2006-07

『日本沈没』

『日本沈没』
  2006年の映画館で観た映画:23本目
  映画を観た日:2006年7月29日(土)


 “日本列島”が主人公の映画。
以前、オリジナル版(映画)を観たときにはそうでもなかったのだが、今回は「この映画の主人公は“日本列島”だ」と強く感じた。

 日本の沈没が始まり、見慣れた“ニッポン列島のカタチ”が、徐々にその輪郭(海岸線)から変わっていくことに、一番心を動かされた。正直言って、劇中の人間ドラマよりも

「今映画を観ている、この映画館のあるところの被害はどうなっているのか?」
「自分の実家のあるところは、まだ沈んでいないのか?」
「自分の住んでいるところは、まだ沈んでいないのか?」
「自分の卒業した学校があるところは、まだ沈んでいないのか?」

ということの方が気掛かりであった。

                 (以下、ネタばれ有り)

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『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』

『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』
  2006年の映画館で観た映画:22本目
  映画を観た日:2006年7月29日(土)


 キーラ・ナイトリィ目当てで観に行ったのだが、主人公はジョニー・デップ。映画の初っ端からナイトリィが登場してウハウハしていたのだが、やはりこの映画はジョニー・デップの映画。もっとナイトリィの活躍を観たかったのだが、こういう作品なのだから仕方がない。
 それでも、この映画を観て「海賊のスピリットを持つ令嬢」というキャラクターは、ナイトリィのハマリ役だと思えてきた。1作目はWOWOWで観ただけでDVDは購入していないのだが、やはり買わなければならないようだ。

 普通に面白くて、映像のクオリティも高いのだが、前作のような“海賊映画”にはなっていなかった。その点が、ちょっと残念。
 あと、絵造りが、実写なのにアニメっぽい(ディズニーっぽい?)感じがした点も、ちょっと気になった。これは、裏を返せば「本来アニメでしか出来ないような映像を、実写映画の中で実現している」ということであり、賞賛すべきことでもあるのだが。現時点の邦画では、まぁ絶対無理だろう。

 もう一点、西洋人(一部の国を除く)にとっては“悪魔の魚”であるタコも、日本人にとっては慣れ親しんだ海の幸。巨大タコ(クラーケン)の映像は確かに凄いのだけれども、どうしても「茹でる」とか「醤油か、酢か」みたいなことを思い浮かべてしまう。
 クラーケンに関してはギャグの要素が排除されており、観客に怖がって欲しいところなのだろうが、日本人の場合はそうはいかないのだ。もし日本人がこの手の映画を造るのなら、海の怪物はタコではなく、おそらく海蛇やウツボをモチーフにしたものになるだろう。

 予備知識を全然持たずに映画館に行ったので、終盤を観ていて
「『パイレーツ・オブ・カリビアン』は、いつの間に『スターウォーズ』になったんだ?」
とアッケに取られた。映画には昔からあるパターンだとは思うが、終盤のイメージは、余りにも『スターウォーズ』2作目(エピソード5/帝国の逆襲)に似通っていた。
(あ、でも、キーラ・ナイトリィがキャリー・フィッシャーよりも断然可愛くて美人であるのは言うまでもない)

 果たして、レイア姫(キーラ・ナイトリィ)は、ハン・ソロ(ジョニー・デップ)と結ばれてしまうのだろうか? 完結編となるらしい3作目、これはもう観るしかないでしょう。

『ゲド戦記』

『ゲド戦記』
  2006年の映画館で観た映画:20本目
  映画を観た日:2006年7月29日(土)


 この映画を劇場で観るかDVDが出るまで待つか迷っている人は、DVDが出るまで待った方が良いと思う。
 駄作とまでは言わないが、劇場で観る価値のある映画ではなかったというのが私の正直な印象だ。それは何故か?

 最大の理由は、絵のクオリティの低さだ。
 前作の『ハウルの動く城』もそうだったが、過去のスタジオジブリ作品には「この絵だけでも、大枚(注※1000円札のこと)払った価値はある」と思わせる部分が必ずあった。『ハウルの動く城』の場合は、ハウルの城がギッチョンギッチョン動くところなどがそうである。
 今回の『ゲド戦記』には、それがない。まるで、「ちょっと金の掛かったTVアニメ」を劇場スクリーンに映しているだけという感じだ。この程度の映像しか見せてくれないのなら、350円でDVDレンタルして、家の36インチワイドに映せば充分である。

                 (以下、ネタばれ有り)

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2006年における映画館で映画を観る予定(後編)

2006年における映画館で映画を観る予定(後編)


 今年の後半は、「映画1000円の日」を利用できる機会が多い。
 7月1日(土)の「映画1000円の日」には、2本観ている。これから更に、

  9月1日(金)※有給使用
  10月1日(日)
  12月1日(金)※有給使用

と、6本分のチャンスがある。低所得者層に属する私としては、これらを極力活用したい。
 その昔、総理大臣になる以前の池田勇人が「所得の少ない人は麦を多く食べ、所得の多い人は米を食べるというのが経済の原則に沿ったやりかた」と発言し、これがマスコミによって「貧乏人は麦を食え」と報道されて大問題となったそうだが、私は「貧乏人は麦を食え」でも十分に正論だと思う。私のような、映画料金が高いと日頃思っている低所得者は、映画1000円の日に映画を観るようにスケジュールを調整すればよいのだ。

 悩ましいのは、既に購入済みの前売り券の使いどころである。例えば、9月1日(金)に新作映画が公開されることはまず有り得ないので、この日に観る2本は8月以前に公開されている作品から選ぶことになる。この意味では、『スーパーマン・リターンズ』の前売り券を購入したのは失敗だったかも知れない。そう言えば、『ボウケンジャー&カブト』も前売り券を買っちゃったんだよなぁ(ちなみに前売り特典はボウケンレッドの方を貰った)。

 そういった事情と、9月上旬にはハロプロ関連のイベントが集中していることを併せて、9月1日(金)の「映画1000円の日」は見送ることにした。ただし、『狩人と犬、最後の旅』は以前から観たいと思っていたので、上映終了時期に注意しつつ、9月の予定に組み入れておく。ハロプロ系イベントと上手く抱き合わせのスケジュールが組めると良いのだが。
 なお、12月1日(金)の「映画1000円の日」の予定は未定。11月以降に公開される作品の前売り券の購入は控えなければなるまい。

 ※凡例 ◎…前売り券購入済!!  ○…観に行くぞ!  △…観に行くかも

7月 … 済【1000円の日】『ウルトラヴァイオレット』
    済【1000円の日】『バルトの楽園』
    済『デスノート前編』
    済『ポセイドン』
    ◎『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』
     (キーラ・ナイトリィ目当て。前作をWOWOWで観て、そこそこ面白かったし)
    ◎『日本沈没』(樋口監督作品だから観るしかない!)

8月 … ◎『ゲド戦記』(宮沢駿ではないジブリ作品も観ておこうかと)
    ◎『スーパーマン・リターンズ』(メジャーなヒーロー映画は外せない)
    ◎『ボウケンジャー&カブト』(前売り券買っちゃった)

9月 … ○『狩人と犬、最後の旅』(犬の映画は外せない)

10月 … ○【1000円の日】『X-MEN 3』
      (1,2も観たし、『スーパーマン』との出来栄え比較が楽しみ)
      ○【1000円の日】『バックダンサーズ』
      (どの程度のダンススキルを見せてもらえるのか、お手並み拝見)
     ◎『デスノート後編』(前編が面白かったので)

11月 … ○【銀座シネマのポイントカード使用】『父親たちの星条旗』

12月 …【1000円の日】※未定
      【1000円の日】※未定
    ◎『007』(前作が良かったので。今回は新ボンドとなるが、それも楽しみ)

やっぱりジャガイモの皮をむくことにしました

やっぱりジャガイモの皮をむくことにしました


 以前から、ニンジンと大根は皮をむかずに調理している(調理と言っても、切って煮るだけなのだが)。それで問題が発生したことは無い(個人的には)。
 そんな私は、ある日、ふと思い立った。
 ニンジンや大根の皮をむいていないのだから、ジャガイモも皮をむく必要が無いのでは? ニンジンや大根同様、ジャガイモも土の中に埋まっているものだから、農薬の付着もないだろう。
 「ジャガイモの芽には毒がある」と聞いたことはあるが、「皮に毒がある」と聞いたことは無い。 それなら、芽だけ抉り取って、後は大根同様に皮ごとスパンスパンと切るだけで良いではないか。

 そう結論付けた私は、7月23日の日曜日の夕方、ジャガイモの皮をむかないでシチューを大鍋一杯に作った。
 7月23日から昨日までの4日間、夕食はずっとそのシチューを食べていた。私の体には、何の異常も無かった。やっぱり、ジャガイモは皮をむかなくても大丈夫なんだ。
 …という話が他にも転がっていると思って、ネットで調べてみた。
 すると、出るわ出るわ、「ジャガイモの毒性の話」がザックザク!
 これらを自分用に抜粋要約すると、

・ジャガイモは、ソラニンやチャコニンなどのグリコアルカロイド(GA)と呼ばれる物質を含んでいる。この物質は有毒である。ソラニンなどの中毒症状は頭痛・嘔吐・腹痛・疲労感。
・グリコアルカロイド(GA)はジャガイモ全体に含まれるが、特に皮層や芽に多く含まれる。
・ジャガイモは、収穫後に光を浴びると、グリコアルカロイド(GA)が皮の周辺に蓄積する。GAは表皮が緑色に変色した部分や芽の基部に多い。
・グリコアルカロイド(GA)中毒の発症量は、大人の場合、小児の10倍程度。
・ソラニンなどは水溶性であるが、加熱による分解は少ない。
・成熟したジャガイモの、芽と皮を除いた通常の食用部分に含まれるグリコアルカロイド(GA)は少量であるが、ごく未熟な小芋では、皮層や髄の部分にも多量に含まれている。
・メークインはグリコアルカロイド(GA)含量が高い品種として知られている。

 となる。私がシチューに使ったジャガイモは、

・メークインではない。
・緑色の部分がない。
・大きさも普通。
・皮はむかなかったが、芽は基部から抉り取った。
・個数は5、6個程度なので、シチュー1食につき、ジャガイモは1個程度しか食べていない。

 ちなみに私は健康診断で何も引っ掛からなかった健康な大人で、体重は62kg程度。
 このため、私は皮をむいてないジャガイモを1個食べた程度では何ともなかったのだ。
 いや~、それにしても正直、余りいい気持ちはしませんな。「シチューで死中」なんて、洒落にならん。
 やっぱり、次回からはジャガイモの皮をむくことにしようっと。
 もっとも、シチューはまだ3食分くらい残っているので、キレイに全部食べます。結局、今週の夕飯はずっとシチューなのだ。

スクワット、ちょびっとだけど 伸びてます

スクワット、ちょびっとだけど 伸びてます


 ベンチプレスは全く変化ナシだが、スクワットは一応予定通り2.5kg増やせた。7月23日に、以下のセットをクリアしたのだ。
 
  25.0kg(10×2、2.5×2)×8を1セット
  35.0kg(10×2、2.5×2、5×2)×6を1セット
  42.5kg(10×2、2.5×4、5×2、1.25×2)×3を1セット
  47.5kg(10×2、2.5×6、5×2、1.25×2)×8を2セット
  40.0kg(10×2、2.5×4、5×2)×8を1セット

 シャフトは多分7.5kgなので、MAX時で55.0kg。現在の自分の体重まであと7kg。
 MAX時に8レップスをクリアしているが、安全を見て次回もこの重量で行い、1セット目に9レップスできたら、その次から2.5kg増やすことにする。その場合のセットは、以下の通り。

  25.0kg(10×2、2.5×2)×8を1セット
  35.0kg(10×2、2.5×2、5×2)×6を1セット
  42.5kg(10×2、2.5×4、5×2、1.25×2)×3を1セット
  50.0kg(10×2、2.5×6、5×2、1.25×4)×6を2セット
  42.5kg(10×2、2.5×4、5×2、1.25×2)×8を1セット

要するに、MAX以降のみ、2.5kg増やすだけ。
 うーん、つい最近1.25kgプレートを追加購入したけど、2.5kgプレートも追加の必要有りか? でも、

  25.0kg(10×2、2.5×2)×8を1セット
  35.0kg(10×2、2.5×2、5×2)×6を1セット
  45.0kg(10×2、2.5×2、5×4)×3を1セット
  52.5kg(10×2、2.5×4、5×4、1.25×2)×6を2セット
  45.0kg(10×2、2.5×2、5×4)×8を1セット

というセットを組むと考えれば、5kgプレートを買うべき(よりスッキリと組める)なんだよなぁ。5kgプレートは今1枚余っているから、あと1枚買えば済むし…。うーむ。

『仮面ライダーカブト』&『ボウケンジャー』のDVD購入予定メモ

『仮面ライダーカブト』&『ボウケンジャー』のDVD購入予定メモ


 忘れないうちにメモっておこう。歳を取ると物忘れが激しくていかん。
 
 『仮面ライダーカブト』の23話・24話が入っているDVDは購入すること。23話はガタック初登場、24話はガタック、カブトの共闘にサソードが助太刀に入るという燃える展開。ヒーローがヒロインを守るという古典的なシチュエーションも良い。やはり、特撮は“燃える展開”だ!

 『ボウケンジャー』の20話、イエローの台詞が素晴らしかったので、この回が入っているDVDは買う。
 6人目の戦士の正式加入と初変身、2号ロボもいきなり登場と、まさにこの回は怒涛の展開だった。私は、6人目の戦士や2号ロボというキャラクターには本来否定的な考えを持っているのだが、こういう展開だと、まぁ許せてしまう。やはり、特撮は“勢い”だ!

『28日後…』

『28日後…』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:12本目
  映画を観た日:2006年7月22日(土)


 傑作とはいかないまでも、佳作として高く評価されるべき作品。地味な作風で、かつ視点が限定されているということもあるが、完成度が高くてほとんどツッコミどころがない(始めはツッコミどころだと思っても、実はそれが伏線になっていたりする)。イギリス映画らしく、スマートで洗練された正統派の映画に仕上がっているのだ。

 この作品は、いわゆる「映画の文法」的には、ホラー映画ではなく、災害映画である。それでも、私の印象は「社会派のゾンビ映画」だ。
 この映画では一切「ゾンビ」という単語は登場しないし、登場するキャラクターも「ゾンビ」の定義から外れている(「一度死ぬ」という経過をとらずに凶暴化する)。しかし、「ゾンビ化」というアイディアを災害としてシリアスに描くと、こういう映画になるという一つの“正解”を見せられたような感慨を得たというのが、私の偽らざる心境なのだ。

 一人で、偶然巡り合わせた他人同士で、家族で、家族と他人の組み合わせで、組織化された集団の中で…。様々な状況下の中で、人間ドラマと生存劇が描かれる。その一つ一つが実に丁寧であり、現実感と感情移入をもたらす。物語の根底には「ゾンビよりも、生きている人間の方が実は恐ろしい」という流れがあるように感じられるが、それは決してメッセージ色の強いものではなく、飽くまでも自然な流れだ。

 「映画の文法」的にはホラー映画ではないと書いたが、恐怖を感じさせる部分にも抜かりはない。本来、映画は“光と影の芸術”であるが、それを上手く使って「もしや?」と思わせるところは心憎い。
 ホラー映画ファンにも、そうでない映画ファンにも、お勧めの一作だ。

『ENCRYPT(破壊的防御システム エンクリプト)』

『ENCRYPT(破壊的防御システム エンクリプト)』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:11本目
  映画を観た日:2006年7月22日(土)


 アメリカ映画だが、日本で言うところのVシネマのような作品のように思える。あるいは、TV放送用の特別作品なのかも知れない。同じくアメリカの作品である『バグズ・パニック』 も、そんな感じだった。
 ただし、『バグズ・パニック』が限られた予算内で一定の完成度を達成できるように計画された作品であったこととは対照的に、この『~ エンクリプト』は、「やりたいことは一杯あったのですが、予算と製作時間の関係上、こうなりました」というスタッフの言い訳が聞こえてきそうな出来になっている。明らかに失敗作だ。
 まるで、「予算的時間的に無理であることが分かっていても、とりあえずやってしまう」という日本特撮作品の悪癖を見ているような気分になった。アメリカ作品としては、珍しいのではないか。
 この作品には、幾つかのアイディアが組み込まれているが、それらはバラバラで最後まで一つにまとまっておらず、この点でも日本特撮作品がよくやる失敗を連想させる。

 作品中、「美は見る側に在り」(あるいは「美は見る側に宿る」)という言葉が紹介されている。もし、この言葉をこの作品自体に当てはめてくれという意味が込められているとしたら、それは虫が良すぎるというものだ。むしろ、「シンプルではあるが、見るたびに新しい発見がある」といった作品になるように、プロットを練り上げ、削ぎ落すべきだったのだ。

私の好きな俳優・歌手 その2

私の好きな俳優・歌手 その2


 私の好きな俳優・歌手 という記事で、私は6人(飯田圭織、キーラ・ナイトリィ、栗山千明、アヤカ、村田めぐみ、石川梨華)の名前を挙げた。
 しかし、他にもまだまだ一杯いるのだ。普通は歳を取るに従って対象範囲が絞られてくる(対象年齢の下限が上昇する)ものだと思うが、私の場合はそうではない。対象年齢の下限が若い頃のまま固定されているうえ、歳を取るに従って上限が上昇してくので、対象範囲が広くなっているのだ。

 こんな私も、中学の頃は河合奈保子さん(1963年生まれ)一筋であり、高校の頃は三田寛子さん(1966年生まれ)と伊藤かずえさん(1966年生まれ)の二人しか眼中になかった(河合奈保子さんは自分より年上なので、自然にファン対象から外れていった)。
 社会人になっても、浅香唯さん(1969年生まれ)が加わったぐらい(ただし熱心なファンではなく、写真集を買う程度)で、対象人数は2.5人といったところだった。
 また、この時点では、自分より1~4歳年下の芸能人のファンになっていたわけである。二十歳を過ぎた社会人が、当時のアイドルだった浅香唯さんのファンになったことの是非は別として、対象としている年齢層に関しては「1~4歳年下」であり、全く問題が無い状態だったのだ。

 思い起こせば、自分にとっての一つの転機は、1991年に三田寛子さんが結婚したことだと思う。人妻となってしまったら、もうその女性は私にとって偶像(アイドル)では有り得ない。長らくファン(決して熱心とは言えなかったが)を続けていた「自分と同世代のアイドル」が結婚したことにより、私は自分よりも明らかに若い年齢層、例えば酒井法子さん(1971年生まれ)といったアイドルのファンになる免罪符を交付されたような状況に立たされたのだ…
 …と言うよりも、一般的には「自分と同世代のアイドル」が結婚する頃には、自分自身もそろそろ結婚してアイドルからは卒業となるものなのだが、私の場合はそうはならなかったというワケだ。
 そして、それまでは、おニャン子クラブのようなイロモノ系のアイドル(正統派アイドルのアンチテーゼ)には全く食指が動かなかった私が、いかにも狙ったようなセクシーユニットであるC.C.ガールズのメンバーだった藤森夕子さん(1968年生まれ)のファンになったのも、三田寛子さんが結婚した後だった。

 ほぼ同時期に、酒井法子さんと藤森夕子さんの両方のファンになったときから、私のファン心理は拡散を始めたような気がする。
 もちろん、経緯はどうあれ、同時に何人ものアイドル(しかも年齢の離れた)のファンになっている今の状況は自分でもマズイんじゃないかと思う。だが、とにかく現状確認のためにも、リストの作成を続けることにする。
 
 さて、前に挙げた6人のうち4人以外にも、多くのタレントを擁するハロプロ。
 ハロプロの残りのメンバーの中で、ごっちんこと 後藤真希 と、ミキスケこと 藤本美貴 は、やはり外せない。両者とも、ソロ写真集やソロDVDをかなり買っているし(コンプリートはしていない)、ごっちんに関しては、つい最近ソロコンサートのチケット入手に動いている。ミキスケに対してもも、ソロコンサートがあるのなら、行きたいという意思を持っている。

 ごっちんの、ベストコンディション(個人的には、『セクシーガイ』のPV映像)時の身体の美しさには特筆すべきものがある。手脚が長かったり、ウェストのくびれが凄いわけではないが、全体のバランスが絶妙であり、アジア人的美しさの一つの理想形を見る思いがする。
 ごっちんは、正統派美人とは全く異なる顔立ちであるにも関わらず、何故か女神的な雰囲気を感じてしまう。僧帽筋が比較的発達していることが、儚さではなく「豊穣さ」を感じさせ、その個性的な顔立ちは、どこか仏像的美しさを連想させる。
 実際、コンサートの舞台に立つごっちんには、他者とは一線を画する独特の存在感がある。それをカリスマと呼ぶにはまだ何かが足りないのだが、潜在能力をまだまだ秘めていると思えることもまた事実である。
料理が趣味という点にもに惹かれる。私自身が自炊を始める以前は、こういうことに関しては全くと言って良いほど気にならなかったのだが、するようになってからは逆にとても気になり出した。共感できる部分があるというのは大きい。

 ミキスケは、その凶暴さが魅力だ。
 印象的なのは、バレーボールでママさんチームと対戦した時の一場面。チームメイトの久住小春が、相手の放った強烈なスパイクを思わず避けてしまうと、それを見たミキスケは、とんでもない行動に出た。(失点により一旦流れが止まっているとは言え)試合中であるにも関わらず、
「てめぇ~、避けんなよ~」
と叫びながら小春に襲い掛かり、胴タックルからの小外掛で真後ろに倒してしまったのだ。最近の国際柔道の審判規定からすれば、一本が宣せられてもおかしくないような見事な倒し方であった。もちろん手加減はしているので、小春が体育館の床に背中や後頭部を強打するということはなかったけれども、その動きはもう明らかに単なるツッコミとかじゃれ合いの域を越えていた。ミキスケはあの時、「わッ、この女、ケンカ強えぞ!」と直感させる猛々しさを垣間見せたのだ。
 キツそうな顔をしていたり、毒舌をキャラにしているアイドルタレントは他にもいるが、言動一致、正真正銘の戦闘タイプであるのはミキスケぐらいのものだろう。格闘技ファンの私には、ミキスケのこうした本性が魅力的に映る。
 ちなみにミキスケは、小柄ではあるが肩幅が広くてガッチリしており、柔道着を着たらかなりカッコイイに違いない。

 このように、“ハロプロ枠”だけでも、飯田圭織、アヤカ、村田めぐみ、石川梨華、後藤真希、藤本美貴と、6人も「推しメンバー」がいる。我ながら困ったものだ。
 ちなみに私は、高校生以上のハロプロメンバーに対してはほぼ全員に好感を持っており、グッズを買う買わないは別にして、基本的に「みんな頑張って」と応援する気持ちを抱いている。嫌いなメンバーは、特にいない。
 義務教育中である中学生が芸能界で働くことは好ましくないと考えているが、小春(1992年生まれ)や雅(1992年生まれ)は、やはり可愛い。「まだ子供だけど、仕事をする以上は、頑張れよ」と思う。
 あえて言うならば、中学生以下は「黙推し(黙認推し)」、高校生以上二十歳未満は「温推し(温めの推し)」、二十歳以上は「熱推し(熱めの推し)」、以下をまとめて「基本推し」。飯田圭織、アヤカ、村田めぐみ、石川梨華、後藤真希、藤本美貴は「特推し(特別な推し)」または「激推し(激しい推し)」といったところか。

 さて、お次は“特撮枠”である。
 特撮ファンである私は、特撮作品に出演している女優に愛着を持つというパターンが多い。彼女達に対しては、「特撮作品に出演してくれて有難う!」という気持ちになってしまうのだ。芝居が良かったり、キャラがハマッていれば尚更である。

 現時点でファンと言えるのは、 満島ひかり 長谷部瞳 末永遥 の3人。
 満島ひかり&長谷部瞳は、つい最近まで“マックスガールズ(『ウルトラマンマックス』のダブルヒロイン)”であった。末永遥は、今をときめく『ボウケンジャー』の“さくら姐さん”である。

 末永遥に関しては、かなり以前から、雑誌のグラビアで見て知っていた。その頃から、骨格がガッシリしていたのが印象に残っている。本来、私は彼女のような体型が好み(美しいと思うのは、また別の意識)なのだ。
 『ボウケンジャー』のヒロインを演じることになったということもあり、最近になって写真集やDVDを購入した。素の彼女は、天真爛漫、無邪気で元気、いやむしろ能天気といったキャラクターで、“さくら姐さん”とは正反対だ(このことは以前見たグラビアから感じていたことなので、意外ではなかった)。
 『ボウケンジャー』は作品コンセプトが久し振りに私の嗜好と一致した戦隊で、毎週キッチリと観ている。私にとっての『タイムレンジャー』以来のヒットとなった戦隊に、末永遥がいるという巡り合わせに、感謝せずにはいられない。
 芸歴が長いだけあって、演技力もそれなりにある。来年1月まで、どんな“さくら姐さん”を演じてくれるか、楽しみだ。生まれて初めて、「本人出演の戦隊ショー」を観に行きたい気分になっているのだが、どうしたものか。

 長谷部瞳は、『ウルトラマンマックス』以前は全く知らなかった。写真集やDVDを購入したくても売っていないので、2枚で済まそうと思っていた『マックス』のDVDが、1枚また1枚と増えている状態である(もちろん、『マックス』自体に佳作が多いということも理由の一つ)。
 身長が高く、手脚もスラリとしたモデル体型だが、顔立ちはボーイイッシュな感じがする。少年が憧れる“女性ヒーロー”として、理想的な素質の持ち主だと思う。是非とも、戦隊かライダーに出演して欲しい。

 満島ひかりに関しては、ファン暦が長いので、別の記事で詳しく語りたい。

 あ、まだ『グラビア部門』と『歌手部門』が残ってるな…。

『ゴジラ災害ファミリー』

              『ゴジラ災害ファミリー』

             【2000年01月29日(土)頃に書いたもの】

 タイトル通り、ゴジラによって被災した、ごく普通の家族の視点から構成された映画です。
 その意味では以前書き込んだ “84の私流リメイク版(主な登場人物が次々と死んでいく壮絶なストーリー)” と同じですが、この『ゴジラ災害ファミリー』はそこまで凄惨ではありません。ゴジラによって被災した一家(を含む被災地域)の悲惨さや大変さを描きつつも、涙あり、笑顔ありの、どちらかといえばむしろ前向きで陽性の物語です。
 では、簡単にあらすじを説明します。

 ある年の年末、ある地方の沿岸都市の新興住宅地。そこへ向かう自動車。運転しているのは父、乗っているのは家族。ちなみに家族構成は以下の通り。

 父 … 45歳。サラリーマン。職業はローカルTV局のカメラマンチームのチーフ。
 母 … 42歳。主婦。近所のスーパーでパートで働いている。元、夫が勤めるローカルTV局の美人アナウンサー。
 長女 … 18歳。高校3年生、美人で成績も良く国立大学を受験予定。同じ大学を目指す彼氏がいる。
 次女 … 16歳。高校1年生、長女より成績はやや劣るが、スポーツは得意で中学時代から全国大会レベル。美人だが性格がキツイ為か、まだ彼氏がいない。
 長男 … 14歳。中学2年生、成績は悪い方で、スポーツもダメ。性格も暗めで二人の姉に頭が上がらない。

 家族は、建てたばかりの一戸建ての我が家に到着。引っ越し荷物を積んだ運送屋も到着し、荷物の運び入れが始まる。慌ただしいながらも、喜び一色の家族。

 その1ヶ月後。父は仕事、子供達は学校。母はパートの仕事や町内会の集まり(新興住宅地なので、引っ越し早々の新年、いきなり町内会長になってしまった)と、それぞれ新居と自分たちの活躍の場との行き来を日々の営みとしていた。
 しかしそんなある日、一人で海に遊びに行っていた長男は、巨大な生物の体の一部らしきものを目撃。しかし、彼は自分の眼の錯覚だと自身に言い聞かせて、誰にも話さない。翌日、気になって海へ行くが、変わった様子はない。やはり自分の錯覚だったと安心して帰る長男の背後で、巨大な生物の体の一部らしきものが…。

 翌日の夕方、長男の見た巨大な生物=ゴジラが出現する。
 ゴジラは新興住宅地を破壊しながら横切り、(家族の)母がパートで働いているスーパーを破壊して突き進んでいく。大地震に遭遇したような状況下で、母はスーパーから何とか脱出に成功する。
 ゴジラはそのまま長男がいる小高い丘の上の中学校へと接近。ゴジラ出現の情報が上手く伝達されていないため、学校には何の連絡も入ってきていない。校舎の4階の窓からゴジラが見えたとき、その姿は既に生徒達がパニックを起こすのに十分なほど大きかった。
 逃げ遅れた生徒や職員のいる学校を破壊しながら、ゴジラは何かを目指すかのように突き進んでいく。長男は、その様子を校庭の隅から見上げて腰を抜かしていた。

 ゴジラは街へと進入し、高校から電車に乗って帰ってくる途中の次女が、ゴジラと遭遇する。ゴジラが歩くことによって起きる振動によって次女の乗った電車は自動停止し、そこへゴジラがやって来る。
 次女の乗った車両は潰されこそしなかったが横転し、その際、次女は利き腕に重傷を負ってしまう。
 長女は、その様子を比較的近くから見ていたが、自分が逃げることで精一杯で、まさか横転した車両の中で妹が重傷を負っているとは思いもよらない。

 母と長男は、自宅のあった場所へとどうにか戻って来るが、そこは瓦礫の山と化していた。ゴジラ進行の直撃を受けたのだ。長女もやや遅れて戻って来る。
「そんな…まだ建てて2ヶ月しか経ってないのに…まだローンが20年も残っているのに」
 泣き崩れる母、呆然と立ちつくす長男。そしてその上空を飛ぶTV局のヘリコプターの中には、うずくまるようにして頭を抱える父の姿があった。
 ゴジラは海へと去り、行方不明となる。
 火災等は収まり、危機的状況は去った。次女は被災現場から病院へ直行、そこへ残りの家族が合流して全員助かったことを確かめるも、自宅が潰れた事実が家族に重くのしかかる。

 次女を除く家族は仮設テントでの避難生活に入る。被災者の数が多いため、人口密度は高く、生活は不便。受験を控えた長女は、環境のあまりの酷さにいらだちを隠せない。母は家を失ったショックと将来への不安に落ち込んでいるところへ、さらに町内会長として被災した町内のもろもろの雑用を受け持つことになり、精神的に参ってしまう。
 そこへマスコミが詰めかけ、報道合戦が始まる。プロとして自らも報道の仕事に参加していた父だが、余所から来たあまりにも無神経な取材班と衝突する。ケンカになりかけたところを、地元の警察官が駆けつけ、その場を収める。

 マスコミ陣が家族のいる仮設テントを引き上げてしばらくした後、震度2程度の地震が発生。地震はすぐに収まるが、被災者達の間には、不安な空気が充満する。そこへ、
「怪獣が、また来たぞ! こっちに向かって来る、早く逃げろーっ」という叫び声が。
 被災者達は浮き足立ち、無統率に逃げ始める。パニックになり、人が押し倒されたりして怪我人が出る。
 ゴジラがどこから来るのか分からず、錯覚・誤認から矛盾した情報が飛び交い、バラバラに逃げまどう被災者達。
 母・長女・長男は必死になって、父達のTV局クルーのいる隣のエリアの仮設テントのところまで逃げてきた。話を聞いた父が上空を飛ぶヘリコプターに問い合わせたが、ゴジラの影も形もない。デマだったのだ。
 父達のTV局クルーは、怪獣再来がデマであることをアナウンスしながら、家族と一緒に自分たちの仮設テントに戻る。既に、今回の騒ぎで怪我人が出た家族など、何組かが戻って来ていた。そこで父は、物陰に隠れてカメラを構えている取材班を発見。気付かれぬように近付くと、
「こんなに上手くいくとは思わなかった。おかげで良い絵がたくさん撮れた」
と話しているではないか。激高した父は彼らに詰め寄り、あくまででシラを切り通そうとする連中を殴りつけ、ボコボコのケンカになってしまう。社に戻った父に宣せられたのは、3日間の謹慎処分だった。

 学校が破壊されてしまった長男は、行くところがなく、あてもなく被災地をさまよう。
 次女の怪我は、後遺症が出るかも知れないという程の重傷だった。全国大会の夢が破れ、自分のアイデンティティ=スポーツマンとしての挫折に、次女はふさぎ込む。
 メインとなる交通網がゴジラによって寸断されてしまっているため、補給物資の流通も上手くいかず、被災地のあちこちで物資を巡るいさかいが起こり、
「怪獣が貯水池を襲っていたため、水道水には放射能が混ざっている」
「水道水を飲んだ者の髪の毛が抜け、肌に異常が出た」
といった類のデマが、何度も流れる。そのたびに、町内会長である母・受験を控えた長女、を含む被災者達は神経をすり減らす。
 しかし、ゴジラがほぼ海岸沿いに西へと移動し、本州を離れて四国に接近しつつあることが判明すると、被災地にボランティアが集まりだした。被災地をふらついていた長男は、他県から来たボランティアグループから協力を求められ、彼らと行動を共にする。長男は、はじめは消極的だったが、徐々に積極的になり、ボランティア活動に自分の居場所を見いだす。

 同じ頃、海外からやって来たNGOの医師団が、次女の入院している病院にやってくる。英語が得意な次女は、カタコトの日本語を話す外国人の青年(医大生)から通訳を頼まれる。利き腕の怪我以外は大したことはないので、成り行き上、病院内を医師団について回ることになる。
 仮設テントでは、母と長女ともに精神的に不安定な状態が続いていた。長女の受験の日も近いのに、このままでは一体どうなってしまうのか。
「家が壊れてしまったのは、もうどうしようもない。でも、自分の希望や、家族の絆までも壊してしまってはダメだ」
と話す父だが、今すぐ打開策を取れない無力感と、謹慎中のいらだちは隠せない。
 しかし、ようやく始まった自衛隊の本格活動により、仮設テントから仮設プレハブへと移ることが出来ることになった。自衛隊の隊員達の本格的な協力により、物資の配分などの母の仕事ははかどり、どうにか一息つくことが出来るのだった。

 ゴジラが四国に上陸することが確実視され、避難活動や自衛隊の作戦行動が展開される。謹慎のとけた父は、現場へ向かう。
 瀬戸大橋を使った避難の様子を父の取材チームが撮影中、海底から怪獣が出現する。ゴジラとは別の怪獣である。
 怪獣は大勢の避難民を載せた瀬戸大橋を破壊し、四国へと向かう。怪獣は四つ足で上陸するとすぐに、子供を2頭産み落とす。卵胎生らしい。産まれた子供怪獣はそれでも10m近くあり、すぐに四つ足で行動し始め、逃げ惑う人々を追いかけては補食していく。
 ゴジラ迎撃を想定して布陣を進めていた自衛隊は、その半数が急遽移動し、この四つ足怪獣と戦うことになる。四つ足怪獣の親はゴジラ並の戦闘能力を持ち、自衛隊は圧倒される。

 ゴジラもまた予想よりも早く現れ、戦力の半数を別の怪獣に割かれてしまっている自衛隊の迎撃網を易々と突破する。
 ゴジラは、まるでそれが四国上陸の目的であるかのように、四つ足怪獣の子供を探し出すと放射火炎で焼き殺す。親の元へと逃げる残りの一匹も焼き殺すと、怒り狂う親怪獣と対決。
 両者はもつれ合ったまま海へと転落。大損害を被った自衛隊は、怪獣が南下していく途中で追跡に失敗、見失なってしまう。

 一方、ゴジラ上陸による最初の被災地では、仮設プレハブの設置が進み、ようやくそれなりの落ち着きを取り戻していた。
 長女の通う高校は、自宅を失った受験生をサポートする目的で、希望者には全国の系列校の寮に臨時に入寮させることを決定。長女とその彼氏は、東京の大学を受験するため、同じ系列校の寮に臨時入寮することを決める。
 次女は、利き腕が全く動かせないことから病院内での生活を続けながらも、通訳その他、自分に出来る範囲内でのボランティアを続ける。そのきっかけとなった医大生の外国人青年とも、個人的に親しくなっていく。長女の上京見送りを兼ねて見舞いに来た家族は、そのことを知り、明るさを取り戻した次女を見てホッとするのだった。
 被災地でボランティア活動を続ける長男は、被災地を訪れた外国人女性学者とそのチームが、父の撮ったTV映像のことを詳しく知りたがっていることを知り、父を紹介する。

 父の所属する取材チームは外国人女性学者とそのチームに協力することになり、取材許可が下りたばかりの四国の被災現場へ飛ぶ。
 外国人女性学者とそのチームは古生物研究グループであり、ゴジラをも、古生物の末裔の変異体として研究対象としていた。彼女たちが、四つ足怪獣の子供の焼死体から採取した細胞を調べた結果、驚くべきことが判明する。四つ足怪獣は、通称バラゴンと呼ばれる、太古の爬虫類型哺乳類の特徴を持っており、地中生活をしている可能性が高いというのだ。その言葉から、記憶をたぐる父。
「そういえば、親怪獣は瀬戸大橋付近の海中から突然現れた…あれは海中から現れたというよりも、むしろ海底の地中から出現して、そのまま浮上したということなのか? だとしたら、あの怪獣…バラゴンは今、海ではなく、地中に潜んでいるかも知れない…」
 また、バラゴンの単為生殖が有り得ない以上、雄のバラゴンが生存し、日本の近くに来ている可能性が高いという。
「子供を失った雌バラゴンが、繁殖のため、雄バラゴンを呼び寄せるなんてことは…」
 更に外国人女性学者は、バラゴンとゴジラは、太古の同じ時代に生きており、同じ地域に共存・競合していた種同士なのではないかと推測する。

 そして、東京。
 長女が彼氏と一緒に寮の図書室で仲良く勉強していると、地震が発生、地中から立派な角を持つ雄バラゴンが出現した。彼氏と助け合い、長女は何とか脱出し、緊急発車する電車で東京を脱出するが、雄バラゴンの奇襲を受けた東京は大惨事となる。
 地中からの怪獣出現を全く予知していなかった自衛隊は完全に後手に回り、住民の避難が難航していることもあって、雄バラゴンに大して有効な迎撃をすることが出来ない。
 雄バラゴンは東へと移動し続け、それを迎撃するかのごとく、ゴジラが田子の浦から上陸。富士市でゴジラと雄バラゴンの闘いの火蓋が切って落とされる。それによってビルの倒壊や火災が発生、東海道を始め主要交通網も破壊されたため、自衛隊は、被災者の救出・消化活動に忙殺される。
 東京から脱出してきた長女と彼氏も、ゴジラと雄バラゴンの闘いのために新富士で足止めをくらい、火災から逃れながら、救出の機会を待つ。

 一方、最初にゴジラが現れた被災地では、地震とともに雌バラゴンが出現、家族がいる地域の周囲を破壊して孤立させ、その地域の中に人間(たまたま居合わせたマスコミなどを含む)を家畜のように閉じこめてしまう。巻き添えを食った格好になってしまった女性学者は言う。
「私たちは、やがて生まれてくるバラゴンの子供のエサとして、雌バラゴンの縄張りの中に閉じこめられてしまったんだわ」
 雌バラゴンの縄張りの中に閉じこめられた自衛隊の部隊が自ら囮となり、雌バラゴン包囲網からの被災者脱出作戦を行う。しかし、例の悪質な取材班がスクープを狙って勝手な行動をとったため、自衛隊の作戦は頓挫し、部隊は短時間でほぼ全滅。現場から逃げ遅れて、取材班も自分たち自身の死をスクープする格好になって全滅。雌バラゴンに対する陽動が不十分になったため、被災者の脱出は気付かれてしまい、失敗に終わる。

 希望を失った被災者達の一部が理性を失い、無秩序状態になりそうになるが、重傷を負いながらも被災者を説得する自衛隊員の姿に心を打たれた母(その自衛隊員と個人的に親しくなっていた要素も大きい)は、元アナウンサーの演説力?を発揮し、町内会長として被災者達を仕切るのだった。長男も、ボランティアグループとともに、母親をサポートし続ける。
 父の勤務するTV局は、そんな家族や被災者達を外側から援護、自衛隊と協力して、危険も省みず雌バラゴン包囲網内に着陸、物資の補給を行い、怪我人を病院へピストン輸送する。
 病院内では、医師、看護婦、ボランティア、NGOが一体となって怪我人の対処に当たる。その中には、次女の姿もあった。

 ゴジラと雄バラゴンの闘いは壮絶を極めるが、かろうじてゴジラの勝利に終わる。断末魔の雄叫びを上げて、息絶える雄バラゴン。
 その叫びが聞こえたのか、最初の被災地で縄張りを作って雄を待っていた雌バラゴンも、悲しげな叫び声を上げる。雌バラゴンは縄張りを放棄し、海へと帰っていく。
 それを知ってか知らずか、雄バラゴンとの闘いで大きなダメージを負ったゴジラも、巨体を引きずるようにして海へと帰っていくのだった。

 長女は家族の元へと合流し、次女も退院を果たす。家族全員の、被災地での生活が再開される。
 NGOの外国人青年や、女性学者グループは、家族との再会を誓い、被災地を一旦去っていく。
 TVでは、政府による被災地の復興対策が発表される。
 先は長そうだが、今度こそ復興の日々が始まったのは確実だった。
 

 さてさて、マニアにも一般人にも受け入れられるように、「怪獣の出現によって、日本人が被災者となる」ことを一家族の視点から描いたゴジラ映画にしたつもりなのです。どーですか、お客さん!
(タイトルの『ゴジラ災害ファミリー』は、大森さんの著書『震災ファミリー』から取っていますが、私はまだ読んでいません)

※この後、半年ぐらい経ってから、『震災ファミリー』を読みました。

『狐怪談』

『狐怪談』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:10本目
  映画を観た日:2006年7月17日(月)


 PG-12指定ではないこともあって、始まって暫くは本当にソフト・ホラーという感じ。それが、だんだんイイ感じで怖くなってきて、結構ゾクゾクしてきた。心の中で、恐怖感のテンションが、それなりにピーンと張っている状態が続いた。
 しかし、残念ながら最後の方は「丁寧にやってる時間が、もうありません」「力尽きました」という感じで、撮ったフィルムを適当に繋げただけという散漫なカット割が続くようになってしまう。こうなると、もうホラー映画云々以前の問題として、作品の虚構世界に対する意識移入を維持することが出来なくなる。この終盤のクオリティの急低下は、本当に残念であった。

 この映画で特筆すべきことは、女子高・女子寮が舞台であるという点である。これは、私の経歴とは正反対であるが、何だか懐かしい感じがして、スムーズに感情移入出来た。実際、「男子高・男子寮」と「女子高・女子寮」には共通する雰囲気があるように思えた。
 とは言っても、同性愛とか、いじめとか、そういった部分の話ではない。「同世代」「同性」しかいないという生活空間には、経験した者にしか分からない、独特の空気感があるのだ。それが、この映画から感じられたということだ。

 また、主人公と副主人公が、それぞれタイプの異なる美少女であることも特筆に価する。
 お嬢さんタイプのソン・ジヒョ、小悪魔タイプのパク・ハンビョル、両者共に可愛いだけではなくかなりの美人であり、スタイルも良い。ホラー映画としては、総合的にはいまひとつであるが、美少女映画としてはレベルが高いと言えるだろう。(ただし、ソン・ジヒョは撮影当時、既に二十歳を越えている。パク・ハンビョルは当時18歳だったと思われる)
 そんなわけで、隠れアイドルファンである私は今、この映画のDVDを購入したいという欲求と懸命に戦っているところなのだ。うう、負けるな俺!

『友引忌』

『友引忌』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:9本目
  映画を観た日:2006年7月17日(月)


 ミステリー仕立てのホラーだが、ハッキリ言って駄作。これは単なる好みの問題ではなく、作品の造りが明らかに雑なのだ。雑すぎて、まるで未編集のフィルムを観ているような気分にすらなってくる。
 ジャパニーズ・ホラーにもピンからキリまであるが、コリアン・ホラーにも当たり外れがあるということを思い知らされた。

 ルックスの良い女優を揃えてはいるものの、それが却って「内容がグダグダのアイドル映画」という印象を与える始末。
 良い方向に解釈すれば、こういう駄作も存在するほど、コリアン・ホラーも量産されているということか。たくさん作れば、『友引忌』のような駄作も増えるが、『4人の食卓』のような佳作もそれなりに出てくるということなのかも知れない。

『4人の食卓』

『4人の食卓』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:8本目
  映画を観た日:2006年7月17日(月)


 ジャパニーズ・ホラーのハリウッド進出に触発されたとも言われる、コリアン・ホラー映画。韓国映画と言えば、『シュリ』を始めとするアクションものしか観たことがなかったので、ホラー作品も観てみようと思った。
 …というのは実は1年前のこと。この『4人の食卓』を録画したのは2005年の7月23日で、去年WOWOWで組まれた“夏のホラー特集”の中の一作品なのだ。

 いや~、でも消さないでHDRの中にずっと残しておいて正解だった。傑作とまではいかないが、かなりの良作・佳作と言える。お勧めの一作だ。

 ホラーとしての要素より、サスペンスやミステリーの要素の方が大きく、その完成度が高い。ミステリーといっても、推理ものという意味ではなく、怪奇・不可思議ものという意味である。
 「怪奇映画」。「不可思議映画」。う~ん、好い響き。

 日本のTVドラマだと、特殊な体験や特殊な能力は、特殊な職業(例えば刑事など)に就いている人間の属性として設定されることが多い。この映画はそうではなく、全く普通の日常から、一歩また一歩と地道に特殊な世界へにじり寄って行く。こういった丁寧とも贅沢とも言える造りもまた、映画ならではのものである。
 ハッタリやギミックに頼らず、淡々とリアリティを積み上げていく手法は、かえって新鮮に映った。ケレン味溢れる作品も好きだが、その真逆を行くこういった作品も良いものだと実感した。

メロン記念日は、あと何年続くのか?

メロン記念日は、あと何年続くのか?


 私はメロン記念日のファンである。6月11日、初めてコンサートにも行った。
 そこで改めて感じたことは、会場に集まったファンの年齢層の高さである。ざっと見渡したところ、20代後半から30代前半が中心であり、私のような40代が紛れていても不自然さは無い。 この年齢状況は、私が今まで行ったことのあるハロプロ系のコンサートとほぼ同じか、やや高めであるように思う。
 メロン記念日は、ハロプロの中でも構成メンバーの平均年齢が最も高い(この記事を書いている段階で、斉藤24、村田25、大谷24、柴田22、平均23.75才)ので、ファンの年齢層が他のハロプロ系よりも高くても不思議ではない。しかし、既に40代に突入している私は、会場に散見される私と同世代(あるいはそれ以上)のファンを見て、
「自分達は、あと何年こうしてコンサート会場に来るファンであり続けられるのだろうか?」
と、ある種の限界(そう遠くない終末)を感じたこともまた事実である。
 しかしその次の瞬間、もっと重要な問題があることに気が付いた。

 メロン記念日は、いつまで続くのか?
   (もっと具体的に言うなら)
 メロン記念日は、あと何年続けられるのか?
 
という問題である。
 メロン記念日が、遊佐未森みたいな音楽をやっているのなら、30になろうが40になろうが続けられるだろう。しかし現状のメロン記念日は、ポップよりはロックに近い楽曲を主軸に据えている。代表曲である『さぁ!恋人になろう』や『This is 運命』、そして新たな代表曲となりそうな『お願い魅惑のターゲット』は、こういう音楽をガールズ・ロックと呼ぶのではないだろうかと思える仕上がりになっている。

 メロン記念日のライブパフォーマンスは、エネルギッシュである。相当な体力を要することは想像に難くない。当然ながら、年齢が上がるにつれて、体力的にキツくなってくることは避けられない現実である。では、具体的にどの辺りで限界を迎えるのだろうか?

 斉藤29、村田30、大谷29、柴田27

 この年齢、即ち今から5年後に、今と同じライブパフォーマンスが出来るとは到底思えない。一番若い柴ちゃんと、最年長ながら持久力に長けた村っちは何とかなるかも知れないが、瞳とマサオ(特にマサオ)はもう体がついてこないだろう。実際には、この1年前の

 斉藤28、村田29、大谷28、柴田26

辺りが限界なのではないか。つまり、今から4年後、2010年である。2000年2月にデビューしているので、ちょうど10周年を迎えて解散…という形を取るような気がしてならない。
 今から4年後、私は45才になっている。それでも、メロン記念日が終焉を迎える日が来るのならば、有給を使ってでもこの目で見届けたいと思う。

 現実的にゴールを見据えることの必要性から、この記事を書いた。けれども、体力的にキツくなったらその分ペースを落とせば良いのだし、メンバーが結婚・出産するたびに、メロン記念日自体が育児休暇を取ったって構わないとも思える。育児休暇による活動停止と再開を繰り返し、メロン記念日とファンが一緒に歳を取ってゆくというのもイイんじゃないか? そんな気がするのも、本当のことなのだ。

『ポセイドン』

『ポセイドン』
  2006年の映画館で観た映画:19本目
  映画を観た日:2006年7月8日(土)


 映画には、大きく分けて2種類のタイプがある。即ち、

【娯楽性を重んじ、映画を観終わったら「ああ、面白かった(怖かった)!」と、特に考えることもなく楽しんだ気分に浸れる映画】
【芸術性を重んじ、映画を観終わったら「どこが(どうして)面白かったんだろう?」と、考えさせられる映画】

の、2種類である。
 この2種類自体に、貴賤はない。作品に優劣の差はあっても、作品の種類そのものに優劣の差など有り得ない。優れた娯楽映画もあればクズのような芸術映画もあるし、その逆もまた然りなのだ。

 この『ポセイドン』は、良く出来た娯楽映画の典型的な例だと思う。いわゆる“グランドホテル形式”の要素は必要最低限度に抑え、ひたすら「上下が逆さまになって沈没しかけている巨大豪華客船からの脱出劇」を描いている。
 もちろん、生死を賭けた「脱出劇」である。
 あるいは、迫り来る水による死からの「逃避劇」である。
 普通、人間は水中に潜っていたら、1、2分で息が苦しくなり、水面から顔を出さずにはいられない。そんなことは、水に潜った経験のある人間なら誰でも知っている。この全人類にとって共通の生物的な苦しさ、本能的な恐怖をベースにすることで、普遍的な娯楽作品に仕立てているわけである。映画を観ている間、思わず「息を大きく吸って止める」をやりそうになった観客も結構いるのではないだろうか。

 緩急のリズムを緻密に計算して作られたこの映画を楽しむ側には、計算は必要ない。
 ガーッと船が逆さになって、ドバーッと水に押し流されて、一息ついたと思ったらまた水がジュワジュワ迫ってきて、それをフンガーッて乗り切って…そんな感じで、サバイバルストーリーにのめり込めば好いのだ。
 こういう映画は、劇場の大スクリーンで観るに限る。

『デスノート前編』

『デスノート前編』
  2006年の映画館で観た映画:18本目
  映画を観た日:2006年7月8日(土)


 原作を一コマも読んだことがない私にとっては、とても面白かった。映画が終わったら速行で後編の前売り券を買いにテケツに走ったぐらいだ。
 間違いなく、現時点で今年観た映画のベスト3に入る。
 映画ファンで、原作漫画を読んだことがないので二の足を踏んでいる方には、急いで観に行かれることをお勧めする。

 何しろ、設定とそれが生み出す状況、状況が作り出す対立、対立が織り成す展開が面白い。
 作品作りの基本として「対立のないところにドラマはない」というが、この映画はまさに「対立の構図」を描いた良質の娯楽作品だ。

 もちろん、不満が全くないわけではない。
 第一に、主役を演じる藤原竜也の芝居が、映画ではなく舞台のそれを思わせた。特に台詞の喋り方が不自然で、活舌自体は良いのだが、悪い意味で耳に引っかかる感じがした。TVドラマ『新撰組』における藤原竜也の芝居を観た時にはさほど気にならなかったので、今回は監督の指示による芝居である可能性が高い。それにしても、ちょっとやらせ過ぎではないか。
 また、リュークのCGは、家庭用TVゲームのキャラのレベル。初登場シーンはさすがにガックリきた。もっとも、予算のことを考えると、これが限界かも知れない(家庭用TVゲームのキャラの方が、CGに予算を掛けている可能性もある)

 しかし、そういう欠点を含めても、作品全体のバランスは保たれている。
 藤原竜也の舞台がかった芝居も、劇中の彼の「ライト」という日本人にしては有り得ない名前とセットにするとバランスが取れているようにも感じられるし、そんなライトというキャラと、CG丸出しのリュークの映像も、バランスが取れていると言えなくもない。
 映画を観ているうちに、だんだん気にならなくなってくるのだから、問題ないと思う。

 最初に“原作漫画を読んだことがない映画ファン”にお勧めだと書いたが、“原作漫画のファンである映画ファン”にはお勧めではないという意味ではない。『デスノート前編』に重要な役どころで登場する「秋野詩織」というキャラは、映画のオリジナルキャラである。原作漫画と映画は全くの別物と割り切って観ることで、“原作漫画を読んだことがない映画ファン”とはまた違った楽しみ方が出来るだろう。

 ちなみに、この映画には特撮作品に出演経験のある役者が多数出演している。特撮ファンには嬉しいところだ。
 『ウルトラマンマックス』のエリーを演じた満島ひかりと、カイトを演じた青山草太が、後編で絡むことがあるのか? 監督が金子修介だけに、余計な期待もしてしまう。

『セイザーX』、完結!の補足

『セイザーX』、完結!の補足

※この記事は、『セイザーX』、完結! の補足である。

 『セイザーX』の最終話をHDRから削除する(DVDを買うので問題ない)前に、ちょろっと再生してみた。そうしたら、ちょこっと気付いたことがあったので、書いてみることにする。

 拓人の手首からストレージリングが消滅したとき、喪失感がほとんど感じられなかった。セイザーXの制服を着用していない拓人にとって、それがセイザーXとしての唯一の記号であるにも関わらず、だ。
 確かに、ストレージリングが消滅した時点で既に戦いが終結しており、拓人はもうライオセイザーに変身する必要はなくなっていた。その意味では、不要となったアイテムが消滅しても、喪失感が薄いのは当然かも知れない。
 しかし、ストレージリングが消失しても、拓人は拓人のままであって何も変わらなかった。この「アイテムを喪失しても何も変わらない」という点が、とても重要であるように感じられた。

 物語は、拓人がライオセイザーとなって戦うことから始まった。物語が進むにつれ、拓人は変わっていった。拓人は、戦いを通じて成長し、一人の人間として逞しくなったのだ。
 しかし、拓人はストレージリングの力で成長したわけではない。ストレージリングの力が拓人に宿っていたわけではない。だから、ストレージリングが消失しても、成長した拓人には何の揺るぎも無かったのである。

 こう感じられるのは、劇中において、ライオセイザーがデフォルトのままで最後まで戦い抜いたということも大きく作用していると思う。
 ライオセイザーは、アイテムの力で強化形態へと2段変身するといったパワーアップ描写がなく、ライオブレーカーとのセットという最初の姿を最後まで貫き徹した。変身後に「アイテムに依存して強くなる」というイベントがなかったことが、変身前の拓人に関する「アイテムに頼らず本人自身の力で成長を遂げた」というイメージをより鮮明にしているのだ。

 なお、コスモカプセルは等身大の戦闘でも重要な役割を果たしていたが、それは“強力な弾丸を装填する”といった即物的なイメージでしかなかった。
 コスモカプセルが、武器である以前に「12個全部集めれば、どんな願いでも叶う」という“お願いアイテム”であり、個々の戦闘(戦士)とは別次元に位置する「上位アイテム」であるという点も大きい。本来は武器ではないものを必要に応じて武器として使っていると取れる描写は、ヒーローの存在や強さ自体はアイテムには依存しておらず、むしろ切り離されているという印象を与えていた。

 若い主人公が戦いに身を投じ、戦いを通じて成長し、最終的には勝利という形で戦いを終わらせる。
 始めは衝突していた仲間とも次第に理解を深め、最後には固い友情で結ばれる。
 そして迎える、新たなる旅立ちという別れ。
 拓人のストレージリングが消滅したのに、アド達の制服が消滅しなかった理由が、ここで分かる。
 拓人にとって、ストレージリングは拓人を表す記号ではなかったが、アド達にとって、セイザーXの制服は、異星人(異邦人)であることを表す記号なのだ。異邦人として別の世界に帰って行くためには、そのための記号が必要なのである。(逆に、異邦人であるアド達が地球に残り続けるのであれば、拓人のストレージリングが消滅すると同時にアド達の制服も消滅するべきだった。ちなみに、レミーは地球人であることが既に判明しているので対象外)

 アド達が、コスモカプセルに導かれて旅立っていくという演出も良かった。コスモカプセルという重要なアイテムが付加されたことで、存在そのものが無くなってしまったシャーク隊長消滅のシーンとの差別化が図られていた(映像的には大差ないが、受ける印象が違う)からだ。
 また、最初は個々のキャラクター(サンダーラを除く)とは別次元に位置する「上位アイテム」であったコスモカプセルが、最後には南総里見八犬伝の玉の如く個人に帰属するようになるという図式も、物語の締め括りとして収まりが良い。

 最初は「ドラゴンボール方式の宇宙刑事戦隊か」とか「主役の俳優がロンドンブーツの1号だか2号だかに似過ぎ」とか、否定的な印象を抱いて観ていた。しかし、王道を行く正統派ヒーローであり、それでいて決まったパターンに嵌らない展開の多様性を有する『セイザーX』を、毎週楽しみに観るようになるには余り期間を要しなかった。
 私は多分、これからはずっと、ロンドンブーツの1号だか2号だかを見るたびに、「拓人を演じた高橋良輔(たかはしりょうすけ)に似ている」と思うことだろう。

録画の賞味期限は1年間!

録画の賞味期限は1年間!


 HDR(Hard Disk Recorder)は便利である。私の機種は、標準画質で約170時間録画できる。しかも、ディスクナビ機能で録画目録をチェックすることも容易だ。この便利さを一度経験すると、もうテープカートリッジを取っかえ引っかえしつつビデオデッキで録画するなどという煩雑な状況には戻れない。何しろ、1年前に録画した番組も、コントローラのボタンをポンポンと押すだけで…

 1年前に録画した番組?

 そう、去年の7月、WOWOWで放映された『夏のホラー大特集』が、まだ何作も残っているのだ。あと、8月に放映された『夏のSF大特集』も何作か。
 実は、このHDRを買ったとき、
「録画の賞味期限は1年間! 1年経ったら、例え未見であっても消去すること!!」
というルールを、密かに自分に課している。
 撮るだけ撮って観ないなんて、そんなのただの阿呆だからである。
 自分で決めたことは、守らなければならない。
 もちろん、未見のまま消すのは最後の手段だ。我々は、忍者だ!…もとい、私は映画ファンだ!
 となれば、これはもう、観るしかない。
 しかし、それを理由にトレーニングや自炊を怠ることは許されない。
 ダラけがちな夏の自分(秋も冬も春もダラけているような気もするが)に活を入れ、1年前の行為をキッチリ精算するぞう! パオーン!!

『オーメン(1976年版)』

『オーメン(1976年版)』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:7本目
  映画を観た日:2006年7月2日(日)


 先月観た2006年版の『オーメン』は、丁寧な造りではあったが、ホラー映画としてはちょっと物足りなかった。オリジナル版(1976年製作の『オーメン』)との違いが気になっていたところ、上手い具合にWOWOWにラインナップされていた(スタッフさん、イイ仕事してます!)ので、予約録画しておいた。
 1976年と言えば30年前、当時私は11才。『オーメン』を劇場で観た記憶はない。その後、TVやビデオで見た記憶もない。私の『オーメン』に関する知識は、全て2次情報から得たものなのだ。だからこそ、2006年版とオリジナル版の違いをキッチリと確認したいという思いに駆られた。
 オリジナル版を観た結果、2006年版はほぼ忠実にオリジナル版をなぞっていることが分かった。細かい違いはあるが、驚くほど両者の差は小さい。私は最後の瞬間まで、「基本的には焼き直しと言っても良いほど」だと感じていた。

 最後の瞬間。
 それはダミアンが「こちらを振り返って微笑む」最後のカットである。
 2006年版とオリジナル版に、決定的な違いが生じるのはここだ。
 オリジナル版では、この最後の瞬間まで、ダミアンが本当に悪魔の申し子なのか、確信が持てないのである。そして、観客がこの瞬間に「ダミアンが本当に悪魔の申し子である」と確信できた次の瞬間には、「では、ダミアン自身は一体いつから自分が悪魔の申し子であることを自覚していたのだろうか?」という疑問が浮かぶ。
 私には、振り返って微笑むダミアンが
「今ごろ確信が持てたの?」
とあざ笑っているようにも見えたし、彼自身はまだ自分が悪魔の申し子であることを自覚しておらず、無邪気な子供のままでありながら、ここまでの悲劇をもたらしたようにも見えた。
 どちらにしろ、怖い。
 結論。ホラー映画としては、オリジナル版の方が一枚上手であった。

『逆境ナイン』

『逆境ナイン』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:6本目
  映画を観た日:2006年7月2日(日)


 『響鬼』で好演した栩原楽人が出演していることを知って録画しておいた。
 原作漫画に関しては、連載当時に一度立ち読みをしたことがある程度。
 で、観てみたら栩原の出番は少なく、演技で印象に残るものは特にナシ。
 荒唐無稽系ギャク映画の割にはCGに金をかけている(ように見える)のが本作の特徴で、そのせいかヒロインを演じている堀北真希までCGっぽく見える。
 “自業自得”や“それはそれ これはこれ”に凝るよりも、透明ランナーをCGで表現して欲しかったところだ。

『バルトの楽園』

『バルトの楽園』
  2006年の映画館で観た映画:17本目
  映画を観た日:2006年7月1日(土)


 “映画1000円の日”の2本目。
 本来、お気に入りの女優が主演でもしていない限り、恋愛映画を含めた人間ドラマ系の映画は劇場では観ないことにしている。単なるドラマなら、何も大きなスクリーンに映す必要はないと思うからだ。
 一般的な人間ドラマに、画面の大きさは関係ない。映画館で観ようが、家のTVで見ようが同じである。一般的な人間ドラマの臨場感なら、集中(感情移入)さえしていれば、TVの36インチワイドでも得ることが出来る。映画館の大スクリーンと家の36インチワイドTVで差が出るのは、スケールの大きな映像や緻密な映像が映し出されたときに生み出される迫力に関してだ。即ち、画面の物理的なサイズに拠る、映像のパワーそのものである。
 
 だから、原則として人間ドラマ系の映画を劇場で観ることはしない。
 その原則を曲げてこの『バルトの楽園』を劇場で観た訳は、“映画1000円の日”だったということもあるが、純粋に心温まる作品を欲していたからだ。
 このところ、いわゆる「いい話」を劇場で観ていなかった。TVに流れるニュースもギスギスしたものばかりが目に付く。そのTVで『セイザーX』の最終回を見てホロリとなったあと、「ああ、そう言えば『いぬのえいが』を劇場で観たときはボロボロに泣いたなぁ」と思い出したのだ。

 この映画では、ボロ泣きするようなことはなかったが、くすくす笑ったり、じーんと来たりして、心が温まった。人間は、捨てたものではないという気持ちになった。
 ちなみに、この映画の上映中、私の3つ隣の席の客が携帯電話を何度もバイブレーションさせ(ブーンブーンという振動音がハッキリ聞こえる)、遂にはその電話に出てボソボソ話し出すという重大なマナー違反を犯した。いつもの私だったら血管がブチ切れるぐらい頭に来るのだが、この日は「困った人だなぁ」と不快に思う程度で済んだ。
 この映画の暖かさが、私の心をいつもより丸くしていたのだと思う。

 それにしても、「生きて捕虜の辱めを受けず」とか最初に言い出した馬鹿者は、一体どこの誰なのだろう。日本に“戦国時代”と呼ばれる時代があった以上、その当時、一般の兵士に「敵の捕虜になるくらいなら自決せよ」などという命令が下されていなかったことは明白である。そんなことをしていたら、兵士はあっという間に数を減らし、“戦国時代”など成り立たない。
 将棋に、相手から奪った駒を自分の戦力に出来るというルールがあることから分かるように、日本には敵を皆殺しにするような文化は原則として存在しない。結果的に負けて生き残るのは恥ではなく、敗残兵は次の戦いのための貴重な戦力だったのだ。
 例え他国との戦争の場合であっても、自国の人的戦力の維持のため、敗残兵に生きて国に帰ってきてもらうというのは思想として当然である。
 それなのに、いつの頃か「生きて捕虜の辱めを受けず」とか言い出した愚か者が現れたわけである。情報漏洩を恐れていたのかどうかは知らないが、正常な頭の持ち主なら、逆に嘘の情報を教えるとか、捕虜交換の際に相手の情報を少しでも持ち帰るということを考える筈だ。

 指導者が、自軍の兵士が敵の捕虜になることを恐れるということは、要するに自分の管理能力に自信がないということである。
 この映画で、日本軍が最終的に敗れた理由が、良く分かった。
 同時にこの映画は、私の中に新しい希望を生んだ。

『ウルトラヴァイオレット』

『ウルトラヴァイオレット』
  2006年の映画館で観た映画:16本目
  映画を観た日:2006年7月1日(土)


 この日は土曜日、そして“映画1000円の日”。前売り券を買っていないものの、ちょっと気になっていた映画を観るには最適の日である。その1本目に、この『ウルトラヴァイオレット』を選んだ。
 私はミラ・ジョヴォヴィッチのファン…とまではいかないが、『バイオハザード』は2作とも劇場で観た。彼女に関しては、スタイルが良くてアクションが出来る女優として注目している。そのスタイルも、モデル体型と言うよりはアスリート体型で、本当に身体能力が高そうに見える点が魅力だ。基本的にジョヴォヴィッチは、私好みの「女性ヒーロー」タイプである。

 しかし、残念ながらこの作品では、ジョヴォヴィッチの「女性ヒーロー」としての魅力を観ることは出来なかった。何しろ、彼女が演じる主人公のキャラが立っていないのだ。同様の「女性ヒーローもの」である『イーオン・フラックス』と比較すると、この点で決定的に劣っている。
 『V フォー・ヴェンデッタ』では、物語のスタート時点で「主人公は正体不明である」としてVのキャラを立てていた。そういう造り方なら問題はないのだが、『ウルトラヴァイオレット』では単に「主人公が何者なのか、よく分からない」だけで、謎めいたキャラクターとして設計されたようには全く感じられない。
 「謎めいていること」を売りにしていない限り、キャラクターの立脚点が曖昧なままでは、そのキャラクターに感情移入することが難しくなってしまう。

 そもそも主人公のキャラが立っていない上、その行動は最初からどっち付かずでブレており、その後もかなりの間、一貫性を欠き続けたまま物語が進んだ。
「アンタ、いったい何やってんの?(どうしたいの? 何がやりたいの?)」
と、疑問を感じるばかりである。
 途中から「シックスを守る」ことに固執し出すのだが、何故そういう心境の変化が起こったのかがほとんど伝わってこない(それらしいシーンはあるが、根拠として非常に弱い)。物語の冒頭で「昔、自分の意思に反して子供を中絶させられた」という説明はなされているものの、それと現在進行中の状況を有機的に結び付ける描写はなかった。

 ドラマというのは、「原点(動機・境遇)を理解し、過程(行動・状況)に感情移入し、結末(決断・成果)に納得できる」かどうかが肝心。それが私の持論である。
 「動機、そこから生まれる意思と情熱、それを表した(あるいは表せなかった)行動、そして最終的にもたらされた結果、それら全ての総合的なバランス」と言い換えても良い。
 B級の娯楽作であっても、いや娯楽作だからこそ、こうした起承転結レベルのポイントはしっかり抑えておくべきである。

 アクションも今ひとつ。冒頭で見せた、佐山タイガーのローリング・ソバットを思わせる跳び後ろ回し蹴りとサマーソルトキックは素晴らしかったけれども、その後が続かない。極端に姿勢を低くして身構えるところは、決めポーズとしてのカッコ良かったのだが、本当に「点」でしかない。

 ストーリー自体はシンプルで分かり易かったが、主人公に感情移入できず物語に入り込めないため、全編を通してまるでミラ・ジョヴォヴィッチという女優のプロモーションビデオを見ているような気分だった。
 ジョヴォヴィッチは、作品に恵まれていないような気がする。本作のパンフレットで本人が語っている通り、しばらくはアクションものというジャンル自体から離れた方が良いのかもしれない。

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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。