2006-01

当ブログの今後の方針と目標(2006年)

当ブログの今後の方針と目標(2006年)

 『仮面ライダー響鬼』のTV放映が終了しました。このブログで『響鬼』関連の記事をいろいろ書いてきましたが、それも今日で原則として終了です。
 来週から始まる『仮面ライダーカブト』に関しては、もちろん視聴しますが、感想記事等は原則として書かないことにしました。その最大の理由は、ネタばれを防止するためです。
 私はTV番組(CM含む)以外の情報を一切遮断して作品を観ていたい のですが、ブログに感想記事をupしていると、ネタばれに遭遇する危険性がどうしても高くなります。TBやコメントをOFFにすればその危険を回避できますが、いかにも中途半端なので、いっそ無しにすることにしました。

 また、以前から日曜日を「読書の日」にしたいと思っていました。来週からは、『仮面ライダーカブト』をリアルタイム視聴したら即、読書に移るという生活パターンにします。
 面白かった本に関しては、ブログの記事にするつもりです。年12冊を記事にすることを目標にします。

 ボクシングに関しては、WOWOWの『Excite Mach』の観戦感想を中心とした記事を、隔週で書くことを目標にします。地上波で放映されるタイトルマッチ(WBA、WBC)も出来るだけ観戦し、感想記事を書きたいと思います(忘れっぽいので、HDRの自動録画機能が頼み)。
 正月休みとかもあるので、24記事/年を目標にします。

 ボクシングの観戦感想を書かない週は、テーマを決めて「コラムまたはエッセイ」を書けたらいいなと思っています。テーマは、「科学技術 → 格闘技 → 芸能 → 特撮 ( → その他)」というローテーションを予定しています。年3回を予定している『ハードゲイナー通信』は、この「コラムまたはエッセイ」に入れてしまいます。
 これも、24記事/年を目標にします。

 映画(劇場鑑賞)は年間24本以上の鑑賞を目標にし、例えどんな駄作であっても全てレビューすることにします。これだけは、今年もやり遂げたい。
 WOWOWで観る映画も年間24本以上の鑑賞を目標にし、24本以上のレビューを目標にします。これに関しては、観た全作品のレビューを目標に掲げません。たまにエロ映画とかも観てるし(爆)。

 12読書、24ボクシング、24コラム、24映画、24映画(WOWOW)、これらを足して108記事/年(9記事/月)。週末に2記事upするペース+αで、のんびりバリバリと(略して“のんバリ”と)ブログライフを楽しんでいこうと思います。

 そういうわけで、平成仮面ライダーの新規の記事は、ほとんどupされなくなります。また、自分から平成仮面ライダー関連の記事を読みに行くこともしなくなると思います。
 今まで『響鬼』の記事を読んで下さったり、コメントを書いて下さった皆さん、どうもありがとうございました。また、『響鬼』の記事をTBで知らせて下さった皆さん、どうもありがとうございました。
 おかげ様で、とても楽しかったです。方向性は少し変わりますが、私はこれからも楽しんでいくつもりです。
 皆さんのブログライフも、楽しいものでありますように。
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平成ライダーシリーズ考 ~『クウガ』から『響鬼』まで~

平成ライダーシリーズ考 ~『クウガ』から『響鬼』まで~

 1971年に放映が始まった『仮面ライダー』は、エポックメイキングな作品であった。
 TVの平均視聴率は21%を越え、娯楽の少なかった当時、ライダーブームは社会現象と見なされるほど広く認知されていた(私はライダーブームをリアルタイムで体験しており、ライダースナックが通学路のドブに捨てられていたのを実際にこの眼で見ている)。
 『仮面ライダー』は続編が作られ、シリーズ化が図られた。
 紆余曲折を経た後、2000年に『仮面ライダークウガ』が始まり、シリーズは再開。年号が平成に変わってから初めて開始されたライダーシリーズであるため、ファン(シリーズを継続して観ているファン)は、これを「平成ライダーシリーズ」と呼んでいる。
 本日、『響鬼』が終了した。これを契機に、平成ライダーシリーズを振り返ってみたい。
 『仮面ライダー』という名を冠せられた作品の特徴として

(1)人間が変身する等身大のヒーローで、変身後も普通に言葉を喋る。
(2)変身の際に特定のポーズをとり、「変身」等の発声を行なう。
(3)ベルトを装着し、それが変身を行なうための重要なアイテムである。
(4)キックが代表的な決め技である。
(5)決め技を放つ際に技名を叫ぶ(またはアナウンスが入る)。
(6)オートバイを運転する。
(7)敵も等身大の人間に準じた存在であり、言葉を喋る。
(8)ライダーは敵と同じ属性を持っている。または、同じ属性を持つようになっていく。
(9)仮面ライダーであることのマイナス面が描かれる。

などが挙げられる。
 もちろん、全てのライダー作品が上記の特徴を全て備えているわけではない。しかし、『仮面ライダー』という名を冠せられた作品である以上、その作品は「仮面ライダーらしさ」を一定以上備えている必要がある。それがシリーズものの大前提だ。

 私の考える『仮面ライダー』の最も重要な特徴(ライダーらしさ)は、ライダーも敵も「異形ではあるが人である」ということだ。『仮面ライダー』という物語は、「異形の人vs異形の人」の闘いの物語なのだ。
 『ウルトラマン』において、ウルトラマンと怪獣は全く別の存在として登場した。しかし、『仮面ライダー』において、仮面ライダーとショッカー怪人は基本的には同じ存在として登場した。仮面ライダーもショッカー怪人も、同じ組織によって作り出された「異形の人」なのである。
 しかし、同じ「異形の人」でも、仮面ライダーは飽くまでも「人間」である。
 ショッカー怪人は、「怪人」であって「人間」ではない。
 彼らは同じく「異形の人」でありながら、紙一重で「人間」の「こちら側」と「向こう側」に分かれている。
 この「“異形ではあるが人である”者同士の闘い」という点に注目して、「平成ライダーシリーズ」を振り返ってみよう。


         「異形の人」という観点での「平成ライダーシリーズ」


 『クウガ』

 クウガの変身は、体内に埋め込まれた(吸収された)ベルトによって、グロンギの能力を人間の肉体内に再現するというものであった。
 五代雄介は、体内に埋め込まれたベルトによって肉体内部が変貌、しかもそれが時間の経過と共に進行していく。そして、更には彼の精神にまで影響が及ぶ様子が描かれた。しかし、五代はあくまでも人間として、この「精神の外側」からの「人間では無いもの」を抑え込む。
 五代は、その体内がどんなにグロンギという「異形」のものに変わろうとも、最後まで「人間」であることを守り通したまま、戦い抜いた。


 『アギト』

 「すでに仮面ライダーである男」、「仮面ライダーになろうとする男」、「仮面ライダーになってしまった男」を最初から同時に登場させ、後半には「“仮面ライダーであること”を独占しようとする男」を加え、この4つのアプローチで、「仮面ライダーとは」という要素を描こうとした。
 意欲作ではあったが、「異形の人」という要素は意外に低く、不完全な変身に肉体が蝕まれるというギルスの設定も、単なる一設定として処理されたという印象である。
 一番仮面ライダーらしかったのは、「仮面ライダーという異形の存在になろうとした普通の人間」である、氷川誠だったのかも知れない。


 『龍騎』

 登場するライダーは多いが、主人公を除くと、基本的には「自分の欲望を達成するために、人殺しに参加する」ことを自らの意思で決めている。つまり彼らは、ヒーローとしてのライダーではなく、怪人としてのライダーということだ。『龍騎』は「全編が“偽ライダー編”の『仮面ライダー』」なのだ。
 「人が人であること」とは、正義とか友情とか愛とか色々あるが、「人は、人を殺してはならない」というのが大前提である。人を殺せば殺人鬼、人殺しは人ではない。
「てめぇら人間じゃねぇ! 叩ッ斬ってやる!」
という時代劇の決め台詞があったが、「悪人は人にあらず」、だから斬っても良いと断言しているわけだ。
 彼らは五代のように「精神の外側」から「人間でないもの」になりそうになるのではなく、「精神の内側」から、「人間でないもの」に既になってしまっている。自ら「怪人」になって戦いを始めている。これは、「脳改造をされてしまったライダーはショッカー怪人に他ならない」というライダーの基本設定をなぞったものである。だから『龍騎』は、『仮面ライダー』の偽ライダー編と状況的には同じなのだ。

 『龍騎』に関して、「カードデッキを持っていれば誰でも仮面ライダーに変身できる」と評するのは、表面的にしか正しくない。作品のコンセプトとしては「自分の欲望のためには自分の手で人を殺す」という「怪人の心」を持つ人間しか、ライダーにはなれないのである。つまり、「怪人がライダーに変身している」のだ。また、戦う力を得るために「モンスターと契約する」という行為は、「自分の命を悪魔に売り渡す」という行為に部分的に通じるところがある。

 人間の仮面を被った怪人たちが、マスクを被ることで本性を露にし、最後の一人になるまで互に殺し合う。そして、偶然からライダーの戦いに巻き込まれた城戸真司だけが、自分の欲望のためではなく、己の正義感から、ライダーとして戦い続けようとする。
 素のままでも「異形の人」である者が変身した「ライダー型怪人」のバトルロイヤルの中で、「異形の人」ではない城戸が変身した龍騎だけが「仮面ライダー」だったのだ。「異形の人vs異形の人」であるバトルの中で、龍騎の戦いだけが、「普通の人間vs異形の人」であった。
 城戸が命を落とした際、その致命傷となった怪我を、ライダーからでも人間からでもなく、モンスターから受けたことは、彼が最後まで「異形の人」ではなく「一般市民=普通の人間」であったことを象徴している。そんな城戸の姿は、前作で「普通の人間でありながら、ライダーになろうとしてもがき苦しんだ」氷川の姿と重なる部分があった。


 『555』

 人間側と怪人側のドラマを、五分五分どころか怪人寄りに描いた野心作。主な登場人物はほとんどが怪人または潜在的怪人であり、普通の人間は菊池啓太郎ぐらいしかないという徹底振り。
 想像できたこととは言え、主人公が怪人に変身してしまったシーンは、それなりに衝撃的だった。
 前作では「暗喩的な怪人」がライダーに変身することで「ライダー=異形の人」というイメージを醸し出していたが、この作品ではオルフェノクという「直喩的な怪人」がライダーに変身する。
 ライダーに変身する者が実際に怪人であるため、変身ベルトが日用品同様の完全な外付けアイテムになっている点が特徴。前作のVバックルが、鏡の世界から召還する非現実的なアイテムだったこととは対照的である。
 また、前作では「ライダー vs 怪人」が実は「普通の人間vs異形の人」だったこと対し、この作品では、飽くまでも「異形の人vs異形の人」である。この点も対照的だ。


 『剣』

 ジョーカーの能力を限定的に再現する「ライダーシステム」により、人間がアンデッドの力を引き出して戦う。ライダースーツという戦闘強化服に身を包むことで、人間が怪人と同等の存在になるというわけだ。
 ただし、ライダーに変身できるのは、カテゴリーAのアンデッドと適合できる者のみ。「アンデッドとの融合係数」という要素が、物語の早い段階から最終段階に至るまで一貫して使われており、ライダーへの変身が単なる強化服の装着ではないことが、とても良く描かれていた。
 ライダーに変身する者は、人間ではあるが、「普通の人」よりも「異形の人」に近い存在。より「異形」に近い存在ゆえ、「異形の姿」を纏うことが出来るというのは、自然で分かりやすい。ライダーは、変身/変身解除によって「異形の属性」と「人間の属性」を自由に行き来できる、「境界の住人」なのだ。

 戦いの中で強くなるに従い、どんどんアンデッドとの融合を高めていく主人公・剣崎一真。
 彼は最終回にて、人類全てと「人間ではない一人の友」を救うため、自らの意思で遂にアンデッドとなる。可逆的だった変身が、非可逆的な変身となってしまったのだ。ライダーとしての変身の象徴であるバックルを外した箇所に、なおも存在するジョーカーのバックルは、彼が二度と人間には戻れなくなったことを無言かつ強烈に示していた。

 人間からアンデッド側へと移った剣崎と入れ替わりに、アンデッドであるジョーカーは人間・相川始として生き続ける道を与えられる。しかし、始がアンデッドであり、年を取らない不死の存在であることは変えようがない。
 アンデッドという「異形の人」のまま、「人間」として生き続ける道を得た始。
 アンデッドという「異形の人」に変わり果てようとも、心だけは「人間」で有り続けた剣崎。否、「人間」の心を持ち続けたが故、アンデッドという「異形の人」に変わり果てる道を選んだ剣崎。
 なんとも哀しいハッピーエンドである。


 『響鬼』

 鬼=異形の人というイメージはあるが、実はこの作品の鬼は極めて普通の人に近い。
 自分の肉体を変貌させて鬼に変身するとはいえ、それによる副作用は特に無い。
 鍛えているとは言っても、内容は「一昔前のスポーツ選手のトレーニング」と本質的には同じ。
 鬼として戦うということも、会社のように組織化された中で、害獣駆除の現場作業を担当するということに過ぎない。軍・警察・消防・建築土木その他の危険な職種に勤務する「普通の人間」と、基本的には同じなのだ。
 例え鬼であっても、自分の意思で鬼を辞めることも出来るし、組織を離れることも出来る。現役中も引退後も「普通の人間」として何不自由なく暮らしていけるし、鬼から別の全く別の職に転職したとしても同様である。

 鬼が「異形の人」として描かれていないのは、鬼の敵である魔化魍が「異形の人」ではないからである。人の姿をした童子と姫も基本的には1回限りのキャラクターであり、実際には人と言うより消耗品に近い。自意識に目覚め、「異形の人」となった超童子と超姫が物語の中で行き場を失い、二人きりで自壊せざるを得なかったのは象徴的である。
 「異形の人」云々以前の問題として、この作品は、敵味方の対比のドラマという要素が基本的に欠落していた。
 例外は、シュキとザンキ。この二人だけは、「異形の人」であった。超童子と超姫同様、やはり二人とも最終話を待たずして死亡している。
 『響鬼』という作品は、仮面ライダーシリーズでありながら、「異形の人」の存在を許さないような世界観を有していたのかも知れない。


       戦いにおける「攻防」、「カッコ良さ」、「強さの序列」

 “仮面ライダー”という物語は、「異形の人vs異形の人」の闘いの物語だと書いた。
  物語である以上、そこにドラマが発生するのは当然であるが、単なる人間ドラマは“仮面ライダー”の潤滑油に過ぎない。“仮面ライダー”は、飽くまでも「闘いの物語」であり、闘いと闘いが織り成すドラマが核なのだ。
 闘いとは、即ち「攻防(攻守)」である。そこに求められるのは、超人技としてのヒーローアクションであり、「カッコ良さ」であり、「強さ」である。
 凡人にはとても太刀打ちできない強さを持つ「悪の超人」が我々をおびやかし、それを上回る強さを持った「正義の超人」が我々を守って戦う。その強さには理由がある。勝利にも敗北にも、理由が存在しなければならない。我々は架空の世界に、より強い敵の出現を求め、ヒーローには更に強くあることを求め続けるのだ。
 そして、その闘いには、物語全体を貫く「テーマ」が内包されていなければならない。
 「平成ライダーシリーズ」で描かれた「闘い」には、どんな特徴があったのだろうか。


 『クウガ』

 物語を貫く「闘いのテーマ」は、グロンギが仕掛ける「ゲーム」であった。
 そのスタイルは、先ず下位の敵キャラが現れ、段階的に上位の敵キャラが登場し、最後にボスキャラが出てくるという古典的なもの。古典的ではあるが分かりやすく、敵がだんだん強くなっていくという展開は見るものを惹きつけた。
 クウガのアクションの特徴は、スムーズなフォームチェンジである。相手の特性に応じて自分の変身形態を一瞬にして変えることが、戦いにおける攻防の基本そのものでもあった。スピードに優れたフォームはパワーが劣るという描写が明確になされたことは、特筆に価する。披露したフォームも、白・赤・青・緑・紫・金の赤・金の青・金の緑・金の紫・黒・究極の黒など、実に多彩であった。

 クウガのカッコ良さは、まるで一人のライダーに昭和ライダーの全ての魅力を詰め込んだようなフォームの多様さに拠る部分が大きい。裏を返すと、アクションそのものには、突出した一つのカッコ良さはない。バイクアクションも頑張ってはいたが、所詮人間技の域を出ていなかった(超人技の域に達していなかった)。
 警察という組織のバックアップはあったものの、クウガはたった一人で最期まで戦い抜いた。クウガのカッコ良さの真骨頂は、この「たった一人で戦い抜くことのカッコ良さ」にある。ライダーが独りである以上、その強さは相対化されない。クウガの強さが、ライダーの強さであった。


 『アギト』

 「正統系」、「メカ系」、「生物系」の3人のライダーが最初から登場、後半には「リアル系」を加え、合計4種類の仮面ライダーが活躍した。この作品もまた、一つの作品に昭和ライダーの全ての魅力を詰め込もうとしたと言える。
 ただし、主役の「正統系」ライダーに関しては、そのコンセプトが前作を引き継いだものであるため、二番煎じの印象を拭えなかった。視聴率の高さとは裏腹に玩具の売り上げが前作を大きく下回ったことは、このことが最大の原因だろう。

 アギトのアクションの特徴は、「普通の人間が変身する仮面ライダー」であるG3を、やられ役として使ったことである。これは、ライダーが一人しか登場しない前作には出来なかった演出である。
 アンノウン出現を受けて、まずはG3が登場。善戦空しくG3がボコボコにやられたところで、アギトが颯爽と登場。苦戦はするものの、BGMが切り替わると同時に怒涛の反撃を開始し、一気にフィニッシュに持っていく。この王道パターンは、何度見てもカッコ良かった。

 多彩なフォームチェンジでパワーアップしていくのは主役のアギトだけであり、最強のライダーが彼であることが明確であったことも評価できる。登場当初は強かったアナザーアギトが、パワーアップしたギルスに一敗地にまみれるところも、強さの序列を明確に表現していた。

 この作品では、あかつき号の謎解きが、アギトやアンノウンの謎解きとリンクしていた。『アギト』は「戦いの物語」である以前に「謎解きの物語」でもあったのだ。あるいは、『アギト』は「謎」と戦う物語だったのかも知れない。


 『龍騎』

 「攻防」に関しては、最も良く描けていた作品である。
 前作との差別化の必要性から、フォームチェンジを最小限に抑えた代わりに、仮面ライダーの技を多様化させている。その多様さも、ただ闇雲に多いのではない。「ソードベント」、「ガードベント」、「ストライクベント」などの共通の性質を持つ技(基本技)と、「フリーズベント」などの各ライダー独自の技(特殊技)が組み合わされており、技の体系が構成されていた。体系化されていれば、技の数が多くても分かりやすいし、面白い。

 従来のライダーキックに相当するフィニッシュ技であるファイナルベントは、自らのシンボル(厳密にはモンスターのシンボル)が描かれたカードを使った、文字通りの切り札である。このファイナルベントも、ライダーごとの多様さが描かれていた。
 ファイナルベントの基本構造は、技のベースとなるパワーの部分をモンスターが受け持ち、技のテクニックの部分をライダーが担当するというものだ(ゾルダに至っては「狙いを定めて引き金を引く」という、純粋に技術のみの部分しか担当していない)。ファイナルベントは「力と技」という仮面ライダーの定番を受け継ぎながらも、新しい表現方法を確立した、モダンスタイルの“必殺技”と言えるだろう。

 カードを使うことで、戦いにメリハリと説得力が生まれていた。
 ベルトからカードを取り出す(動作・効果音)→カードの絵柄が一瞬見える(映像からイベントを予測)→召還機にセット(動作・効果音・音声ガイダンス)という一連の流れは、これから繰り出す技の予告(予測)シーケンスとして滑らかに機能し、ヒーローの所作として実に良くハマッていた。これがアクションに組み込まれることで、小気味良いメリハリを生んでいた。
 そして、相手が「シュートベント」を使ったら、自分は「ガードベント」でそれを防ぐという攻防。単純であるが、これこそが基本であり、重要である。いくら技が豊富であっても、互にただ技を出しっ放しにしていたのでは、そこに攻防はなく、戦いの面白さは見出せない。戦いの中で「相手がこう攻めてきたら、自分はこう切り返す」、「相手にこう切り返されたら、自分はこう受ける」といった攻防が展開されるからこそ面白く、説得力があるのだ。

 多数のライダーが存在する以上、その強さの序列が注目される。この作品の答えは「それは、戦い方によって変わる」というものだった。
 タイガの強さの変化が、その典型である。「フリーズベント」という特殊技を持つタイガは、相手のファイナルベントを封じた直後に、自らのファイナルベントを発動させるというパターンで、王蛇とゾルダとの初戦に勝利した。しかし、王蛇との再戦では、フリーズベントを使った直後に2体目のモンスターを召還されるという展開に持ち込まれて敗退。ゾルダとの再戦では、フリーズベントを使う展開に持ち込むことが出来ずに敗退。
 王蛇もゾルダも、初戦はタイガの勝ちパターンに嵌められてしまったことで敗退し、再戦はその勝ちパターンを崩したから勝利したのだ。このように「作戦」レベルの「攻防」が描かれていたことも、この作品の魅力であった。

 『龍騎』は、『クウガ』以上に最初から物語の終わり方が明確に提示されていた。闘いのテーマは、「13人のライダーバトルによって、誰が最後の一人として生き残るのか?」である。これは「グランドホテル形式のサバイバル物語」であり、基本的には災害映画の王道パターンだ。
 「誰が一番強いのか?」ということが、必ずしも「誰が最期まで生き残るのか?」とイコールではない。この部分におけるシンプルな爽快感の欠如が、この作品の構造的欠点でもあり、独特の味わいでもあった。


 『555』

 前作に引き続き、ライダーの必殺技の“新しい表現”を観ることが出来た。
 ライダーキックを放つ際、脚に装着したアイテムから錐状の衝撃波を思わせる光が先んじて生成され、ライダーはその衝撃錐と一体となってキックを決める(衝撃錐を蹴り込んで突入する)というものだ。この「クリムゾンスマッシュ」は、必殺技を、
“技に付加価値を与えるハードウェア”
“技の付加価値を起動させるソフトウェア”
“技の主たる効果が、技そのものに先行して発現する”という視覚効果
の3つに因数分解して表現したものである。これは、『龍騎』のパターン(ハードウェア→召還機 ソフトウェア→カードの絵柄 技に先行する効果→音声ガイダンス)の発展形とも言える。
 身体に走る光のラインというデザインも含め、視覚的なカッコ良さでは平成ライダーシリーズでも最高レベルにある。

 「カウンターのボディブロー」が決め技であったり、相手の自由を奪ってから決め技を見舞うなど、どどめの一撃には説得力のあるものが多かった。ただし、技の攻防ということに関しては、『龍騎』のように印象に残ったものがない。
 「人間と怪人の共存」が闘いのテーマであったように思えたが、「オルフェノクの王」の話が出てきたことによって焦点がぼやけてしまった感がある。もっとも、一貫して描かれ続けた「ベルトの争奪戦」こそが、この闘いの本当のテーマであったのだろう。


 『剣』

 『龍騎』のカードバトルを基本的には踏襲した上で、『555』の「アイテム(カード)の争奪・収集」という要素も加え、複数のカードを同時に使うことによる「コンボ」も取り入れた意欲的な作品。
 しかし、直感的な「分かりやすさ」に欠け、更には「攻防」が不足してため、魅力的な戦いを描けなかった。

 最大の問題は、カードを使った際の絵的な説得力の不足である。『龍騎』に比べてライダー一人当たりのカードの数が多い上、カードの効果が「アイテムの召還」といった即物的なものではなく「効果の発生」といった抽象的なものとなっている。このため、相応の配慮が必要だったのだが、それが充分ではなかった。
 ギャレンを例に取ると、カード無しの射撃、「バレット」の単独使用、 2枚コンボの「バレット」+「ファイア」、3枚コンボの「バレット」+「ファイア」+「ラピッド」に、明確な「技としての差」・「威力の差」が感じられない。
 本来なら、「バレット」を使ったら銃弾が砲弾になったような絵、「ファイア」を使ったら焔に包まれたミサイルのような絵、「ラピッド」を使ったら間断なく無限に撃ち続けるような絵といったような、「パッと見で明らかに分かる」絵的な違いを描写するべきだった。
 良かった例としては、2枚コンボの「ドロップ」+「ファイア」から3枚コンボの「ドロップ」+「ファイア」+「ジェミニ」のグレードアップぐらいしか思い浮かばない。キングフォームの5枚コンボなどは、どれも絵的には同じ印象で、技の差別化が全くと言って良いほど感じられなかった。

 カードを使うことで、ライダー自身ではなく、「技」そのものが戦ってくれている(自分の代わりにカードに戦ってもらっている)ような印象があったのも問題だった。技はただ「出す」だけではなく、意思を以って「駆使」することが重要なのだ。「異形の人vs異形の人」の闘いとは、「人の意思」による「人の力」を超えた闘い、全面的・全人格的な戦闘でなければならない。

 新機軸であるコンボを重要視するあまり、「シュートベント」という攻撃を「ガードベント」で防御するといった、基本的な攻防がおろそかになっていた。コンボで単に「技」を組み合わせているだけでは、盲目的な技の羅列でしかない。
 相手の出方によって自分の出す技を変える、コンボの組み方を臨機応援に変化させる。あるいは、決め技のコンボを犠牲にしてでも、必要に迫られればカードの使い方を変える。そうした演出が、ほとんど見られなかった。
 「ジェミニ」による分身を、攻撃ではなく防御に使うとか、相手の煙幕を「スコープ」で透視するとか、「チョップ」+「トルネード」と「ビート」+「サンダー」が相打ちになるとか、見せ方は幾らでもあった筈である。

 また、4人のライダーの強さの序列が曖昧であったことも、闘いの魅力を減じていた。
 最強のライダーとして登場したレンゲルの異様なまでの弱体化や、最強のアンデッドである筈のカリス(ノーマル状態)の強さが不明確であったりしたことは、戦いにおける重要な価値である「強さ」を曖昧にしてしまった。

 闘いのテーマは「全てのアンデッドを封印することによって人類を守る」と、「ジョーカーの封印を回避することにより、友となった始を救済する」という、相反する二本立て。この組み合わせは、シンプルながらも完成度は高く、闘いが物語を牽引するというスタイルを貫くことを可能とした。


 『響鬼』

 平成ライダーシリーズの中で、「闘い」に関しては最低の出来である。詳細は、『仮面ライダー響鬼』は失敗作である(駄作ではない) に書いたので、ここでは繰り返さない。
 付け加えるならば、鬼に関して当初は存在した「専門に分業化された戦いの職人」というイメージが、夏の魔化魍の件で覆されてしまったことは残念だった。以降、管の使い手である威吹鬼が、身体はほぼヤマアラシであるナナシを音撃できてしまうなど、なし崩しに鬼の個性の希薄化が進んでいった。

 闘いのテーマも不明確だった。敵の目的は分からないし、ライダー側が敵をどこまで知っているのかも伝わってこない。戦いが最終的にどう決着するのかという見通しが、作品終盤まで見えてこない。
 これらは一概に欠点とは言えない(視聴者に結末を予想させない)けれども、長所には映らなかったというのが正直な印象である。


                  仮面ライダーの属性

 『仮面ライダー』のライダーは、ショッカーによって改造人間にされてしまい、普通の人間ではなくなってしまった悲哀を抱えていた。ヒーローになったことによる直接的な影の部分が描かれている点は、仮面ライダーを他の特撮変身ヒーローと差別化している一つの要素であると思う。
 また、多くの石ノ森作品ヒーローの特徴でもある、「ヒーローが悪側と同じ属性を持つ」という要素は、仮面ライダーにも取り入れられている。
 この二つに関しても、「平成ライダーシリーズ」を簡単に振り返っておこう。

 『クウガ』では、実質的には「進行性の改造人間」であり、むしろ昭和ライダーより悲惨である。その属性も、グロンギと同質であった。

 『アギト』では、その力を持つものがアンノウンから抹殺・根絶やしの対象にされた。本質はアンノウンに対抗するための存在であるが、普通の人類から見ればからアギトとアンノウンは「超常なるもの」という意味で同属である。

 『龍騎』では、ライダーはモンスターと契約することで、モンスターと同じ属性を持つことになる。騎士風デザインのイメージが強いが、属性的には「半人半獣」である(変身している者自身の人間としての属性に変化は無いが、殺人を前提にしてライダーになった者は悪魔と契約したも同然である)。一度ライダーになった者は最後の一人になるまで殺し合わなければならず、離脱すれば契約したモンスターの餌食となる。

 『555』では、オルフェノクまたはその刻印を持つ者しかライダーに変身できない。カイザの場合はそれに加え、充分に適合できない者は変身解除後に即死に近い死を迎えるという最悪のリスクを伴う。デルタの場合は、充分に適合できない者は覚醒剤中毒者のような状態に至る。

 『剣』では、人工的・限定的にアンデッドの属性を再現したものがライダーである。ライダーの能力を高めることは、よりアンデッドの属性に近づくことであり、剣崎は自らを犠牲にしてこれを逆に利用することで世界を救った。また、ライダーに変身している者が恐怖を抱いた場合、その肉体は蝕まれてしまう。

 『響鬼』では、鬼になることのデメリットは存在しない。属性の面でも、基本的には敵とは別物である。僅かに、式神(DA)を使役する術に、敵側と共通する部分があるように思える程度。例外は、シュキとザンキであるが、これも程度の差といったところ。


                「平成ライダーシリーズ」の光と影


 TVシリーズの連続期間という部分では、「平成ライダーシリーズ」は既に「昭和ライダーシリーズ」を越えている。これ自体は立派なことだし、めでたい事である。
 しかし、『クウガ』の不幸は、やはり仮面ライダーシリーズの1作として作られてしまったことであろう。
 もし、『クウガ』が仮面ライダーではない全く新しい変身ヒーローとして世に問う形を採っていたとしたら、『ガンダム』のようなエポックメイキングな作品になっていた可能性も否定できない。作品性だけに着目すれば、8才以下の児童や未就学児だけではなく、中学生やそれ以上の層もまた、視聴者の核を構成していた余地はあったと思う(実際に放送された『クウガ』そのままの内容では困難であるが、最初からそうした狙いで創られていたとしたら…)。
 『牙狼』のような深夜枠なら、再放送で人気が出るという『ガンダム』のパターンを再現できたかも知れない。

 特撮作品における『ガンダム』と呼べる作品は、今のところ存在していない。
 そして、仮面ライダーシリーズが『スーパーヒーロータイム』という枠で放映されている間は、中学生やそれ以上の層が視聴者のマジョリティになる可能性は、限りなくゼロに近い。
 
 子供番組として生まれた『仮面ライダー』のシリーズ作品が、現在も子供番組として創り続けられることに、異を唱える必要など何処にも無い。
 それでも、大人になったかつての子供は、『仮面ライダー』の系譜を継ぐ作品が、今の自分に相応な仕様で世に出ることを望んでしまうものなのだ。

『仮面ライダー響鬼』の最終的な総括 …「異色作」を越えて「失敗作」に成ることが出来た僥倖な作品だったのかも

        『仮面ライダー響鬼』の最終的な総括
「異色作」を越えて「失敗作」に成ることが出来た僥倖な作品だったのかも

 私はオッサンであるが、子供向け番組が全体的に好きだし、1作目の『仮面ライダー』直撃世代なので、仮面ライダーと冠されたヒーロー作品は、とりあえずチェックしたくなる。
 平成ライダーシリーズは『クウガ』からずっと観続けていたので、その流れで『響鬼』も第1話から観た。ヒーロー作品としては余り面白くなかったのだが、始めたばかりのブログに感想を連載していたこともあって、観続けた。

 【三十之巻の感想 】で、
「今回は、『響鬼』っぽくない印象で、むしろ『アギト』のようだった。これがいわゆる「番組の製作方針変更」とか、「スポンサーからのテコ入れ」だったら嫌だなぁ。」
と書いた。後で知ったが、この回から本当に製作体制が新しくなっていた。

 【三十一之巻の感想】を書いて、自分が何故、ヒーロー作品としては余り面白くなかった『響鬼』を観続けていたかのか、その理由が分かった。
 役者の演技が「高め安定」であることと、「魔化魍を退治する際のシーケンス」が好きあることが、最大の理由であった。
 新キャラ・桐矢京介の登場に抵抗を感じたのは、役者の演技力(台詞)の未熟さと、「明日夢、モッチー、あきらの友情物語」という高校生ドラマの進展が乱されることへの苛立ちからであった。
 この時点の私にとって、『響鬼』のテーマである(らしい)「ヒビキと明日夢の師弟物語」など、全く取るに足らない、どうでも良いことだったのだ。
 私にとって『響鬼』のドラマとは「明日夢、モッチー、あきらの友情物語」であり、ヒーロー作品としての魅力はヒーローそのものではなく、「ヒーローが登場するまでのシーケンス」という形式にあったのだ。(いずれも総体論であり、少数の例外はある)

 『響鬼』に関する違和感を明文化するため、ちょっと調べてみたら驚いた。
 バンダイの『お子さまの好きなキャラクターは何ですか?』の人気ランキング(男子総合)で、『響鬼』が平成ライダーとして初めてベスト10落ちしてしまっていた。それだけではない。
 『剣』の人気ランキングは過去のライダー作品よりも上であるのに、 『響鬼』は過去のライダー作品よりも低くランキングされてしまったのだ。現役のライダーが過去のライダー作品よりも人気が劣っているという事態は、おそらく前代未聞だろう。バンダイの担当者の顔が引きつったことは想像に難くない。

 29話でプロデューサーが交代した理由は明らかになっていないようだが、少なくとも健康上の理由等で自ら降板したとか、他の番組編成等が絡んだ人事異動でないのなら、仕事内容に問題があったということになる。
 30話以降の『響鬼』を観ると、予算やスケジュールを切り詰めて製作されていることが普通に伝わってくるので、やはり前プロデューサーは予算やスケジュールを「許容できないレベルで」超過したことによって降ろされたと考えるべきだろう。

 いずれにせよ、「前プロデューサーのやり方ではダメ」ということで呼ばれた新プロデューサーが、前プロデューサーの撒いた問題点を除去しなければならないのは当然である。一部の設定がリセットされ、後付けの設定が導入され、新キャラが登場した。
 さすがに暫くは違和感を引きずっていたが、そのうち私も新しい作風に馴染んできた。
 44話の時点で、29話までの『響鬼』と30話からの『響鬼』を採点比較してみたら 30話以降の方が明らかに高い評価が出たのには自分でもビックリした。

 そんな私でも、終盤のバタバタした展開には疑問を感じた。
 しかし、視聴率における『剣』の落ち込みと『響鬼』の踏ん張りを比較すると、『響鬼』終盤の選択は正しかった と結論せざるを得ない。
 『響鬼』を1話から完全にリセット(『響鬼』自身の完全新生!)することが出来るなら、こんな展開も有り得た かも知れないが、30話からのリセットでは、時間的な制限もあって、選択肢は少なかったということだろう。少なくとも、『龍騎』や『剣』と同じ局面になってしまった以上、見た目を違ったものに仕上げる必要があったことは理解できる。

 玩具が『剣』よりも売れておらず(平成シリーズ最悪の成績)、予算や納期の問題からプロデューサーを更迭しなければならないような状況にあったのなら、『響鬼』は29話で番組打ち切りにするべきだったと今でも思う。しかしその場合、『響鬼』は単なる「異色作」という印象だけを残し、私の記憶からは早々に消えていったような気がする。
 何しろ、25話(カッパの回)から28話までは、本当に内容が薄くて印象に残らない話(もっと端的に言うと、あってもなくてもどうでもいいような話)が続いていたのだ。今思えば「ぬるま湯に浸かったような」展開だった。
 30話以降、新しいプロデューサーが『響鬼』を手掛けたからこそ、それまで/そこからの『響鬼』の問題点が鮮明に浮き彫りにされ、作品を再評価する動きが起こったことは間違いない。あれがなかったら、『響鬼』は「気付いたら、何となく終わっていた」作品に過ぎなかったのかも知れない。
 プロデューサーが途中で変わったことによって、『響鬼』は「何となく物足りない異色作」から、「印象に残る失敗作」に成り上がった。そう私は思う。

 何度も書いてきたことだが、『仮面ライダー響鬼』は子供向け番組である。
 「5歳児がエロビデオを観て、その内容に関して文句を垂れる」ことは、例え法律がそれを許していたとしても、筋違いである。
 「中学生以上がスーパーヒーロータイムを観て、その内容(主に娯楽性)に関して文句を垂れる」ことも、同様に筋違いである。(親が自分の子供に対して監督義務を課せられている件に関しては割愛)
 思えば私も自分のブログ内であるとは言え、随分筋違いなことを書いてきた。私は「DX音撃棒セット」を始め様々な番組玩具を購入してはいるものの、作品から対象外とされている層に属する者であることに変わりはない。

 それでも、主力商品を買いもせずに、文句だけ言っていた人に比べれば、まだマシである。
 特撮番組のスポンサーになろうとしている企業の人間が読んだら、
「特撮番組には、こんな非常識な、クレーマーになりそうな、アブナイ視聴者がいるのか」
と思われる文章は書かなかったという自負もある。
 不必要ではあるが、有害ではない。今後も、この自分の在り方を守っていきたい。
 1年間『響鬼』を観続けて、そう強く思った。

『仮面ライダー響鬼』 最終之巻

『仮面ライダー響鬼』 最終之巻

【 観る前に思ったこと 】

 30話から登場した「3人目の主人公」である、桐矢京介。
 イケメン・悪役・主人公のライバル…という絵に描いたようなテコ入れキャラであり、演じる中村さんの未熟さもあって登場当初は強い拒否反応が出たことを憶えている。もっとも、ずっと既存のキャラクターに馴染んできた視聴者が、悪役の新キャラにいきなり感情移入することは難しい。拒否反応が出て当然である。そもそもヒールは、お客さんを怒らせてナンボなのだ。

 もちろん、桐矢京介はただ視聴者を怒らせるだけのキャラではない。
29話までの、「大した進歩を見せない明日夢と、大した進展を見せない師弟関係」といった、ぬるま湯に浸かったような師弟話をリセットさせ、新しい師弟話をスタートさせた。桐矢京介は「始めてくれた君」だったのだ。
30話から47話までの『響鬼』は、「桐矢京介が鬼になろうとする話」であるとも言える。
29話までの『響鬼』は、何だったのだろう? あえて言うなら、「安達明日夢が鬼になろうとしない話」である。
『響鬼』という止まりそうな物語を回し続けた京介は、「3人目の主人公」と呼ぶに相応しいキャラクターだ。

その京介が前回、明日夢に向かって、こう叫んだ。
「裏切りやがって!」
 誰かに裏切られる為には、その人を信じていなければならない。京介は、明日夢を信じていたのだ。
 明日夢も、京介を信じていたのではないだろうか? 裏切り者呼ばわりされたことで、明日夢もまた、京介に裏切られた思いがしたのではないか?
 互いに胸倉を掴んで睨み合っていた二人だが、時間をおいた後に彼らのその胸中に残っていた思いは、怒りや憎しみではなく、悲しみだったのではないだろうか。

45話で、明日夢が京介につっかかっていって、取っ組み合いのケンカになった。私は当初これを「明日夢の進歩」と感じたが、それだけではないと今は思える。明日夢は、鍛えたことで自信がついたとか度胸がついたとか、そういうことだけで京介にケンカを仕掛けたのではない。明日夢は、京介を仲間だと思っているから、殴れたのだ。
きっと今でも、明日夢は赤の他人を殴れない。ヒビキの弟子同士、同門の仲間だからこそ、明日夢は京介を殴ることが出来たのだ。

京介と明日夢は、一貫してライバルあるいは凸凹コンビとして描かれており、二人の間の友情に関しては、ほとんど描かれてこなかった。しかし、45話でケンカの後に語り合ったような類の話を、修行の日々に繰り返していたことは想像に難くない。
一緒に修行を続けるうちに芽生えた「コイツなら俺の考えを分かってくれるんじゃないか」という漠然とした信頼関係と仲間意識。友情と呼ぶほどに一つに融合した感情ではなかったかも知れないが、二人ともある程度お互いを認め合っていたことは間違いない。
「裏切られた」という想いの裏側には、そういったものが積み重なっていた筈なのだ。

 前回で、塵と化して消えてしまった超童子と超姫。
彼らは当初、自我を持たない「子供」として登場した。彼らがずっと「子供」のままでいたのなら、少なくともあのような最期を迎えることはなかった。
 人間なら、子供であっても自我はある。生まれた頃の超童子と超姫は子供ですらなく、過去の童子と姫と同じ「道具」でしかなかった。
 超童子と超姫は、自我を持ったことで「道具」ではなく「人」になってしまったのだ。明日夢と同じように、自らの在り方に悩む「人」に。
 明日夢と彼らはどちらも「人」であったが、両者には「残り時間」の差があった。同じ「人」であっても、明日夢はまだ「少年」であり、超童子と超姫は既に「大人」だったのだ。
 若い明日夢には、時間がある。悩んでいられる時間の余裕がある。既に「大人」になってしまっていた超童子と超姫に、残されていた時間は僅かだった。

 我々「大人」にも、残されている時間は長くはない。塵と化す前に、答えを見つけたいものである。

 次回は最終回。京介は鬼になっている? 明日夢とのダブル変身は見られるのか?
 モッチー、囚われの身? 新型の姫にされてしまうのか?
 最終回で新型CG魔化魍を出せるような予算があるのなら、関東11鬼を一人でも多く並べて見せてくれ!

【最終之巻の感想 】

 「僕の中で何かが変わってきた」とは、「僕という人間が変わった」ということである。これは、どういう状態を指すのか。
 「口先だけの奴」という言い方はしても、「行動だけの奴」という言い方はしない。「発言」が変わっただけで、「行動」が変わらなければ、本当にその人間が変わったとは感じられないだろう。

 ここで思い出されるのはザンキのことである。
 ザンキは、ヒーロー側のキャラクターにしては珍しく、言動に矛盾がある人物だった。それがマイナスではなく、むしろリアリティを生むというプラス方向に働いていた。それは、我々の日常でも、言ってることとやってることが違うことはしばしば見られるからである。朝令暮改という言葉があるように、人間は世の中の情勢の変化によって、過去から見た場合には矛盾した言動を余儀なくされることもある。
 重要な点は、「言動」に矛盾があっても良いが、「行動」に矛盾があってはならないということだ。
 「発言」が、必ずしもその人の本心を伝えるものでないことを、私たちは経験的に知っている。しかし、「行動」は、その人の本心(隠されていた部分を含む)を顕すものである。

 ザンキの言動に矛盾があったにも関わらず、彼がずっとカッコイイ漢であり続けたのは、何故か。それは、ザンキの「言」と「動」の間に矛盾はあったが、「行動」そのものには矛盾がなかったからだ。これは、彼の取った行動が客観的に最善なものであったかどうかは、全く別の話である。
 人が感情移入するのは、強い動機に支えられた主観的な行動だ。ドラマというものは、結局のところ「過程に感情移入し、結果に納得できる」かどうかである。「動機と、それがもたらした結果のバランス」と言い換えても良い。

 暴走とも言えるザンキの行動と、奇跡といか言いようがないトドロキの復活、そしてザンキの消滅。
 これも暴走と言える超童子と姫の自我への目覚め、当然の帰結でしかない自滅、そして傀儡師夫婦が実は傀儡の一種だったというオチ。
 弦師弟のエピソードは、「過程に強く感情移入したため、強引な結果にも納得できる」ものだった。傀儡師絡みのエピソードは、「過程に軽くしか感情移入していなかったため、オチという結果にも軽く納得できた」というものだった。

 太鼓師弟のエピソードは、どうだろうか。
 鬼になろうという強い動機を持ち続け、正しい努力もそうでない努力も含めて一貫して行動してきたのは、明日夢ではなく京介である。30話から最終話という短い期間で、彼が鬼の4点セットのうち3つ(DAの使役、明確な鬼へ変身、顔だけ変身解除)まで成し遂げるという「結果」を得たのは、彼が常に「行動」するキャラクターだったからだ。
 京介の取った行動が、客観的に最善なものであったかどうかは別の話である。この辺は、ザンキのキャラクターと共通している。ドラマにおいて重要なのは、飽くまでも「動機と、それがもたらした結果のバランス」なのだ。

 鬼になろうという強い動機を最後まで持ち得なかった明日夢は、最終的に自らの意思で鬼にならないことを決めた。最終話でヒビキがそれを認めたのは、再確認に過ぎない。所謂、絵的な締めだ。
 重要なのは、京介が明日夢の「鬼にならない」選択を認めたことである。
 明日夢が子供を救おうとして窮地に陥り、ヒビキに助けを求めようとして、結果的には京介が助けに来た。
 あの時の京介は、ヒビキの分身に他ならない。
 あるいは、一度は目指した鬼の弟子という自分、明日夢自身の分身である。

 ヒビキの分身に認められ、自分自身の分身に認められ、明日夢は遂に自分の選択に確信を持つことが出来た。
 明日夢は「鬼になることから逃げた」のではなく、「医師になる道を選んだ」のだ。鬼の修行を積んでいた一時期こそ、「生き方を決められない状況から、鬼の弟子という場所に逃げ込んでいた」ということに気付いたのだ。
 人間が変わるとは「行動」が変わることであり、その変化が良い方向のものである場合、それは「成長」と見なされる。最終話で、医師を志している若者としての一貫した行動を見せ続けた明日夢からは、確かに成長の一端が感じられた。

 明日夢が鬼にならないことを決めたことで、ヒビキと明日夢の師弟物語は再スタートした。
 『響鬼』という作品は、29話で1回目のリセット、直後の30話で2回目のリセットが行われ、最終話で3回目のリセットが行われたわけだ。
 猛士と魔化魍の戦いが遥か昔から続いてきたものである以上、その決着が描かれなかったことはむしろ当然である。「一区切り付いた」という印象を与える終わらせ方は、良かったと思う。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 自分が若者だった頃の志を、オッサンになっても失わないようにしよう。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 次回作『カブト』は、『響鬼』同様、女性キャラが充実しているみたいでオジサン的には来週からもウハウハできそうだ。しかし、主人公キャラ的には、先行している『リュウケンドー』と被っているような感じ。まぁ、両方とも観ますけど。
 『カブト』が『ストロンガー』のオマージュっぽいということは、平成ライダーシリーズもこれで一旦終わりということなのか?

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

New! 1/22 up【予定】 平成ライダーシリーズ考 ~『クウガ』から『響鬼』まで~>
New! 1/19 up 『仮面ライダー響鬼』の最終的な総括 …「異色作」を越えて「失敗作」に成ることが出来た僥倖な作品だったのかも
1/11 up 響鬼玩具の特売が既に始まっていた!
1/7 up 理想の『響鬼』のプロット(と言うより、メモ書き)
12/29 up 『響鬼』および仮面ライダーシリーズの終盤の視聴率に関して
12/22 up 29話までの『響鬼』と30話からの『響鬼』を採点比較する!
12/15 up ザンキは如何にして みどりを口説き落としたか?
12/14 up 「ザンキ&修行初期の戸田山」について想像する
12/14 up ザンキについて(ついでにサバキも)考える
12/11 up 『響鬼』とその周辺を1年間観続けた印象 ~特撮文化における「恥」と「理性」~
12/2 up 「完全新生」仕切り直し!『響鬼2』は、このスタイルで放映せよ!!
11/27 up 『響鬼』は何故“マッタリした『牙狼』”になれなかったのか?
11/27 up 『仮面ライダー響鬼』は失敗作である(駄作ではない)
11/18 up 『アマゾン』と『響鬼』
10/30 up 鬼の顔だけ変身解除リアル版 その2
10/30 up あきらも明日夢も京介も変身だぁ!
10/25 up あきらが鬼に変身する過程の想像図
10/23 up 朱鬼の「女の鬼」としてのデザインに不満あり!
10/19 up 最終回までに桐矢京介にやって欲しい10のこと
10/11 up 空想検討「『響鬼』の理想の最終章をファンドで映画化しよう!」
10/4 up 『響鬼』の製作体制変更に関してのまとめ
9/27 up 桐矢京介のモデルはブロガー(アンチ新体制派)だ!
9/17 up もしも『響鬼』が有料番組になったら、金を払ってでも見るか?
9/11 up こんな『響鬼』だったら玩具が売れた!??
9/8 up 『響鬼』の人気低迷を考察する
9/9 up 『響鬼』の商業的失敗の原因を解明する!
9/9 up 『響鬼』の製作体制変更に関する疑問
9/3 up 『仮面ライダー響鬼と七人の戦鬼』
8/20 up ザンキ・スペシャル “元”鬼の裏技「隠し鬼爪」
8/15 up 鬼の「顔だけ変身解除」リアル版
7/26 up ザンキさんレギュラー化計画
7/25 up 『ああザンキさん』
7/22 up 変身裸族
7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
5/15 up 『仮面ライダー響鬼』その他ライダーの変身ポーズを裸で比較検証する
5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
4/18 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える その2
4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

『仮面ライダー響鬼』 四十七之巻

『仮面ライダー響鬼』 四十七之巻

【 観る前に思ったこと 】

 歴代ライダーの中で、最も目立たない主人公である、ヒビキ。
 そして、やはり最も目立たない「もう一人の主人公」である、明日夢。
 目立たないというより、話題にならないといった方が、より正確だ。
 主人公不在でもドラマ進行に支障が生じない割合が、これほど高い作品も珍しい。
 
 今までの平成ライダー(主役ライダー)は、概ね「未熟な若者が、物語を通して成長していく」というパターンだった。これに対して、主役ライダーを「第1話の時点で、既に完成している人物」とし、その代わりに「もう一人の主人公である少年の成長を描く」という発想は、新趣向(あるいはヒーローものの原点回帰)として、なかなか良いものだったとは思う。
 しかし、成長するはずの明日夢が、いつまで経っても成長しない。厳密に言えば成長しているのだが、ドラマの常識からすると写真判定レベルでしか成長していかない。

 こうなると、「未完成な少年が成長する姿」と「(少年の手本または理想像としての)完成された男性の姿」の対比という、基本構造自体が破綻してしまう。
 対比というのは、足し算ではなく、掛け算なのだ。
 明日夢の成長がゼロである場合、ヒビキの完成度が如何に高くても、掛け算の値はゼロになる。
 「既に完成されたキャラ」というのは、何かを克服して成長していく姿に感情移入するというパターンが基本的には使えない。もちろん、「成長しない未熟者」にも、感情移入はしづらい。
 かくして、ヒビキと明日夢、二人の主人公が共倒れとなった。
 端的に言って、当初『響鬼』で狙っていた「ヒビキ・明日夢」の対比は、『巨人の星』における「星一徹・星飛雄馬」の対比と大差ない。所詮、「師弟もの」である。
 『巨人の星』において、星飛雄馬がほとんど成長しないキャラであったら、「完成された男性(あるいは完成象の先にある姿)」である星一徹のキャラが立つだろうか? 星一徹がそれなりに魅力を有し、ドラマを纏うことができたのは、星飛雄馬というキャラとセットになっていたからである。

 「ヒビキ・明日夢」の対比が失敗した原因として、ヒビキの出番そのものが、一時期減少したことも挙げられるだろう。
 それならそれで、「ヒビキの出番はゼロだが、ヒビキのことばかりを話題にしている」という回があっても良かったと思う。「明日夢の出番はゼロだが、明日夢のことばかりを話題にしている」という回も、同様である。当然、「ヒビキと明日夢の出番はゼロだが、ヒビキと明日夢の師弟関係のことばかりを話題にしている」という回も有りだろう。登場しないことで、かえってキャラを目立たせるのだ。
 細川さんの出演が変則的であることが予め分かっていたのなら、単純に「サブキャラの魅力で物語を繋ぐ」のではなく、「サブキャラの魅力を利用して、その場にいない主役を立てる」といった、変則的なドラマを編むという手もあったのではないか。

 これは余談だが、『快傑ズバット』のような、「極端に完璧なキャラ」としてのヒビキも、見てみたかった気がする。そういう『響鬼』なら、30話の桐矢京介のようなキャラもすんなり馴染んだことだろう。

 予告を見ると、久し振りにみどりが登場するみたい。太鼓祭り復活?

【四十七之巻の感想 】

 実戦と言いつつ、音撃鼓を装着しないでオオアリに向かっていく威吹鬼。魔化魍退治の実戦ではなく、飽くまでも「大地を清める」際に魔化魍を捌く実戦という意味か。(この時点でも、「大地を清める」際に、音撃鼓を使う可能性が低いことは想像できる)。
 見かねた轟鬼が助けに入り、音撃斬でオオアリを爆散させるが、その際、何故か威吹鬼も決めポーズ。轟鬼が音撃斬を行ったことに気付かないほどテンパッていたのか? それとも、轟鬼の音撃斬に合わせて一通りオオアリをドンドコしたから、とりあえずポーズを決めてみたのか?

 前回、出席日数の話が出た通り、キャンプ地での修行も行っていた明日夢と京介。そりゃ、修行の初期段階のうちは、街中で大量のDAを扱う練習とかは無理だもんなぁ。キャンプ生活自体にも慣れなきゃならんだろうし。
 既に二人ともDAを使役できるようになっている様子が分かる演出が、ナイスである。

 ヒビキの、変身前のアクションが炸裂! これは、細川さんの要望から来るものなのか?と思っていたら、変身前にバチを取り出してファイアーブレード発動! 以前、ザンキがサポーターを始めた頃、ザンキに変身しないで鬼爪を出して欲しいと書いたことがあった が、まさかヒビキがファイヤーブレードでそれをやるとは思わなかった。しかも、アームドセイバーの登場で完全に出番を失ったと思われていたアイテムだけに、二重の驚きである。この演出は、心憎い。巨大魔化魍をぶった切る威力があるのだから、天然の等身大魔化魍を爆散させても良いだろう。
「鬼になるということは、変身するということではなく、怖いと思う気持ちと戦うこと」というヒビキの台詞は、
「鬼というのは、一つの生き方、常に自分に克つという生き方のこと」というザンキの台詞と重なる部分があると思う。

 一人奮戦する轟鬼の上空に舞っていた魔化魍の群れ、数多過ぎ! ほとんど最後だからといって、CG(VFX)担当さん、大盤振る舞いし過ぎ! 結局アレは、傀儡師夫婦が退治したのか、共食いでも始めて自滅したのか…。
 いずれにせよ、あそこまで育っていて人里に降りないというのは不自然。前回、街中に魔化魍の群れが出現する描写があったが、そういう部分もそれなりにフォローしておいて欲しいところだ。

 清めの儀式の前日、3鬼がそれぞれの女性パートナーと二人きりで、しっぽりと語り合っているシーンが、なかなか良い。
 だが、ヒビキが、自分が師匠無しで鬼になった(ずっと弟子を取っていなかった理由はそこにある)ことを語ったのは、余計だったように感じた。あの台詞がなければ、より純粋にヒビキと明日夢の師弟関係のイメージが煮詰められていたと思う。

 当日、3鬼の出陣。トドロキが最後までライダーではなくドライバーなのが、逆にトドロキらしくて良い。緑色の雷神は、ザンキから譲り受けたものなのだから。特に気負った表情をするわけでもなく、一人無言で雷神を運転しているトドロキに、成長した男の姿を垣間見たような気がする。

 明日夢が弟子を完全に辞めたのか、明日夢と京介の腐れ縁が完全に決裂したのか、その辺が分からないまま最終回へ。
 大地を清める件は、響鬼がやってて失敗するわけがないと思えるので、関心は二人の弟子の件に行ってしまうのだった。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 明日夢は、京介がいなかったら、パネルシアターの舞台に立つこともなかったのではないか。
 勘違いでも腐れ縁でも、ライバルの存在はありがたいものである。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 京介は鬼になっている? 明日夢とのダブル変身は見られるのか?
 モッチー、囚われの身?
 最終回で新型CG魔化魍を出せるような予算があるのなら、関東11鬼を一人でも多く並べて見せてくれ!

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12/15 up ザンキは如何にして みどりを口説き落としたか?
12/14 up 「ザンキ&修行初期の戸田山」について想像する
12/14 up ザンキについて(ついでにサバキも)考える
12/11 up 『響鬼』とその周辺を1年間観続けた印象 ~特撮文化における「恥」と「理性」~
12/2 up 「完全新生」仕切り直し!『響鬼2』は、このスタイルで放映せよ!!
11/27 up 『響鬼』は何故“マッタリした『牙狼』”になれなかったのか?
11/27 up 『仮面ライダー響鬼』は失敗作である(駄作ではない)
11/18 up 『アマゾン』と『響鬼』
10/30 up 鬼の顔だけ変身解除リアル版 その2
10/30 up あきらも明日夢も京介も変身だぁ!
10/25 up あきらが鬼に変身する過程の想像図
10/23 up 朱鬼の「女の鬼」としてのデザインに不満あり!
10/19 up 最終回までに桐矢京介にやって欲しい10のこと
10/11 up 空想検討「『響鬼』の理想の最終章をファンドで映画化しよう!」
10/4 up 『響鬼』の製作体制変更に関してのまとめ
9/27 up 桐矢京介のモデルはブロガー(アンチ新体制派)だ!
9/17 up もしも『響鬼』が有料番組になったら、金を払ってでも見るか?
9/11 up こんな『響鬼』だったら玩具が売れた!??
9/8 up 『響鬼』の人気低迷を考察する
9/9 up 『響鬼』の商業的失敗の原因を解明する!
9/9 up 『響鬼』の製作体制変更に関する疑問
9/3 up 『仮面ライダー響鬼と七人の戦鬼』
8/20 up ザンキ・スペシャル “元”鬼の裏技「隠し鬼爪」
8/15 up 鬼の「顔だけ変身解除」リアル版
7/26 up ザンキさんレギュラー化計画
7/25 up 『ああザンキさん』
7/22 up 変身裸族
7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
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4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

響鬼玩具の特売が既に始まっていた!

響鬼玩具の特売が既に始まっていた!

 1月7日(土)の時点では、近所のデパートの玩具売り場における響鬼玩具の値下げは、まだ第一段階といったところだった。それで、ちょっと油断したのがまずかった。
 今日、夕飯の食材を買いに行ったついでに玩具売り場をチェックしようとしたら、遠目にも、『響鬼』と『マジレン』が並んでいるコーナーに、何だか小さな張り紙が張ってあるのが分かった。
 「特売」の張り紙だった。
 『響鬼』と『マジレン』の玩具の特売が、いつの間にか(8日(日)だったのか?!)始まっていたのだ!

 狙っていたアームドディスクセットは、既に売り切れ。あ~、残念。
 それでも、通常のDAが1個300円で売られていたので、タカ、シシ、ワシ、カニを1個ずつ購入。これでも1200円(税込)なので、今までの1個分=1600円(税込)よりも安い。
 これで通常DAは、サル以外は揃った。ちなみにワシは3匹目、シシは2匹目。ヘビは今回買わなかった(残ってなかった)が、既に2匹買っている。
 う~ん、通常のサルはいいとして、アームドディスクセットは惜しかったなぁ(劇場版のディスクセットはしっかり売れ残っていた)。コガネオオカミも、あと1匹欲しかった。

 烈風は1000円になっていたが、今回は見送り。太鼓は、あえて値段を見なかった。何しろ、私は4800円くらいで購入しているのだ。アームドセイバーは、さすがにまだ2000円か2500円くらいだった(買う気がないので覚えていない)。
 420円のソフビ(小さめのやつ)が100円になっていたが、大きめのソフビは、それほど安くなっていなかった(こちらも買う気ナシ。威吹鬼の大きめのソフビは、ずっと前に定価で購入済)。

 思えば、この玩具売り場では、けっこう響鬼玩具を買ったなぁ。
 そんなことを思いながら、レジでお金を払った。
 4個重ねたDAの化粧箱が、小さめのピザを重ねたみたいに見えて、妙に可笑しかった。

『仮面ライダー響鬼』 四十六之巻

『仮面ライダー響鬼』 四十六之巻

【 観る前に思ったこと 】

 前回、明日夢が京介につっかかっていって、取っ組み合いのケンカになった。これは、何気に凄い進歩なのではないだろうか。
 29話以前の明日夢なら、例え正当な理由があり、かつ相手が自分より体力が劣っていることが分かっていようとも、自分からケンカを仕掛けるなんて有り得なかったと思う。それなのに、明日夢も京介も顔に痣が出来るという立派なケンカをやった。明日夢は京介を殴り、殴られ、それで止めずに互いにバテるまで続けたのだ(時間にしたら3分足らずだとは思うが。取っ組み合って殴り合うのは、息が上がってすぐバテます)。

 京介との弟子レースでは、完全に脇に回っている明日夢だが、何とか鬼になって欲しいところ。
 前回、子供と指切りしたことがリタイアの伏線に見えたが、自らケンカを仕掛けたことも伏線に取れないことはない。
 京介はイブキに弟子入りし直して鬼になり、あきらがサポーターに付く(京介は素直な心を取り戻して、あきらとラブラブになる)。
 明日夢はヒビキの元で鬼になり、ハイビートな音撃打を駆使する期待の新人となる。
 トドロキも、明日夢と京介という後輩が出来て、すっかり先輩らしくなる。
「トドロキさんは、弟子をとらないんですか?」
なーんて明日夢たちに言われて、まんざらでもない様子だったりする。
 モッチーは、サポーターにはならないものの猛士の一員となり、明日夢とラブラブ。「たちばな」からヒビキと共に出動する明日夢に対して切火を切ったりする。
 最終話の終わり5分は、こんな感じになって欲しいのだが…。
 明日夢と京介が同時に変身して、オトロシに立ち向かっていくシーンで「完」だったら最高! それが私の『響鬼』!

 轟鬼が二刀流なのはイイとして、なんで威吹鬼が赤い鬼石のバチ持って戦っているの? 響鬼  は烈風持ってるみたいだし? お互いに落っことして成り行きで交換しちゃってるようにも見えないが…
 とにかくイブキ~ッ、頑張れ~!

【四十六之巻の感想 】

 今回は、さすがに先が見えている時期に作られているだけあって、盛りだくさんで豪華な印象。1週間遅れで、おせち料理を食べたみたいな気分になった。
 自分の歳のせいか、おやっさんと明日夢母が同じ話に登場すると、それだけで和んでしまう。もちろん、下條アトムさんと水木薫さんの役者としての存在感がそうさせている部分も大きいと思う。

 トドロキは、鬼としても人としても完全に復活しており、斬鬼を具体的に回想するシーンも無し。
 これなら、アバンタイトルで前話を振り返らなかったのも納得がいく。今回からの3話は、オロチの話なのだ。視聴者も、その辺はスパッと頭を切り替えるべきだろう。
 轟鬼が戦っていたテングとヨブコは、両方とも天然もののようだ。鬼との共闘路線を打ち出している傀儡師夫婦が、この時期にアンチ音撃仕様のヨブコを放置しておく可能性は低い。
 拡声器が付いていないヨブコ(肩口のヘビは口を閉じていたが、多分これが本来の姿)など、復活した轟鬼の敵ではない。轟鬼は、斬鬼ばりの「串刺し音撃斬」で、2体まとめて退治してしまう。

 続いて登場した金色のバケガニは、映像的にはイマイチだったが、響鬼と威吹鬼が戦ったアミキリは良かった。キチン質の質感もあり、色も鮮やかで綺麗、動きにもそれなりに重量感があったので、退治される瞬間まで「何で飛んで戦わないんだ」ということが頭に浮かばなかったくらいである。
 ただ、ちょっと美味しそうに見えてしまったのは、観ている側である私の問題か。

 以前から、自転車を必死に漕いで「たちばな」に先回りするなど、実は人の見ていないところで努力するタイプの桐矢京介。自主トレの甲斐あって、体力が付いていた。
 ただし、寒い屋外での筋力トレーニングは、筋肉を傷めやすいので本当はするべきではない(経験者は語る…私は寒いところで筋トレしていて、僧帽筋を痛めました)。京介のやっていた懸垂は、フォーム的には三角筋を傷めやすいんじゃないかなぁ。

 登場人物が一斉に自問自答を促す/始めたような印象が強いが、明日夢とSP姫&童子が何気にシンクロしていたり、京介とイブキの対比が効いていたりして、面白かった。明日夢も、振り子が戻ってくるかのようにヘタレキャラを回復しつつあるので、存在感が出てきた。

 残りは2話。物語の終わらせ方は既にお膳立てされているので、割と安心して観ていられそうである。もちろん、最終話で、明日夢と京介のダブル変身を観られるかという不安はあるのだが。

 あと、余談ながら、CMにキーラ・ナイトリィが出演していたので大喜びしてしまった。番組関連玩具のCMがなくなった分、女性化粧品(髪用品)のCMが増えた? キーラ・ナイトリィを拝めたのは嬉しいが(ええ、DVDに焼きますとも!)男児向け番組なんだから、髭剃りのCMとかも入れて欲しいぞとオッサンである私は思った。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 修行というものは、特殊な環境下で行われるものばかりではない。日々の日常生活も修行の一環として考えるべきである。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 久し振りにみどりが登場するみたい。太鼓祭り復活?

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

New! 1/7 up 理想の『響鬼』のプロット(と言うより、メモ書き)
New! 12/29 up 『響鬼』および仮面ライダーシリーズの終盤の視聴率に関して
12/22 up 29話までの『響鬼』と30話からの『響鬼』を採点比較する!
12/15 up ザンキは如何にして みどりを口説き落としたか?
12/14 up 「ザンキ&修行初期の戸田山」について想像する
12/14 up ザンキについて(ついでにサバキも)考える
12/11 up 『響鬼』とその周辺を1年間観続けた印象 ~特撮文化における「恥」と「理性」~
12/2 up 「完全新生」仕切り直し!『響鬼2』は、このスタイルで放映せよ!!
11/27 up 『響鬼』は何故“マッタリした『牙狼』”になれなかったのか?
11/27 up 『仮面ライダー響鬼』は失敗作である(駄作ではない)
11/18 up 『アマゾン』と『響鬼』
10/30 up 鬼の顔だけ変身解除リアル版 その2
10/30 up あきらも明日夢も京介も変身だぁ!
10/25 up あきらが鬼に変身する過程の想像図
10/23 up 朱鬼の「女の鬼」としてのデザインに不満あり!
10/19 up 最終回までに桐矢京介にやって欲しい10のこと
10/11 up 空想検討「『響鬼』の理想の最終章をファンドで映画化しよう!」
10/4 up 『響鬼』の製作体制変更に関してのまとめ
9/27 up 桐矢京介のモデルはブロガー(アンチ新体制派)だ!
9/17 up もしも『響鬼』が有料番組になったら、金を払ってでも見るか?
9/11 up こんな『響鬼』だったら玩具が売れた!??
9/8 up 『響鬼』の人気低迷を考察する
9/9 up 『響鬼』の商業的失敗の原因を解明する!
9/9 up 『響鬼』の製作体制変更に関する疑問
9/3 up 『仮面ライダー響鬼と七人の戦鬼』
8/20 up ザンキ・スペシャル “元”鬼の裏技「隠し鬼爪」
8/15 up 鬼の「顔だけ変身解除」リアル版
7/26 up ザンキさんレギュラー化計画
7/25 up 『ああザンキさん』
7/22 up 変身裸族
7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
5/15 up 『仮面ライダー響鬼』その他ライダーの変身ポーズを裸で比較検証する
5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
4/18 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える その2
4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

理想の『響鬼』のプロット(と言うより、メモ書き)

理想の『響鬼』のプロット(と言うより、メモ書き)


 何を以って理想とするのかを決めるのは、意外に難しい。
 今回は、「9歳の頃の自分」にとっての、理想の『響鬼』のプロットのようなもの(と言うより、メモ書きの類)を書いてみることにした。ライダーなら『アマゾン』を、ゴジラなら『メカゴジラ』を観ていた当時の自分が楽しめるような『響鬼』。そういうコンセプトで…

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 高校受験を控えた少年・安達明日夢。彼は、旅行先の屋久島山中にて、奇怪な男女と遭遇する。その男女は明日夢の目の前で融合すると、1体の蜘蛛人間に変貌した。絶体絶命の明日夢を救ったのは、2本の角を生やした鬼のような戦士。その戦士は、バチとベルトのバックルを用いた特殊な技「音撃」で蜘蛛人間を倒した。戦いを終えた戦士の頭部が、人間のそれに変化する。
「…ヒビキ、さん?」
その人物は、明日夢がフェリーの中で出会った男性・ヒビキだった。
「少年には、さっきのバケモノ、見えてたんだ?」
「はい、もちろん見えてましたけど…?」
ヒビキは、困ったなという表情で頬を掻くのだった。

 東京に戻った明日夢は、偶然に導かれてヒビキと再会する。ヒビキは、大型のバイクに跨っていた。
「俺は4輪は苦手だけど、バイクは得意なの」
 ヒビキは明日夢に、「屋久島で遭遇した怪物は、魔化魍と呼ばれるもの」「魔化魍は人を襲って食べるので、自分のような戦士が退治している」のだと説明する。そして、魔化魍には等身大のものと巨大なものの2種類が存在し、そのどちらも普通の人には見えないのだとも。
「その魔化魍って、屋久島以外にもいるんですか?」
「ああ、日本中のあちこちにいるよ。ただ、普通の人には見えないから、知られていないだけだ」
「それをヒビキさんが一人で退治しているんですか?」
「まさか! 俺みたいな鬼は、日本中にいるんだ。首都圏だけでも、俺を含めて11人の鬼がいる」
ヒビキの携帯が鳴った。どこかに魔化魍が出現したらしい。
「少年、このメールの開き方、分かる?」
明日夢はヒビキの携帯の受け取り、メールを開いて返した。
「サンキュー、じゃあな、シュッ」
独特の仕草を決めると、ヒビキはバイクで颯爽と走り去っていった。
「○○山なら、ここから電車で…」
明日夢は、魔化魍出現予想位置が書かれたメールの内容を、しっかりと記憶していた。

 電車を乗り継ぎ、メールに書かれていた○○山に到着した明日夢。ヒビキから貰ったコンパスを片手に、地図を見ながら山道を歩く。道の脇の草むらがガザガザと揺れ、犬の鳴き声のような声が聞こえてきた。明日夢は声の主を探し、瑠璃色をした小さな犬型のロボットのようなものを発見する。すぐ近くの木の枝には、緑色の小さな猿型のロボットのようなものも。
「何だコレ?」
明日夢は、その小さなロボットのようなものを必死に追跡し、キャンプ地に辿り着いた。そこにはヒビキと、ヒビキのサポーターを務める女性・香須実がいた。
 そこで明日夢は、小さなロボットのようなものがディスクアニマル(DA)という一種の式神であること、DAは純然たる機械ではないことをヒビキから教えられる。
 香須実は、明日夢が魔化魍を見ることが出来ることに加え、DAの鳴き声や再生音を聴くことが出来ることに驚く。訓練されたサポーターである香須実でさえ、魔化魍を見ることは出来ても、式神であるDAの鳴き声や再生音を耳で直接聴き取ることは出来ないのだ。 

 後日、明日夢は、ヒビキや香須実が働いているという店「たちばな」を訪問する。
 「たちばな」は、和風の音楽喫茶という珍しい店で、ヒビキはそこで和太鼓を演奏していた。手にしているバチは、あの「音撃」を行なったときに使っていたものである。
 装いは和風だが、トランペット風の楽器を演奏している青年はイブキ。
 同じく、エレキギター風の楽器を演奏している青年は戸田山。本来はザンキが演奏者なのだが、怪我で入院中のため、弟子の戸田山が代理を務めているとのこと。
 この3人が、シフトで同じ組に入っている「太鼓・管・弦」の鬼たちなのだ。鬼の勤務が非番の日々は、3人ともこの店の演奏者兼店員として働いている。(ちなみに鬼は全て、戦いを終えた後は、その場を清める為の“清めの演奏”を行う)
 おやっさんは、明日夢に猛士関連情報の口止めするとともに、高校に入学次第、店でアルバイトとして働かないかと提案。明日夢はこれを了承する。

 無事高校に合格した明日夢。彼は、同じクラスの天美あきら(キャストは秋山奈々ではなく、『仮面ライダー THE FIRST』でスネークを演じた小林涼子)が、鞄の中にDA(機動前)を入れていることに気付いてしまう。クールで完璧主義者(秘密主義者)であるあきらは、明日夢にDAを見られたことでプライドを傷付けられる。
 「たちばな」で、あきらがイブキの弟子であることや、鬼の師弟制度などを教えてもらった明日夢は、ヒビキには弟子がいないのかと質問する。
「ヒビキさんは、弟子を取っていないんですよ」と日菜佳。
「何でですか?」
「それはチョット、ワケありで…」
 立花姉妹は、「どうしても知りたかったら、ヒビキさん本人に訊いて」と、明日夢の質問から逃げるのだった。
 明日夢が、ヒビキ本人から聞いたその答えは、衝撃的なものだった。
「俺は、最初に取った弟子を、戦いで死なせているんだ。それ以来、俺は弟子を取っていない」

 明日夢やあきらと同じクラスの持田ひとみ。彼女は、幼馴染である明日夢をずっと慕っていた。
「たちばな」で明日夢があきらと一緒にバイトをしていることを知った持田は、なし崩しにバイトのメンバーに加わる。明日夢とあきらの疑惑?が晴れた後、持田とあきらは互いに妙にウマが合うことに気付く。
 持田の存在によって、あきらの明日夢に対する必要以上の刺々しさも消えていく。3人は、ボケの持田、ツッコミのあきら、イジられ役の明日夢という漫才トリオのような関係になるのだった。

 ある日、明日夢はCDショップで万引きをしている学生を目撃し、思い切って店の人に知らせる。しかし、万引きグループの逆恨みに遭い、後で明日夢はボコボコにされてしまう。
「自分なりに勇気を振り絞って正しい行いをしたのに、暴力の前には成す術が無かった」
と、明日夢は落ち込む。
 顔に痣を作って「たちばな」でバイト中、明日夢は偶然、みどりの研究室に文字通り転がり込んでしまう。みどりはそんなハプニングを歓迎、研究室を案内する。最初は無邪気に喜んでいた明日夢だが、変身音叉を見ているうちに「暴力の前には成す術が無かった自分」を思い出す。みどりが目を離した隙に、明日夢は音叉を起動させて変身を試みる。当然ながら変身は失敗、明日夢は弾き飛ばされて失神。救急車で病院へ運ばれる破目に。

 病院で目を覚ました明日夢だが、全身筋肉痛で真っ直ぐに歩けない状態。2、3日入院することになる。病院の廊下で転びそうになった明日夢を支えてくれた男性は、その日に病院を退院するというザンキだった。
 翌日、ザンキは戸田山と一緒に、明日夢の病室を訪れる。
「ああ、君はあのときの…。そうか、君が明日夢くんだったのか」
ザンキは、ヒビキからお見舞いの品を預かっており、代理でお見舞いに来たのだった。
「ヒビキさんは…?」
「アイツは今、魔化魍と戦っている」
明日夢は戸田山に、ヒビキが弟子を戦いで死なせている件を引き合いにして、戦うことが怖くないのかと尋ねる。戸田山は
「そりゃ、怖いっすよ」と短く答えた後はその件に触れず、自分がザンキに弟子入りした経緯を話して聞かせるのだった。
 そして、復帰戦で再び膝を負傷してしまったザンキは、引退を決意。
 急遽デビュー戦を迎えた戸田山だったが、無事勝利を飾り、トドロキの鬼名を得る。
 明日夢は偶然、その戦いの場に居合わせていた。ザンキと共にトドロキのデビュー戦を見届けた明日夢は、ヒビキの弟子に成れるかどうかは別にして猛士入りし、自分を鍛えて少しでも人助けに役立とうと決意するのだった。

 正式に猛士のメンバーになった明日夢は、最初は使い走りのような雑用から始まって、徐々に深く猛士の活動に関わるようになっていく。身近にいる意外な人が猛士のメンバーだったり、近所の施設が猛士の集会所になっていたりと、謎の組織・猛士の秘密が少しずつだが明らかになっていく(警察やマスコミにも猛士のコネクションがあるetc)。
 そんなある日、魔化魍には自然に発生する「天然もの」と、人為的に造り出されているものの2種類があることを、明日夢は教えられる。
「魔化魍を人為的に造っている人たちって、一体何者なんですか?」
「猛神(タケガミ)と名乗る者たちだ」
「猛神って、猛士と何か関係が?」
「猛神というのは、150年前、猛士から分かれたグループなんだよ…」
 150年前、何らかの事件により、猛士は二つのグループに分裂し、一方は新たに猛神を名乗るようになったのだ。果たして、150年前、何があったのか? 人為的に魔化魍を造り続ける猛神の目的は何なのか?

 普通の人には見えないはずの魔化魍を見ることが出来たり、DAの音を聞くことが出来るという稀な素質を持っている明日夢は、猛士内部からも密かに期待されていた。明日夢は猛士内で訓練を受けたり、自主トレをしたり、ヒビキの鍛錬に同行することによって、その特殊能力をメキメキと伸ばしていく。
 学校でも猛士でも、相変わらずドジでヘタレなところはあるのだが、それでも明日夢が少しずつ逞しくなっていくことを、母親や持田は気付いていた。
 そして、DAを一応扱えるようになった明日夢は、みどりから研究開発の助手を任命され、専用の音叉(音貫・おんかん)と専用の試作DA(カラス型、エリマキトカゲ型、モグラ型)、装備帯といった「鬼道具一式」を与えられるのだった。

 山中で、試作DAのテストを行なっていた明日夢は、突然の雷雨によって、DAを見失ってしまう。雷雨の中を探し回る明日夢は、DAを手にしている20代半ばの背の高い美女と出くわす。
「…最近の若い者は、こんな式神ひとつ、満足に扱えないのか?」
「あの…猛士のかたですか?」
「猛士なんぞ、とっくの昔にこちらから辞めてやったわ」
ポツリ、と雨粒が美女の頬を伝う。このとき、明日夢は美女が雷雨の中、傘もさしていないのに殆ど濡れていないことに気付いて驚く。
「やれやれ、まだ数が足りぬか」
美女は、雨に濡れた野花を一輪摘むと、それをコウモリ型の黒い式神に変化させた。美女の頭上には、コウモリ型の黒い式神の群れが群れを成して舞っており、彼女を雨から守っているのだ。
「驚いたのか? 昔の鬼は、誰でもこの程度のことは出来たのだがな」
「あなたは、鬼…なんですか?」
「私はシュキ。私ほどの鬼はいないぞ」
シュキ(キャストは片岡礼子ではなく、元モー娘。のリーダーの飯田圭織)と名乗ったその女性は、明日夢が一瞬注意を逸らした間に、幻のように消えてしまった。
 猛士を離脱していながら「私ほどの鬼はいない」と言う、美しき鬼・シュキ。果たして彼女は、敵か、味方か?

 明日夢が順調に才能を開花させていく一方で、あきらはスランプに陥っていた。
 人より速いペースで鬼の基本となる「変身体」には成ったものの、音撃が可能となる「音撃体」に入ってからの進歩が遅いのだ。明日夢が専用の音叉・音貫と、試作とはいえ新型のDAを与えられてことに対して、強い不快感を露にする。
 あきらは、明日夢個人には、友達として好意的な感情を抱いていることを自覚していた。しかし自分でも気付かないうちに、猛士のメンバーとしての明日夢をライバル視していたのだった。
「安達君には、絶対負けたくない。負けるわけにはいかない」

 山の中で自主トレをしていた明日夢の元に、放っておいたDAが戻って来る。DAは偶然、童子と姫を発見していた。普通の人間には、童子と姫の姿は見えない。山菜取りに来ていた人たちに危険が迫っている。明日夢は、童子と姫を追って「神隠し」の現場を押さえるが、力及ばず人々を救うことは出来なかった。
 自分の無力さを呪い、あてどもなく街を彷徨う明日夢。そんな明日夢は、いつぞやの万引きグループと遭遇し、再び暴力に晒される。鍛え続けていた明日夢は苦戦するものの、遂に万引きグループを返り討ちにする。しかし、明日夢に勝利の喜びなど無かった。
「何をやっているんだ、僕は…」
 翌朝、顔を痣だらけにした明日夢は、ヒビキの元を訪れた。
「ヒビキさん、僕を弟子にして下さい」
「何のために、弟子になるんだ? ケンカに勝つためか?」
「いいえ、自分に克つためです。自分に克って、人助けが出来るようになるためです」
ヒビキは、彼の覚悟を受け入れた。
「よぉし、明日夢、それじゃあ早速鍛えに行くか」

 ヒビキの弟子となった明日夢は、猛士が「魔化魍全滅」を目的にしていないことを知らされ、驚く。猛士は、天然の魔化魍に関しては増えすぎないように数を調整する、いわゆる“間引き”を行なっているだけで、数が減りすぎた場合には逆に保護することすらあると言う。
 魔化魍も、自然のバランスを保つ上で必要な存在。猛士はそういう魔化魍を秘密裏に管理する全国組織だったのだ。
 明日夢は、猛士と敵対する猛神の目的についても知らされる。
「猛神は、猛士とは逆に、魔化魍を使って人間を管理しようと考えているんだ。自分達でコントロールできるような魔化魍を造りだし、増えすぎた人間の数を、彼らの理想の状態に調整する。それが彼らなりの“人類の保護”ということらしいんだ」

 同じ時期、あきらも、猛士が「魔化魍全滅」を目的にしていないことを知らされ、強いショックを受ける。あきらは両親を魔化魍(ノツゴ)に殺されたことを恨んでおり、「魔化魍全滅」を生涯の目標に掲げていたのだ。
 「スランプに陥っているのは、憎しみで強くなろうとしているからだ」とイブキから諭されても、あきらは納得できない。
 そんなあきらは、シュキと出会ってしまう…。
「私は最強の鬼だ。何故なら、誰よりも強く魔化魍を憎んでいるからな」
「最強の鬼って…ヒビキさんより、強いんですか?」
「ヒビキ? ああ、その若造なら、以前軽く相手をしてやったこともあったな」

 天然の魔化魍の発生数は増加の一途を辿り、猛神が繰り出す魔化魍もより強力になっていく。
 そんな中、ヒビキは強化形態である「紅」への二段変身を完成させる。しかし、「紅」は鬼としての生命を激しく消耗させる、危険な形態であった。
 そして、今年が「オロチの年」である可能性が高いことが、関東支部の集会で報告される。
 更に、オロチに対抗する「鬼柱」として、ヒビキの名前が挙がる。
 オロチとは何か? そして鬼柱とは?
 一方、みどりと小暮を中心とする開発チームは、「ヒビキを鬼柱から生還させるため」、アームドディスクとアームドセイバーの実用化に向けて作業を急いでいた。そして、その現場にはテスト要員として働くザンキの姿があった。

 イブキとあきらの確執は深まるばかり。イブキはあきらを、ヒビキと明日夢のところに一時的に預けることにする。明日夢をライバル視しているあきらは、何かにつけて自分の優位性を誇示しようとする。
 ヒビキと明日夢の元に来ても、あきらは「魔化魍は全滅させるべき」という主張を変えない。
「自分の中の憎しみを殺さないと、鬼にはなれない」と諭すヒビキに対して、あきらはシュキを引き合いに出して真っ向から反発する。
「あきら、お前、シュキのことを知っているのか? シュキは、おやっさんを殺そうとして、鬼を辞めさせられた人なんだぞ」

 「たちばな」にて、シュキに関する緊急ミーティング。
 シュキは呪術によって当時の肉体の若さを保っているだけで、実はおやっさんこと勢地郎と同世代・同期の鬼。勢地郎もまた、鬼(太鼓の使い手)であったのだ。シュキは勢地郎と共闘中、勢地郎もろともノツゴを倒そうとしたが失敗。結局ノツゴを取り逃がし、勢地郎はシュキの攻撃によって瀕死の重傷を負う。一命は取り留めたものの、この怪我によって勢地郎は鬼を引退することを余儀なくされたのだった。

 密かにシュキと接触を持ったあきらは、勢地郎の件を問い質す。しかし、シュキは「戦いに犠牲は付きものだ」と意に介していない様子。
「そんなことより、オロチの件はどうなっている? あのヒビキとかいう若造が鬼柱になるのか?」
さらにシュキは、猛神の真の目的を語りだす。
「猛神が、魔化魍を使って人間を管理しようとしているなんて、猛士が流している嘘の情報だぞ。猛神は、150年前のオロチで肉親を亡くした者たちの集団なんだ。連中は、自分達の力で、次のオロチを止めようとしている。
 猛神の究極の目的は、“魔化魍全滅”だ。魔化魍を全滅させるために、魔化魍を研究し、造り出しているというワケさ。私に言わせれば、まどろっこしいだけなんだけどね」
 「猛士も猛神も関係ない。ただひたすら、自分の力で、親の敵であるノツゴを討つ」と言い放つシュキ。彼女同様、両親をノツゴに殺されているあきらは共感し、遂にシュキに弟子入りしてしまう。

 「オロチ」の影響で、ノツゴが10年ぶりに活動を再開した。
 シュキはトドロキから音錠を奪い、鬼としての活動を再開する。
あきらは、シュキの元で鬼となり、蘭鬼(アララキ)を名乗ってシュキと行動を共にする。
 ノツゴに遭遇する前に、腕慣らしとばかりにヒビキたちの戦いに割って入ったり、猛神からの誘いを断って魔化魍を差し向けられたり、シュキとあきらの行くところ、波乱万丈である。
 そんなシュキに対し、猛士は「鬼祓い(組織を守るための粛清)」を決定。
 ザンキは、非公式にシュキの説得にあたる。ザンキはかつて、猛士では禁じられていた呪術を学びたいが故に、破門者であるシュキの元へ秘密裏に弟子入りしていた時期があるのだ。
 明日夢はあきらを探し出し、必死に説得する。だが、念願の鬼の力・復讐のための力を手に入れたあきらには、明日夢の言葉は届かない。しかも、その様子を見た持田は、明日夢とあきらの関係を誤解してしまう…。

 ノツゴが出現、響鬼・威吹鬼・轟鬼の3鬼(サポーターはザンキ)が立ち向かうが、3人がかりでもノツゴに圧倒されてしまう。大ダメージを被り、威吹鬼・轟鬼が戦線を離脱する。響鬼は、無理を押して紅に変わり、ノツゴにダメージを与えるが、反撃を受けて紅が解除。その隙に、ノツゴは移動を始める。
 乱入のタイミングを計っていたシュキとあきらは、ここぞとばかりに追撃を開始する。ノツゴの移動先には民間人がいた。シュキは民間人を捨て置いてノツゴと戦い、優位に立つ。しかし、あと一歩のところで逆襲を受け、倒れ込む朱鬼。止めをあきら(蘭鬼)に託す。
 だがそのとき、逃げ遅れた親子が、ノツゴに捕らえられる。
「今しかない! 犠牲を恐れるな、撃て!」
ノツゴが親子を食わんと口を開けている今、鬼石を撃ち込む絶好のチャンスである。しかし、それでは捕らわれた親子を巻き添えにすることになる。
 あきらは撃てなかった。身を呈して親子を救い出そうとするが失敗、一緒にノツゴの餌食になりそうになる。
「愚か者め…」
立ち上がった朱鬼は、捕らわれた親子とあきら諸共、必殺の一撃をノツゴに撃ち込もうとする。
「やめろーッ」
雄叫びと共に現れたザンキが変身すると同時に、新型DA・コガネオオカミが変形、斬鬼の膝に強化プロテクターを形成する。ザンキは朱鬼に体当たりをかまして弾き飛ばすと、そのままの勢いで捕らわれた親子とあきらを救出した。
 朱鬼もすぐに体勢を立て直して音撃を開始したが、一瞬遅く、ノツゴの急所を撃ち抜くことはできない。今度は朱鬼自身がノツゴに捕らわれてしまうが、彼女にとっては最後の手段として覚悟していたことだった。朱鬼は自らの身体を犠牲にして、必殺の音撃をノツゴの体内に撃ちこんだ。
 ザンキの膝の強化プロテクターが強制解除される寸前、ザンキの音撃斬がノツゴに止めを刺した。
 プロテクターを失って崩れ落ちるザンキの体を、響鬼が支える。
「すみません、ザンキさん」
「俺のことはいい、民間人と、あきらを…シュキは、俺が」
 親子の元へ向かう響鬼。あきらの姿は既になかった。
 復讐を果たし、大地に横たわる朱鬼の身体を、ザンキが野花で覆っていく。最後の一輪によって全身が覆い尽くされたとき、朱鬼の命は消えた。
 朱鬼が逝ったこと悟ったおやっさんこと勢地郎は、空に向かって30年振りに鬼時代の決め仕草を決め、同期の死を見送るのだった。

 「オロチ」が、日一日と迫っていた。
 「膝だけアームド斬鬼」の実戦での成功を受けて、全身版アームド斬鬼のテストが急ピッチで進められていた。全身版アームド斬鬼は、アームド響鬼の試作品という位置付けである。できることなら、他の鬼のアームド化も進めたいところだが、今はその余裕がない。もっとも、アームド化構想は本来「ヒビキを鬼柱から生還させるため」のものなのだ。

 「オロチ」とは、150年に一度誕生する究極の魔化魍であるオロチと、それに伴ってあらゆる種類の魔化魍が大量発生する現象の総称である。
 「オロチ」は、長い年月の間に大自然に溜まった歪を一気に解消するために、地球という巨大生命体が定期的に発生させている自浄現象である。大地の底に溜まった歪を解消させるため、究極の魔化魍であるオロチが大地を裂き、河川を捻じ曲げる。表面的には破壊であるが、内部的には再生である。
 あらゆる種類の魔化魍が大量発生するのは、オロチを適切な時期に終わらせるためである。大自然の歪が最も解消された瞬間、大量発生した魔化魍は、一斉にオロチに喰らいつく。さすがのオロチも最期には力尽きて土に返るが、それまでに、無数にいた魔化魍もそのほとんどがオロチによって倒されてしまう。
 「オロチ」が終わったとき、魔化魍は例年のレベル以下にまで数を減らしている。
 これで、大自然は健全な姿にリセットされるのだ。
 もちろん、これは大災厄でもあり、大勢の人間が「オロチ」に巻き込まれて死ぬことになる。

 これを防ぐには、鬼柱を立てるしかない。
 最も強い鬼を、鬼柱の術で究極の鬼(魔化鬼)に変え、大量発生した魔化魍を統べる能力を引き出させる。鬼柱となった者は、究極の鬼であると同時に、オロチと並ぶもう一つの究極の魔化魍でもあるのだ。だから、無数の魔化魍を統べることが出来る。
 この鬼柱が、無数の魔化魍を統べて、誕生したばかりのオロチを攻める。オロチが大地を裂く前に、退治してしまうのだ。そうすることで、大災厄としての「オロチ」を防ぐというわけだ。

 鬼柱になるということは、鬼が魔化魍になるということだ。魔化魍になった鬼は、もう人には戻れない。身だけではなく、いつしか心も魔化魍になり、遂には人を喰らい始める。
 そうなる前に、残っている鬼が全力を挙げて、鬼柱を退治する。
 「鬼祓い」とは、本来この「鬼柱を退治する」ことを指す言葉なのだ。

 そして今年の「オロチ」に対して立てられる鬼柱は、ヒビキ。
 みどりと小暮を中心とする開発チームは、紅の状態でアームド化した響鬼なら、「アームド解除」と「紅解除」の2段階の解除により、自ら「鬼柱の術を落とす=心身から魔化魍を祓う」ことが可能だと考えていた。いやむしろ、その可能性に賭けたと言った方が良いかも知れない。

 150年前のオロチの際に起こった惨劇とは何か?
 それは、鬼柱の働きによって「オロチ」はほぼ無力化できたものの、その後に凶暴な魔化魍と化した鬼柱の猛威の前に、大きな犠牲を払うことになったという惨劇だ。猛士に残っていた鬼の9割と、鬼以外の猛士の約半数、そして多くの民の命が失われたのである。
 これでは、せっかくオロチを防いでも、別のオロチが発生したようなものである。
 この惨劇の後で、猛士は二つに割れた。
 一つは、基本的には今まで通り魔化魍と共存しつつ、150年後のオロチに備えようとする者たち。
 もう一つは、「魔化魍全滅」を究極の目的に掲げ、「オロチ」そのものをこの世からなくそうとする者たち。
 後者は猛神と名前を変え、旧体制である猛士と敵対するようになった。

 あれから150年の歳月が過ぎ、再び「オロチ」の年がやってきた。
 猛神が企む「逆オロチ」は成功するのか?
 猛士は、ヒビキを鬼柱に立てるのか?
 それまでに、アームド響鬼、そして究極の音撃武器・アームドセイバーは間に合うのか?
 鬼柱になったヒビキは、人として生還できるのか?
 
 そして…
 猛神に連れ去られた、あきらの運命は?
 明日夢は、あきらを救えるのか? 憎しみの力に頼ることなく、明日夢は鬼に変身出来るのか?

 ヒビキを救うため、威吹鬼は「威吹鬼 紺碧(いぶき こんぺき)」への強化変身を果たし、
 轟鬼も「轟鬼 白銀(とどろき しろがね)」への強化変身を果たす。
 威吹鬼紺碧、轟鬼白銀とも、音撃武器が発する清めの音を手首・足首の音撃器官にチャージすることにより、拳脚から音撃を伴った打撃を繰り出すことが出来る。
 全身版アームド斬鬼は、鬼爪に烈斬の清めの音を共鳴させることによって、「音撃鬼爪」を繰り出すことが出来る。
 対オロチ仕様となった鬼たちの活躍によって、『響鬼』のクライマックスは大いに盛り上がるのであった!

鶴舞劇場 12/21-30 公演

鶴舞劇場 12/21-30 公演
            舞台を観た日:2005年12月30日(金)

※注 この記事はイベントとしての記事であり、芸能としての記事は後日別途アップする予定です

 純川セレナさんが引退される。
 本当は、寒くなる前に渋谷道頓堀劇場以外の劇場で観劇して、超早めの「お疲れ様」を言いたかったのだが、こちらの体調不良で行くことが出来なかった。
 「渋谷道頓堀劇場以外の劇場」と書いたのは、前回の観劇 で、渋谷道頓堀劇場の天井の低さとポラ待ちの長さに懲りているからである。まさご座がストリップ観劇のデフォルトである私にとって、渋谷道頓堀劇場は観劇環境が悪すぎるのだ。

 さりとて、セレナさんの舞台は、あと一度は観ておきたい。「お疲れ様」も言いたい。
 そう思っていたら、セレナさんが年末に鶴舞劇場へ出演されることになった。鶴舞劇場なら、帰省の途中に寄ることが出来る。まだ一度も行ったことのない劇場であるということに少々不安を感じたが、他に選択肢も無いので足を運ぶことにした。
 結果的に、このとき感じた不安は大いに的中してしまった。

 鶴舞劇場が「天板あり」ということは知っていたが、せいぜい1人か多くても2人だとばかり思っていた。
 ところが実際には、この日の7人の出演者のうち、ダンサーだったのは純川セレナさんと夏樹舞さんの2人だけ。想像していた割合の全く逆という有様だった。
 ストリップ私的理想論 にも書いたように、私は高い競技性と芸術性を求めてストリップを観劇している。法律上の扱いがどうであれ、ストリップは芸能風俗であって決して性風俗ではないというのが持論である。それだけに、今回の鶴舞劇場の興行の有り方はショックだった。

 また、客席が喫煙OKということにも落胆した。仮にも「劇場」を名乗る場所で、客席が禁煙でないというのは、今日日許されないことだと思う。
 セレナさんの舞台を観劇中も、前の席の客がタバコを吸うものだから、私の目の前には白い煙が漂い、視界を邪魔されてしまう。もちろん煙たいし、臭いも不快だ。しかし、場内に「禁煙」の表示はなく、係員からの注意のアナウンスもない(最前列の客が盆に肘を付くと直ちに注意のアナウンスがあったのとは対照的である)となると、我慢するしかない。
 もう、ほとんど最悪である。この日の鶴舞劇場は、「ダンスが観たくて、タバコが嫌いな客」にとっては、最悪から二番目の劇場だった。

 ただし、天井が高く盆も充分な大きさがあり、ステージも滑らない(セレナさん談)ので、舞台設備面には問題はない(ライトのフィルターを回すときに「カシャッ」と大きな音がするのはご愛嬌)。
 また、ダンサーとそうでない出演者はキッチリと区別されており、最前列の客が盆に肘を付くと直ちに注意のアナウンスがあるところなどは好感が持てた。客のマナーも問題なく、私より10歳は年上であろうオッサン達が、揉めることもなくジャンケンを繰り返していた。

 それでも、セレナさんが登場するまで、ずっと腕組をして目を瞑り、待っているのは辛いものがあった。だから、セレナさんが舞台に現れた瞬間は、ワクワクするというよりは、苦痛から開放されてホッとしたという感覚の方が大きかった。
 しかし、その次の瞬間には「あ、この女性“綺麗オーラ”出てる」と思うと共に、自分の感性が麻痺していないことを喜んでいた。
 自分の感性が麻痺云々というのは、ちょうど1週間前に、サンシャインシティプリンスホテルのクリスマスディナーショーに於いてかおりん(飯田圭織)を間近で観た ことに起因する。「もう他の美人を見ても、何とも感じなくなってしまったのではないか」と自分自身の感性に不安を抱いていたのだ。
 でも、舞台に立つセレナさんを観て、私は素直に「ああ綺麗だな、カッコイイな」と感じることが出来た。不安は杞憂だったのだ。

 セレナさんの舞台の内容から感じたことは別途アップするとして、ここではポイントのみ。
 既に書いたが、私の前席の客が、セレナさんの舞台の最中にタバコを吸っていたため、集中して観ることができなかった。目の前の白い煙は気になるし、煙たくて咳き込みそうになるし、正直、イライラしながら観劇していた。
 本編の踊りのBGMは、拍手し辛い(リズムを取り難い)曲だったような気がする(記憶が曖昧)。
 オープンショーの際のBGMは『龍騎』、ポラの際のBGMは『アストロ球団』だったと思う。

 ポラのとき、私が最初に手を挙げた。私と視線が合ったセレナさんが「あ!」という表情になったのが可笑しかった。
 ポラは、2枚とも鬼の決め仕草をリクエストするつもりだったのだが、セレナさんは上半身の衣装を持って来ていなかった。これは想定外。夏の舞台では、ポラのときも普通に上下の衣装を着て出てこられていたので、冬も当然そうだろうと思い込んでいたのだ。
 トップレスで鬼の決め仕草というのは、どうにもミスマッチである。それなら、音錠を付けてもらい「全身変身解除して倒れている」ところを演じて…と思ったが、今日はその音錠を持ってきていない。
 結局、胸を腕で隠してもらい、普通の?ポラとなった。
純川セレナさんソロショット

 客と談笑しているときは威勢の良いネーチャンだが、こうして澄ましていると綺麗な女性である。黒髪も素敵なのだ。

 ポラに特撮ネタを持ち込めず、(う~ん、これは不完全燃焼だな~)と思った私は、早めの「お疲れ様」を言えない。
 それ以前に、(こんなにダンサーの少ない興行が、自分のストリップ観劇の最後になるのは悲しすぎる)という、ストリップそのものへの想いもあった。
 セレナさんに「お疲れ様」を言うのは、渋谷道劇にしよう。その場では言葉にしなかったが、心の中では、ほぼ決定事項となった。

 その後、フィナーレでセレナさんからポラを受け取って、次の回の夏樹舞さんの舞台(私が劇場に入った時、夏樹舞さんは既にポラに入っていたので、舞台はこれが初見)を観終えると、私はそそくさと席を立った。帰りの電車の時間を考えると、セレナさんの次の舞台を観ることは出来ない。一人、出口を通り抜ける。
 そこで偶然、セレナさんと遭遇した。
 この時のセレナさんは、さっきまでコタツに入っていたオバチャンがミカンを補充しに立ったついでに玄関の郵便受けをチェックしに来たような格好をしていた。
 その姿を目の当たりにした私は、まるでフリーズベントを喰らったかのようにその場で固まった。
 つい先刻、舞台の上にいた女性が、突然目の前に出現したのである。私もその舞台の端でポラなどを撮っていたのだが、その時とは全く異なる感覚が全身を固めていた。

 セレナさんとしては、半ば条件反射的に一言二言挨拶しようとしただけだったと思うが、私は固まったまま観察モードに入ってしまった。
 セレナさんが小さく見えたのが驚きだった。寒さで背を丸め、身を縮めていることを差し引いても、舞台で踊っているときよりも小さく見えた。逆に言えば、セレナさんが舞台に於いてそれだけ自分を大きく見せているということである。この日の舞台を観ていたとき、私は渋谷道劇でセレナさんとツーショットを撮ったことも忘れて「この女性は、あるいは俺より身長高い(176cm以上)んじゃないか」とか思っていたのだ。
 見るからに寒そうにしているセレナさんに、ポラ撮りの時のような威勢の良さは全くない。そんなセレナさんを見て、とっととその場を去るべきなのに私は(この人は大人しくしていれば美人だ)とか(色白だけど、顔の造形は南国系かしら)と思ったり、(スッピンでも余り変わらないのではないか)と目の周りの化粧をチェックしながら、暫し雑談に付き合わさせてしまった。

 もちろん、今自分が着ているコートを脱いでセレナさんに着てもらおうと思ったりもしたのだが、一種のセクハラになると思えたので言わなかった。
 いずれにせよ、セレナさんにはご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。この場を借りて、お詫び致します。

 1月21日から31日までの渋谷道頓堀劇場の公演が、純川セレナさんの引退・ラストステージとなる。私にとっても、これがストリップ観劇のラストステージになるかも知れない。

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。