2006-05

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WBC世界ライト級暫定王座決定戦 稲田千賢 VS ホセ・アルマンド・サンタクルス

WOWOW『エキサイトマッチ』(2006年5月21日 放送分)
  WBC世界ライト級暫定王座決定戦
    稲田千賢 VS ホセ・アルマンド・サンタクルス


 WBC世界ライト級の正王者ディエゴ・コラレスが、ランキング1位のホセ・ルイス・カスティージョと6月3日に防衛戦を行なう。にもかかわらず、その2週間前に同級の暫定王座決定戦が行われる。普通に考えたら、おかしなことだ。
 これには一応、コラレスとカスティージョのラバーマッチが、コラレスの負傷によって延期されたという理由が付けられている。しかし本来ならば、指名挑戦者の権利を優先し、コラレスとカスティージョのラバーマッチを後回しにするべきだ。コラレス側がカスティージョとのラバーマッチを優先するというのなら、コラレスから王座を剥奪すればよい。
 暫定王座決定戦の2週間後に正王者が防衛戦を行うという事態を以って、タイトルがまともな管理状態にあるとは到底言えないだろう。秋頃に、この二つの王座の統一戦を行う予定というのだから、まるで王座の「マッチポンプ」である。

 そういう経緯はさておき、稲田千賢がWBC世界ライト級暫定王座決定戦に挑むとなれば、応援しないわけにはいかない。
 その対戦相手が、試合の2週間前になって、シリモンコン・シンワンチャーからホセ・アルマンド・サンタクルスに変更となった。これで稲田は、“敵地”での試合という格好になってしまった。おまけに、サンタクルスは元々5月に別の試合を予定していたため、コンディション調整には全く問題が無いときている。どう考えても、ツイているのはサンタクルス陣営である。

 私が『エキサイトマッチ』見たさにWOWOWに加入して、まだ1年経っていないある日、稲田の試合が放送された。その日本人離れした体格に、私は思わず目を見張った。ボクシングの漫画で、長身でリーチの長い日本人ボクサー(大抵はフリッカージャブの使い手)が登場するのを見るたびに「そんな体形の日本人ボクサー、いないって」と突っ込んでいたのだが、稲田は正しくそのタイプのボクサーだったのだ。
 それ以降、彼の試合を目にすることは無かったが、それでも稲田というボクサーは私の記憶に強く焼きついていた。体格において、日本人ボクサーが外国人ボクサーに対してアドバンテージを持つことが出来るという、稀有な状況。稲田なら、それが可能となるのだ。

 そう、可能となる筈だった。
 対戦相手が、シリモンコンのままだったら。
 いや、サンタクルス以外のボクサーだったら、かなりの確率でそうなる筈だった。
 しかし現実には、ライト級において稲田以上の体格を有する数少ない選手であるサンタクルスが、稲田の対戦相手となってしまったのだ。

 試合前の入場シーンを観たとき、両者の雰囲気が余りにも違っていることが気になった。
 サンタクルスは、とてもリラックスしていて調子が良さそう。
 一方の稲田は、気合が入っていると言うよりも、もう緊張でガチガチに見える。過去、海外で6試合を経験し、その全てに勝っていても、やはり世界戦となると全く勝手が違うのか?

 初回、稲田はどこかギクシャクしたフットワークでサークリングするが、左ジャブが少ない。もともとそれ程スピードのあるタイプではないとは思うのだが、サンタクルスに簡単に距離を詰められてしまう。スピードが遅いと言うより、動きにキレがなく、反応が鈍い。
 後退しているボクサーの手数が少なかったら、前進してより手数の多いボクサーにポイントを持っていかれてしまう。プレッシャーをかけられ、主導権を相手側に支配されているように見られてしまう。
 最初の3分間が終わってコーナーに戻った稲田に、浜田さんが「左、左…出てしまった右に関しては打っていい…左、左、左…」と指示を出す。やはり、左ジャブを突いて自分の距離を保つことを第一に考えている。

 第2ラウンドは、稲田の手数も増え、クリーンヒットの数においても互角のラウンドとなった。
 しかし第3ラウンドに入ると、左ジャブの交換で稲田が被弾するケースが目立ってきた。稲田が左の差し合いで劣勢に立たされている。
 サンタクルスの当て勘が良いのか、稲田の反応が悪いのか? とにかく軽めではあるが、サンタクルスのパンチがポンポンと稲田の顔面に命中する。稲田も連打で打ち返す場面もあったが、サンタクルスはサッと両腕のガードを固めてブロックしてしまう。

 4ラウンドに入るとサンタクルスのプレッシャーは強まり、両者の距離が微妙に縮まっていく。稲田はサンタクルスにつられて、3ラウンド目よりも近い間合いで打ち合ってしまう。
 もっとも、稲田は前のラウンドで、ジャブの打ち合いで優位に立てなかった。自分のパンチを当てよう当てようとする気持ちが、間合いを自然に詰めさせているのかもしれない。

 5ラウンドが始まると、稲田は自分から接近戦を仕掛けた。巻き込まれたのではなく、明らかに自分の意思でショートレンジの打ち合いを始めた。確かに稲田のパンチも当たるが、それ以上にサンタクルスのパンチが当たる。この距離は、やはりサンタクルスの距離である。
 稲田もボディブローを入れたり、右のカウンターを狙うのだが、いかんせん体の反応が僅かに遅れている。
 
 6ラウンドも、開始早々から稲田は自分の額を相手の肩口に押し付けるようなインファイトを仕掛ける。もちろんサンタクルスは望むところと打ち合いに応じるが、稲田のショートパンチのキレも悪くない。そして、この試合で初めて、稲田の身体がサンタクルスの身体を押し込み出した。
 初めて、稲田がサンタクルスにプレッシャーを与えている。稲田が長い腕を折り畳んでサンタクルスのボディへアッパーを打ち込むと、サンタクルスがズルズルとコーナーに詰まった。無謀に見えた接近戦が、試合の流れを変えるのか?

 しかし、稲田の前進が1分間ほど続いたところで、サンタクルスの反撃が始まった。攻勢に転じたサンタクルスは、アッパーで何度も稲田のアゴを跳ね上げる。サンタクルスの連打は、稲田の頭部に集中している。しかし稲田も踏ん張り続け、時折打ち返す。
 サンタクルスも打ち疲れを隠せない。
 この残り1分間が勝負――。
 そう思った瞬間、サンタクルスの放ったショートの4連打が、稲田の頭部に全弾命中した。
 その直後、まるでずっとこのタイミングを待っていたかのように、レフリーが二人のボクサーの間に割って入った。

 6ラウンド2分8秒、TKO。
 暫定王座は、2週間前まではこの決定戦に出る予定の無かったボクサーの手に渡った。

 稲田が、初めての世界挑戦を敵地で迎え、身体がガチガチの状態で試合のゴングを聞いたことは、確かだろう。
 体格・体力において、サンタクルスが稲田を上回っていたことも事実だろう。
 しかし、試合の敗因は、それだけではない。
 この試合の最終ラウンドとなった6ラウンド、稲田よりも体格・体力において優るサンタクルスが、接近戦において稲田より頭半分低く潜り込もうとしていた。結果的にフィニッシュとなったショートの4連打を決める際は、下から相手の胸に自分の頭を押し当てて、相手の体を起こそうと試みていた。単純なことではあるが、明らかに一つの技術である。

 この日、稲田は最高のコンディションを作り上げたにも関わらず、リングでそれを発揮することなく敗れた。
 練習では出来たのに、「あれも出来なかった」「これも出来なかった」と、悔いの残る試合だったのではないだろうか。しばらく休んだ後、身体が壊れておらず、闘志も残っているようだったら、再び世界に挑戦することを目指して再起して欲しい。
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原発に関して、意外に知られていない(かも知れない)こと 【その3】

原発に関して、意外に知られていない(かも知れない)こと 【その3】

  その昔、原発施設でアルバイトしたときの思い出
          チェレンコフ光を、生でバッチリ見てきました!

 この記事は、
原発に関して、意外に知られてない(かも知れない)こと
原発に関して、意外に知られていない(かも知れない)こと 【その2】
 の続きである。

 私は、学生時代(20年以上前)に原子力関連設備でアルバイトをした経験がある。実質的にはアルバイトであったが、名目上は学校のお墨付きを受けた夏休みの研修であった。そのため、単なるバイトでは見せてもらえないようなモノも見せてもらったし、写真も撮らせてもらった。
 その中でも、チェレンコフ光を放つ、今まさに稼動中の原子炉の炉心を生で見て、その写真を自分で撮ったことは、一生忘れられない思い出だ。
 これが、そのときの写真である。

  【Fig.1 チェレンコフ光を放つ、稼動中の原子炉の炉心】
チェレンコフ光を放つ炉心

 上の写真は、炉心内の照明を点灯した状態のもの。
 下の写真は、炉心内の照明を消灯した状態のもの。即ち、純粋にチェレンコフ光のみが照らし出した、稼動中の原子炉の炉心である。

 チェレンコフ光が青白い光であることは知っていたので、実際に見ても驚きはしなかった。別に変わった光ではなく、「ああ、綺麗だなぁ」という感じである。
 もちろん、この写真に写っている炉心は、充分な厚みの水の層の上から撮影されたものだ。
 「チェレンコフ光を見た者は黒焦げになる」とか思っている人もいるようだが、充分な対策を施した状態であれば、このように肉眼で見ても問題は無い。私はこの写真を撮影して20年以上が経った今でも生きているし、つい最近の健康診断で「全て異常なし」の結果が出たばかりである。
 当然ながら、当時このバイトを始めるにあたっては、事前に血液検査を行って白血球の数等を調べているし、事後も同様である。もちろん、そのときも何ら異常は無かった。

  【Fig.2 原子炉の上に立つ私】
原子炉の上に立つ私

 Fig.1の写真を撮った場所は、多分、この付近だったと思う(何しろ20年以上も前のことなので、断言は出来ない)。Fig.2は原子炉格納容器の上の部分であり、ここのどこかに開口部があり(Fig.3に写っている丸い部分?)、そこから炉心を見下ろしたのだと思う。

  【Fig.3 原子炉の上(開口部?)】
原子炉の上のアップ


 稼動中の原子炉を擁する設備で私がアルバイトをした理由は、始めに書いたようにそれが学校指定の夏休みの研修だったからである。もっと正確に言うと、学校指定の夏休みの研修の中に原子力設備のバイトが挙げられており、それを私が選択したのだ。
 原子力設備のバイトと言っても、実際に原発内部を掃除するといったハードなものではない。研修レポートのタイトルは、確か『CP/Mを使ったデータベースの構築』とか、そんな感じだったと思う。実際には「原子力実験データのデータベース」へのデータ入力作業がほとんどで、たまにCP/Mをチョコチョコいじって感触を掴むといった程度のものだった。

  【Fig.4 アルバイトに励む私】
バイト中の私

 パソコンの形が、20年以上の時の流れを彷彿させる。フロッピーも写っているが、本当に“ぺらぺら”な5インチだ。もちろん、私もまだ10代と若い。

 私が原発の安全性を基本的に信頼しているのは、このアルバイトの影響が強い。例えば、これ。

  【Fig.5 原子炉設備入り口に立つ私】
原子炉設備入り口に立つ私

 原子炉がある区画の入り口である。もの凄くゴツくて、ぶ厚かった。戦車が突っ込んで来ようが、対戦車ミサイルが何発か直撃しようが、少なくとも内部には全然ダメージが出ないように感じられた。当時は爆弾テロとかを連想することはなかったが、ここに立ったときは、
「あ、ここよりも街中のガソリンスタンドの方がよっぽど危ないわ」
と思ったものだ。建物の外壁もゴツイ造りで、まるでシェルターのようだった。

 チェレンコフ光とともに強烈に記憶に残っているのが、ガイガーカウンター。
 それは原子力設備の出口、チェックゲートのような場所に設置されており、球体の内側に手を突っ込んで測定するような構造になっていた。初めて原子力設備を見学させてもらった帰り、言われるままに私が自分の両手を球形の測定部に突っ込むと
バリッバリバリッ、バリバリバリッッ
というアノ独特の音が、もう大音響で響き渡ったのである。
 そりゃもう、ビックリするわな、ああも激しくバリバリ鳴れば。
 まるで感電したように直立不動状態となった私の背後で、
「はい、被爆量◇◇、全然問題なし」
と指導担当の方が、サクッと言われた。ホントにもう、漫才のオチのように、サクッと。
 ガイガーカウンターはその後も使ったと思うのだが、この最初の1回目の場面しか覚えていない。とにかく、デカイ音がした。指導担当の方がガイガーカウンターの音量を目一杯上げて、私を驚かそうとしたのかと思えるほどだ。もっとも、当時の私が単にビビリだっただけかも知れないが。まぁ、別に今でもビビリですけど。

 もう一つ忘れられないことは、実験用の炉心に被爆量測定器を落っことしたこと。

  【Fig.6 剥き出しの原子炉炉心】
原子炉の炉心

 炉心といっても、前出のチェレンコフ光を撮影した原子炉の炉心ではない。それとは別の、剥き出しになっている原子炉の炉心である。Fig.6は、私が「落し物」をした炉心と、同じタイプの炉心の写真である。ただし、この炉心には水が張られていない。
 私は身に着ける被爆量測定器として、万年筆タイプのものと、フィルムバッチと呼ばれるバッチタイプのものを渡されていた。バッチの方はピンでしっかりと留めていたが、万年筆タイプの方は胸ポケットに普通の万年筆のように挿しているだけだった。
 私の「落し物」は、万年筆タイプの被爆量測定器だ。「静電容量タイプ」といった説明を受けた記憶がある。
 そのとき、私は剥き出しの原子炉炉心の上に渡してある渡り板の上に乗り、指導担当の方から説明を受けていた。指を指されたその方向を覗き込んだ瞬間、胸ポケットから万年筆タイプの被爆測定器が滑り落ち、チャポンと音を立てると炉心の中に沈んでいった。
(うわっ、ヤバイ!)
 私は一瞬にして全身から血の気が引いた。モノホンの原子炉の炉心に、万年筆タイプの被爆測定器を落っことしてしまったのだ。
「あ~あ。ま、でも気にしなくていいよ」
「は?」
「みんな、一度は落とすから」
 私は、恐る恐るもう一度炉心を覗き込み、炉心の底、私が万年筆タイプの被爆測定器を落っことした付近を見た。そこには、たくさんの「落し物」が沈んでおり、自分の落とした物がどれだか分からないような有様だった。確か、赤いボールペンも沈んでいたような気がする。

 原子炉とはいえ、出力の極めて小さな実験炉であったためか、設備内の雰囲気はとてもリラックスしたものであった。
 私の指導担当の方は、非常に気さくな人で、服装もラフだった。夏休み期間だということもあり、Tシャツに短パン姿で足元はサンダル、しかもビーチサンダルみたいな感じのサンダル。
 ちなみに私は写真の通り、襟付きのシャツとスラックス(両方とも自前)という服装に、原子力マーク付きの黄色いシューズを借りて履いていた。

 このバイト中に聞いた話で、印象に残っているものが二つある。
 一つは、“原子炉ジプシー”の話。原子炉の保全作業は、危険を承知で作業を請け負った人間が、命をすり減らしながら行っているというのだ。
 危険な作業は無人化できないのかという私の問いかけに対し、指導担当の方は
「そういう点では、原子炉は“原始炉”だから」
と苦笑いしながら答えていた。
 工場の保全技師を8年以上務めた今なら、この意味が良く分かる。原発に関して、意外に知られていない(かも知れない)こと 【その2】でも書いたように、自らの作業着に黒い油汚れを作りつつ設備保全の実作業のキャリアを重ねなければ、保全性の良い設備を設計するのは困難なのだ。

 もう一つは、「クーラーから排出されるドレイン水(排水)は、放射能が高い」という話。原子力関連設備内の放射線量をあちこちで測定していたら、クーラーのドレイン口で飛び抜けて高い数値が計測されたというのだ。
 しかしこれは、何も原子力関連設備内のクーラーに限ったことではない。
 クーラーは、実は集塵機でもあり、空気中の塵を内部に集積させている。地球の土、水、植物、木材、建材等の生活環境中には、天然放射能と呼ばれる放射性核種が広く分布しており、空気中の塵もその例外ではない。塵も積もれば何とやらで、クーラーのドレイン口は周囲より飛び抜けて高い放射能を示すようになるらしい。
「この原子力設備の中で、最も放射能が高い廃棄物は、事務所のクーラーのドレイン水だ」
と指導担当の方は笑っていたが、果たしてどこまで冗談だったのだろうか。

 しかし、それよりも私にとって衝撃的だったのは、“盆踊り大会”だった。
 バイト(研修)中のある日、私は指導担当の方から、バスの回数券のようなものを頂いた。よく見ると、その券には【焼きそば】とか【お好み焼き】とかの文字が印刷してある。
「もうすぐ盆踊り大会があるから、そこで使って」
と言われたときは、近くの公園かどこかで盆踊り大会が催されるものだとばかり思っていた。
 しかし、信じられないことに、その盆踊り大会は「原子力施設の柵内」で開催されたのである。

 言うまでも無く、「原子力施設の柵内」は、普段は関係者以外立ち入り禁止である。
 何しろ、門のところには「ただいまの放射線測定値…◇◇」という電光表示板が設置されており、リアルタイムで測定値が表示されているのだ。
 普通の工場とはワケが違う。稼動中のホンモノの原子炉を擁する施設である。
 普通、関係者でもない限り、誰もそんな施設には近寄らないだろう。

 それが、盆踊りの当日は…
「原子力施設の柵内」に、周辺の住民の皆さん(大人から子供まで)が大集合!
 まだ明るいうちから売店も出ていて、まるで学園祭のような雰囲気である。
 その店で売られているアイスは「メルトダウン・アイス」?(いえ、普通のアイスです)
 あそこで売られている青白い飲み物は「チェレンコフ・ソーダ」?(いえ、普通のソーダです)
 あの売店で焼いているホットケーキは「イエローケーキ」?(いえ、普通のお好み焼きです)
 …確かに普通の売店が普通にお好み焼きとか売ってますが、ここは「原子力施設の柵内」なんですよ!
 ちょっと、住民の皆さん! すぐそこの建物の中には、実験用とはいえ核燃料が装填された原子炉があるんですけど!
 周辺住民の皆さんで賑わう通りを、私は軽い目眩を感じながら歩いていた。すると私の前に、焼きそばの売店が現れた。そこで鉄板をジュージューいわせながら焼きそばを焼いていた男性は…私の指導担当その人であった。私は、思わず訴えかけるようにこう言った。
「…こんなんで、いいんですか?」
 指導担当の方は、焼きそばを焼く手を休めずに、ハッキリと答えた。
「こんなもんよ、こんなもん!」

 あらかじめ支給されていた【焼きそば券】を使って、焼きそばを手に入れたのかどうかは、覚えていない。
 暗くなってから始まった盆踊りは、普通に「オバQ音頭」とかだったと思う(「チャイナシンドローム音頭」とかは、やってなかった)。
 冗談のようだが、これは全て本当の話である。
 今回は、思い出話に終始してしまった。原子力発電のリスクの件は、いずれ別の記事で書いてみたい。

日本のゴジラの「非生物3原則」

日本のゴジラの「非生物3原則」

  【2002年6月4日(火)頃に書いたもの】

 日本のゴジラに関しては、生物だということは建て前で良い。
 逆に、アメリカのゴジラ(トラゴジ)は、2作目以降も生物だという本音ベースでやっていく方が良い。

 私が子供の頃初めて観た『対ヘドラ』のゴジラは、“大自然の怒りの象徴”であった。子供心に、ゴジラの怒りは一匹の野生動物としての怒りではなく、大自然そのものの怒りだと感じられた。ゴジラがヘドラとの戦いで傷を負っていく姿を、大自然が公害によって傷つけられている姿と重ねて見るというのは後年の解釈であるが、感覚的には当時も近いものがあったと思う。
 ゴジラがラストシーンで人間たちを睨み付けたとき、
「本当に悪いのは人間(ヘドラを怪獣化させた責任は人間にある)ということを、ゴジラは知っている!」
と、当時の私は直感した。あそこでゴジラが人間を踏み潰したとしても、理はゴジラにある。あの瞬間、私は“大自然の怒りの象徴”であるゴジラが、公害を垂れ流す人間たちに天罰を下すことを覚悟していた。しかし、荒ぶる神は天罰を下すことなく、大自然の代名詞・生命の源である海へと帰って行った…そんなイメージである。
 人間を踏み潰すことができたにもかかわらず、あえてそれをせずに帰って行ったゴジラは、単なる“戦う存在(破壊をもたらす存在)”ではなく(“大自然の怒りの象徴”であると同時に)“心を宿した荒ぶる神”として、私の心に焼き付けられた。

 この『対ヘドラ』のゴジラのイメージが強烈に刷り込まれた私は、翌年『対ガイガン』において、傷付き血を流すゴジラの姿を見ても、そこに生物感を感じることはなく、“肉体を宿した神”・“血を流す神”といった、ある種神聖な感覚を抱いていた。神仏を形取った偶像が、血や涙を流すという逸話を聞いたことがあるが、自分の中ではその感覚に通じるものがあるように思う。

 後年になってゴジラ第1作目を観ても、ゴジラは“ジュラ紀の生物”ではなく、“ジュラ紀の生物”の姿を借りた“大自然の怒りが具現化した存在=荒ぶる神”なのだという意識はそのまま残った。それどころか、“戦争・戦災・核兵器のメタファー”という要素が新たに加えられたことで、「ゴジラは生物そのものではない」・「ゴジラが生物であるというのは建て前である」という捉え方は、より強固なものとなった。

 そもそも、「海棲爬虫類から陸上獣類へ進化する中間の生物」が、あんなにガッシリとした脚を持っているはずはない(魚類から両生類へ進化する中間の生物から類推すれば明らか)。普通に考えれば、これとは全く逆の「直立2足歩行する恐竜の一種が、海棲獣類へ進化する中間の生物」となるはずである。あえてそうしなかったのは、「直立2足歩行する恐竜の一種」といったような、ある意味正体が割れた形でゴジラを説明することを避けたかったからなのだと思う。
 三葉虫やストロンチウムの件も、鯨の体から同様のものが見つかったとしたら、全く別の解釈が行われるはず(たまたま、汚染された海域を通過したetc)である。
 単にゴジラに付着していた砂から放射能が確認されたに過ぎないにもかかわらず、あたかも「ゴジラが原水爆の直撃を受けても生き延びた」という既成事実が存在するかのごとく語る件からは、山根博士が放射能ならぬ狂気を帯びていることを感じさせる。

 山根博士によって語られるゴジラの属性が、博士個人の思い入れによる一種の妄想かどうかは別にして、「ジュラ紀の生物」と言いつつ「200万年前」という年代を持ち出した理由は、原作者が明らかにしている。ゴジラに人類のメタファーとしての属性を持たせる思いが込められているのだ。ゴジラが由来のはっきりした明確な生物ではなく、正体が定まらない謎めいた存在として世に送り出されたとする認識は、間違っていないと思う。

 VSシリーズや『ミレニアム』で提示されたゴジラ細胞というアイディアは、それ自体は面白いと思うが、ゴジラを細胞から構成された生物だと明確に限定してしまう弊害も派生させる。細胞レベルで分析が可能ということは、ゴジラの皮膚などの体組織を、細胞レベルにまで加工することが可能だということに他ならない。
 それに並行した(それ以前?)の問題として、ANB弾、Gクラッシャー、フルメタルミサイルといった、ゴジラの皮膚を貫通できる武器を大量に命中させ、その体内で弾頭を爆発させれば、いかに大型とはいえ所詮動物であるゴジラが生き延びる術はないということが挙げられる。人間の力で細胞にまで還元できる限定された肉体しか持ち得ないゴジラは、最終的にはトラゴジと同じ運命を辿るしかなくなるのだ。

 日本のゴジラには具体的な生物としての属性は与えず、あいまいな存在として描いたほうが良いと思う。すなわち、

 生物として「生まず」・「生まれず」・「生み出されず」
 あるいは、肉体やその一部を「残さず」・「採取されず」・「分析されず」

といった「非生物3原則」を標準にして欲しい。裏を返せば、この標準が主流として守られてこそ、たまにこの標準から外れたゴジラ映画が造られたとき、それが異色の佳作になり得るのである。

 トラゴジは、日本の「ゴジラ細胞を持つ超生物」的な矛盾を抱えた中途半端なゴジラとは違い、「人間の作り出した核兵器によって生まれてしまった特異な巨大生物」であることに徹しており、その意味で洗練されたゴジラになっている。
 トラゴジは、生物であることの弱点を自然に備えた“ナチュラルなゴジラ”であることが魅力になるような描き方をして欲しい。平成ガメラ1でのガメラのように「傷付いた肉体を海底温泉?で癒す」といったシーンが、トラゴジには良く似合うと思う。
 「親トラゴジが生まれた子供トラゴジに餌を与える」といったシーンなど、一生物としてのゴジラの姿が普通に描けることがトラゴジの強みだろう。野生動物なのだから、満腹になれば案外おとなしいのかもしれない、とか…。

 ビルがあったら破壊しなけばならないといった縛りがある感の日本のゴジラには出来ないことを、アメリカのゴジラがやってくれることを期待している。

バードウォッチング2006(その2)

バードウォッチング2006(その2)


日時:2006年5月12日 17時30頃
場所:田んぼ

 会社から帰る途中、田んぼに舞い降りる一羽の鳥の姿を視界に捉えた。羽根を広げて見事に着水!
 カモだけど…何カモ? 田んぼ道に入って距離を詰めると、黒いクチバシの先端だけ黄色いことや、過眼線プラスもう1本の黒い線が顔にあることが裸眼でも確認できた。
 これでカルガモ決定!
 田んぼの真ん中辺りにいるので大丈夫と思っているのか、こちらをあまり警戒していないような感じだった。カルガモが一羽だけというのも妙な感じ。若い固体なのかな。


日時:2006年5月15日 17時30頃
場所:本屋付近の街路樹

 これも会社から帰る途中(正確には『ボクシングマガジン』を買いに本屋に寄る途中)。
 街路樹に一羽の鳥が降り立つのを発見。樹の幹に、頭を上にして留まっている。ゴジュウカラか? でも、背中に模様があるし、何か首の所がくびれているような…
 もしかしてキツツキ? 
 あッ、ドラミングしそうな雰囲気?! キツツキだ! わ~、初めて見た~♪
 …断言はできないが、多分コゲラだったと思う。本で調べたら、市街地にも進出しているとのこと。今度はドラミングしているところを見たいわ。

WBC世界ミニマム級タイトルマッチ イーグル京和 VS ロデル・マヨール

ダイナミックグローブ第378回
  WBC世界ミニマム級タイトルマッチ
     イーグル京和 VS ロデル・マヨール

  2006年の会場で観た試合:3回目
  観戦日:2006年5月6日(土)

 WOWOWで、マヨールがイーグルへの挑戦者決定戦に勝利した試合を観たとき、王座交替の可能性が高いと思った。マヨールがミニマム級とは思えない強打を持っているうえ、カウンターを決める能力を有していることが分かったからだ。
 イーグルは打たれ弱くは無いが、身体はどちらかと言えば硬い方で、決してタフには見えない。しかも、打たれるとカッとなって打ち返し、時折カウンターを貰うという悪いクセがある。マヨールのパンチをカウンターで貰ったら、その1発でイーグルはリングに沈むのではないか。

 一方、ハードパンチャーは打たれ脆いという側面も持っている。あのパッキャオも、格下相手との試合でカウンターを喰ってダウンしたことがある。マヨールもあの強打にまともにカウンターを合わせられたら、立っていることは出来まい。
 また、あそこまで強振すれば、スタミナの消費も激しい。イーグルに捌かれ続ければ、後半ガクンと動きが落ちることも予想される。

 いずれが勝つにせよ、この試合はKO決着になるのではないか。
 そんな予想をし、良席を確保するため、わざわざ東京のチケピまで脚を運んでチケットを買った。
 そして5月6日、私は3万円払って観る価値のある、熾烈な試合の目撃者となった。
 試合は判定による決着であった。しかしそれは、決してKO決着に劣るものではなかったと断言できる。

 試合は、大方の予想に反して火花が散るような打ち合いで始まった。
 瞬間的に、私は事前の予想に反し、イーグルが勝つような気がした。ミゲール・コットが強打者ケルソン・ピントを下して戴冠した試合のイメージが浮かんだのだ。強打者を相手にしたときは、初回から自分が打って出る。相手を捌こうとして受けに回れば、相手を調子付かせるにことになるという判断がそこにはある。
 もちろん勇気が要るし、リスクも伴う選択だ。しかし相手にペースを取らせないことは、相手の強打を封じることにも繋がる。
 1ラウンド、両者共に被弾していたが、マヨールのパンチには力みがあった。アクセルを踏み込むと同時に、ブレーキまで踏んでしまっている感じだ。空振りも目立った。
 初回は防御で上回り、ラウンド中盤でコンビネーションをまとめて当てたチャンピオンがポイントを取ったように見えた。

 しかし、このチャンピオン優性の流れは長くは続かなかった。
 2ラウンドにマヨールのシャープな左フックがイーグルの右顔面を直撃。それからは、イーグルの顔が見えるたびに、右眼の腫れが酷くなっていった。
 後退するイーグルに対し、マヨールは上下にパンチを打ち分ける。
 私の見ている目の前で、チャンピオンが見る見るうちにボロボロになっていく。
 初回に感じた、イーグル勝利の予感はすっかり吹き飛んでしまった。
 ラウンド終盤、バッティングをアピールするイーグルに、マヨールは構わずパンチを打ち込んでいく。私の脳裏に、今度は「パッキャオに負けたときのバレラの姿」が浮かぶ。

 やはり攻撃力では挑戦者が1段上。
 危険な1発を貰わなければ、防御力に勝るチャンピオンが有利に試合を進めることが出来たかもしれないが、その1発を貰ってしまった。
 最初に予想した、イーグルのKO負けという結果が早くも現実味を帯びてきた。
 3ラウンドは、中盤盛り返したかに見えたイーグルが、終了間際に強烈な左フックを打ち込まれてしまった。私の目には、この1発で明らかにポイントを失ったように映った。

 4ラウンドも、開始早々に左フックをカウンターで喰らってイーグルがフラつく。
 明らかに効いている。
 ロープに詰められ、ボディに連打を貰ったかと思えば、下から左ストレートを顔面に突き上げられてアゴが上がってしまう。

 イーグルの右目は、早くも塞がりかけてきている。
 KO負け覚悟で、勝負を仕掛けるしかないのではないか? そんな気さえしてくる。

 5ラウンド、イーグルは腫れていない方の眼である左眼の上をバッティングによってカット。これで両目ともに視界が悪くなった。距離感はボクサーの生命線であるが、距離感どころか「見える/見えない」というレベルの話になってきた。
 このカットの際、レフリーが勘違いから試合終了の合図を出しそうになったが、もしこのラウンドで負傷判定となったら、どう見てもイーグルの負けになる。
 イーグルにとっては、まさに前門の虎(マヨール)、後門の狼(出血)。
 この時点で、私はイーグルの王座防衛をほとんど諦めていた。

 しかし、7ラウンドに入ると、マヨールが倒し急いでいるのか、攻撃が雑になってきた。イーグルは、その隙を付いてワンツーをクリーンヒットさせる。
 お互にギリギリの精神状態で闘っているためか、偶然のバッティングがあってもどちらもグローブを合わせようとしない。
 
 8ラウンドは、マヨールは前に出るものの、クリーンヒットを奪えずクリンチに至るパターンが多くなってきた。逆にイーグルは、マヨールのボディにパンチを集める。
 このラウンドは、終了時にコーナーに戻るとき、両者共にガッツポーズをしなかった。

 9ラウンドになると、後退するマヨールをイーグルが追う展開となった。
 マヨールの手数が減ったため、イーグルが前に出られるようになったのだ。単調になったマヨールのパンチを避けた直後、イーグルが攻め返す。その手数がマヨールを上回っている。コンビネーションがクリーンヒットする場面もあり、ここへ来てイーグルが試合の流れを取り戻してきた。
 このラウンド終了時、イーグルだけがガッツポーズを作った。
 いつの間にか、イーグルの左眼の上からの流血は止まっていた。

 10ラウンド目、先に軽くではあるが何発かクリーンヒットを入れたのはマヨールの方だった。しかしイーグルは動ぜず、より強いパンチをクリーンヒットさせる。
 マヨールも左フックをイーグルの顔面に当てるが、ナックルの返りが甘い上に、タイミングを読まれているので効かない。反撃に転じたイーグルにボディを連打されると、マヨールの背中が丸くなった。こちらは明らかに効いている。

 マヨールは11ラウンドにもボディを打たれると、レフリーに後頭部のホールドをアピールする。2ラウンド終盤に、イーグルがレフリーにバッティングをアピールしていたのと、全く逆の状況である。これは弱気になっている証拠だ。

 そしてこの試合の最高潮は、最終ラウンドに発生した。
 左ジャブを当てたイーグルが、二呼吸ほどおいてからいきなりの右ストレートを放つと、これがマヨールの顔面を打ち抜いた。反撃を避けるためにサッと後退したイーグルの目の前で、マヨールがヨロヨロと危なげなステップを踏む。
 それをイーグルが見逃すはずもなかった。クリンチに来るマヨールを引き剥がすようにボディにパンチを打ち続け、本当に引き剥がしてしまう。何発かパンチを入れた後に再度クリンチされ、今度はレフリーにブレイクされるが、棒立ちになったマヨールにすぐさま襲いかかる。
 顔面からボディへのコンビネーションがヒットすると、マヨールはロープ際に倒れ込んだ。
 ダウンだ。
 その瞬間、後楽園ホールはただ一種類の歓声で完全に満たされた。
 私の耳の内側も外側も、全く同じ歓声が鳴り響いていた。試合の空間と自分の身体が一体化したような感覚だった。この瞬間を、私は一生忘れないだろう。

 判定は、115-112【ハセット(米国)】、114-113【ローデン(メキシコ)】、117-110【バンホイ(米国)】のユナニマス・デシジョンでイーグルの勝利。私も、115-113でイーグルを支持した。
 それにしても、きわどい勝利だった。11ラウンド終了時点では、マヨールを支持していたジャッジもいたのである(ちなみに私はドロー)。
イーグルvsマヨールのスコア
 
 試合の中盤以降は、両者ともに意外にクリーンヒットが少なく、膠着した展開だったと言えるかも知れない。しかし、高い技術に裏打ちされた膠着は、観る者を飽きさせない。ガードの甘い者同士の乱打戦などとは全く次元の異なる緊張感が、常に試合を支配していた。
 世界最高峰の技術力と体力、そして精神力。
 「これがボクシングだ」そう叫びたくなるような、素晴らしい試合だった。

『トム・ヤン・クン!』

『トム・ヤン・クン!』
  2006年の映画館で観た映画:12本目
  映画を観た日:2006年5月6日(土)


 『マッハ!』と同じく、トニー・ジャーが、奪われたものを取り返すために単身敵地に乗り込んで暴れまくる、アクション・ストーリー。
 確かにスゴイが、詰め込み過ぎ。『マッハ!』でもそうだったが、それに更に輪がかかってしまった。まるで、ベルトコンベア式にアクションシーンが運ばれてくる感じで、観ていて飽きてしまうというか、麻痺してくるのだ。

 これも『マッハ!』でも感じたことだが、トニー・ジャーのアクションはムエタイ味が薄い。彼のアクションは、基本的にはカンフー映画のアクションである。現代ムエタイでは派手な回転技や飛び技はほとんど使われないし、古式ムエタイとなれば尚更だろう。
 ちなみに、現代ムエタイに僅かに存在する回転技の代表技は、回転式肘打ち(バックブローの肘打ち版)。あと、私は観たことは無いが、ミドルキックからそのまま後回し蹴りに繋ぐ技も存在しているようだ。飛び技系では、相手の大腿部を踏み台にして放つハイキックや膝蹴りといったものが、技としては伝えられている。

 現代ムエタイの最大の奥義であり、おそらく古式ムエタイでもそうだったと思われる首相撲からの膝蹴りや崩し、あるいはパンチから肘へ切れ目無く繋ぐ2段攻撃を、トニー・ジャーは見せてくれない。現代ムエタイでは高いポイントが与えられる、「ミドルキックをガードした脚で(着地させずに)即、反撃のミドルキックを当てる」という技も、多分出していない。大体、ガードの仕方がムエタイ式でないことが多いのだが。
 トニー・ジャーのプロポーションが、ムエタイ選手っぽくないのも気になる。腰周りが太めなのだ。もうちょっと絞って、ムエタイ的な、鋭角的なボディラインにすべきだと思う。

 この映画は、たまにムエタイっぽい動きが出るカンフー映画になってしまっている。
 カンフー映画としては面白いが、ムエタイの動きを期待して観ると、ガッカリすることになると思う。
 古式柔道と言うべき日本の古い柔術の動きを日本人が知らないのと同様、タイ人も古式ムエタイの動きを知らないのではないか。もしそうであるなら、もっと現代ムエタイの動きを取り入れて、ムエタイっぽくして欲しいところだ。

曽我町子さん…

曽我町子さん…

 つい先刻、曽我町子さんが5月7日に亡くなっていたことを知った。
 享年68歳。早すぎる。本当に残念でならない。

 ZAKZAK - 2006年5月7日
 http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_05/g2006050801.html

 中日スポーツ - 2006年5月7日
 http://chuspo.chunichi.co.jp/00/hou/20060508/spon____hou_____003.shtml

 曽我町子さんのイメージは、私にとっては『オバQ』ではなく、特撮の魔女・女王。
 魔女ベルバラ、ヘドリアン女王、魔女バンドーラ、天空大聖者マジエルといった役が、印象に残っている。『魔法戦隊マジレンジャー THE MOVIE インフェルシアの花嫁』で魅せてくれた存在感を、もう一度スクリーンで発揮して欲しかった。

 最近の雑誌で曽我さんの写真を拝見したとき、天空大聖者マジエルを演じられたときと比べてコンディションを崩されているとは感じたが、まさかこんなことになろうとは…。
 曽我町子さんに、心から哀悼の意を捧げます。

特撮の未来に関して【野望編】

特撮の未来に関して【野望編】

                       はじめに

「“ファン心理は善悪を超えるのだ”と言ってはばからない人は、野球を愛していない」
 星野氏は監督時代、一部のプロ野球ファンを指して、そういう趣旨のことを語った。確かに、「特定の球団を愛しているだけで、野球というスポーツそのものを愛しているわけではない」というファンは、存在していると思う。
 私がこれから書く記事に関して、
「“ファン心理は善悪を超えるのだ”と言ってはばからない人は、特撮を愛していない」
という印象を持たないで頂きたい。
 これから書く記事は、飽くまでも単なるアイディアである。それも現実を度外視した“突飛なアイディア”である。【野望編】とサブタイトルを付けたが、それは私の野望ではなく、記事を成立させるための“架空の野望”だ。『ガンダム』にはミノフスキー粒子という“架空の粒子”が設定されていたが、あれと同様の、強引な基本設定にすぎない。
 この記事における野望は、実際の人物や団体とは一切関係がない。もちろん、私自身を含めて。

         玩具が売れなければ、「打ち切り」か「テコ入れ」

 特撮の未来に関して【現実編】で書いたように、特撮は「大人」には人気がない。
 端的に言って、日本の大人には「ヒーロー」のニーズはあっても「特撮ヒーロー」のニーズはないのである。
 そもそも、「超人的ヒーロー」の活躍を、実写で大人の鑑賞に堪えられるように描こうとすると、ハリウッド映画のような莫大な予算が必要となる。日本のTV番組の現状では、とてもそんな予算を組むことは出来ない。そのため日本のTV特撮は、着ぐるみであることが丸分かりで、大人の鑑賞には堪えないものになってしまう。よって、日本のTV特撮の「変身ヒーロー」は、子供を対象にした作品に成らざるを得ない。その結果、ますます大人のニーズから遠ざかるというわけだ。

 着ぐるみ丸分かりの子供向け特撮番組でも、その製作費は馬鹿にならない。
 そのためか、TV特撮は一般的には玩具メーカーがメインスポンサーとなることで、商業番組として成立している。それも、単なるタイアップではない。玩具メーカーが、その番組内容と直結した商品(変身ベルトなど)を発売/宣伝するという、特殊な形態を取るのだ。
 だから、その玩具が売れなかった場合は、原因が番組自体に存在すると考える傾向が強い。いくら視聴率が高くても、玩具の売れ行きが悪ければ、その番組はスポンサー的にはダメな番組と判断される。大赤字ともなればスポンサーは撤退し、番組の商業的存続の基盤が失われてしまう。
 普通のTVドラマの存続が、視聴率という番組自体の人気に依存していることに対し、TV特撮は番組自体の人気ではなく、玩具の売り上げに大きく依存しているのだ。

 「子供に人気のない子供向け特撮」を、大人が熱心に視聴していたとしても、その大人の視聴者は、自分の意志で主力玩具(単品で5000円程度か、それ以上のもの)を買うことをほとんどしない。彼らには、特撮番組を自らの購買力で支えるという意識が非常に希薄なのだ。
 かくして、「玩具は売れていないが、一部の大人には人気のある子供向け特撮」は、打ち切られるかテコ入れが入ることとなる。これは、過去の特撮で何度も繰り返されてきたことである。最近の例は、『ネクサス』と『響鬼』であろう。特撮の歴史が証明する、哀しい現実というやつだ。

            「大人の特撮ファン」の商業的存在価値

 ごく一部には「大人向け特撮」のニーズと、それに対応する商業的展開がある。
 例えば、価格が31500円もする大人向けの『龍騎』や『555』の大人用変身ベルトが発売された。
 深夜枠ではあったが、通常のスポンサー形態で『牙狼』が放送された。
 このことは、単なる懐古趣味としてではない「現時点の特撮ヒーローに対する大人の人気」が、ごく一部にではあるが存在することを示している。
 しかし、その類の商品の売り上げが子供向け商品以上に大きいとか、深夜特撮番組の視聴率が飛び抜けて高いなどといった話は聞かない。この現状は、「大人向け特撮」のニーズの限界もまた、同時に示しているのだ。

 だが、「大人向け変身ベルト」の販売実績が小さいからといって、それが「大人向け特撮」のニーズの全てを表しているとは限らない。深夜特撮の視聴率が振るわなかったからといって、それが「大人向け特撮」のニーズの全てを表しているとは限らない。
 玩具(大人向けも含む)は欲しくないが、TV特撮は観たい。スーパーヒーロータイムは観ているが、深夜特撮に関してはその存在すら知らない。そういう「ライトな(大人の)特撮ファン」も、確実に存在すると思われる。その数は、あるいは「コアな(大人の)特撮ファン」を遥かに凌いでいるかも知れない。
 また、アクセサリーやエプロンといった、「大人向け玩具」以外の「大人向け」特撮商品(非玩具系商品)のニーズが隠されている可能性もある。「ザンキの魅力的な声で起こしてくれる目覚し時計」とかも、あるいはそうなのかも知れない。

 もちろん、「大人の特撮ファン」と「子供の特撮ファン」の商品的ニーズには、重なっている部分もある。DVDなど、その最たる例だろう(発売には、番組放送に対して一定の遅れが付きまとうという、商品としては有りがたくない欠点があるが)。
 それでもやはり、ほとんどの場合、TV特撮のメインスポンサーが提供する“番組特化商品”は、“子供に特化した商品”であることは事実である。
 そして、「大人の特撮ファン」は、視聴率に顕われないほどの少数派であるということも事実である。
 玩具の売り上げに大した影響を与えない、視聴率には全くといって良いほど影響を与えない。そんなマイノリティの想いが、作品の在り方に反映されることは、永遠にないのだろうか。

              国民総データベース化の野望
 その可能性はある。
 塵も積もれば山となるように、マイノリティも集合させれば市場を形成できる(最近の言葉を使うと、long tail)。
 
 もっとも、大人の特撮ファンで番組視聴者という市場を形成するには、大きな問題がある。
 大人の特撮ファンは、総体的には「総論賛成、各論反対」的な性格が強く、少数派のクセに個々の趣向のバラつきが大きいという、市場としては致命的な欠点を持っている。しかし、ここではその欠点を無視する。「各論反対」ではなく「総論賛成」の部分にのみ注目するということだ。
 ここで問題視するのは、視聴率にすら顕われてこない彼らが、何処にいる誰だか特定できないということである。

 例えば、こういう話があったとする。
 「ヒビキと明日夢が屋久島で出会う2年前の話」で「戸田山、あきらが弟子入りして間もない頃のエピソードに、ヒビキが絡む」というプロットの映画版『響鬼』の企画が立ち上がった。一世帯(4名までOK)1万円のプレミアムチケットを、企画発表後の一定期間に5万枚完売できれば、その映画が製作されるという寸法だ――。
 もし実際にこの話があったとしても、多分、私はこのチケットを買うことはない。
 何故なら、私はネタばれ防止のために特撮関係の情報封鎖を行なっているので、この情報を知らないまま一定期間が過ぎてしまう可能性が高いからだ。実際の話、映画『SHINOBI』では製作にあたって本当に映画ファンドが売り出されていたが、私はこの件に関しては映画公開後しばらく経つまで全然知らなかった。
 また、もし知り得たとしても独身の私は「今更、1万円出して響鬼っていうのも…」と気乗りせず、見送る可能性が高い。(格闘技観戦のリングサイド料金としては、1万円は安い方なのだが)

 しかし、もし私の個人名宛に「響鬼プレミアムチケットご購入のお願い」といったメールが、例えば東映から直接届いたら、おのずと心境は変わってくる。私とて情もあれば情けもある一人の人間、事情が切々と綴ってあれば、心も動こうというもの。購入特典とか、詳しい情報を入手することで考えが変わるという場合もあるだろう。映画のDVDはプレミアムチケット購入者のみから予約を受け付ける完全受注生産になる…とかだったら、DVDの転売で儲けようと思ってチケットを買う人も出る筈だ。

 それもこれも、スパムではなく、一本筋の通った個人宛のメールが、信頼できる関連団体から直接届くということが前提になる。
 しかし私の場合、東映その他の関連団体に、個人情報の登録を行なっていないから、絶対にそういったメールが届くことはない。個人情報は法律で保護されているので、東映その他の関連団体が私の個人情報を他所から入手することもない。

 ここで、誰かの野望が必要となる。
 動機は何でもいいが、「国民総データベース」を実現するという野望が。
 ここで言う「国民総データベース」とは、国民一人一人の個人情報を、住所氏名から好きなタレントといった細かいものまで、全部のっけたデータベースのことである。国民全員に登録を徹底するとなると、当然ながら政府が構築・管理することになる。
 これを、一定の条件の元で、企業等にも参照させるのである。

 私は以前から、転勤する度に銀行その他に登録している住所や電話番号を、一件一件変更することが面倒くさくて仕方がないと思っていた。もし「国民総データベース」が実現すれば、この煩わしさから開放される。何故なら、自分で「国民総データベース」にアクセスして自分の住所や電話番号を更新するだけで良いからだ。
 銀行その他には、私のID(生涯不変の、いわゆる国民背番号)が登録されているだけで、住所や電話番号そのものは登録されていない。銀行が私の住所や電話番号を知りたいときは、私のIDを「国民総データベース」に問い合わせ、そこで私の住所や電話番号を参照するのである。

 私のデータベースには、「好きな芸能人」の第1位に「飯田圭織」の名前があるが、銀行はこのデータを参照することは出来ない。そういう権限が与えられていないからである。
 また、私の「好きなTV番組」の第4位には「特撮」という項目(テーブル)があり、この「特撮」という項目の中には更に「仮面ライダー」とか「怪獣」といった単語がデータとして格納されている。こうしたデータも、銀行は参照することが出来ない。
 こうした「趣味」のデータにアクセスできるのは、その権限を政府から正式に付与された団体だけである。例えば、「日本特撮組合」という団体である。

              「日本特撮組合」という野望

 ここにも、誰かの野望が必要となる。
 動機は何でもいいが、「日本特撮組合」を実現するという野望が。
 ここで言う「日本特撮組合」とは、例えば床屋の組合のように、同業者に統一した行動を取らせる、素人目には独占禁止法スレスレの業界組合のことである。詳しくは私も知らないので、この辺の定義は適当である。とにかく、「日本特撮組合」は、東宝・松竹・東映・角川などの大手映画関連会社と、それらと特撮関連で仕事の関わりがあるほぼ全ての団体や個人が加入している業界組合だと思って欲しい。
 「日本特撮組合」は、政府から「国民総データベース」の「趣味」の部分を参照する権限を付与されている。だから、「日本特撮組合」は、私が「映画」といったジャンルや「仮面ライダー」といったキャラクターを、趣味の上位にランキングしていることを簡単に知ることが出来る。
 もちろん私だけではない。「仮面ライダー」を、趣味の上位にランキングしている、日本全国の老若男女全てを容易にリストアップすることが出来るのだ。検索エンジンで検索する感覚で何回か参照操作を行なえば、それだけで「日本国民全体の、仮面ライダーファンのリスト」が出来てしまう。「国民総データベース」は、常に国民自身の手によって更新されているため、「日本特撮組合」は最新かつ正確な情報を入手できるというわけだ。

 前出の『響鬼』のプレミアム映画の企画が立ち上がった場合、この「日本全国民版・仮面ライダーファンリスト」から、「日本特撮組合」に対して「トピックスメール」を許可している人を選び出し、一斉にメールを作成・送信すれば良い。
 かくして、私宛てにも「日本特撮組合」から「響鬼プレミアムチケットご購入のお願い」といったメールが届くというわけだ。
 つまり、こういった告知を受けたいと思っている全ての日本人に、そのメールが届く。
 ニーズを潜在させている人に告知が行き渡った場合、5万枚のチケットは、期間内に完売するか否か?

             地上波から特撮を撤退させるという野望

 「日本特撮組合」が、地上波から特撮を全面撤退させることを決めたら、どうなるだろうか。
 これは野望と言うよりも、営業コンセプトの大転換と言うべきだろう。
 例えば、『ボウケンジャー』も『カブト』も『メビウス』も『セイザーX』も『リュウケンドー』も、事前告知の後、ある日一斉にスカパーに移行するわけである。
 「日本特撮組合」は、特撮のノウハウを持つ国内業者のほぼ全てが加入しているため、地上波TV局は特撮番組というコンテンツを失う。どのTV局も、わざわざ海外のスタッフを招いてまで特撮番組を放送しようとはしないだろう(ゼロから特撮スタッフを育てるなどということは、もっとしない)。
 「日本特撮組合」が地上波TV局とケンカ別れした場合は、地上波側も後番組に子供向けアニメ番組を持ってくるなどの強烈な対抗措置を取るに違いない。しかし、ここでは何らかの和解が得られ、地上波は大人向けのニュース番組などを後番組に据え、スカパーに移行した特撮番組とは極力棲み分けの方向に進むと仮定する。

 この場合、選択肢を失うのは、主に子供とその親である。
 タダで毎週特撮ヒーロー番組を見るという選択肢がなくなるのだ。
 お金を出してまで特撮ヒーローを見るのか、それともタダで毎週見られるアニメなどの他の子供向け番組だけで済ますようにするのか。
 要するに、特撮ヒーロー番組を見続けるのか、見るのを止めるのかという選択を迫られることになる。

 話を、「スーパーヒーロータイム」に絞ろう。
 日本の総世帯数が4800万世帯、「スーパーヒーロータイム」の視聴率を7%と仮定すると、「スーパーヒーロータイム」の視聴世帯数は336万世帯。
 劇場版『ヒビキ&マジレン』の興収は11億円。ざっくり一人1000円の収入だったとすると、観客動員数は110万人。一世帯3人すると、36.7万世帯(世帯あたりのチケット代は3000円)。
 「スーパーヒーロータイム」の視聴世帯の約1割が、3000円のチケット代を払って劇場版『ヒビキ&マジレン』を観に行った計算になる。何となく、納得できる数字だ。
 この世帯は、「スーパーヒーロータイム」が有料放送になっても、視聴する可能性がある。

 500円のDVDが、コンビニでけっこう売れたという話を聞いたことがある。
 「スーパーヒーロータイム」が500円/月。これで、どうだろう。
3話(3週目)まで無料放送。ただし、毎週内容が変わる30分枠の「戦隊&ライダー情報番組」は、月契約(自動延長)した時点から視聴可能となる。
 4話(4週目)からは有料化、すなわち月契約していないとスクランブルがかかって見られなくなる。PPD視聴も可能だが、その場合は300円/日と、とっても割高。しかも…

 9歳以下のお子さんがいない世帯は、1050円/月のご契約となりますが、
 9歳以下のお子さんがいる世帯は、500円/月でご契約になれます。

という、コアターゲットを優遇した料金体系にする。かつてのマクドナルドの「平日半額(休日倍額)」料金体系のようなイメージ戦略である。この料金体系は、「国民総データベース」と連動させれば、簡単に運用できる。
 ちなみに、放送枠は、こんな感じである。

7:30~8:00  戦隊
8:00~8:30  ライダー
8:30~9:00  月契約者のみ視聴可能な戦隊&ライダー情報番組(子供向け)
9:00~9:30  戦隊
9:30~10:00  ライダー
10:00~10:30 月契約者のみ視聴可能な戦隊&ライダー情報番組(子供向け)
10:30~       
    PPDで過去のライダー映画等、あるいは全く別の番組(親向け番組等)
    あるいは全く別契約(別チャンネル扱い)の番組枠
~17:30 
17:30~18:00 戦隊
18:00~18:30 ライダー
18:30~19:00 月契約者のみ視聴可能な戦隊&ライダー情報番組(子供向け)
19:00~19:30 戦隊
19:30~20:00 ライダー
20:00~20:30 月契約者のみ視聴可能な戦隊&ライダー情報番組(子供向け)
20:30~21:00 月契約者のみ視聴可能な戦隊&ライダー情報番組(大人向け)
21:00~ 7:30 放送休止、あるいは全く別契約(別チャンネル扱い)の番組枠

 「日本特撮組合」が地上波から特撮を全面撤退させ、「スーパーヒーロータイム」が上記の条件で有料放送になっても、36.7万世帯が視聴契約を結んだとすると、どうなるか。

 PPV収入…500円×12ヶ月×36.7万世帯=約22億円
 製作費…(戦隊全50話+ライダー全50話)×3000万円=30億円

 こう仮定すると、「スーパーヒーロータイム」製作費の約7割が、PPV収入で賄えるのである。
 スポンサーに対する依存は、約3割となる。
 そのスポンサーを、玩具メーカーではなく、飲料水などの番組とは直接関係ない商品を扱うところに限定したとしたら…。
 「スーパーヒーロータイム」は、子供向け玩具が全然売れなくても、商業的に成立するようになる。「玩具の売れ行き」という呪縛から、戦隊とライダーが解放されるのだ。
 もちろん、「玩具化」という制約がなくなっただけであり、「子供向け番組」という制約がなくなったわけではない。それでも、番組の内容が「視聴者」に支持されることだけを考えれば良くなるのだ。
 スポンサーの商品の売り上げのために、番組の展開をある程度決められてしまうという縛りがなくなるというメリットは非常に大きい。番組内で登場人物がスポンサーのドリンクを飲むといった些細な配慮は必要だろうが、そんなことは大勢には全く影響しないのである。

 もちろん、ライダーにとって変身グッズはマストアイテムであるし(『アマゾン』のような例外はあるが、それでもアマゾン独自のアイテムは存在した)、子供も「なりきりグッズ」を欲しがるだろう。36.7万世帯の視聴というのは視聴率に換算すると0.8%程度なので、バンダイのような大手メーカーが「なりきりグッズ」を地上波放送時代同様に展開するとは思えない。おそらく、現在廉価版の「なりきりグッズ」を手掛けているメーカーが中心になった商品展開に移行するのではないだろうか。子供(未就学児)にとっては、それで充分のような気がする。

 9歳以下のお子さんがいない世帯にも、配慮せねばなるまい。
 例えば、「ライダーチャンネル」1050円/月(PPD視聴 315円/日)

 最新作と歴代を、話数を揃えて放送。当然、初回放送(第1週)は全作品、第1話ばっかり。2回目放送(第2週)は全作品、第2話ばっかり(以下同様)。
 当然、全ライダーの中ではアマゾンが最初に放送終了となり、平成ライダーの中では響鬼が最初に放送終了となる。

8:00~8:30 仮面ライダーカブト(全50話?)
8:30~9:00 仮面ライダー(全98話)
9:00~9:30 仮面ライダーV3(全52話)
9:30~10:00 仮面ライダーX(全35話)
10:00~10:30 仮面ライダーアマゾン(全24話)
10:30~11:00 仮面ライダーストロンガー(全39話)
11:00~11:30 仮面ライダー (スカイライダー)(全54話)
11:30~12:00 仮面ライダースーパー1(全48話)
12:00~12:30 仮面ライダーBLACK(全51話)
12:30~13:00 仮面ライダーBLACK RX(全47話)
13:00~13:30 仮面ライダークウガ(全49話)
13:30~14:00 仮面ライダーアギト(全51話)
14:00~14:30 仮面ライダー龍騎(全50話)
14:30~15:00 仮面ライダー555(全50話)
15:00~15:30 仮面ライダー剣(全49話)
15:30~16:00 仮面ライダー響鬼(全48話)
16:00~16:15 月契約者のみ視聴可能なライダー情報番組(子供向け)
16:15~16:30 月契約者のみ視聴可能なライダー情報番組(大人向け)

 「戦隊チャンネル」も同様、1050円/月(PPD視聴 315円/日)
 「戦隊チャンネル」と「ライダーチャンネル」を合わせた「スーパーヒーローセット」が1680円/月。これで文句は出ないだろう。

                       映像の未来

 特撮も映像ソフトの一つである以上、映像ソフトの利用形態の変化によって、その在り方が変わっていくはずだ。
 地上波TV番組は、それ自体は無料放送だが、そのコストはスポンサーの商品の価格に組み込まれてしまっている。番組を全く観ていない消費者までが、番組のコストを支払っていることも普通にあるわけで、間接税よりもタチの悪い課金システムと言える。
 特撮番組は、メインスポンサーの商品がその番組に特化した「なりきり玩具」であるため、番組視聴者が番組のコストを支払っている割合が格段に高い。しかし、この課金システムにも問題があることは、既に述べた。

 受益者負担の大原則に適うやり方は、やはり有料視聴である。
 TV番組においても映画同様、視聴者が製作コストの大部分を負担するのが、最も健全な課金システムだと考えられる。人間は本来、欲しいものに対しては対価を支払う文化を持っているのだ。
 そして、全国規模の個人ニーズを製作側がリアルタイムで知ることが出来るようになれば、最も効率的な需要と供給の体制を構築することが可能となるだろう。

 更に言えば、「観たいものを、観たいときに、観たい場所で観る」。
 特撮に限らず、全ての映像ソフトに関して望むことである。
 著作権絡みの問題で遅々として進んでいないようだが、光ファイバー通信が廉価で普及する頃には、映画だろうが過去のTV番組だろうが、コントローラをチョイチョイと操作すれば、サーバからHDRへサクサクとダウンロード視聴できるようになっていて欲しいものである(もちろん有料)。

 視聴率などといった曖昧なモノサシではなく、PPV収入という普通の商品と同レベルのモノサシでTV番組の商品価値が計られる時代。アメリカのボクシング等では、もう随分前からスタートしている。

『小さき勇者たち GAMERA』

『小さき勇者たち GAMERA』
  2006年の映画館で観た映画:11本目
  映画を観た日:2006年5月6日(土)


 なかなか良い映画だったが、居心地ならぬ見心地の悪いアンバランスな映画でもあった。
 子供メインの家族向け映画としては、『子ぎつねヘレン』の方が明らかに完成度が高かった。

 しかし、主人公が少年だったことは高く評価したい。何しろ平成ガメラ3部作は全て女性が主人公だったし、平成ゴジラシリーズでもゴジラと精神感応できるのは女性だったのだ。漸く、「怪獣を男子の手に取り戻した!」という感じである。
 おまけに、主人公役の富岡涼くんは「亀顔」で、ガメラの友達としての映像的説得力が大きかった。『子ぎつねヘレン』の少年役の深澤嵐くんも立派な犬顔だったが、富岡涼くんの亀顔は、それ以上のインパクトである。また、演技もしっかりしており、大人の役者たちと比べても全然見劣りしない。堂々たる主人公であった。

 ところが、もう一人の主人公である、“トト”ことガメラがピリッとしない。
 ハッキリ言って、描写が非常に雑。
 小さい頃から飛んでしまうのは良いとしても、そこにリアリティがほとんど感じられない。一般的なリアリティはもちろん、ガメラの子供としてのリアリティも感じられない。
 ガメラの子供なら、手足を引っ込め(顔は出したままで良い)、そこからガスを噴射しなければダメだろう。実際の映像では、トトのお腹の甲羅部分から熱気流が発生していたように見えたが、透少年がその部分を触っても全然熱そうにしなかったので、まるで説得力が感じられなかった。
 何も食べていないのに、トトが突然大きくなる点も、また然り。
 この作品が、全編ファンタジー調のお話ならそれでも良いのだが、親子の日常などは生活感バリバリで現実味たっぷりに描かれている。この落差が、観ていて違和感を感じさせるのだ。

 ガメラのプロップの出来が今イチであるのも辛いところだ。
 怪獣サイズになってからも、敵怪獣ジーダスと着ぐるみのノリが違うし、ミニチュアの造り込みとの統一感もない。ガメラの着ぐるみが、特撮映像の中で浮いてしまっているのだ。
 可愛らしさを狙うこと自体は良いが、明らかにやり過ぎ。アングルによっては「中に人間が入っている」ことが丸出しになる着ぐるみのデザインも問題だ。ガメラは亀であるはずなのに、全然カメっぽくないのである。

 これは日本特撮の伝統的欠点でもあるのだが、人間ドラマのクオリティと、特撮のクオリティがバランスしていない。
 人間ドラマをシリアスに描くなら、特撮のクオリティもシリアスにしなければならないのに、それが実現できていない。
 人間ドラマがコミカルに描かれていれば、今回の作品の特撮のクオリティでもバランスが取れ、作品全体の統一感・完成度が向上しただろう。とにかく、この作品の人間ドラマの部分が、作品全体と比べて不釣合いに重いのである。政府や軍隊の描写の中途半端さは、この作品の歪みを象徴していたと言えるだろう。

 最初に、具体的な年代を出した時点で、この映画は失敗していたのかも知れない。
 「お父さんが、まだ子供だった頃…」とか、少しでも生々しさを消す語り口で描くべきだったと思う。
 そうやってファンタジー映画というコンセプトを貫いた造りにすれば、クライマックスの子供たちや大人たちの行動にも、素直に感情移入できたように思う。

 大人向けのVシネマみたいな演出は、ファンタジーの空気には溶け込めない。
 そんなアンバランスな、もったいない作品であった。

亀田興毅 VS カルロス・ファハルド

亀田興毅 VS カルロス・ファハルド

 前回の試合から17日しか間隔を空けていない大毅は、調整試合のようなものだと思えば良いわけだが、興毅の場合はそういうわけにもいかない。
 IBFのLフライ級5位の選手とフライ級の試合を組んだことに疑問を感じ、『ボクシング・マガジン』で他の団体のランキング調べたら、何とWBCのフライ級30位にカルロス・ファハルドの名前があるではないか(ランキングは3月付け)。
 興毅と前回対戦したカルロス・ボウチャンは、同ランキングの15位にランクされている。
 これではまるで、「前回、ボウチャンに“敗戦”した後の再起戦」である。
 実際、リングに上がったファハルドは上背こそあるものの、あらゆる面でボウチャンよりも劣っていた。
 興毅の周囲の人間は、本当に次の試合で彼を世界に挑戦させるつもりなのだろうか?

 興毅がロベルト・バスケスに勝てるとは、とても思えない。
 パーラが、王座を明け渡すつもりで日本に来るという予定でもあるのか?
 先日、日本人を相手に14度目の防衛を果たしたポンサクレックに興毅が挑戦するとなると、8月か9月になりそうだ。仮に日本で行うとしても、まだ暑い時期である。
 亀田陣営は、一体どんな秘策を携えているのだろう?

 興毅の世界挑戦は、話題優先の観が強い。
 しかし、ローカルタイトルないしマイナー団体のタイトルしか取ったことのない西島洋介が、「世界を取ったボクサー」と、あたかもメジャーな世界チャンピオンであったかのようにPRIDEで紹介されるよりは、はるかに日本のボクシングの為になっている。
 願わくば、フロックでも負傷判定でも良いから、WBCないしWBAのチャンピオンになって欲しいものである。

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』
  2006年(4月29日~)のDVDまたはビデオで観た映画:1本目
  映画を観た日:2006年4月30日(日)

 原作があり、何度か映画化されているそうだ。
 主演の一人であるラナ・ターナーが美人! モノクロ映画だからそう見えるのかも知れないが、初登場のシーンは衝撃的ですらあった。
 主人公を演じるジョン・ガーフィールドは美男子とは言えないが、逆に「どこにでもいるそこそこ格好良いアメリカ人男性」というリアリティがあり、風来坊という役にぴったりとハマッていた。

 物語はミステリーでもサスペンスでもないが、とにかく先が読めそうで読めないストーリーで観ている者を引っ張り続ける正統派の作り。
 古い作品ではあるが、俳優の良さ、ストーリーの良さ、ともに一見の価値がある。ラストシーンで、全てのストーリーが一人の人間の理性と感情の両面に結実するシーンは見事。ストーリー中心の映画が、最後の最後で人間ドラマとして帰結したのだ。
 ワンパターンのストーリー、あるいはケレンに走ったストーリーを映像の迫力で誤魔化そうとする、最近のハリウッド映画にはない素晴らしさがあった。
 お勧めの一作だ。

『アップタウン・ガールズ』

『アップタウン・ガールズ』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:4本目
  映画を観た日:2006年5月5日(金)

 “4本目”になっているのは、『ハウス・オブ・デッド』と『サッカー・ドッグ ヨーロッパ選手権』が駄作だったので、記事にしていないため。
 ダコタ・ファニング目当てで録画しておいたこの映画、普通に面白くて助かりました。駄作3連発ではストレスも溜まりますから。

 目当てのダコタ・ファニングは『宇宙戦争』と同じく金髪仕様で、私好みのセッティングではなかった。『ハイド・アンド・シーク』の時みたいなダコタが観たいなぁ。
 その代わり、多分初めて観る主演のブリタニー・マーフィが良かった。ルックスも雰囲気も“キレイ”にちょっと“ファニー”が入った感じで、河辺千恵子に似ている。ちなみに、

 エマ・ワトソンと、ベリ工(Berryz工房)の夏焼雅
 メグ・ライアンと、元モー娘。の中澤裕子

も似ていると思う。

 この映画は、大人のくせして精神年齢が子供であるバカ女と、子供のくせに大人ぶってるバカ娘という、正反対のようで実は似た者同士という二人の女性の交流を中心に描いた物語である。同じ女性で同じバカキャラではあるが、20代と8才という年齢の差と、バカの種類の違い(20代の方は買い物バカ、8才の方は潔癖バカ)で、明確にキャラが描き分けられている。
 また、20才の方は表面的にもダメな大人であるのに対し、8才の方は表面的には嫌味な優等生でもあることから、「子供みたいなダメな大人の女性」と「大人みたいな嫌味な小娘」という対比にもなっている。
 つまり、表面的には水と油のように反発するのだが、内面的には相性が良いというわけ。

 姉妹を連想するには歳が離れすぎており、親子を連想するほどには歳の開きがない年齢の設定が、「二人は友達」という関係をスムーズに作り出していたと思う。
 更に、色彩に関しても計算されていた。もともと二人とも金髪の白人女性であることに加え、仲が良くなってくると似た色合いの服を着るようになるのだ。

 他の要素も盛り込まれており、それも含めてラストシーンで一気にまとめようとした展開には無理があった。でも、「歌」が上手かったのでまぁいいかな、という感じである。ダコタにダンスのスキルがあったらもっと良かったのだが。

『リービング・ラスベガス』

『リービング・ラスベガス』
  2006年(4月29日~)のWOWOWで観た映画:1本目
  映画を観た日:2006年4月29日(土)

 ニコラス・ケイジが、第68回アカデミー賞の主演男優賞をこの作品で受賞している。
 しかし、彼がこの映画で特に良い演技をしているとは思えない。何故ニコラス・ケイジが過去の作品で主演男優賞を受賞せず、この作品で受賞したのかが分からない。
 去年の『ミリオンダラー・ベイビー』におけるアカデミー賞の主演女優賞と、全く同じ印象である。
 結論。アカデミー賞の主演○優賞は、全然アテにならない。少なくとも、私にとっては。

 そもそも、アカデミーの会員は約8割がカリフォルニア州在住者だったり、約2割が俳優だったりと、その構成に偏りが大きい。アメリカに限定しても、国全体の人口の8割がカリフォルニア州在住者だったり約2割が俳優だったりするわけがない。増してや私は日本人である。アカデミーの会員とは評価の基準、価値観が違うのだから、アテにならなくて当然なのだ。

 『リービング・ラスベガス』と『ミリオンダラー・ベイビー』を観る限り、アカデミー賞の主演○優賞だけを受賞している作品は、鑑賞リストから外した方が無難だという気がする。そういう意味では、今後もアカデミー賞を参考にしたい。

 ちなみにこの『リービング・ラスベガス』は、アル中のダメ男と娼婦の恋を描いた、暗い話。観終えて、即行でHDRから削除しました。

HDRが、いっぱいイッパイ!

HDRが、いっぱいイッパイ!

 約170時間録画できるHDR(Hard Disk Recorder)が、気付けば残り容量9時間になっていた。
 これはマズイ! このまま放っておいたら遠からず容量不足で録画できなくなってしまう!
 ディスクナビで録画目録を確認すると、最初のページは『夏のホラー大特集』がズラリと並んでいる。去年の7月、WOWOWで放映されたものだ。うわ、早く見ないと1年経ってしまう~。
 3ページ目からは、“2005年の世界柔道”が、ひしめいている。全部で20時間ぐらいありそうだ。そもそも、このHDRを購入したのは、「スカパーで放映される、2005年の世界柔道を全部録画したい」が目的だったのだから、当然と言えば当然である。

 しかし、この辺は後回しにして(なぜ後回しにするのか自分でも分からない)、先ずは溜まりまくった『ハロプロ』や歌番組をDVDにダビング(もちろんCMカットその他の編集を行う)することで整理。
 次に、これもダビング待ちで消せずにいたWOWOWの『エキサイトマッチ』を整理。
 編集で疲れたので、録画してある映画の中から、駄作っぽいものを寝転がって観る。
 『ハウス・オブ・デッド』…本当に、モロ駄作だった。
 『サッカー・ドッグ ヨーロッパ選手権』、サッカー後進国アメリカの映画だけあって、やっぱり駄作だった。

 両方ともサクッと消したら、いつの間にか残り容量が50時間になっていた。
 明日の夜は、ボクシングとPRIDEの放送がある。それまでに、あとどれくらい整理できるだろうか? (読まなきゃならん本も溜まっているというのに…)

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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。

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