勝利した連合国が母体になって出来た組織である。
 日本人、特に若い世代は、そういったことを余り知らないのではなかろうか。

8月15日は「敗戦の日」です

8月15日は「敗戦の日」です

  マスコミも国民も「終戦記念日」などと呼ぶのはお止めなさい


 第二次世界大戦において、日本は枢軸国のうち一国として連合国側と戦争を行って敗北、敗戦国となった。だから、普通に言ったら8月15日は「敗戦の日」である。

 実際(日付は8月15日ではないが)、戦勝国であるアメリカは「Victory over Japan Day(または単に「Victory Day」)」、即ち「対日戦勝記念日(または単に「戦勝の日」)」と呼ぶ。
 同じく戦勝国である中国も「抗日戦争勝利紀念日」と呼んでいる。

 戦争に勝った国が「戦勝の日」と呼ぶのが当然であるように、戦争に負けた国は「敗戦の日」と呼ぶのが当然だ。
 「終戦記念日(終戦の日)」などと呼ぶのは明らかに不自然である。近代史を全く学んでいない小中学生が「終戦の日」と聞いたら、まるで「日本は戦争を“もうこの辺で止めましょう”と自主的に終わらせたのであって、負けたわけではない」と誤った印象を抱くのではないだろうか。

 日本の軍隊は壊滅的に敗北し、日本各地は首都東京を含めて激しい空爆にさらされ、広島と長崎は原子爆弾を落とされた。日本はそんな悲惨な状態に追い込まれ、無条件降伏を突きつけられて降参したのである。その後、日本は政府を含む国全体が完全に占領軍の管理下に置かれた。

 湾岸戦争で多国籍軍にタコ殴りにされて敗北したイラクが、敗戦を認めたその日を、国内でもしも「終戦記念日(終戦の日)」と呼んでいたとしたら、それに対して日本人はどういった印象を抱くだろうか?
「このバカ、自分が負けたと思ってないんじゃないのか?」
とか、思ったりしないか?
 要するに、そういうことである。

 もし、「もう二度とあのような戦争はしないと誓う日」という意味を込めるのなら、そのまんま「不戦を誓う日」と呼べばよい。
 それ以外の呼び方をするのであれば、やはり「敗戦の日」である。
 マスコミも国民も8月15日を「終戦記念日(終戦の日)」などと呼ばず、「敗戦の日(不戦を誓う日)」と呼ぶべきなのだ。

オリコンの『好きな仮面ライダーランキング』はナンセンスだ!

オリコンの『好きな仮面ライダーランキング』はナンセンスだ!


 オリコンのニュースのページの http://www.oricon.co.jp/news/ranking/30313 にて、『好きな仮面ライダーランキング』なるランキング記事が公開されている。
 まぁ、所謂お遊び記事なのだろうが、データの集め方やまとめ方で変な結果を導き出せるという、非常にナンセンスなランキングだと思う。
 こちらも“お遊び感覚”で、このランキングをネタにした記事をこしらえてみよう。

 根本的にナンセンスな点は、『好きな仮面ライダーランキング』を決める際に、女性からもデータを収集していることである。
 女性は、仮面ライダーを好きではない(関心がない)。
 好きではない(関心がない)対象に関して、「どれが好きか選べ」と問うのは、ナンセンス以外の何物でもない。
 まるで、3歳から8歳の子供を対象にして『好きな政党ランキング』のアンケートを取るようなものだ。

ライダーを好きな女性は極めて少ない

 上のグラフは、「バンダイ子供アンケート」の2006年のデータから私が作ったものの1つ(参考記事は こちら )で、「仮面ライダーシリーズ、戦隊シリーズを好きだと答えた子供の人数およびその男女内訳」をまとめたものだ。
 女子の数は圧倒的に少なく、無視してもほぼ問題がないと言えるくらいである。
 私はライダー1号直撃世代であり、小学校低学年の頃はクラスの男子のほとんどがTVでライダーを見ているような状態であったが、「ライダー好きの女子」がいたという記憶は全くない。
 昔も今も、女子(のほとんど)は仮面ライダーに興味はないのだ。
 
 オリコンの『好きな仮面ライダーランキング』が 不自然なのは、「【総合】 好きなライダーランキング」の結果と「【男性が選ぶ】 好きなライダーランキング」の結果が違いすぎるということである。
 普通に考えたら、両者はほとんど一致する筈だ。何故なら、一般的な女性のほとんどは「好きなライダーなどいない」からだ。
 このランキングのデータの取り方に関しては、

 自社アンケート・パネル【オリコン・モニターリサーチ】会員の中高生、専門・大学生、20代社会人、30代、40代の男女、計1,000人にインターネット調査したもの

としか書かれておらず、その内訳を明らかにしていない。極端な話、「男100人、女900人、計1,000人」かも知れないわけだ。
 まぁそれは置いといて、仮に全くランダムに「中高生100人、専門・大学生100人、20代社会人100人、30代社会人100人、40代社会人100人」の【女性】(計500人)からアンケートを取ったとしよう。そして、そのアンケートに

【あなたの好きな仮面ライダーを教えてください】
(1)特に無し
(2)仮面ライダー1号
(3)仮面ライダー2号
(4)仮面ライダーV3
  ・・・・・・・・

と書かれていたら、90%以上の女性が速攻で「特に無し」を選ぶと私は思う。
 一般的な女性は、仮面ライダーなんかに興味を持っていない。好きも嫌いもありはしない。そりゃ、「仮面ライダー」という名称や、そういうヒーローキャラクターがいることは知っているだろう。しかし、
【あなたの好きな仮面ライダーは?】
とか聞かれても、90%以上の女性は「よく知らないから答えようがない」というのが本当のところだろう。

 「好き」と、「知っている」は、違う。
 「好き」と、「見たことがある」とは、別である。
 好きではない(関心がない)対象に関して、「どれが好きか」と問われ、「特に無し」という選択肢が用意されていなければ、人はどういう行動に出るか?
 別に「好き」ではないが「知っている」
 別に「好き」ではないが「見たことがある」
という対象を選んでしまうのではないだろうか。

 男性のパターンで考えてみよう。 例えば、全くランダムに「中高生100人、専門・大学生100人、20代社会人100人、30代社会人100人、40代社会人100人の【男性】(計500人)」からアンケートを取り、そのアンケートに

【あなたの好きなリカちゃんファミリーを教えてください】
(1)特に無し
(2)香山リカ
(3)香山リエ
(4)香山ピエール
  ・・・・・・・・

と書かれていたとしても、真面目に考える男性が10%もいるだろうか?
「知るかそんなモン!」
と、90%以上の男性が、問答無用で「特に無し」を選ぶだろう。ふざけて「(4)香山ピエール」とか記入してしまう男性もいるだろうが、その数はそれほど多くはないと思う。
 一般的な男性は、リカちゃんファミリーなんかに興味を持っていないから、「知らん!」としか答えようがない。「知りません」という選択肢がなく、その代わりに「特に無し」という選択肢が用意されていたら、普通はそれを選ぶだろう。

 要するに、そういうわけである。
 『好きな仮面ライダーランキング』を決めるアンケートに、女性からデータを収集すること自体が本来ナンセンスなのだ。
 それで、90%以上の女性から「特に無し」という答えが返ってきて、残りの10%以下の「ライダー好きの珍しい女性」の意見だけを反映させるというのなら、それはそれで良いだろう。
 しかし、「知りません」・「特に無し」という選択肢を与えず、リストの中から「必ずどれかを選ばせる」というアンケートであったのなら、それはナンセンスどころか「本当の“好き”」とはかけ離れた「虚像のランキング」が作られることになる。
 オリコンの『好きな仮面ライダーランキング』は、そういったものだと私には思える。

 特に、「【女性が選ぶ】 好きなライダーランキング」で、『カブト』や『ファイズ』といった平成ライダー(母親世代が子供と一緒に見ている可能性あり)よりも『アマゾン』(昭和ライダーで、レンタル屋でもあまり見かけない)が上位に来ているのは、「【男性が選ぶ】 好きなリカちゃんファミリーランキング」で一部の男性が「香山ピエール」をその場のノリで選んでしまうのと同じパターンで起きているように思えてならない。
 私は本当に『アマゾン』が好き(DVDも買った)ので、これがお遊びだとしても 微妙に腹が立つ。

 いかに【オリコン・モニターリサーチ】会員という限定された集団の中から選ぶとはいえ、「【総合】 好きなライダーランキング」の結果と「【男性が選ぶ】 好きなライダーランキング」の結果がこれほどまでに違うというのは、ちょっと考えられない。
 繰り返しになるが、このオリコンの『好きな仮面ライダーランキング』は、

・アンケート対象者が、【オリコン・モニターリサーチ】会員全体から全くランダムに選ばれたものなのか、嗜好性において何らかのフィルターをかけて選別された同会員の中から選ばれたものなのかが明らかにされていない。(あるいは、【オリコン・モニターリサーチ】会員そのものが最初から何らかのフィルターがかけられた集団なのか?)
・アンケート対象者の対象層が示されているだけで、その人数内訳が明らかにされていない。
・ランキングの順位が示されているだけで、取得ポイントが明らかにされていない。
・アンケートの内容(「特に無し」という選択肢があるのか、複数回答なのかetc)や、実施日が明らかにされていない。

といったことから、まともな記事ではなく、単なるお遊びだとは思う。
 しかし、お遊び記事にしても、良し悪しというものはある。
 オリコンの『好きな仮面ライダーランキング』は、お遊びにしてもナンセンスだ。
 というわけで、メタ・ナンセンスなこの記事も、この辺でお終い! さ~、ご飯を食べながら『レインボーマン』を見よっと。

『フランケンフィッシュ』

『フランケンフィッシュ』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:14本目
  映画を観た日:2006年8月6日(日)


 アメリカの「巨大生物=モンスター」ものは、本当に侮れない。
 普通の日本人の感覚だと、『フランケンフィッシュ』というタイトル(原題通り!)から、まともな映画であるとは想像しにくい。低予算の3流映画、いわゆるゲテモノ映画をを想像してしまうだろう。しかし、この『フランケンフィッシュ』は、本当にきちんと作られた正統派のモンスター映画なのである。

 映画の冒頭に出てきた死体のプロップ(造形物)の出来は今ひとつであったが、それ以外のヴィジュアル・エフェクトは、どれも充分合格点をつけることができる。
 『アナコンダ2』 もそうだったが、水中(水面下)を移動するモンスターの映像のクオリティが相当に高い。本来、水という素材は特撮では描写が難しく、日本特撮では伝統的にこれを苦手としている。それなのに、アメリカのモンスター映画はむしろ得意としているようだ。そういったノウハウを確立しているということだろう。

 ストーリーは標準的ではあるものの、先が読めそうで読めなくて最後まで楽しめる。
 アメリカのお家芸とも言える、良質なモンスター映画の定番だ。即ち、
「隔絶された場所」で、
「モンスターと対決する羽目になった登場人物たち」が、
「一人また一人と数を減らしつつ」も、
「手持ちの装備のみ」で、「創意と工夫」によって、
最終的にはその「危機的状況から脱出・生還する」というパターン。
 これが破綻無く上手くまとめられているのだから、面白いのである。

 こういう表現は余り使いたくないのだが、日本の怪獣映画は所詮お子様向けのクオリティ(平成ガメラ3部作でさえ、映像のクオリティは決して高くなかった)で作られている。これにに対し、アメリカのモンスター映画は、大人向け一般映画としてのクオリティを前提にして作られているのだ。この基本的製作姿勢の差は大きい。

 限られた予算内で一定以上の品質を実現するにはどうしたら良いのか?
 それには、大風呂敷を広げたりせず、限られた状況下での物語にするしかないではないか。
 最近、日本特撮映画も、そのことに漸く気付き始めているように思える。日本人の怪獣映画ファンが、アメリカのモンスター映画で渇きを癒している現状を、何とか変えていって欲しいところだ。

『不思議な村』

『不思議な村』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:13本目
  映画を観た日:2006年8月1日(火)


 去年の「夏のSF大特集」のうち1本。これも、いわゆるTV映画のようだ。
 淡々とした作風で、昔読んだSF小説を思い出した(でもタイトルは思い出せない)。
 洋の東西を問わずに存在する昔話の一遍のような物語である(ただし、時代設定は現代)。
 もっとも、一般社会から離脱し、人里離れた場所で独特の生活様式を営む集団は、実際に存在しているのかも知れない。昔も、今も。
 
 この作品には結構大胆なワイヤーワークが使われていて驚かされるのだが、どうしても吊っていることが分かってしまう。うまく処理されているのに、直感的に分かってしまうのは何故だろう? 先入観とも、また違うと思うのだが。

 主人公はそうでもないが、主人公の監視役の女性が素晴らしく美人。思わず、DVDに焼いてしまった。

『仮面ライダーカブト』考

『仮面ライダーカブト』考


 『仮面ライダーカブト』が3クール目に突入した。
 去年の『響鬼』はこの時期、なかなか次の展開に入れない「足踏み状態」が続き、物語は中だるみに陥っていた。(参考記事は こちら
 今年の『カブト』は、適度なペースで次の展開へと話が進んでおり、作品連続体に一定のテンションが保たれている。この調子で、最後まで視聴者の関心を引っ張っていって欲しい。

 『アギト』の場合は、謎が解けた途端に作品の勢いがなくなり、最終話付近の展開はもう惰性で進んでいるだけのヘロヘロな感じだったが、『カブト』では謎をどう持たせるのだろうか。もっとも、これまでの『カブト』の山場の作り方を見ると、最後まで「大きな一つの謎」で引っ張るつもりはないような気もするが。

 さて、『カブト』で嬉しいのは、『響鬼』で失われていた「仮面ライダーらしさ」を取り戻したという点だ。
 『クウガ』から『剣』までの平成ライダーシリーズは、ある種の「仮面ライダーらしさ」を一貫して持ち続けていた。それは、ライダーが“敵と同じ属性を持った存在”であること。あるいは、“変身することにより、敵と同じ属性を持つ”ということである。

『クウガ』…
 変身とは、体内に埋め込まれた(吸収された)ベルトによって、グロンギの能力を人間の肉体内に再現するということ。肉体内部が未確認生命体と酷似した状態に変貌し、戦いとともにそれが進行していく。

『アギト』…
 アンノウンに対抗するための存在。それ故、アンノウンと同系統の能力を持つ。

『龍騎』…
 変身とは、モンスターと契約し、その属性を自分の能力として召還できるようにすること。モンスターとの契約を破棄することは、自分がモンスターの餌食になることを意味する。つまり、「モンスターに魂を売り渡した存在」なのだ。

『555』…
 オルフェノク(あるいはその刻印を持つ者)でなければライダーに変身できない(“改造人間でなければライダーに変身できない”と、ほぼ同義)

『剣』…
 変身とは、アンデッドであるジョーカーの能力を限定的に再現するということ。「融合係数」というパラメータが存在し、通常の変身でもアンデットと一種の融合状態にある。またその戦い方も、他のアンデッドの能力を一時的に自分の身体に宿らせて使用するというもの。
 最終的な“変身”は、「アンデッドそのものに変貌し、人間ではなくなる」というものだった。

 この『クウガ』から『剣』までの流れが、『響鬼』では途切れてしまった。
 『響鬼』におけるライダーは、外見は“異形の人”ではあるが、属性としては体を鍛えた一般人と何ら変わらない。敵の属性とは直接関係がなく、その為ライダーになることによってマイナス面が生じるということもない。正直言って、この設定にはがっかりした。

 しかし、その次に登場した『カブト』が、シリーズの特徴だった「仮面ライダーらしさ」を復活させてくれた。
 第2話の段階で、マスクドライダーシステムは、敵であるワームに対抗するため、その属性を模倣したシステムであるらしいことが描かれている。
 ワームは、「人間」に擬態した状態から「サナギ」に変身し、脱皮して「成虫」になることでクロックアップが可能となる。これと同様に、ライダーは「人間」から「マスクドフォーム」に変身し、キャストオフして「ライダーフォーム」になることでクロックアップが可能となるのだ。

 「マスクドフォーム」はずんぐりとしたスタイルで、「ライダーフォーム」はスマートなスタイルであるという点でも、「サナギ」と「成虫」の関係の相似形となっている。
 そして、ライダーに変身するための核(コア)となるのが、カブトムシを始めとする“虫(節足動物)”である。ワーム同様、脱皮によって成虫となる虫(節足動物)が、変身のための核(コア)となるという設定(描写)は、ライダーがワームと同じ属性を持つというイメージと適合する。
 「怪人の能力を、変身アイテムの力で人間の肉体に再現する」という平成ライダーの新パターンとして、高く評価したい。

 今まで『カブト』に登場したライダーは全員、デフォルトの状態で、マスクドフォーム→キャストオフ→ライダーフォームというフォームチェンジを行なう能力を有している。この初期能力は、いうなればライダー全員の共通仕様だ。このパターンは平成ライダー初であり、日本の変身ヒーロー全体でも初めてなのではないだろうか。
 一人のヒーローがデフォルトで数種類のフォームに変身できたり、複数のヒーローのうち一人ないし一部ないし全員のヒーローが強化形態へ変身できるようになるというパターンは以前にもあった。しかし、全員が最初から2種類のフォームを標準装備しているというパターンは記憶にない。(ボウケンジャーのように、決め技を使うときだけ強化プロテクターを追加装着するというケースは除く。あれは、フォームチェンジとは言えない)

 全員がキャストオフできるというアイディアは、ポリゴンゲームの『ファイティング・バイパーズ』(バーチャ好きの私もけっこうプレイした)が元ネタになっていると思われるが、主役格のライダーはキャストオフ直後に自動変形ギミックのアクションがあったりと、単なるパクリに終わっていない。
 パクリと言えば、ガタックが両肩の射撃ウェポンを使用するときの映像は、ZECTとZACの綴りが似ていることもあって(オマージュか?)、『サイバーコップ』のマーズを思わせた。ただし、給弾機構(あるいは冷却系)が作動しているギミックも含めたそのカッコ良さは本家?を遥かに凌いでいる。『サイバーコップ』で戦隊シリーズを真似されたお返しといったところか。

 この自動ギミックもまた、『カブト』のライダーの特徴である。キャストオフ自体も広義の自動変形ギミックと言えるが、中でもカブトとガタックのホーンの変形ギミックは特筆に価する。
 『アマゾン』や『アギト』にも、変身後のライダーの身体に変形ギミックが存在していたが、フォームチェンジと連動してライダーの身体の変形ギミックが作動するというのは『カブト』が初めてである。
 従来の仮面ライダーのフォームチェンジは、玩具化の際、そのまま再現することが可能な要素を持っていなかった。フォームチェンジを玩具で再現する場合は、単なる「着せ替え」の域に留まっており、変形ロボットのように玩具でも本物どおり再現できる変形機構を備えていなかったのだ。カブトとガタックは、この「玩具でも本物どおり再現できる変形機構」を備えている。
 ライダーのフォームチェンジが変形ロボット化することを全面的に是とするわけではないが、『カブト』が行ったこの新しい試みが、フォームチェンジという魅力の可能性を広げたことは間違いない。

 更に、『龍騎』を観てから、ずっと期待していた
「ブランク状態のベルトにセットするアイテムを数的に増加(複数化・追加合体化)させたり、質的に増加(差し替え変更・バージョンアップ化)する」(参考記事は こちら
というアイディアが実現化したのは嬉しい。
 また、『カブト』を観始めた当初から思っていた
「ゼクターを単なる変身時に登場するアイテムとしてではなく、ライダーをサポートするDA(ディスクアニマル)のように、可愛らしく愛着の持てるキャラクターとして描く」
ということも、少しずつではあるが実現している。
 ちなみに私が持っている玩具はガタックゼクターだけであるが、恐持てキャラとして登場した後、けっこう健気な一面も見せており、観ていて嬉しくなってしまう。

 平成ライダーシリーズは、伝統的に『強殖装甲ガイバー』を元ネタにしてきている(参考記事は こちら )が、『カブト』にはまだそれが見られない。
 私は、『カブト』では変身アイテムが「ベルト型」・「ブレスレット型」・「グリップ型」と複数タイプ登場していることから、『ガイバー』のアプトムのネタが使われるのではないかと思っている。
 『ガイバー』におけるアプトムは、複数のタイプのゾアノイドの姿と能力を併せ持った形態に獣化する能力を持っている。『カブト』における変身アイテムは、複数を同時に装着することが物理的に可能である。そして、ワームであっても「選ばれし者」としてライダーに変身できることが描かれている。
 このことから、“ワームライダー”が複数の変身アイテムを同時に装着して変身することにより、複数のタイプのライダーの姿と能力を併せ持った形態に変身するのではないか想像しているのだ。
 右手にザビーゼクターを装着し、左手にドレイクゼクターを握り、二つ同時に変身起動させ、ザビーとドレイクが融合したライダーが登場する…なんてことを考えたりしている今日この頃である。

 ライダーの「色」についても語りたいのだが、それはまた別の機会にしておこう。

ボクシングを馬鹿にした連中を「馬鹿め!」とやり返すコラム

ボクシングを馬鹿にした連中を「馬鹿め!」とやり返すコラム


 本人は、ファン・ランダエタ VS 亀田興毅 に関する批判記事を書いているつもりなのかも知れないが、実際にはボクシングを馬鹿にしている。ブロガーには、そういう連中が沢山いる。
 だから私は、そういう連中に対して、逆に「この馬鹿どもめ!」と、カウンターパンチを喰らわしてやることににした。
(私自身の、ファン・ランダエタ VS 亀田興毅 に関する見解は、こちら と こちら

 馬鹿な人に「馬鹿め!」と言っても、馬鹿な人にその自覚が無い場合には効果が薄い。そこで、馬鹿にもちゃんと伝わるように、野球に例えて分かりやすく罵倒することにした。

馬鹿の例その1…簡単な引き算すら出来ない馬鹿

 「初回と、11、12ラウンドしか見てないけど、あの試合は亀田の負けだ」
と書いた馬鹿がいる。馬鹿の中の馬鹿、もう論外の馬鹿である。全12ラウンド中の3ラウンド分しか見ていないくせに、どうして試合の勝敗結果の判断を下すことができると言うのだ?
 分かりやすく付け加えると、この野球のスコアを見て、
亀田対ランダエタを野球に例える1

「なんで亀田の勝ちになっているんだ? どう見ても亀田の負けだろう」
と言ってる馬鹿と同じレベルの馬鹿である。
 「初回と、11、12ラウンドは負けていた」と認識しており、かつその途中を見ておらず、スコアの合計値で亀田の勝ちになっていたとしたら、自分が見ていなかった途中のラウンドで亀田がポイントを稼いだと考えるのが当然ではないか。
 この類の記事を書いた人は、単なる引き算も出来ない正真正銘の馬鹿である。


馬鹿の例その2…簡単な足し算すら出来ない馬鹿

 「初回にダウンして、11ラウンドもクリンチしまくりだったから、あの試合は亀田の負けだ」
と書いた馬鹿がいる。全12ラウンド中うち、2ポイント取られた回が一度、1ポイント取られた回が一度あったら負けになると「計算」している馬鹿である。
 分かりやすく付け加えると、この野球のスコアを見て、
亀田対ランダエタを野球に例える2

「なんで亀田の勝ちになっているんだ? どう見ても亀田の負けだろう」
と言ってる馬鹿と同じレベルの馬鹿である。
 よもや、現在の採点は「出来るだけ10対10をつけず、僅差であっても10対9をつける」傾向にあるということすら知らないで、試合の勝敗という重要な事柄に関して自分の考えを書いているわけでもあるまい。
 この類の記事を書いた人は、単なる足し算も出来ない正真正銘の馬鹿である。

馬鹿の例その3…自分でスコアをつけないで意見する馬鹿

 自分でスコアもつけないくせに、試合の判定に文句をつけている馬鹿がいる。
 どうしてスコアもつけていないくせに、ジャッジの採点がおかしいなどと言えるのか?
 
 ボクシングの採点に関して「フィギュアスケートや体操などと変わらない」と、大ボケをかました記者がいた(詳しくは こちら )が、敢えてアマチュアボクシングや、その他の採点がある格闘競技以外を引き合いに出すとすれば、それはバスケットボールが適当だと思う。
 ただしそれは、「スコアが試合終了まで表示されることが無い」という状態のバスケという、注釈付きでの例えとしてである。

 短いタイムラクでポンポンと両チームがゴールを決めていくバスケ。
 短いタイムラクでポンポンと両選手がパンチを繰り出すボクシング。
 時間の経過と共に、スコアは刻々と変化する。
 リアルタイムでそれを把握し、何らかの方法で記録しておかなければ、試合終了時点の勝敗を正しく見極めることは不可能に近い。

 もしバスケのスコアが、ボクシング同様に試合終了まで公開されなかったとしたら、どうだろう。
「114対113で、亀田の勝ち」
と集計結果が発表されたとき、自分自身でスコアを付けていなかった人が、その結果に文句をつけるだろうか。
 例え自分でスコアをつけていたとしても、その正確さに自信の無い人が、ジャッジの出したスコアに異を唱えるだろうか。
 試合途中にほんの30秒でも席を立ってしまい、試合を見ていない時間を作ってしまった人が、「114対113で、亀田の勝ち」という僅差のスコアに、具体的に反論することができるだろうか。いや、出来まい。その30秒の間に、勝敗を分ける1ポイントが入っていたのかもしれないと想像する能力があるならば。

 「ジャッジに負けないぐらいの気持ちで集中して観戦し、自分自身でスコアをつける」ということをしていない人に、試合の判定に文句を付ける資格は無い。
 自分の採点とジャッジの採点を比較し、ジャッジの採点のどこに異議があるのか具体的に説明できない人は、試合の判定結果に文句を言うな!

 あー、胸がスーッとしたわ!

日刊スポーツの荻島弘一氏の記事は大間違い!…と目くじらを立てるのは野暮かな

日刊スポーツの荻島弘一氏の記事は大間違い!…と目くじらを立てるのは野暮かな


 私は幾つかの“スポーツ新聞”に対しては、「演劇の一形態であるプロレスと一般のスポーツを同列に扱っている」ように見えることから、一種の芸能新聞という印象を抱いている。
 『日刊スポーツ』がプロレスをどう扱っているのかは知らない。しかし、そういった側面以外に結構ひどい記事を見つけてしまい、呆れていいのやら笑えばいいのやら、戸惑っている。

  基準あいまい「地の利」ある/ボクシング 【荻島弘一】

 この記事を書いた日刊スポーツの荻島弘一氏は、ボクシングに関してはド素人であろう。そのド素人が、「私はボクシングのことなら多少知ってます」というスタンスで記事を書くとどういうことになるか。そんな悪い見本といえる(あるいは意図的に狙ったボケのようにも思える)記事である。
 真面目に書かれたように見える記事の途中に、

 10対10を許さず、1回ごとに必ず優劣をつける採点方法だ。 ※【引用1】

と書かれているが、これは明らかな間違い。いかにも、最近ボクシングを見始めた中学生が得意気にやっちゃいそうな間違いである。正しくは、
「最近は、出来るだけ10対10をつけず、僅差であっても10対9をつける傾向がある」
なのだ。
 実際、10対10をつけることは少ないが、かと言ってゼロではない。例えば、川嶋VSナバーロのジャッジでも10対10を付けているジャッジがいたし、徳山VSナバーロの試合でもそうだった。第一、今回の採点でも10対10を付けているジャッジがいるではないか。

 この試合のスコアシートも、3人の意見が合ったのは4回だけ。いかに、あいまいかが分かる。※【引用2】

と記事にあるのが笑いを誘う。記者の目はそれ以上にあいまいか、節穴と言ったところか? ろくに試合のスコアシートも確認せずに、その試合の記事を書いていることがバレバレである。(それとも、本気で笑いを取りに来ているのか?)
 多分この記者は、PRIDE(総合格闘技イベント)の採点における「マストシステム」と、最近のボクシングの採点“傾向”を混同しているのだろう。

 また優劣をつける基準も明確でなく、ジャッジの主観に任されている。 ※【引用3】

という部分も誤りである。ボクシングの採点基準は明確に明文化されており、ジャッジによって採点にバラツキが出ないような取り組みがWBAでも行われてきている。採点がジャッジの「判断」によって行われるのは当然であるが、個人の「主観」に任されているわけではない。こういう話は、ジョー小泉氏の著書を読めば分かることだ。

 有効打よりも単なる手数を重視するジャッジが存在することは以前からボクシング界で問題視されているが、それは採点基準の問題ではなく、基準の運用傾向の問題である(もちろん採点基準自体にも問題は存在するが、ここでの話とは内容が異なる)。荻島氏は、ここでも「基準」と「傾向」を混同しているのだ。終いには、

 フィギュアスケートや体操などと変わらない。しかも判断を下すのは、わずかに3人。※【引用4】

と、表演競技を引き合いに出す始末。よくもまぁ、こんなトンチンカンなことが書けるものだと呆れてしまう。常識的に考えて、引き合いに出すのはアマチュアボクシングか、ボクシング同様に採点が存在する格闘競技であるレスリングや柔道だろう。
 しかも、「わずかに3人」ときた。この記者は、レスリングも柔道も技のポイントの判定(柔道の場合は勝敗の旗判定も)を3人で行なっていることを知らないのだろうか?
 
 私もボクシングの採点方法に関しては考えるところがある。
 一つ自信を持って言えることは、フィギュアスケートや体操のような表演競技を引き合いに出す前に、考えるべきことは幾らでもあるということだ。つまり、この記者がフィギュアスケートや体操を引き合いに出したのは、この記者がボクシングの採点基準に関して何も考えていない証拠なのである。典型的な「思考停止」というやつだ。
 よくテレビ特番の最後に出て来るセリフ、「それは、我々一人一人が、よく考えてみるべきことなのではないでしょうか」と同じである。いきなり呆けたことを言って、問題を具体的に考えることを放棄する。情けないったらありゃしない。

 結論。『日刊スポーツ新聞』も『東京スポーツ』と同じ、所謂“スポーツ新聞”。記事の内容に目くじらを立てるのは野暮である。全面、芸能記事と同じ感覚で読むべし。

WBA世界Lフライ級王座決定戦 ファン・ランダエタ VS 亀田興毅 の採点表

WBA世界Lフライ級王座決定戦
        ファン・ランダエタ VS 亀田興毅 の採点表

探し回って、漸く採点表(スコアシート)を見つけた。
2006年8月2日23時53分 スポーツ報知の記事より

http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/box/news/20060802-OHT1T00213.htm

 早速、私の採点と比較してみた。
 ちなみに、私が迷ったラウンドは第2ラウンド。一進一退で10-10と思えるラウンドだったが、互いにクリーンヒットのあるラウンドはどちらかに振り分けるべきである。手数で優っていたのはランダエタだが、私は亀田の左ストレートの印象から、亀田のラウンドとした。

ランダエタvs亀田のスコア

 韓国のジャッジの採点、特に最終ラウンドを亀田に与えているのは大いに疑問である。これがランダエタに与えられていた場合、韓国のジャッジの採点は114-114 となり、試合の判定は 1-1 のスプリットドローとなる。
 フランスのジャッジは、内容の接近したラウンドは全て亀田に振ったのでは?と思える。そのうち一つがランダエタに振られていたら、フランスのジャッジの採点は1ポイント差でランダエタを支持することになり、試合の判定は 2-1 のスプリットデシジョンでランダエタの勝利となる。

 レベルの違う世界の話になるが、スーパースターのデラホーヤがドイツの新鋭シュトルムの王座に挑戦し、大疑惑の判定勝ちを収めてしまった試合を思い出した。
 特に、亀田が時折見せたラッシュのほとんどがガードに阻まれていたにもかかわらず、その印象でポイントを与えているような採点の仕方に共通点を感じる。

 この試合、亀田のパンチはナックルの返りが甘いオープン気味のものが目立った。あれでは、ヒットしても相手に与えるダメージは小さい。
 それに対して、ランダエダのパンチはコンパクトであるが、より的確にナックルパートを当てていた。亀田の覗き見ガードの隙間を縫ってヒットしていたパンチは、一発一発は軽くても、亀田の肉体にダメージを蓄積させていったのだ。これは、試合終盤の両者の体の動きを見れば明らかである。
 また、今回、亀田はサウスポー相手ということもこともあるのだろうが、レバーを狙ったボディーブローが少なかった。この点も、亀田の良さが出なかった原因の一つである。

 初防衛戦でランダエタと再戦することは、現行のタイトル戦運用のルール上、難しいだろう。
 しかし、亀田がランダエタとのリマッチで明確な勝利を収めない限り、正当なチャンピオンとは認め難い。
 せめて、初防衛戦の相手は、ランキング10位以内の選手(日本人選手でも良い)を選んで欲しい。なお、亀田が一度勝っているアランブレッドとの再戦などは、絶対に組むべきではない。(アランブレッドは前王者バスケスに挑戦して不甲斐なく敗退しているので、再び挑戦者として認められる可能性は低いとは思うが)

WBA世界Lフライ級王座決定戦 ファン・ランダエタ VS 亀田興毅

WBA世界Lフライ級王座決定戦
      ファン・ランダエタ VS 亀田興毅


 私の採点では、 116-111 の明確な差でランダエタの勝利。
 韓国のジャッジはともかく、フランスのジャッジが亀田を支持したのには「まさか」と言葉を失った。フランスのジャッジがラウンドをどう割り振ったか、明日のニュースが楽しみだ。

 この試合では、少なくとも二人のジャッジがランダエタの軽いジャブを評価しなかったのだから、その意味では「アマチュア的」な採点である。アマチュアでは、軽いジャブを当てても加点されない。「ジャブを評価するのはアマチュア的」と言うのは間違いである。ジャブを評価するのは、ラスベガスを中心としたプロボクシングの方なのだ。
 更に、受けたダメージは明らかに亀田の方が大きい。
 この試合では、一体何が評価されたのだろうか。
 正確なパンチよりも、根性で前に出ることの方が評価されるのがプロボクシングならば、とても哀しいことだ。

『カブト』の人気は『響鬼』の約2倍?!

『カブト』の人気は『響鬼』の約2倍?!

 「バンダイ子供アンケート」は『仮面ライダーカブト』の成功を示しているのか?!

 昨年の9月、 「バンダイ子供アンケート」 のデータを基にして、 『響鬼』の人気低迷を考察する という記事を書いた。
 今年の『カブト』の人気がアンケートでどう出るのかと思っていたら、ライダーと戦隊に関するデータのまとめ方が変わってしまっていた。以前は『仮面ライダーヒビキ』というその年の作品単位で得票を集計していたのだが、今年は『仮面ライダーシリーズ』というシリーズ単位での集計になっているのだ。
 これでは、 平成シリーズで最低の人気となった 去年の『響鬼』(平成ライダーで、男子総合アンケート初のベストテン落ち&現役ライダーが過去のライダーシリーズよりも下位となる) と、 今年の 『カブト』 の人気の違いを直接比較することが出来ない。

 一応、『仮面ライダーシリーズ』というシリーズ単位で、去年と今年のデータを比較したものをFig.1に示す。(なお、特に断らない限り、データは全て男子のもの)
仮面ライダーシリーズの得票比較

 おそらく、「お子様の好きなキャラクターは何ですか」というアンケートの問に、単に『仮面ライダー』と答えているケースが多かったのだろう。その場合、
 ・『仮面ライダーカブト』の略として、『仮面ライダー』と書いた
 ・『仮面ライダーカブト』を含めたライダーシリーズ全体という意味で、『仮面ライダー』と書いた
 ・『仮面ライダーカブト』以外の仮面ライダーという意味で、敢えて『仮面ライダー』と書いた
のどれに相当するのか判断することは難しい。そのため、最新作である『仮面ライダーカブト』単体での集計を行なわないことにした…そう私は推測する。
 
 ただし、グラフの注釈として
【「仮面ライダーシリーズ」は主に「仮面ライダーカブト」が回答されています。】
 表には
【仮面ライダーシリーズ(主に仮面ライダーカブト)】
 概要説明文中には
【「仮面ライダーシリーズ」(今回は主に「仮面ライダーカブト」)】
という表記がなされている。
 これをどう解釈するかは、個人の感性によってけっこうな差が出ると思う。
 ここで私は、【主に】という定性的な表現を、【60%(以上)】という定量値に置き換えてみることにする。「仮面ライダーシリーズ」として集計されたデータのうち、少なくとも60%は『仮面ライダーカブト』と作品を特定できるデータであったと仮定するのだ。そうすることで、去年の『響鬼』と今年の『カブト』を比較してみよう。

響鬼とカブトの得票比較1

響鬼とカブトの得票比較2

 Fig.2およびFig.3の、「現役」という表記の意味は、当然ながら「その年のライダー作品」ということである。【主に】を【60%】として計算すると、「その他」の値が去年と今年でほぼ同じになることが分かる。去年と今年のデータに見られる、14~19人という得票は、「仮面ライダーシリーズ」としての一種の“固定票”として解釈しても良いのではないだろうか?
 この“固定票”に対して、“浮動票”となるのが、毎年の作品単体での人気というわけだ。

響鬼とカブトの得票比較3

 Fig.4は、Fig.2およびFig.3における、『響鬼』の得票と『カブト』の得票を合計して比較したもの。ざっくり2倍と言ってもよいほどの大差となっている。
 この推定が正しいかどうかは、玩具の売り上げが検証してくれるだろう。もちろん2倍などという増加はまず有り得ないだろうが、『響鬼』で底を突いた感のライダー玩具の人気を、少しでも回復して欲しいところだ。1号ライダー世代の人間として、ライダーの玩具が売れないという話を耳にするのは、やはり寂しいから。

2006年の得票の年齢層内訳

 Fig.5は、今年のライダーシリーズと戦隊シリーズを、得票の年齢内訳で比較したもの。
 今年は僅差ながらライダーが戦隊を上回っているが、これは珍しいことだ。
 戦隊のコアターゲットが3~5歳に特定でき、ライダーは戦隊よりも少し年長の層に支持されている傾向があるのは、私が抱いているイメージ通りである。
 9歳になっても「ライダーが好き」と答える子供は、特撮ファンとして固定化する可能性を秘めてはいるものの、いかんせん余りにも少数派である(このアンケートは年齢層各250人×4から複数回答を得たもの)。大人になってブログに仮面ライダーの記事を書くようになるのは、やはり250人中1人いるかどうかといったところだろう。統計で言うところの「3σ」である。

2006年の得票の男女内訳

 Fig.6は、男女総合結果における男女比。
 男子全体では「ライダーシリーズ > 戦隊シリーズ」であるのに、
 男女総合では「戦隊シリーズ > ライダーシリーズ」となっているのは、当然ながら
 女子が「戦隊シリーズ > ライダーシリーズ」だからである。
 この点が何か可笑しかったので載せてみた。

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。

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