2005-12

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『響鬼』および仮面ライダーシリーズの終盤の視聴率に関して

『響鬼』および仮面ライダーシリーズの終盤の視聴率に関して
             『響鬼』の終盤の選択は正しかった!?
~視聴率における『剣』の落ち込みと『響鬼』の踏ん張りの理由~


 あなたは、子供の頃に観た仮面ライダーシリーズの最終回の内容を覚えているだろうか?
 私は、たった1つしか覚えていない。
 それは、『アマゾン』の最終回。アマゾンが正装して船に乗り込む場面は、ハッキリと覚えている。しかし、当時の私は既に9歳になっていた。これくらいは覚えていて当然である。
 前のシリーズのライダー(3作品)も、最終回は多分観ていると思うのだが、全く思い出せない(見逃したという記憶もない)。リアルタイムで1度しか見ていない『マジンガーZ』の最終回は覚えているし、ライダーと同じ時期に再放送されていた『ウルトラマン』の最終回も覚えているというのに、これは一体どうしたころだろう?
 当時のライダー作品に対して、終盤に入った頃には関心が薄れてしまっており、そのため記憶に残っていないのだろうか?

 一般的に、仮面ライダーシリーズの終盤の人気は、どういう傾向にあるのか?
 これは、視聴率の推移を見るのが手っ取り早い。

視聴率Fig.1

 Fig.1は、『仮面ライダー』、『仮面ライダーBLACK』、『仮面ライダーBLACK RX』および平成ライダーシリーズの、最後の13回分(最終1クール)の視聴率推移のグラフである。最初のプロットは、全話の平均視聴率だ。(『響鬼』は45話までのデータを使用)
 これを見ると、『仮面ライダー』と“それ以外”としか言いようがない。いかに第1作目の人気が高かったかが分かる。
 第1作目は、いったん下がった視聴率がラストに向けて回復していったようだ。ラスト8話は連続20%越え、最終回は25%越えなのだから、平成ライダーシリーズの人気とは比較にならない。

視聴率Fig.2

 Fig.2は、Fig.1から『仮面ライダー』を除いたものである。
 一番高めで推移している『アギト』と、一番低めで推移している『剣』が群れから区別できるが、それ以外はゴチャゴチャした一団という印象を受ける。
 『仮面ライダーBLACK』、『仮面ライダーBLACK RX』と平成ライダーシリーズは、終盤の視聴率推移に関しては似たようなものであることが分かる。視聴率の平均値に関しても、『BLACK』2作と、平成ライダーシリーズのうち3作は、かなり近い値になっている。
 また、最終回を迎えたときに、右肩上がりになっていない作品が一つもない点にも注目しておこう。

視聴率Fig.3

 Fig.3は、Fig.2から『BLACK』2作を除いたもの、すなわち平成ライダーシリーズだけにしたものである。ようやく見やすくなってきた。
 平成ライダーシリーズは、最終回の数話前で視聴率が落ちる傾向があるように見える。
 もちろん、視聴率は常にある範囲内で変動しており、視聴率が落ちるのは何も最終回の数話前に限ったことではない。しかし普通に考えると、最終回まであと数話というところまできたら、視聴率は横ばいで推移しても良さそうなものである。
 ただし、『クウガ』は落ち込んでいる2回分以外は、全て平均値を上回って推移している。これは他の作品と大きく異なる傾向だ。
 あと、『555』も、平均値を挟んで上下しているように見える。
 『響鬼』も、現時点では平均値付近で踏ん張っているように見える。
 明らかに落ち込んでいるのは『剣』である。
 『剣』ほど酷くはないが、『龍騎』は終盤苦戦し、『アギト』も終盤はどちらかと言えば苦戦したと言えるだろう。

視聴率Fig.4

 Fig.4は、前年の『剣』と、今年の『響鬼』だけにしたものだ。
 『剣』と比較すると、『響鬼』の善戦ぶりが窺える。全話の平均視聴率は両者ともほぼ同じなのに、終盤の推移を見ると、明らかに『響鬼』が上回っている。

 「平成ライダーシリーズは、最終回の数話前で視聴率が落ちる傾向があるように見える」と書いたが、これは単なる私の印象である。また、これが仮に統計学的に有意なものであったとしても、その原因は様々だろう。
 連続TV番組の視聴率が落ちる原因としては、内的原因と外的要因がある。
 内的原因では、作品の内容のマンネリ化や、逆に大きな変化があったことで視聴者が離れていくといったことが挙げられる。要するに「面白くなくなったから観なくなった」ということ。
 外的要因では、裏番組に視聴者を持っていかれるとか、その時間帯に塾に行くなどの別のイベントが発生して視聴者を取られてしまうといったことが挙げられる。

 平成ライダーシリーズの終盤に起きている視聴率の低下は、どうなのだろう。
 一つは、1年間も同じヒーローを見続けていれば、終盤は飽きてくるというのがあると思う。12月にもなれば、次のライダーや戦隊の記事が、児童誌の特集として組まれているだろう(余談だが、ネタばれ嫌いな私にとって、この時期の児童誌の表紙は天敵である)。平成ライダーシリーズの主たる視聴者であるチビッコの関心は新ヒーローに移り、約1年続いてきたヒーローは終盤で人気が下がってくるというわけだ。
 あと、これは別に裏を取ったわけではないのだが、人気映画の公開のタイミングで平成ライダーシリーズの視聴率の低下が起きているように思う。最近の例を挙げると、有楽町で公開された『ハリーポッター』は、日本語吹き替え版の上映が朝1回目の回だけだった。これを観ようと思ったら、朝のライダーはパスしなければならない。日本語吹き替え版という要素を外して考えても、「映画を観てから昼食」というスケジュールを組もうとすると、同様のケースになることが多いのではないか。

 さて、実はここからが本題である。
 『剣』と『響鬼』の、現時点における視聴率の差は、何が原因なのか?
 私は『響鬼』よりも『剣』の方を高く評価している。特に終盤における作品的な面白さは、圧倒的に『剣』の方が上回っていると思う。
 しかし、私の眼からすると作品的な面白さでは『剣』を下回っている『響鬼』が、視聴率では逆に上回っているのだ。この逆転現象に、強い疑問を感じていた。
 ちなみに私は、29話以前の『響鬼』よりも30話以降の『響鬼』を面白いと感じている。感性に関しては、『響鬼』の主たる視聴者であるチビッコたちに近いはずなのだ。それなのに、この終盤にきてドタバタして観のある『響鬼』が、終盤の盛り上がりに見るべきものがあった『剣』よりも人気が高い理由がわからない。

 ところが先日、77maru77さんのブログ『響鬼を語ろう』の記事 【四十五之巻 散華する斬鬼(その2)】 を読んで、その疑問が解けた。

 『剣』は、子供が作品に飽きてくる終盤にきて、「人類の危機」とか「敵組織の崩壊」とかを描き始めたから、視聴率が落ち込んだのだ。
 子供にとっては、「世界がどうにかなる」とか「組織がどうのこうの」よりも、「自分の好きな人が死んじゃう」方が重要なのである。
 これに対して『響鬼』は、この数話「人類を滅ぼすオロチ現象」ではなく、「ザンキとトドロキの師弟の死活問題」を中心に描いてきた。だから、視聴率が落ち込まずに持ちこたえているのだ。

 また、今回の件に関しては、何故かコロッと忘れてしまっていたのが、キャラクターの子供人気である。
 『響鬼』には、トドロキという「子供キャラ」がいる。トドロキは、劇中ではまるで子供のように振舞う「子供キャラ」であると同時に、仮面ライダー轟鬼に変身する「お兄さんキャラ」でもある。チビッコ視聴者からすれば、「それじゃダメだよ」と言える程度の隙があり、なおかつ決めるときはカッコ良く決めてくれる。親近感と憧れの両方を抱ける、王道キャラクターなのだ。
 一方、『剣』の始は、確かに強くてカッコイイが、それは「近寄りがたい種類のカッコ良さ」である。加えて正体がジョーカーとなれば、「カッコイイけど怖い」存在だ。親近感も憧れも抱きにくいキャラクターであり、本来は王道の真逆をいくアンチヒーローである。

 「トドロキのピンチ」と、「始のピンチ」。どちらがチビッコ視聴者を惹きつけるか、言うまでもないだろう。
 また、そのピンチとセットで描かれていたのが、『剣』では「人類の危機」、『響鬼』では「ザンキさんが死んじゃう」である。これも、どちらがチビッコ視聴者にアピールするかは明白だ。

 蛇足ながら、いわゆる腐女子の方々がザンキの全裸シーンを喜んでおられたが、あれはチビッコ向けの演出であろう。未就学児向けの番組で、男性が裸やそれに近い状態になるという描写は珍しくない。『8時だヨ ! 全員集合』で加藤茶が「ちょっとだけよ」とやったり、『いなかっぺ大将』で主人公が何かというとフンドシ一丁になっていたのがその代表例だろう。
 大人はヌードを観ると興奮するが、子供にはおそらくそれとはまた別のロジック(加藤茶の「ウンコチンチン」といった子供向けシモネタにも通じるもの)があり、「裸のシーン」がウケるのだ。

 さて、童心に返ったところで、もう一つ思い出したことがある。
 「子供の頃、何が楽しみでヒーロー番組を観ていたか?」ということだ。
 正義とか何か? 悪とは何か? ヒーローが如何にして人類の危機を救うのか?
 そんな大局的なことなど、子供は考えて観ていない。少なくとも私はそうだった。
 思い起こせば、私が楽しみにしていたのは、
「ヒーローは、どんな技を使うのか?」
「次は、どんな新しい敵が登場するのか?」
「その敵は、どんな能力をもっていて、どれくらい強いのか?」
「ヒーローは、その敵をどのようにして倒すのか?」
…などである。

 ここで、『剣』の犯したもう一つの失敗が見えてくる。
 終盤、「新しい敵」が登場しなくなるのだ。
 大人は、ダークローチの無限発生は「人類滅亡の危機」と等価であり、「ジョーカーが最終勝者になった場合は、その時点で世界の全てがリセットされる」という良く出来た設定だと頭で理解できる。そして、これから「人類滅亡を回避するドラマ」が始まると思うから、楽しんで観ていられるのだ。
 しかし子供としては、数は多いが芸のないダークローチばかり見せられたら、面白くないだろう。ヒーローであるブレイドは、「具体的な強敵」と戦っているのではなく、「大量発生という現象」と戦っているのだ。ボスキャラが魅力的な「キャラクター」ではなく「現象」というのは、子供にはちょっとツライものがあるのではないか。

 『クウガ』は、最終話までの13回のうち、視聴率が平均値を割り込んだのは2回だけである。これは、『剣』とは正反対の結果だ。
 『クウガ』では、グロンギという組織的な敵を相手にしながら、ルールによって「1対1」の戦いが行なわれていた。戦いの中心は飽くまでも「個人対個人」であり、「個人対組織」ではない。これが最後の最後まで貫かれた。最終的にはクウガと敵のボスキャラが雌雄を決するというストーリーは、子供でも十分理解できたし、予想も出来ただろう。ここでいう「予想」とは「期待」のことだ。
「次は、どんな新しい敵が登場するのか?」
「その敵は、どんな能力をもっていて、どれくらい強いのか?」
という楽しみが、最後まで持続したのだ。
 おまけに、クウガの最終・最強フォームの登場も、その最終決戦まで引っ張るという念の入れようだった。玩具の売り上げ的には最悪の展開だが、視聴率を稼ぐには最高の手段のうち一つと言える。

 『響鬼』の弦師弟の最終エピソードは、オロチという敵の大量発生という「現象」を背景にして描かれてはいるものの、

(1)轟鬼が、オトロシという単体の敵にまさかの惨敗を喫し、再起不能の重傷を負うという「個人的」な脱落
(2)ザンキとトドロキの「1対1」のドラマ
(3)ザンキが命の危険を顧みず、変身して戦うという「個人的」な暴走
(4)復活したトドロキがザンキとタッグを組んで戦うという「1対1」のドラマ
(5)ザンキ「個人」の死

というように、組織や現象ではなく、飽くまでも個人のイベントや「1対1(個人対個人)」のイベントを前面に出している。

 もしもトドロキが、重傷を負って「個人的」に戦線から脱落しなかったら?
 もしも、ザンキが暴走とも言える「個人プレー」で戦線に復帰しなかったら?
 もしも、ザンキの死と引き換えにトドロキが復活するという「1対1」の「死:復活」劇がなかったら?
 『響鬼』は『剣』同様、早い段階から「組織対組織」のドラマになり、視聴率が落ち込んでいた可能性が高かったのではないか?
 少なくとも45話の時点では『響鬼』の視聴率は落ち込んでおらず、『剣』の失敗を繰り返すという最悪の結果を避けることに成功している。

 29話で一度破綻してしまった『響鬼』に対し、30話以降に成すべきことは何だったのか?
 そして実際に、何が成されたのか?
 結局、当たり前のことが成されただけなのだ。
 すなわち、30話以降は「コアターゲットは未就学児である」ということを、改めて設定し直した。
 『響鬼』の現状は、「スーパーヒーロータイムの『仮面ライダー』は、チビッコに楽しんでもらうことを最優先して作る」という、本当に当たり前のことが反映されているだけなのだ。
 そしてそれが唯一無二の正解であり、「スーパーヒーロータイムの『仮面ライダー』」に、それ以外の答えなど最初から存在していないのである。
 それを楽しむ権利を有しているのは、本来はリアルタイムの子供たちだけだ。
 特権は、我々には無い。今回、そのことを改めて認識させられた。
 しかし、嘆くことはない。「夜9時以降の特権」は、子供ではなく我々に有るのだから。
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飯田圭織 クリスマス ディナーショー

飯田圭織 クリスマス ディナーショー

             日時:2005年12月23日(金) 13時~


              ラ・クロシェットの敵をサンシャインシティで

 モー娘。の初期メンバー、“かおりん”こと飯田圭織のファンである私。
 この私を含め、かおりんのファンが現時点で一番狙っているイベントは、広尾ラ・クロシェットのディーショーであろう。全席がリングサイドならぬステージサイドとも言える近接空間内で、かおりんと時間を共有できるからだ。
 しかし、それ故に競争率は高い。私は思うところあってハロプロのファンクラブには入っていないので、尚更である(かおりん個人のファンクラブなら、今すぐにでも入りたいのだが)。
 広尾のディーショーのチケットをチケぴで購入しようとしたが、ことごとく落選。そんな私が今年最後の望みを賭けたのが、サンシャインシティプリンスホテル(以下SCPHと略)でのディナーショー。
 正直に言うと、28000円という値段を見て「外れても、それはそれでいいわ」という気持ちもあったのだが、そういう欲の無さが功を奏したのか、見事当選! …と言いたいところだが、実はこの話には笑えないオチがある。前日にSCPHのホームページの案内を観ると、何とチケットがまだ余っている状態だったのだ。かおりんのファンとしてはショックである。かおりん自身はもっとショックだろうと思うと、ちょっと不安になったディナーショー前夜であった。

                モチベーションが上がらない当日朝

 当日、そろそろ出発の準備を始めなければならない時間になっても、私のモチベーションは上がらない。
 何故なら、まず寒い。前世は間違いなく爬虫類だった私は寒さに弱い(平熱が35度台)。冬は本来、活動を停止する季節なのだ。
 第2に、SCPHのホームページで会場を確認したら、やたら広い。しかしそこはディナーショーの場、いくら広いとは言え、双眼鏡を使うわけにはいくまい。もし後の席だったら、代々木のコンサートよりも小さくしか見えない可能性が高そうである。
 第2に関連して、ここ最近の私は席運に恵まれていない。メロン目当てで観に行った新越谷のハロプロパーティは、文字通りの最後列。背後は壁ですよ壁。そして、東京厚生年金会館のメロンのコンサートも最後列。2回続けて最後列ではさすがに行く気がしなくて、今こうしてPCに向かっている。ちなみに新年のエルダーは2階だけど最後列じゃない席が取れているので、メロンはそこで観ることにします。
 第3に、背広を着なければならないこと。根っからのブルーカラーの私は、背広が大嫌い。年齢が20代だったら、確信犯でカジュアルな服装で行くところだが、現実の私は40歳。やはり、背広を着るしかないだろう。ただし、ノーネクタイとする。
 第4に、料理が好みでなさそうなこと。大体、「ディナー」と聞いただけで食欲が無くなる。ナイフとフォークなんか、前回いつ使ったのかさえ思い出せない。社員食堂のスパゲティも、箸で食べているのだ。テーブルマナーなど、考えただけで憂鬱になる。
 そんなわけで、かおりんに会えるというのに、まるで歯医者にでも行くようなテンションの低さでアパートを出発した。10年前に買った背広のズボンが、ウェストが少しキツクなっていたものの、ちゃんと穿けたことがせめてもの救いである。

                 またしても…オッサンばっかりや!

 計画通り、12時5分頃にSCPHに到着。会場となる3階・天覧の受付に行って、驚いた。そこにいた客は、オッサンばっかりなのだ。
 初めて行ったハロプロ関連のコンサートである代々木の「Hello! Project 2005 夏の歌謡ショー」でも、オッサンばっかりやんか!というのが第一印象であったが、今回はそれを10歳位上回る“本当のオッサン”ばかりである。平均年齢は、30代半ばに見えた。40歳の私が、全然浮いていない。
 12時40分頃に座席に案内されると、
「ここに来ている人たちは、本当にかおりんのファン(一般人)なんだろうか?」
という疑念が頭をもたげる程になってきた。
 前の方の席に陣取っている50~60歳のオッサンたちは、高校時代の恩師か、仕事の関係者か?
 あの席の40代のオッサンはスポンサーか、このホテルの関係者か? それとも今日のバンドの関係者か? あのオッサンは…?
 40歳のオッサンである自分を棚に上げて言うのも何だが、明らかに40歳以上だろうと思われる客の数が余りにも多い。かおりんは確かにハロプロの中では最年長グループに属するが、それでもまだ24歳である。日本を代表するアイドルグループであるモー娘。を卒業して、まだ1年も経っていない。浜崎あゆみよりも3歳も若いのだ。浜崎あゆみのコンサートの観客の平均年齢が30代半ばで、40代がアチコチにいるなんて有り得るか? 有り得ないだろう。
 これはおかしい。どー考えてもおかしい。

                    相席になったお客さんたち

 私と相席になったオッサン、もといお客さんは二人で、どちらも背広&ネクタイ姿(ちなみに私は背広を着てはいるが、ノーネクタイ)。お一人は20代後半ないし30歳ちょうどくらい、もうお一人は30代半ばといった印象。まず間違いなく、二人とも私より若い。ただし、私は外見が年齢より少し若く見える上に声が高いので、お二人とも私を40歳とは思っていなかったと思う。(年齢は、互に最後まで知らず終いであった)
 52番テーブルで相席となった私たち3人は、当然ながら初対面。これが仕事の席だったら、早々に名刺交換が始まるところだが、全くそういう雰囲気ではない。着席しても、飲み物に口をつけたりケータイをチェックするばかりで、互に一言も喋ろうとしない。
 食事が運ばれてくるまでまだ時間がありそうだったことと、3人の中で自分が最年長であろうということ、そして何よりも「この人たちは、本当にかおりんのファンなのだろうか?」という疑問の答えを知りたくて、私が最初に口を開いた、
「あの、失礼ですが、お二人は飯田圭織のファンの方ですか?」
 答えはお二人ともYESだった。今日の客の年齢層については私同様、高いと感じておられるようで、28000円という料金がそうさせているのではないかという見解で一致した。
 ちなみに、この日の最年少は、私が見回したところでは、10歳位の少年がブッチギリでトップ。母親らしき女性と一緒に来ているようだった。
 かおりんと同世代ないしやや年下の大学生が目立っていても良さそうなものだが、やはり28000円はキツイのか、ほとんどいないようだった。
 また、女性は30歳前後の二人連れが2組、50歳前後の二人連れ(正体は謎! まさか料理目当て?)が1組、コンサート中によく声を出していた年齢不明の女性が1人、あと男女カップルも2組ほど確認できた。いずれにせよ、女性客は非常に少なかく、全体の1%程度といった感じであった。

                   人知れず?ファンやってます

 私は職場でハロプロのファンであることを情報公開している。1月5日は「ハロプロのコンサートに行くので休む」ことも、上司から承認済みだ。しかし、現在の職場に“同士”はいない(転勤前は、ヨッスィーのファンでモー娘。のアルバムもちゃんと買っている人が一人いた)。
 今回のディナーショーは、ハロプロファンと直に話す久し振りの機会となった。
 私は「かおりんダントツで一推し」であるものの、ハロプロFCには入っておらず、コンサートも今日が3回目というライトなファン。でも『ハロモニ。』は欠かさず観ている。
 相席となったお2人が、「かおりん一推し」かどうかは分からなかったが、どちらも広尾のディナーショーに行かれているそうなので(羨ましい~)、かおりんを推していることは間違いない。広尾も、12000円とか、けっこうなお値段なのだ。他のハロプロメンバーのコンサートにも足を運ばれているとのことで、「メロンのコンサートではタオルが舞う」とか「客席に水が撒かれる」とか、ビックリするような話が聞けた。

 ちょっと驚いたことに、相席となったお2人のうち、一人は私同様ハロプロFCには入っておられなかった。その代わり、チケットショップを活用されているとのこと。2年前、かなりの良席を定価以下で買えたこともあったそうだ。う~ん、私の住んでいる所は田舎だから、チケットショップなんかないもんなぁ。有楽町に映画を観に来たとき、ついでに覗くようにしようかな。
 もうお一人はハロプロFCに入っており、いわゆる「全推し」をされている様子。
 3人に共通するのは、かおりんが出なくなっても『ハロモニ。』の視聴を続けていること、それもCM飛ばしで観ていること。ちなみに今日の『ハロモニ。』でCMを確認したところ、印象に残るのは「髭剃りのBRAUN」、「サロンパスシリーズのフェイタス」、「EPSONのプリンター」、ワサビとかダシなどの食関係、ペット用品、『娘DOKYU!』でもお馴染みの「ビックカメラ」、意外だたのが「JR東日本」…といったところでした。
 それにしても、名前も年齢も知らない背広を着たオッサン(失礼)3人同士が、互に敬語を使いながら、かおりんやハロプロの話をしているのは、楽しくも不思議な感覚だった。

                フランス料理は口に合いませんワ…

 ディナーショーの料金28000円のうち、幾らが「ディナー」で幾らが「ショー」なのか明細を見たいところだが、メニューには料理の値段は記載されていない。少なくとも、私の生涯で最も高価な食事のうち一つであることは間違いない。正直余り美味しくなかった(コックさんたち、ご免なさい)のだが、それも含めてコメントしておこう。

シャンピニョンのケース入りラングドッグ風エスカルゴ
 …小さな皿の上に、大きさも形状もタコ焼きに酷似した物体が1個だけ載っていたのが、これ。ハッキリ言って、普通のタコ焼きの方が5倍くらい美味いと思う。

アボガドのムースで和えた鮪とカナダ産オマール海老と北海道産帆立貝のテリーヌ盛り合わせ地中海風
 …ゼラチン料理という印象しかない。マグロやエビやホタテが何処に使われていたか不明。ハッキリ言わせて貰うが、明らかに不味かった。

オーストラリア産鮑と気仙沼産フカヒレ入りコンソメスープ パイ包み焼き金箔飾り
 …外見は、コップにシュークリームで蓋をしてある感じ。実はシュークリームではなく中空のパイ生地で、それをガシガシと突き崩すと、中にスープが入っている。結果的に、洋風の茶碗蒸し(ただし汁っぽい)となる。
 趣向としては面白いが、これなら最初からスープ皿に入れてもらった方が食べ易い。どれがアワビでどれがフカヒレが分からなかったが、スープの味は良かった。3品目にして漸く美味しい料理が出てきた。

牛フィレ肉の網焼き オレンジ風味のハンガリー産フォアグラ乗せ(長いので以下略)
…要するに焼肉とフォアグラ。焼肉は薄味。フォアグラ(一見すると照り焼きチキン)は初めて食べたが別に美味くも何とも無い。ちなみに、以前キャビアを食べたときもそうだった。同じ高級食材でも、まだカズノコの方がコリコリしている分だけ面白いと思う。
 牛肉は柔らかくて普通に美味しかった。

デザート…普通のデザート
コーヒー…普通のコーヒー
ポーヴォロパン…多分、最初からテーブルに置いてあった渦巻きパンのことだと思う。
オレンジジュース…普通のオレンジジュース。私は酒に弱いので、食事中これを2杯飲みました。

オリジナルカクテル「クリスマスの香り」
 …かおりんがこのディナーショーのために考案した本日限定のカクテルという触れ込みの一品。こういうのを私は端っから信じないタチであり、酒に弱いこともあって飲まなかった。
 相席のお二人も酒に弱いとのことだったが、無理して飲んで真っ赤になっておられた。
 コンサートの際、かおりん自身の口から「クリスマスをイメージして赤と白の…」ということが語られ、少なくともコンセプトは本当にかおりん自身が考えたものであることが判明。それを聞いた時、味見くらいはしとけば良かった…と、ちょっと後悔してしまった。

 私は1年前から自炊はしているものの、料理には全然詳しくない。そんな私の単なる勘なのだが、同じ地中海に面した国でも、タコを食べる国の料理の方が、日本人一般の口に合うのではないだろうか。少なくともこの日のフランス料理(だと思う)は、私の口には基本的には合わなかった。
 この食事の際、自分自身のテーブルマナーを懸念していたのだが、相席のお二人の知識のおかげで、大きなトラブルも無く食事を終えることが出来ました。この場を借りて、改めてお礼申し上げます。

                       座席の謎

 このところ、買ったチケットが連チャンで最後列だった私。チケぴで買ったこの日のチケットに記載されていた整理番号が「4」であるのを見ても、「後から4番目の席」という悪い予感しか感じなかった。
 当日渡された指定席券は「No 000203」で、実際の席は「52番テーブルD席」。ホテルマン?に案内された席は、会場のちょうど真ん中辺りで、中央ステージの真横だった。
 「後から4番目の席」ではなかったという安心感と、やっぱり「前から4番目の席」ではなかったんだなという軽い失望感と、中央ステージで歌ってくれた場合は最前列だという期待感が交錯する。
 それにしても、なぜ「4」が「No 000203」で「52番テーブルD席」なのかが分からない。大体、なぜテーブルに3席しかないのに、「D席」なのか。下一桁0がA、1がB…なのか?
 相席になった3人ともチケぴのチケットで来ており、整理番号を見合わせたが連番ではなく(比較的近い番号ではあった)、当日指定席券のNoとの相関性が見出せなかった。少なくとも引きかえ時に列に並んだ順ではないことは確かだ。また、3人の当日指定席券のNoは連番であり、この連番が52番テーブルに割り当てられているということは明らかである。

                    近くて嬉しかった時間帯

 肝心のコンサートの記憶は、実は曖昧である。
 何しろ、個人的には現時点で日本芸能界一番の美人だと思っているかおりんが、目の前に現れたのだ。
 そう、確か1曲目だったような気がする(本当に記憶が曖昧)のだが、私のすぐ隣にある中央ステージで、かおりんが歌ったのだ。私とかおりんの間には、何も遮る物が無い。かおりんの背中(僧帽筋)には、左右一対のホクロがあることまで見て取れた。これでボ~ッとならない方が不思議だ。
 1曲?歌い終えたかおりんがそのステージを降りようとしたときは、
「わ~、降りずにずっとそこにいてくれ~!」
と心の中で叫んだ。

 かおりんの生歌は、思ったよりも上手かった。でも、まだまだ声量が足りないし、声の伸びも足りない。
 ゲストのルカさんは、かおりんよりも一回り小さい体格でありながら、声量で互角以上、声の伸びと張りで明らかに上回っていた。
 歌手・飯田圭織の、更なるレベルアップに期待したい。

 そう言えば、かおりんとルカさんのトークは、微妙に噛み合っておらず、まるで事前の仕込みが無いかのような感じがした。そんなことがあるわけないとは思うのだが、本当にぶっつけ本番のような「自然なぎこちなさ」が伝わってきた。
 一方、特別ゲストのなっちとのトークは、仕込み不要のぶっちゃけトーク。かおりんは「楽屋トーク」と言っていたが、むしろ「団地の奥さん同士の世間話」という雰囲気だった。
 娘。時代、二人は互に全く会話をしなくなるほどに仲が悪くなった時期があったそうだが、今こうして友情を回復していることは、ファンとしても嬉しい。これからも二人の友情と、良い意味でのライバル関係が続いていくことを願わずにはいられなかった。

                     かおりんの今後

 詳しくは別の記事に書こうと思っているのだが、かおりんが「地中海レーベル路線」でやっていくことには、強い疑問を感じる。コンサートの最後に歌った「バラ色の人生」は、確かに一番声が出ており、かおりんにハマッている楽曲のようにも感じた。しかし、そういう歌は、新しい日本語の歌としても作れるはずなのだ。
 かおりんは日本人離れしたルックスの持ち主であり、ハロプロメンバーの中で「地中海レーベル路線」をやれるのは、かおりんだけであろう。しかし、かおりんがこの路線をやる必然性自体が、全然感じられない。そして、実際に売れていない。
 この路線とかおりんのキャラとは、全く一致していない。今回のコンサートでも実感したが、かおりんは本物の天然ボケである。
 かおりんが一番一般層に人気があったのは、『うたばん』でジョンソンとか言われて天然ボケっぷりを全開にさせていた時期だと思う。美人がボケを(しかもナチュラルに)かますから、面白いのだ。

 現在の「地中海レーベル路線」のかおりんは、綺麗であるものの、表面的なイメージしかない。この路線では、かおりんの本当のキャラが全然生かせない。
 かおりんは、「フランス料理」ではなく、「ちゃんちゃん焼き」が似合う美人なのだ。
 同じ28000円を払うとしても、私は「かおりんと一緒にちゃんちゃん焼きパーティ」の方を選びたい。そういう選択肢を、是非作って欲しいと思っている。

『仮面ライダー響鬼』 四十五之巻

『仮面ライダー響鬼』 四十五之巻

【 観る前に思ったこと 】

 これは最初の頃からずっと思っていることである。
単に体力トレーニングを積めば、鬼になれるのか?
 “しゅばるつばい”さんのブログ のコメント欄にも書かせてもらったのだが、劇中で描かれた鬼の鍛錬の多くは、「一昔前のやり方の体力トレーニング」に過ぎない。あの延長上に「鬼への変身」があるのなら、「山篭りで心身共に鍛えた極真空手の選手」は、音角さえあれば鬼になれるのではないか?

 極限まで心身を鍛えているのは、何もヒビキ達だけではない。柔道やレスリングでメダルを獲るような選手は皆、精神的にも体力的にも鍛えに鍛え抜いている。
 プロボクシングのチャンピオンもそうだ。試合のたびに減量に耐えなければならないところなどは、鬼よりも厳しい。体脂肪を極限まで削ぎ落とした上で12ラウンドをフルに戦い抜き、王座に返り咲いた徳山選手の鍛え方は、正に人間の心身の限界に迫るものだったろう。(体脂肪がほとんどないのに、一体何を燃料にして12ラウンドを戦い抜いたのか? ちなみに素人の場合、全然減量していない状態でも、グローブを嵌めて「ボクシングもどき」を3ラウンドこなすことは拷問に等しい。最悪の場合生死に関わるので、専門家のいない環境ではやってはいけない)
 日菜佳の言うように、ヒビキ達が行なっていた鍛錬は鬼になるためのものではなく、鬼になる力を維持するものであるとしても、疑問はそのまま残る。また、ヒビキが紅になるために行なっていたことも、傍目には「単なる運動」であった。

 京介が「こんなただの体力トレーニングが、鬼になることと関係あるのか?」と思うのは当然である。ヒビキがやらせているのは、学校の部活(運動部)のトレーニングとほとんど同じなのだ。これでは、運動部で鍛えている学生は皆、鬼の修行をやっているようなものである。
「基礎体力を見ているんだ」
というヒビキの言い方は、「基礎体力は必要だが、鬼の本質とは関係がない」とも受け取れる。これでは、京介が「最初から明日夢を選ぶつもりで、俺が苦手な運動競争ばかりやらせている」と勘違いしても、余り責める気になれない。
 そして、運動がダメな人間が、運動以外の面における自分の長所をアピールするのは、ある意味当然である。ヒビキは「常人を超えた運動能力を身につけないと鬼にはなれない」というような説明をしていないし、「自分は鬼になるために厳しい体力トレーニングを積んできた」とも言っていないのだ。「ちょっと基礎体力を見ているだけ」なら、その次に「基礎学力を見る」が来たって別におかしくはない。

 また、ヒビキだけ見れば常人より良い体格をしているが、トドロキは人並みの体格、イブキに至っては普通の人よりむしろ華奢である。弟子だったあきらも、外見からは特に体を鍛えているようには見えない。京介に「察しろ」というのは無理がある。
 一方の明日夢は、京介とは違って予備知識を持っているので、体を鍛えることに対するモチベーションが高い。明日夢が自分の予備知識を意図的に隠しているとは思わないが、ちょっと不公平な状況に見える。
 いずれにせよ、京介が自分から弟子を辞めると言い出した件で、京介だけを責めるのは片手落ちというものだ。それが分かっているからこそ、ヒビキも京介をまだ弟子として扱っているのだろう。

 「父親を超える」ことを目標にしている京介が、父親と同じように消防士の道を選ぼうとしていないのは、優れた消防士には「人並み以上の運動能力」が要求されることを京介が良く知っていたからに違いない。自分が父のような消防士にはなれないことは、自分自身が一番知っている。ずっとどうしたら良いのか悩んでいて、ある日「炎をものともせず、英雄的な働きをする響鬼」と出会ったのだ。
 予備知識がなければ、「鬼に変身することは、魔法のような特殊な力に拠るもの」だと想像するのが普通だろう。音角などの「変身アイテム」の存在を知れば、尚更である。

 本当のところ、どうしたら鬼になることが出来るのか?
 「鬼になるための秘密」は、本来は「猛士の秘密」の一部として、劇中で周到に謎解きがなされるべきだった。DAが一種の式神であって純然たる機械ではないことや、鬼になることに呪術的な要素が関わっていることなどを、徐々に分かりやすく説明していくべきだったのだ。
 鬼の姿は専門とする武器によって異なる特徴が出てくることや、鬼には火・風・雷の属性の違いがあることも絡めて、鬼になるための独特の修行内容を描いて欲しかった。実際には、鬼に独特の鍛錬が課されているところが描かれたのは、太鼓の練習を除くと、小暮が登場した回だけである(とっさに豆腐を受け止めるとか、発声練習とか)。
 前回に続きフンドシに拘ってしまうが、ヒビキ・トドロキ・イブキ・ザンキが、フンドシ一丁で滝に打たれているという、実にありがちな絵さえなかったのは残念でならない。

 ザンキ殉職、トドロキ復活?!
 ザンキとトドロキは、『レインボーマン』におけるダイバダッタとヤマトタケシの関係になるのか?
 トドロキの復活は、年明けの方が「復帰には、ある程度の時間を要した」という印象が強くなって良かったんじゃないかと思う。

 「アイテムを盗んだのは京介だが、高校生を攻撃したのは京介ではなく傀儡師夫婦」だと読んでいるのだが、果たして…。京介の明日はどっちだ?!

【四十五之巻の感想 】

 でへへ、大当たりですよ、先週の私の予想。コメントでは、傀儡師夫婦だけでなく魔化魍のことにも触れてますし。↓
http://sinden.blog6.fc2.com/blog-entry-175.html#comment-top

 京介は挫折し、独り失意の中にいたように見えたが、それだけではなかった。転んでもタダでは起きないというか、とにかく手柄を立てて一発逆転、名誉挽回のチャンスを虎視眈々と狙っていたのだ! うん、それでこそ我らの京介だ!
 消防士だった父を越えたいと思っている京介が、正面きったケンカとかならともかく、アイテムを使って人を殺めるとは思えない。まぁ、「ちょっとビビらせてやろう」ぐらいの気持ちはあったようだが。
 カシャを目の前にした京介が、アイテムを使わなかった場面では、使おうにもビビッて使えないように見えたが、実は「俺の力でなはない力」に頼って戦うことを土壇場で躊躇していたのだった。HDRで見直すと、確かに怯えているというよりは迷っている様子に見える。これは、ヒビキの元で苦手な体力トレーニングを積んだことによる、精神的な成長なのだろう。

 ただ、京介がカシャの前に“ちょっと待って”てな感じで割って入ってカシャが立ち止まるという動きは緊迫感が無くて不自然だった。京介が、「お前を倒せばヒビキさんも認めてくれる」と、まるでカシャに語りかけるように喋っているのも、説明丸出しで良くない。
 あそこでは、先ずカシャに対して京介が横から携帯電話を投げつけて注意を引く。次のカットで唇を真一文字に結んだ京介の心の声として(コイツを倒せばヒビキさんも認めてくれる)と流す。そして、(これを使えば、俺だって…)と京介の心の声を聞かせつつ、アイテムを使うことを躊躇する芝居に繋げる。このような、自然かつもう少し分かりやすい流れにするべきだった。

 斬鬼と轟鬼のタッグバトルのシーンはこの逆で、わざとらしくてもいいから、コテコテなヒーロー台詞を入れて欲しかった。阿吽の呼吸も確かに良いのだが、
「ザンキさん、二人同時に音撃斬を!」
「よぉし分かった!」
と、最後にもっと明確にトドロキがザンキをリードして同時音撃に持ち込めば、ツチグモを退治した後のトドロキ流の“残心の清め演奏”に斬鬼が加わる流れが、更に心に響いたのではないだろうか。
 あの“残心の清め演奏”は、トドロキが二度目にして真の独立ちをしたことを師匠の目の前で宣言しているものであり、ザンキがセッションしたのは、それを認めて祝福しているのだと思うから。

 ザンキが消滅するシーンも、ちょっと惜しかった。
 音枷がトドロキの肩の高さから地面に落ちて「チンッ」小さく金属音をたて、烈斬が地面に横倒しになって「♪ギョーン…」と比較的短く弦を鳴らすという演出が欲しかった。
 でも、良いシーンだった。(ザンキが消滅したあと、枯葉が舞い降ってくる描写は、童子や魔化魍が消滅するときと類似しており、意味深である)
 ザンキの散華を悟ったヒビキが、自分の決め仕草で敬意を表しつつ別れを告げるラストも締まっていた。

 今回のバトルシーンは、シルエットを効果的に見せる描写がとてもカッコ良かった。
 響鬼の装甲化のシーンと、ツチグモを倒した直後に斬鬼が轟鬼の所に飛び降りてくるカット。
 響鬼の装甲化のシーンでは、飛んでくるDAのシルエットが、ビルのガラスに映り込んでいれば最高だったのだが、それは映画レベルの描き込みといったところか。

 蛇足ながら書いておくが、玩具が売れなくてテコ入れが入った番組に対して、「玩具を売らんがための展開にするな」という批判をするのは、無神経極まりない。
 番組を製作しているのが企業である以上、商品から利益を得ようと努力するのは当然である。それを批判できるのは、「常に利益は二の次で商品を提供している人」だけだ。また、そういった人であっても、「利益を優先させなければ生活が成り立たない人」がいることを理解すべきである。この世の中に生きているのは、聖人君子や金持ち人ばかりではないのだ。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 昔自分を苛めていた人であって、本当に困っているときは助けてあげよう。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 次回は正月明け、おもちも食い飽きてくる8日ですな。残りは3話。
 轟鬼が二刀流なのはイイとして、なんで威吹鬼が赤い鬼石のバチ持って戦っているの? 響鬼  は烈風持ってるみたいだし? お互いに落っことして成り行きで交換しちゃってるようにも見えないが…
 とにかくイブキ~ッ、頑張れ~!

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

New! 12/22 up 29話までの『響鬼』と30話からの『響鬼』を採点比較する!
12/15 up ザンキは如何にして みどりを口説き落としたか?
12/14 up 「ザンキ&修行初期の戸田山」について想像する
12/14 up ザンキについて(ついでにサバキも)考える
12/11 up 『響鬼』とその周辺を1年間観続けた印象 ~特撮文化における「恥」と「理性」~
12/2 up 「完全新生」仕切り直し!『響鬼2』は、このスタイルで放映せよ!!
11/27 up 『響鬼』は何故“マッタリした『牙狼』”になれなかったのか?
11/27 up 『仮面ライダー響鬼』は失敗作である(駄作ではない)
11/18 up 『アマゾン』と『響鬼』
10/30 up 鬼の顔だけ変身解除リアル版 その2
10/30 up あきらも明日夢も京介も変身だぁ!
10/25 up あきらが鬼に変身する過程の想像図
10/23 up 朱鬼の「女の鬼」としてのデザインに不満あり!
10/19 up 最終回までに桐矢京介にやって欲しい10のこと
10/11 up 空想検討「『響鬼』の理想の最終章をファンドで映画化しよう!」
10/4 up 『響鬼』の製作体制変更に関してのまとめ
9/27 up 桐矢京介のモデルはブロガー(アンチ新体制派)だ!
9/17 up もしも『響鬼』が有料番組になったら、金を払ってでも見るか?
9/11 up こんな『響鬼』だったら玩具が売れた!??
9/8 up 『響鬼』の人気低迷を考察する
9/9 up 『響鬼』の商業的失敗の原因を解明する!
9/9 up 『響鬼』の製作体制変更に関する疑問
9/3 up 『仮面ライダー響鬼と七人の戦鬼』
8/20 up ザンキ・スペシャル “元”鬼の裏技「隠し鬼爪」
8/15 up 鬼の「顔だけ変身解除」リアル版
7/26 up ザンキさんレギュラー化計画
7/25 up 『ああザンキさん』
7/22 up 変身裸族
7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
5/15 up 『仮面ライダー響鬼』その他ライダーの変身ポーズを裸で比較検証する
5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
4/18 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える その2
4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

29話までの『響鬼』と30話からの『響鬼』を採点比較する!

29話までの『響鬼』と30話からの『響鬼』を採点比較する!
     そして改めて考える、製作体制変更前後の『響鬼』


 ボクシングや表演競技における採点のような形で、29話までの『響鬼』と30話からの『響鬼』を、定量的に比較してみよう。さて、製作体制変更前と変更後、どちらの『響鬼』が面白いという結果が出るのか?

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 採点基準 …   -2(面白くないので途中でチャンネルを変えた)
            -1(観たけど、面白くなかった)
            0(普通です)
            +1(面白いが、買って観るほどではない)
            +2(面白いから、DVDを買って観よう!)
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       ☆★☆★☆★☆ 採点結果 ☆★☆★☆★☆

一之巻 響く鬼         0
二之巻 咆える蜘蛛    -1(音撃カッコ悪い)
三之巻 落ちる声       0
四之巻 駆ける勢地郎   -1(音撃カッコ悪い、なんとかしてくれ)

【 ↑ DVDのVOL.1 は買わない 】

五之巻 熔ける海      0
六之巻 叩く魂      +2(バケガニは酷いが、「頑張ってドンドコするんだ!」で感情移入)
七之巻 息吹く鬼      0
八之巻 叫ぶ風       0(音撃微妙)

【 ↑ DVDのVOL.2 は購入済み 】

九之巻 蠢く邪心       -1(オオアリ酷過ぎ、明日夢ヘタレ過ぎ)
十之巻 並び立つ鬼     +1(観た当時は良かったが、後のダブルライダーインフレで評価↓)
十一之巻 呑み込む壁   +1(猛士の描写が良い)
十二之巻 開く秘密     +1(みどりさんに1点)

【 ↑ DVDのVOL.3 は購入済み(これといった決め手はないが、総合的に良いので) 】

十三之巻 乱れる運命    +2(本格的等身大アクション)
十四之巻 喰らう童子     +2(音撃カッコイイ)
十五之巻 鈍る雷       +2(手負いの鬼、斬鬼が渋い。変身前の歩くシーンも良い)
十六之巻 轟く鬼       +2(ヒーローの「デビュー戦を描く」というのは珍しい)

【 ↑ DVDのVOL.4 は購入済み 】

十七之巻 狙われる街    +2(イブキの変身前の“変身”が見もの)
十八之巻 挫けぬ疾風    +2(不利を承知で戦いに赴くイブキ!)
十九之巻 かき鳴らす戦士  +2(轟鬼のバケガニ3連斬!)
二十之巻 清める音     -1(アミキリ、引っ張っておいてアッケなさ過ぎ)

【 ↑ DVDのVOL.5 は購入済み 】

二十一之巻 引き合う魔物  +2(轟鬼と姫のアクション)
二十二之巻 化ける繭    -1(ナナシも合体音撃もカッコ悪い)
二十三之巻 鍛える夏    -1(話に不整合あり、ドロタボウ酷過ぎ)
二十四之巻 燃える紅    +2(響鬼紅カッコイイ!)

【 ↑ DVDのVOL.6 は予約済み 】

二十五之巻 走る紺碧      0
二十六之巻 刻まれる日々  0
二十七之巻 伝える絆     0
二十八之巻 絶えぬ悪意   0

【 ↑ DVDのVOL.7 は買わない 】

二十九之巻 輝く少年    0(あんまり輝いていない)

   ※ 一之巻~二十九之巻の平均点 0.59 ※

三十之巻   鍛える予感   -1(桐矢の台詞酷過ぎ)
三十一之巻 超える父    0
三十二之巻 弾ける歌    0(小暮の良さとカマイタチの酷さで相殺)

【 ↑ DVDのVOL.8 は買わない 】

三十三之巻 装甲う刃     -1(話に不整合あり)
三十四之巻 恋する鰹     0
三十五之巻 惑わす天使   +1(ザンキが「鬼の法則」に合致、ヒビキのキャラが立った)
三十六之巻 飢える朱鬼   +2(鬼になることに関する掘り下げた話はこれが初めて)

【 ↑ DVDのVOL.9 は購入する予定 】

三十七之巻 甦る雷      +2(斬鬼カッコイイ!)
三十八之巻 敗れる音撃   +2(みどりさんに1点、「必殺技敗れる」に1点)
三十九之巻 始まる君     +2(やっと少年ヒーローらしくなった明日夢)
四十之巻  迫るオロチ     +1(あきらとイブキの明日はどっちだ!)

【 ↑ DVDのVOL.10 は購入する予定 】

四十一之巻 目醒める師弟  +1(弟子問題決着、一区切りついた)
四十二之巻 猛る妖魔     +1(轟鬼惨敗、まさかの展開!)
四十三之巻 変われぬ身   +1(話は良いが、バトルが雑なので1点減点)
四十四之巻 秘める禁断    0(話は良いが、バトルが雑なので1点減点)

【 ↑ DVDのVOL.11 は購入する予定(VOL.10 からのストーリーの繋がりを重視) 】

   ※ 三十之巻~四十四之巻の平均点 0.73 ※

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 意外にも、それなりに明確な差が付いて、30話以降に軍配が上がった。
 全体的な印象では、漠然と「同じくらいかな」と感じていたのだが。
 もちろん、もし旧スタッフが30話以降を製作した場合、それがどんな出来になっていたかは分からないし、新スタッフが1話から製作していた場合、それがどんな出来になっていたかは分からない。だから、私のこの採点結果は、新旧スタッフの優劣を評価するものではない。飽くまでも、29話までと30話以降の作品自体を単純に比較しているだけである。

 こうして改めて採点してみて気付いたことは、25話から28話までの印象が非常に薄いこと。この4話分が、今回の採点の足を引っ張った形になっていると思う。
 これは重要なことかも知れない。30話以降もこんな感じで話が続いていたらと思うと、ちょっとゾッとする。当時はそれほど気にならなかったが、今思えば「ぬるま湯につかったような」展開だったのではないだろうか。

 もう一点、36話以降は話が切れずにずっと繋がっており、本当の意味での「連続ドラマ」になっていることにも注目したい。
 29話以前は、原則として「2話セット」のブツ切りドラマで、そのセットとセットの間で流れが失われていた。キャラクターに連続性があっても、物語に継続的進展性が無いのだ。ヒビキも明日夢も一貫した明確なテーマを持っていないのがその原因である。9話の暴力問題がその後の一貫したテーマになっていれば、また違った展開もあったのかも知れない。しかし実際にはそうはならず、28話で唐突に復活して明日夢の進歩の無さを浮き彫りにしてしまった。

 桐矢京介というキャラクターが、30話に登場して以来、一貫したテーマを持ち続けていることは、このことと比較すると対照的である。淡々と弟子を続けているあきら、淡々と鬼を続けているヒビキ、鬼になるモチベーションを全く見せない明日夢は、「物語を回す・繋げる」力を持っていなかったということだ。
 29話までの『響鬼』には存在しなかったベクトルを持っているが故に、登場当初は浮きまくっていた(意図的に異質さを描き込まれていた部分もある)桐矢京介。29話かけても全く目処が立っていなかった明日夢の弟子入りを、実現に持ち込んだ功労者は間違いなく彼である。

 なぜ桐矢京介は、明日夢を弟子入りさせることが出来たのか? 逆に言えば、なぜモッチーやあきらや「たちばな」の面々では出来なかったのか?
 それは桐矢自身が「鬼になる」という強いモチベーションを明確に顕し、一貫してそのための行動を起こし続けたからである。30話以降の『響鬼』は、「桐矢京介が鬼になる物語」なのかも知れないと思える程に。
 29話までの『響鬼』は、29話で「擬似的な最終回」のスタイルを取って物語をリセットした。
 それと同じように、30話からの『響鬼』は、「テーマ一貫」という新たな属性を持ったキャラクター・桐矢を投入することで「擬似的な第1話」のスタイルを取り、物語をリセットしている。『響鬼』は、二重にリセットされた作品なのだ。

 「師匠と弟子の物語」は、ザンキ&トドロキに分業してもらっている部分が大きいが、彼らは実は「強力なゲスト」に過ぎない。表には大きく露出しているものの、決して主役ではない。
 30話以降の『響鬼』の“影の主役”は、やはり「裏・明日夢」である桐矢京介なのだ。
 安達明日夢という“表の主役”は、桐矢という“影”を得て、初めて動き出した。
 「光のあるところに影がある」のではなく、「影の無いところに光は無かった」のが、29話までの『響鬼』だったのではないだろうか。

 残りあと4話。
 謎は謎のまま終わらせても構わないから、30話以降一貫したテーマを持ち続けている桐矢というキャラクターを、最後まで描き切って欲しいと思う今日この頃である。
(桐矢京介という人物は実は存在せず、明日夢のもう一つの人格だったという『ファイト・クラブ』みたいなオチでもOK)

『仮面ライダー響鬼』 四十四之巻

『仮面ライダー響鬼』 四十四之巻

【 観る前に思ったこと 】

 非常に大雑把な捉え方をすると、
・明日夢は“完全なる善意(正確には、悪意の欠如)”
・「万引き&逆恨み暴力少年」は、“完全なる悪意”
・迷っていたときのあきらは、“善意と悪意の中間”
・現在の京介も、“善意と悪意の中間”
となり、現在の京介のポジションは、以前のあきらと同じである。タイミング的にも、丁度あきらと入れ替わりになっている。
 以前、「イブキがあきら(迷える弟子)を預けるのは、ザンキ&トドロキのところではなく、ヒビキ&明日夢のところであるべきだった」と書いた。実際には、1順遅れで「ヒビキ&明日夢のところに京介が預けられた」という格好になっているのだ。

 これはもう、丸っきり「京介=あきら」である。京介は「もう一人の明日夢」であると同時に、「もう一人のあきら」なのだ。
 何と便利な、何とお得なキャラクターなのだろう。存在自体が隙間産業&代行産業である。しかも、いつの間にか明日夢に替わって「ヘタレな弟子」というキャラを確立してしまっている。
 願わくば、あきらの替わりに京介がイブキに弟子入りして管の使い手になり、ヒビキの元で太鼓の使い手となった明日夢と、新人鬼のタッグを組んで欲しいものである。
 何となくだが、最終話では、京介とあきらがラブラブになっているような気がする…。

 トドロキがリハビリを始めるようで、ホッと一安心。
 ザンキは、朱鬼から学んだ「禁断の技」を使うのか?

【四十四之巻の感想 】

 以前から思っていたのだが、鬼の特性(個性)がキチンと描かれていないことが気になる。
 威吹鬼がバケガニを倒せるのならば、管の使い手は万能である。専門的な太鼓の使い手も弦の使い手も必要ない。鬼は全員、管の使い手で、夏の間だけ太鼓を使うという体制にすべきだ。
 管の使い手は、オトロシのときに「硬い外殻を持った相手を倒すことは出来ない」という設定だったが、何故かアミキリを倒せるとか(実際には戦わなかったが)、鎧化したツチグモにも鬼石が打ち込めてしまうようになっていった。そして今回は遂に、「弦の使い手の相手の代名詞であるバケガニ」を退治してしまった。

 今回のバケガニは天然物なので、装甲が薄くて鬼石が貫通すると解釈することも出来る。しかし、今回は弦の使い手である斬鬼の覚悟の復活というシチュエーションなのだ。ここは、威吹鬼が鬼石を撃っても撃っても全て弾き返され、遂には弾切れを起こし、
「威吹鬼では、バケガニは倒せない!(音撃に持ち込めない)」
というところ見せた上で、満を持して「斬鬼見参!」にするべきだった。それが演出と言うものだろう。

 威吹鬼を単にヤラレ役にしろと言っているのではない。
 今日の2回目のバトルシーンでは、イッタンモメンが登場し、威吹鬼が退治した。空を飛ぶ魔化魍を登場させれば、威吹鬼の見せ場はちゃんと作れるということだ。
 出来れば今回、装甲響鬼がイッタンモメンに攻撃を受け、鬼神覚声で反撃するも空中でヒラリとかわされてしまうという描写が欲しかった。鬼神覚声は疾風一閃同様、離れた場所にいる相手を音撃できるが、比較的タイムラグが大きく、攻撃の持続時間が短い。空中を高速で動き回る相手に命中させることは困難であろう。
 イッタンモメンを狙った鬼神覚声が外れてしまったのを見て、
「響鬼さん、イッタンモメンは僕が!」
と威吹鬼が前に出て疾風一閃を決める。そういう描写があれば、装甲響鬼がいれば万事OKというワケではなく、威吹鬼にも存在意義があることが観ている側に伝わる。
 これは、前のバトルで「威吹鬼はバケガニを倒せない」だったことの裏返しである。鬼には一長一短があり、3種類の鬼が互いの長所で互いの短所をカバーし合い、協力して戦うからこそ勝利できるのだ。そういう描き方をするべき。

 短所を生かさなければ、長所も生きない。キャラが立たない。個性の無くなりつつなる鬼のバトルを見て、そう思った。

 京介に関しては、本来ダークサイドに落ちたあきらがやりそうなことをやってくれて、その意味では期待通り。しかし、本音を言えば、あきら自身がダークサイドに落ちて、明日夢と京介が救い出すという展開が見たかった。実写版『セーラームーン』の、ダーキュリーのエピソードは盛り上がったから。

 式神とか呪術といった側面は、もっと早くから出しておくべきだったと思う。DAが純然たる機械でないことや、音撃が物理的な攻撃でないこと(大体、なぜ音撃鼓は魔化魍に貼り付けると一体化=巨大化するのか?)は、最初から出されている設定だ。
 こういう部分を観ると、やはり『響鬼』という作品は、鬼の設定にしろ和風という雰囲気にしろ、中途半端であると実感せざるを得ない。

 全身変身解除したザンキが全裸である(トドロキの最初の全身変身解除もそうであったようだが)のは、おかしい。バックルやDAホルダーの付いた鬼フンドシは、どこへ消えたのか?

 明日夢目当てで、いったんは演劇部→チアへと鞍替えしたモッチーだが、本当に自分がやりたかった道に戻ったようだ。高校生キャラの中で、モッチーが一番自立している(鍛えている)のかも知れない。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 リハビリは大変だけど、あせらないで頑張ろう。私も今、背中の筋肉を傷めていて、思うようなトレーニングが出来ません。暫くは「柔軟2倍、筋トレ半分」でいこうと思います。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 ザンキ殉職、トドロキ復活?!
 ザンキとトドロキは、『レインボーマン』におけるダイバダッタとヤマトタケシの関係になるのか?
 トドロキの復活は、年明けの方が「復帰には、ある程度の時間を要した」という印象が強くなって良かったんじゃないかと思うのだが…。

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

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5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
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4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

ザンキは如何にして みどりを口説き落としたか?

ザンキは如何にして みどりを口説き落としたか?
    あるいはザンキに新しい音撃震が支給された理由


 この記事は、ザンキについて(ついでにサバキも)考える の続編です。
 さて、サポーターを始めたザンキに烈斬が支給されたのは良いとしても、一つ不自然な点があります。
 それは、ザンキが鬼ベルト(フンドシ)を身に着けていて、そのバックルに音撃震が装着されていたことです。
 過去の習慣や、DAのホルダーとして鬼ベルト(フンドシ)をしているのはいいとしても、音撃震は要らないのでは? 何故、ザンキに支給されていたのか?
 相手が童子たち限定の戦いでも音撃斬は必要なのか、変身しなくても音撃斬が出来るのか、はたまた音撃震は音撃以外にも有効な利用法があるのか?
 謎は深まるばかりですが、ここは「鬼に変身しないと音撃は出来ない」・「音撃震は音撃以外には有効な利用法はない」という前提で話を進めたいと思います。

 ある日の「たちばな」。
 ザンキが、トドロキのサーポーターになる話をおやっさんに済ませた後、そのまま、みどりの研究室へと入って行きました。サポーターの装備として、新しい音撃弦の支給を直接頼みに来たのです。

みどり「…うん、分かった。でも、音撃震は支給しないからね」
ザンキ「オイちょっと待ってくれ、音撃震も要るだろう」
み「何で? もう変身しないんだから、音撃もやらないんでしょ? だったら要らないじゃない」
ザ「(わざとらしく咳払い)…みどり、俺が実は寂しがりやだってこと、お前も知っているだろ?」
み「うん、知ってるよ。この前の飲み会でも(ここでザンキの真似をする)
  戸田山が独立して、俺は寂しい~、寂しい~、寂しい~…って言ってたもんねぇ?」
ザ「言ってないだろう、そんなふうには」
み「言ってたよ」
ザ「…言ってたのか?」
み「うん、言ってた。ヒビキくんが、すぐ隣で真似してたじゃない。ホントに覚えてないの?」
ザ「…ま、まぁそれは置いといて、とにかく俺は…」
み「寂しがり屋さん♪」
ザ「そ、それで俺はだな…、その、寝る前に烈雷で一曲弾かないと、どうもよく眠れないんだよ」
み「えー? ホントー?」
ザ「ああ、ホントだ。他の誰にも言うなよ、ここだけの話なんだが…」
(ここで、ザンキが実例を挙げてみどりを説得)
み「まぁ、確かに音撃震がないと演奏はできないしぃ~…本当に変身しないって約束する?」
ザ「ああ、約束する。もう俺は鬼にはならない」
み「じゃあ、一応トドロキくんの予備品ってことにして、音撃震も付けてあげるね」
ザ「ああ、そうしてもらえると助かる」
み「…何だかさぁ~あたし、ザンキくんに口説き落とされたみたい。今までも、こ~んな感じで女性
  を口説いてきたの?」
ザ「まぁな、こう見えても俺は、数々の女性を愛してきた男だからな」
み「鬼のように?」
ザ「ああ、鬼のようにな」

 …とまぁ、こんな風にも考えられるワケです。
(みどりが「ザンキくん」と呼んでいる理由は こちら

 会話の中に出てきた予備品のことにも、少し触れておきましょう。
 サポーターに支給する武器は音撃機能を除去した廉価版にすべきだとも考えたこともありましたが、わざわざそんなものを造らなくても、音撃震なり音撃鳴なりを外しておけば、それで良いわけです。徹底的に音撃機能を除去しようとすると、重量バランスから何から全部設計し直しになるし、部品や製造ラインも本式の武器と共通でなくなり、廉価版どころか却って高くつてしまいます。
 また、音撃震は見るからに消耗の激しい部分であり、手入れを怠ると弦が切れるという描写も劇中で見られました。予備品が支給されており、それをサポーターが携帯していても不思議ではありません。
 ちなみに、変身したあきらのバックルにも音撃鳴が装着されていました。普通に考えればこちらの方があるべき姿であり、戸田山変身体のようにバックルにダミー(何の役にも立たない?)を装着している方が不合理だと言えます。

差別用語と呼ばれる言葉に関して

差別用語と呼ばれる言葉に関して


その1. バカチョンカメラ
 
(1)
 1870 (明治3年) から数年にわたって書かれた西洋道中膝栗毛に、
「仮染にも亭主にむかって …ばかだの、ちょんだの、野呂間だのと」
という記述がある。この時期、またはこの時期以前も、庶民に朝鮮蔑視の風潮はなかった。
 つまり、バカ、チョン、ノロマは類似した意味の俗語であり、どれも朝鮮とは関係ない。
(2)
 その後、「バカでもチョンでも」という言い回しは、日常的に使われてきた。私自身も、普通に使ってきた。
(3)
 昭和40年代後半ごろ(詳細は不明)、TVCMで、萩本欽一が「バカでもチョンでも撮れるカメラ」と宣伝。「バカチョンカメラ」という呼び名が世間一般に広がった。
(4)
 「チョンマゲ」が差別用語でないのと同様、「バカチョンカメラ」も差別用語ではない。


「その言葉は差別用語」と誰かが言い出したら、それは差別用語なんだとか、
その言葉を誰かが差別用語として使い出したから、それは差別用語なんだとか、
そういった後付けの屁理屈を、私は一切認めません。

 私は現時点で、痩せっぽちで胴長短足の方向音痴である。
 将来的には、これにハゲが加わるだろう。
 「痩せっぽち」・「胴長短足」・「方向音痴」・「ハゲ」が放送禁止用語になろうがなるまいが、私は自分を表現するこの日本語を使い続けるだろう。

「ザンキ&修行初期の戸田山」について想像する

「ザンキ&修行初期の戸田山」について想像する


 この記事は、拙ブログの記事 ディスクアニマルの使われ方について考える の続編です。
 また、この記事は、
rihoさんのブログ『王様の耳はロバの耳』の記事 【響鬼四十一之巻「目醒める師弟」】
 から、アイディアを得て書きました。

 あきらが「鬼になるための修行の一環」として、明日夢と京介にやらせたのは「旗を手に、横断歩道で子供たちの誘導を行なう」というボランティア活動でした。あきらは以前、本当にこの「修行」を課せられた経験を持っているようです。
 rihoさんは、ザンキがこの「修行」を弟子時代のトドロキにも課し、明日夢たちに対するあきらのように、自ら手本を示していたのではないかと推測されていました。

 もしそれが事実だったとすると、大きな問題が発生した筈です。
 歩くホルモン、じゃなかった「歩くフェロモン」の異名を持つザンキを、世のお母さん世代の方々が放っておく筈がありません。それなりの人通りのある横断歩道でザンキが児童を誘導していれば、「イイ男が○○の横断歩道にいるんですって!」という情報は、光の速さで児童のお母さんやその周辺の女性達の間に伝わります。
 翌日、ザンキたちがいる横断歩道には、児童のお母さん達が集結。渋めの中年を好むタイプの女子高生も寄って来るかも知れません。とにかく混雑します。通勤途中を装ったOLの乗った車が、何台も横断歩道付近に駐停車すれば、渋滞の発生も有るでしょう。

  戸田山「ザンキさん、何でこんなに人が集まってるんスかね?」
  ザンキ「まぁ、大半は児童の親なんだろうけどな…」
  戸田山「昨日、何か事件でもあったんスかねぇ? あ、あそこの車、あんなところに停車
      して…」
  ザンキ「…戸田山、場所を変えるぞ」
  戸田山「え? あ、ハイ、でもあの車、駐停車違反なんで、ちょっと一言言ってやらないと」
   ザンキは、駐停車違反の車にこだわる戸田山を放置して、スタスタと歩き始める。
  戸田山「あ! ザンキさん待って、ザンキさーん!」

 慌ててザンキを追いかける戸田山。彼の背後で、お母さん達が一斉に切ない溜息をついたことに気付き、戸田山は訝しげな表情を浮かべる。

 翌日、ザンキは出発前に戸田山に指示を出します。
  ザンキ「戸田山、今日からディスクを使うぞ。この範囲の全ての横断歩道に座標を設定して、
      ディスクを放て」
  戸田山「ディ、ディスクを使うって、魔化魍が…」
  ザンキ「いや、そうじゃなくて…ディスクを使って、ご婦人方の集まっていない横断歩道を探す
      んだ。まぁ、確かにお前の言う通り、魔化魍を探す練習にもなるよな」
  戸田山「ああ♪ なるほどぉ。分かりました、やるッス!」

 戸田山が一人でえっちらおっちら設定し、ステルス化して放ったDAが、一匹また一匹と戻って来ます。
  DA再生音「ペチャクチャペチャクチャ…ヤーネオクサン…ウチノダンナナンカ…」
  戸田山「あー、当たり…じゃない、外れッスね、この場合。次のディスクは…」
  DA再生音「ペチャクチャペチャクチャ…ッテユーカ、ヤッパアレッテマジサイテー…」
  戸田山「これは多分、女子高生…これも外れ…」
  DA再生音「キュルル……キュルル……キュルル……キュルル……」
  戸田山「あ、コレだコレ! ザンキさーん、見つかったッス!」

 ザンキと戸田山は、戸田山が特定した横断歩道へと、急いで移動。
 現着すると、確かにその横断歩道の周囲には、お母さんやOLや女子高生の姿はない。しかし、肝心の児童の姿も、全く見当たらないのであった。

  戸田山「ええと、あの、ザンキさん… 子供、来ないッスね…」
  ザンキ「ああ、来ないな…」
  戸田山「あ、でも、待っていればそのうち来ると思うんスよ」
  ザンキ「ああ、ずっと待っていればな…」
  戸田山「あ! そう言えばザンキさん、昨日のことなんですけど!」
  ザンキ「何だ? 言ってみろ」
  戸田山「昨日、俺が横断歩道から別の横断歩道へ移動する度に、俺の後ろで、女性達が、何
      て言うか、みんな溜息ついているみたいだったんスよ」
  ザンキ「それが…どうかしたのか」
  戸田山「イヤ、だからザンキさん… 昨日、横断歩道に女性が集まっていたのは、もしかして
      俺が目当てだったのかな~、なんて思ったりもするんですけど…どうなんスかね?」
  ザンキ「…戸田山」
  戸田山「ハイ、ザンキさん!」
  ザンキ「…スクワット」
  戸田山「ハイ?」
  ザンキ「こうしてただ立っているだけじゃ、修行にならんだろう? だから、スクワット」
  戸田山「ハ、ハイ、そうっすね。で、何回やればいいんスか?」
  ザンキ「横断歩道を渡りに子供が来るまで…だよな?」
  戸田山「ハイ?」
  ザンキ「ああ、でも千回越えたら、腕立て伏せに替えてもいいぞ。それも千回超えたら、次は
      腹筋な」
  戸田山「で、でもザンキさん…」
  ザンキ「戸田山、お前は鬼になりたいんじゃなかったのか?」
  戸田山「な、なりたいッス! ザンキさんみたいに、立派な鬼に! やるッス、スクワット!」

  町外れの横断歩道の脇で、戸田山はザンキに見守られながら、只ひたすらスクワットに励むのであった…。

 そんな修行の日々を重ねて、見事鬼になったトドロキ!
 だから、例えどんな状況になろうとも、自分に勝つんだトドロキ!

ザンキについて(ついでにサバキも)考える

ザンキについて(ついでにサバキも)考える


 この記事は、拙ブログの記事 ディスクアニマルの使われ方について考える の続編です。
 また、この記事は、
武鬼妖さんのブログ『アルビエンヌ』の記事 【烈斬と音枷のこと その1】
 から、アイディアを得て書きました。

 三十七之巻で、ザンキが雷神から取り出した変身鬼弦と烈斬。
 私は「ああ、やっぱり積んであったんだな」くらいにしか思わなかったのですが、武鬼妖さんはいろいろ疑問を抱かれたようです。
 この件に関して、私の考えを述べてみます。

 本来、「ザンキ」の“最後の弟子”は、烈雷と「ザンキ」の名前をセットで引き継ぐというのが慣例だったと、私には思えます。引退するなら武器は要らないし、名前を継がせると同時に武器も継がせるというのは、とても自然なことだと思いますし、男として心情的に同感できます。
 ザンキの場合も、先代のザンキの“最後の弟子”となるという巡り合わせを得て、鬼になった。だからザンキもまた、自分が引退するに当たって、烈雷と「ザンキ」の名前を当時の弟子である戸田山に引き継がせようとした。しかし、戸田山が「ザンキ」の襲名を拒んだため、烈雷のみが引き継がれる形となった。そういう解釈です。

 引退後、ザンキがトレーナーになって鬼を養成するにしろ、サポーターになって現役の鬼をサポートするにしろ、DAを扱う以上、変身鬼弦が必要です。ザンキが引退後も音枷を所有しているのは当然だと思います。サポーターは弟子に準じる仕事をすると考えれば、ザンキが音枷とDAを常時身に付けていないのはむしろ不自然です。
 ザンキの場合、ディスクアニマルの使われ方について考える でも書いたように、演出的な意味合いから、普段は音枷とDAを身につけていないような描き方がされたのだと思います。
 まず、ザンキから「鬼としての記号」を奪うことで、トドロキの「鬼としてのキャラクター」をより鮮明に映し出すことができます。
 また、普段ザンキから「鬼としての記号」を奪っておけば、ザンキが鬼として復活したときのビジュアル的なインパクトが強くなります。前回、ザンキが変身する際、金属的な効果音と共に音枷を装着するという描写がありました。あの映像が視聴者に与えた効果は、言うまでもないでしょう。

 もちろん、普通に辻褄を合わせることも可能です。
 ザンキ大好きのトドロキが、本来サポーターがやるべき仕事を嬉々としてこなしてしまうため、ザンキは音枷を使う機会がなく、外していても構わない。また、ザンキ自身、変身への未練を断ち切るため、普段は音枷を外している。これは、多くの人が思っているのではないでしょうか。
 私はこれに加え、ザンキがみどりから「サポーターになるのはいいけど、音枷でDAを起動しないでね」と釘を刺されていると想像します。コガネオオカミはザンキ専用に開発されたという設定になっているようですが、これは「ザンキが音枷なしで起動させても、ちゃんと動くし、ちゃんと帰って来る」といった、「バカチョンカメラ」ならぬ「バカチョンDA」といった意味なのではないかと思っています。

 烈斬に関しては、変身しなくても使える(変身前の普通の童子なら倒すことも可能。イブキは変身前に烈風を使って童子を攻撃したことがある)以上、サポーターとしてのザンキの武器として支給されていたとしても何ら不自然ではありません(膝の回復を見込んでの話)。
 リアリズムを追及すれば、サポーターも弟子も、現場に同行する際は音撃管(銃形態のみの廉価版でも良い)あたりを常時携帯するべきです。ただし、これは演出上は好ましくありません。変身前のザンキが烈斬を使うシーンがなかったのも、その一環でしょう。

 もちろんこの件も、好意的に解釈できます。
 ザンキが変身しないとはいえ、トドロキの前で烈斬を使えば、トドロキの中で克服されたのザンキへの依存心が、再び頭をもたげてくるかも知れない。またザンキにとっては、断ち切った筈の鬼への未練が、再び疼き出すかもしれない。そういった理由で、いざというときには使えるように雷神には積んであるものの、原則として使わないことにしていた。そう考えれば、納得がいきます。

 私の解釈でも、「ザンキ」の“最後の弟子”以外は、烈雷も「ザンキ」の名前も引き継がず、新しい音撃弦と新しい鬼名を与えられて独立していったということになります。戸田山も、本来はそうなる予定だったように思えます。
 また、当然ながら、ザンキがトドロキ(戸田山)以前に弟子を取っていなかったとは考えにくい。師匠フェロモン出まくりのザンキですから、10代から弟子を取っていたとしても不思議ではありません。
 修行期間の最短記録保持者であるヒビキは、ザンキとたった1歳しか年が違わない。そのヒビキが、ザンキを完全に「鬼の先輩」として見ています。このことから、ヒビキが弟子だった時期に、ザンキは既に弟子を取る立場になっていたと考えるべきではないでしょうか。

 そこで、サバキです。
 サバキもまた、ザンキの弟子だったのではないでしょうか。
 ザンキが自分より年上であるサバキを呼び捨てにしていることから、少なくとも、鬼としてはザンキが先輩(または同期)であることは確かです。サバキが酷く体調を崩しながらも、ザンキの抜けた穴を埋める為に連チャンで戦い続けたのは、かつての師匠に対する恩返しの意味があったのでは?

 Vシネマで良いから、『響鬼サイドストーリー 関東支部の鬼たちの忘年会』とかで(回想シーンにおける戦闘場面は、全部バンクでも構わない)、その辺の秘密を明かしてもらえると嬉しいのですが。
 戦隊モノのVシネマが商売になっているのだから、『響鬼』のVシネマも出して欲しいところです。

『ファインディング・ニモ』

『ファインディング・ニモ』
  2005年(4月17日~)のWOWOWで観た映画:15本目
  映画を観た日:2005年12月11日(日)


 日本人は、魚を食べる民族である。水族館のエビの水槽の前で「美味しそう」と呟く人も、決して珍しくない。
 擬人化された魚に、日本人が感情移入できるのか? いかにディズニー/ピクサーといえど、日本ではコケるんじゃないか? そう思ったが、どっこい劇場公開で大ヒット、DVDの売り上げも相当な数にのぼるようだ。
 自分でこの作品を観て感じたことは、登場する魚が日本人にとっては余り味見のない、じゃなかった馴染みのない種類が多いので、感情移入することが出来たということ。あれがクマノミではなく、鯛や秋刀魚や鯖といった食用の魚だったら、さすがに観ていて複雑な気分になったと思う。
 タイトルには『ニモ』の名前が出ているが、実際にはニモの父親が主人公。まぁ、『ニモを探して』というような意味なので、看板に偽りありというわけではないのだが。

 この映画の影響で、クマノミが乱獲されたという報道があった。『ニモ』を観てクマノミを乱獲する人や、クマノミを水槽で飼おうと思う人の気が知れない。

 ニモが奇形であることに最初は驚いたが、思い起こせば、ハンディキャップを持つキャラクターが活躍するというのは、アメリカの映画ではしばしば見られるパターン。日本の映画も、アメリカ映画のこうしたパターンを見習ってはどうか。それが例え偽善に映ろうとも、少なくとも「臭いものには蓋」・「触らぬ神に祟りなし」よりはマシだと思う。

『響鬼』とその周辺を1年間観続けた印象~特撮文化における「恥」と「理性」

書く気のあるうちに『響鬼』を総括する 【その3】

『響鬼』とその周辺を1年間観続けた印象
     ~特撮文化における「恥」と「理性」~


                「解っていなかった」中学時代の私

 『響鬼』は子供向け番組である。
 『響鬼』は主に子供向け玩具を視聴者に購入してもらうことで、商業的に成り立っている。
 例え親の受けが良くても、子供が欲しがらない「決して安くはない玩具」を、親が積極的に買い与える可能性は極めて低い。だから『響鬼』は子供に観てもらうこと、子供に人気が出ることを最優先する必要がある。
 コアターゲットは、3才から8才まで。『響鬼』のメインスポンサーであるバンダイは、顧客に対して行なったアンケートの調査結果を公開しており、この辺に関してはハッキリしている。
 アンケート結果をみると、9才以上は戦隊も仮面ライダーも観ていないようである。9才以上で『響鬼』を観ている人は、子供と一緒に見ている親・特撮ファン(予備軍含む)・出演俳優目当てで観ている人…などであろう。
 例えて言うなら、彼らは『PRIDE』という格闘技イベントにおける未就学児の観客のようなものだ。基本的には「存在しなくても支障のない客層=無視してよい存在」である。実際に『響鬼』の視聴率や玩具の売り上げが低迷したことを鑑みれば、これは正にその通りとしか言いようがない。
 少なくとも高校生以上の年齢層は、このことに気付いて然るべきだ。例え自分自身が『響鬼』を楽しんで観ていたとしても、『響鬼』という商業作品にとって、自分は基本的には「対象外」であることを、充分に理解できる筈である。

 「少なくとも高校生以上」という個所を、「少なくとも中学生以上」と書かない理由は、私の中学時代の経験に拠る。
 私はファーストガンダム直撃世代(リアルタイム放送時に中学生だった=主人公のアムロと同世代)である。リアルタイム放送時の私は、番組のメインスポンサーが「小学生以下を対象にしたとしか思えない玩具」を扱っていることを意識できていたにもかかわらず、番組自体は中学生(自分の世代)をターゲットにしていると思い込んでいた(ある意味これは正解でもあるのだが)。
 アニメ会社の思惑はともかくとして、番組スポンサーのターゲット層から自分が除外されている(ように見える)ことに関しては、「解っていない」視聴者だったのだ。当時「何故、中学生(以上)向け商品のCMがメインじゃないんだろう」等の疑問は、全く抱かなかった。
 これは私だけでなく、リアルタイム放映時の中学生ファンの大半が陥っていた状況だと思う。何しろ、『ガンダム』はエポックメイキングな作品であり、前例(視聴者荷とっては免疫)の存在しない作品だったのだ。
 『ガンダム』が玩具の売れ行き不振等の理由で打ち切りになっていたことを、雑誌で知ったのも中学生のときだったが、それは番組放送終了後のことである。雑誌の情報を得て、初めて私は「スポンサーの商品が売れなければ番組の商業的立脚点が失われる」ことを明確に認識した。それ以前にも番組視聴率とか番組スポンサーについて何となく知ってはいたと思うが、仕組みとしてハッキリ理解したと言えるのはこのときからである。
 翌年の『イデオン』のときもまだ中学生だったが、玩具CMを観て「今度もヤバそう(売れなさそう)だな」と感じ、唐突な最終回を観て「やっぱり打ち切られたか」と思ったものである。
 
                「中学生集団」か、「壊れた大人」か

 前置きが長くなってしまったが、私が『響鬼』とその周辺を1年間観続けて最も印象的だったのは、『響鬼』が子供向け作品として失敗したことを理解していないとしか思えない、一部のファンの振る舞いなのである。
 『響鬼』を自分のブログで批評するのは自分もやっていることなので理解できるが、劇場版の公式ブログのコメント欄にTV版の苦情を書き込む人がいたことには驚かされた。非公式なBBSの劇場版スレッドに、ではない。劇場版の公式ブログのコメント欄へ、である。
 これは、単に非常識というレベルではない。まともな精神状態の人間なら、例え感情に突き動かされそうになっても、理性がそれにブレーキをかける筈である。それが出来ないということは、人間として壊れているということだ。最初に目にしたとき、私は一種の恐怖感すら感じた。

 これらは酔っ払った人が勢いで書き込んだのかも知れないし、ごく少数の人が大量に書き込んだのかも知れない。しかし、その後「たのみこむ」に寄せられた『響鬼』の製作体制への発案に対する賛同者の数を見ると、酔っ払いが書き込んだとか、ごく少数の人が書き込んだものという可能性は低そうに思える。
 劇場版の公式ブログのコメント欄にTV版の苦情を書き込んだ人や、「たのみこむ」に寄せられた『響鬼』の製作体制への発案に対する賛同者の年齢は良く分からない。彼らが中学生集団である可能性もある。自分の過去を振り返ると、中学生に大人の判断能力や振る舞いを期待するのは、時と場合によっては無理なこともある。
 しかし、どうも彼らが中学生集団であるとは思えない。根拠は薄いのだが、高校生以上もけっこうな割合で存在しているような気がする。
 その薄い根拠とは、「たのみこむ」の件の発案者が社会人であることや、高校生以上が書いていると思われるブログに同様な意図の記事が散見されるといったことである。私が読んでいるブログは20/週程度なので、一寸気になってしまう。
 「たのみこむ」の件の賛同者は数百のレベルなので、『響鬼』の記事を書いているブロガーやその読者の総数と比較すると、決して多いとは言えないだろう。数百という数が、氷山の一角だとも思わない。『響鬼』の視聴率は、30話以降は若干ではあるが上がっているようなのだ。一寸気になってしまうのは、飽くまでも「数百の賛同者に占める高校生以上の割合」である。

          「『響鬼』は俺のモノだ」と叫ぶ「無責任な子供」たち

 「たのみこむ」に寄せられた『響鬼』の製作体制への発案や、それに対する賛同は、劇場版の公式ブログのコメント欄にTV版の苦情を書き込むという行為と比べればまともだが、それでも非常識あるいは幼稚である。もっとハッキリ言えば、無責任である。
 彼らが、「『響鬼』は視聴率20%を越える人気番組で、関連商品も爆発的に売れて万事順調だったのに、ある日突然、製作体制が変更になった」と勘違いしているとは、ちょっと思えない。
 高校生以上なら、「『響鬼』は、旧スタッフ体制下で何らかの大きな問題が発生したから、新スタッフに交代した」と想像するのが普通だろう。
 その問題が解決されないまま、旧スタッフを復帰させられるわけがない(裏を返せば、視聴者の思惑とは関係なくその問題が解決し、旧スタッフが復帰する可能性はある。しかし、それは飽くまでも番組側の都合だ)。
 問題の内容を熟知し、その解決策を提示した上で旧スタッフの復帰を「たのみこむ」というのなら分かるが、問題そのものを無視して旧スタッフの復帰を要求し、その見返りというのが「各々がDVDの購入を約束する」だけというのは、まるで4コマギャグ漫画のオチのようだ。
 問題を解決せずに旧スタッフを復帰させたら、番組製作が破綻して、最悪の場合『響鬼』は放映が中断する危険性がある。そんなリスクを番組側に背負い込ませようと言うのか? 番組の放送継続よりもDVDの売り上げを優先するなど、有り得ないではないか。
 ついでに言えば、旧スタッフの復帰など行なわなくても、DVDは普通に売れるだろう。「旧スタッフを復帰させないとDVDが全く売れない」という明確な根拠でもあれば話は別だが、もしそんな根拠があれば(視聴率の急激な低下など)、他所から頼まれる前に番組側が自ら方針を変える筈だ。
 こんな発案(または賛同)は、子供が無責任な我儘を言って大人を困らせることと同質であると思う。

 責任ある態度としては、「旧スタッフによる問題のうち、金銭に換算できるものに関しては、その全額を責任を持って我々が補填するので、旧スタッフを復帰させて欲しい」といったところだろう。
 そこまでするのは無理だとしても、「製作コストの一定割合を負担するので、旧スタッフによるVシネマをTV放送とは別個に製作して欲しい」とか、常識的なアプローチが出来た筈である。もちろん、「製作コストの一定割合」というのは「発売されたら必ず買います」などといった子供じみた話ではない。「Vシネマファンド」といったものを一人あたり10万円なり100万円なり申し込むとか、そういう類の話である。
 ちなみに、映画『忍-SHINOBI』は、「映画ファンド」によって5億円の資金を調達している。(参照した記事のURL↓)
 http://www.shinobi-movie.com/fund/
 http://www.shochiku.co.jp/guide/information/20050325.html

                   「路上の涙」と「卓上の指」

 Jリーグの『横浜フリューゲルス』というチームは、事実上消滅した。フリューゲルス(F)がなくなる前、Fのサポーターが路上で涙ながらにチームの存続を訴えていた姿を、ニュースで目にした人も多いだろう。私はFのファンでも何でもなかったが、サポーターの行動には、文字通り「リアル」を見た。
 プロ野球でも、球団合併の際、同様の光景が見られたことがあった。
 『響鬼』のファンが「旧製作スタッフの復帰」を路上で訴えたことがあるのか、私は寡聞にして知らないが、Fのサポーターの体を張った路上の行為と比べると、『響鬼』のファンのネット上の行為は何とも空虚なものだと思える。
 「自分の欲しいものは手にいれたいが、自分の手は汚したくない」といった、現実から遊離した欲求。
 「旧製作スタッフの復帰」というガチガチな現実の事象を、ネット越しの「匿名のお願い」で解決しようという、仮想現実的発想。
キーボードを叩くことで済む範囲にしか及ばない、お手軽な活動。
 やっていることは、所詮ブログやBBSの延長である。
 だから、自分も所詮彼らと同じ穴の狢なのだと思うと、気まずく、恥ずかしく、何ともカッコ悪かった。自分のブログに『響鬼』の批判記事を書くことも、彼らの行為と五十歩百歩なのだと思うと、わびしさを禁じえなかった。(普通の子供並みに玩具を買っていても、「子供の心が残っている」と自覚していても、対象外である層に属していることには変わりはない)

 現実に身を晒すことが当たり前のスポーツファンと、現実と接点を持とうとしない『響鬼』旧製作スタッフ支持者。この行動の差は、何なのか。
 「そこまでしなければならない問題ではない」から「この程度のことをする」という「程度の差」なのか。それとも両者には「本質的な違い」があるのか。
 一つ言えることは、Jリーグやプロ野球に対して、サポーターや大人のファンが「自分は見る側の主体である」と考えることは間違っていない(サポーターの場合は特に)ということだ。しかし、『響鬼』旧製作スタッフ支持者は、そうではない。彼らが3才から8才までの年齢層であるならば、話は別だが。

 あるいは…もしかしたら、本当に私が知らないだけなのだろうか?
 「『響鬼』のテコ入れに抗議するファングループ」が、トラックで玩具屋の前に乗り付けて、売れ残っている『響鬼』の玩具を全部買い取って行くとか、そういう「事件」があったのだろうか? 大人の『響鬼』ファンのそういう体を張った活動が、TVのニュースで報道されていたのに、私が見逃していただけなのだろうか? 

                        「恥」と「理性」

 日本のTV特撮の歴史を振り返ると、子供向け番組を中心に発展してきたという事実がある。
 例えば、『ブルースワット』を観ていたファンなら、このことを明確に認識している筈だ。
 TV特撮が「子供向け番組という枠の中でどこまでやれるのか」という可能性に挑戦してきた一方で、「子供向け番組という枠による限界」にぶつかって放送途中にテコ入れや路線変更が行なわれてきた経緯を、そこに見た筈だからだ。(最近の『ネクサス』に至っては、テコ入れどころか打ち切りであった)
 こういうことは、以前からあったことである。そしてその度に、高校生以上の特撮ファンは、自分が子供向け番組というその「枠」の外側に立つ、対象外の存在であることもまた、意識してきた筈である。
 特撮ファンである私は「特撮番組は、子供向けということで不当に低く評価されている!」という現状へのコンプレックスと、「自分も子供の頃は、子供向け番組としての特撮作品を素直に楽しんでいた」という過去への郷愁の狭間で揺れながら、特撮の未来の姿に思いを馳せて来た。
 特撮という文化の中に、特撮ファン自体を含めるとすると、特撮という文化は「恥の文化」という側面を秘めていたと思う。「恥」とは、現実を客観的に認識する「理性」の生み出す認識であり、自覚である。
 劇場版の公式ブログの件で私が感じた一種の恐怖感は、この「理性」の欠如に由来するものだ。「恥」のないところには、「理性」もまた存在しない。そんなことを改めて思った。

                   一株主として意見する道

 ちなみに私は、東宝のゴジラ映画製作方針に一言でも意見したいと考えて、一時期真剣に東宝の株の購入を検討していた時期がある。どういう根拠だったのかまでは覚えていないが、軍資金の目標額を120万円に設定していた(職場の「株に詳しい人」に相談したこと自体はハッキリ覚えている)。結局、しがないサラリーマンにとってはハードルが高く、目標額に達する前に熱意の方がしぼんでしまって、株の購入は実現しなかった。
 中途半端に貯まった軍資金は、わざわざ新たに郵貯の口座を作ってそこに入れた。私なりの敗戦処理である。でも、手付かずのまま残っているという意味では、今でも可能性は残っている。
 東映やバンダイの株主総会の出席権って、どうなっているのだろう…などと思いを巡らせている今日この頃である。
 例え小口の株主でも、数百人が徒党を組めば、会社に意見する機会が得られるのではないだろうか。そして、会社も少しはその意見に耳を傾けるのではないだろうか。
 「そこまでする気持ちがあるのか」と言われたら、正直、自分でも分からないのだが。

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関連記事 「完全新生」仕切り直し!『響鬼2』は、このスタイルで放映せよ!! の一部を抜粋↓

「いつもの和食を頼んだら、それはもう無いと言って洋食が出てきた」とか憤慨していた人。
 あなた、その和食、金を払って食べていたんですか?
 もし払っていたとしても、店と「年間和食提供契約」でも結んでいたんですか?
 欲しいものがあれば、それ相応の対価を支払うのが当然である。
 そして、例え対価を支払ったとしても、契約外の項目に関しては何も保証されないのだ。

『仮面ライダー響鬼』 四十三之巻

『仮面ライダー響鬼』 四十三之巻

【 観る前に思ったこと 】

 ちょっと意外だったのは、他所のブログで「夏の魔化魍なのに云々」という記述が散見されたこと。
 以前、みどりは「小さい魔化魍は、白い者(クグツ)が作り出す」という趣旨のことを語っていた。クグツは白も黒も人員整理で消滅したので、今回の小さい魔化魍は季節と関係ない。
 あれほど「人員整理だー」と、わざとらしいまでの演出がされていたのだから、小さい魔化魍に限らず、魔化魍や童子全般において、過去の設定がリセットされたということぐらい、気付かなければならない。このリセットは少々強引な展開ではあるものの、29話以前との整合性は、大枠ではちゃんと保たれている。
 今回の傀儡師夫婦は「100年に一度のオトロシ」を作ったり、武者童子や乱れ童子を作ったり、更にはアミキリ、ナナシと「前例の乏しい、または前例のないこと」をやりまくっているのだ。日菜佳やオヤッサンも早い回で「今までとパターンが違う」「悪意を感じる」と語っており、その後、みどりも「今回のヤツは本当にタチが悪い」と断じている。今回の傀儡師夫婦が過去の手法に見切りをつけ、魔化魍の作り方を完全にリセットしたのは、その流れからすると必然とも映る。

 また、オロチという現象は傀儡師夫婦の管理下にない一種の自然現象であるようなので、前回登場した魔化魍は大小とも自然発生したと考えるのが妥当だろう。天然の魔化魍と人工の魔化魍が、全く同一の性能であると考えるのは、むしろ不自然だと思う。
 早い回でヒビキは「最近の魔化魍は強くなっている気がする」と言っていた。実際、傀儡師夫婦は魔化魍強化に腐心していたようであり、人工魔化魍は天然魔化魍よりも強化されている可能性が高い。夏の魔化魍の「太鼓以外では倒せない」という特徴が、人工的に付加されたものであっても不思議ではないだろう。
 個人的には、人工魔化魍のカッパやバケネコが何故「太鼓以外では倒せない」のか、そっちの方が説明不足だったと思う。カッパなんか、分裂の仕方を見る限り、普通にギターやラッパでも倒せそうである。

 烈斬を静かに置く(ザンキ流)のではなく、ザックリ突き刺して(トドロキ流)から変身するザンキ。トドロキは、本当に再起不能になってしまったのか? 『響鬼』も残すところ6話? 何とか最終話までには復活して欲しい。
 怪力+音撃斬の轟鬼は、本来、オトロシのようなタイプの魔化魍はカモに出来る(腹の下に潜り込んで、相手が潰しにかかってきても逆に持ち上げてフィニッシュ)筈だ。だから、余計に悔しい。
 ウブメみたいな、空中戦・高速型の魔化魍(いかにも轟鬼が苦手そうなタイプ)に寄ってたかってボコボコに攻められ、うち一匹は倒すものの、死角から直撃を喰らって思わぬ大ダメージ…とかなら、仕方ないなとも思える。しかし実際には、轟鬼はオトロシにやられてしまったのだ。
 うーむ、これはやっぱり、リベンジするしかないぞトドロキ(轟鬼)!

 ちょっと予想してみよう。
 12月11日、18日、25日と3週連続でザンキ&烈斬が活躍し、この間はトドロキ&烈雷はお休み。(烈斬クリスマス商戦)。18日の最後の方で、トドロキは医者の忠告を無視してリハビリを開始。それを制止することも協力することもできず、ただ痛々しげに陰から見守る日菜佳。
 12月25日は、ザンキが大活躍するも、無理がたたってダウン! 関東猛士組(武鬼妖さんの表現を拝借)、大ピンチ!…で来年へ引っ張る。トドロキは、日菜佳の力を借り「鬼の形相」でリハビリを続ける。
 1月8日。ザンキも入院しており戦力外状態。猛士側は大ピンチが続くが、そこへ復活したトドロキが登場し、皆のピンチを救う。しかし、トドロキは完全復活には程遠い状態。
 1月15日。ザンキはまだベッドの上だが順調に回復中。トドロキは「これが最後の変身になっても構わないッス」という覚悟で最終戦に望む。
 1月22日。最終決戦の最中、轟鬼が音撃を決めようとするが、遂に体力の限界が…。轟鬼のド根性もこれまでか?!と思われたとき
「轟鬼ィイ! しっかりしろ!」と斬鬼登場!
(♪タータッターーー♪タララタタタタ♪タータッターーー♪タララララー♪ というBGMが流れる←ノツゴに捕えられたあきらをザンキが救い出したときに流れたBGM)
「ざ、斬鬼さん?!」
「二人で一緒に音撃斬だ! いけるか?!」
「ハイ!!」
「音撃斬、雷電斬新!」「音撃斬、雷電激震!」
烈斬と烈雷のセッションで、魔化魍を爆砕! 雷師弟の勝利だ!!…てな感じになって欲しい。
 もちろん、ヒビキと明日夢のエピソードも、同時進行で(一応こちらがメイン)描かれるという前提である。「ザンキとトドロキ」と「ヒビキと明日夢」のエピソードを上手く対比することができれば、相互作用で1+1が2にも3にもなる効果がドラマに生じる。それを期待したい。
 
 桐矢京介というキャラクターは、スケープゴートとして完璧に近い働きをしているように思う。この部分に関しては、正にスタッフの思惑通りだろう。視聴者を自分の手のひらの上で躍らせている気分を満喫しているのではないだろうか。
 ただし、「ソツなくこなす人」と「ヘタレ」が並んだら、どうしても「ヘタレ」の方が目立つ。京介がヘタレとしてキャラが立ってしまうと、元ヘタレ・明日夢の影が薄くなってしまう。この辺りの匙加減をどうするのか、注目である。

【四十三之巻の感想 】

 桐矢京介というキャラクターは、今まで明日夢というキャラを動かすための狂言回し、あるいは当て馬として使われてきた。物語を進めるにあたって、いると非常に便利なキャラクター。
 今までは、明日夢がいなければ、京介の存在価値はなかった。しかし、「継続は力なり」。京介は、明日夢がいなくても存在可能なキャラに成った。薄っぺらい記号でしかなかったキャラが、いつの間にか「存在力」を膨らませ、キャラとして独立したのだ。極端な話、明日夢がいなくても、京介がいれば『響鬼』は成立する、というところまで来ている。

 良い親の元で素直な性格に育った少年が、真っ直ぐに成長していくのは、ドラマの中では当たり前。 親から離れ、物質的には恵まれても孤独な暮らしを続けてきた少年が、歪んだ性格になるのもドラマの中では当たり前。
 優秀な者を選び、劣っている者を切り捨てるのは、現実の世界では当たり前。しかし、『響鬼』のドラマの中では、劣っている者(飽くまで2者の比較。明日夢も、鬼に向いているとは思えない)を切り捨てるというのは片手落ちである。

 勧善懲悪という視点に立つと、明日夢は“完全なる善意(正確には、悪意の欠如)”として描かれており、「万引き&逆恨み暴力少年」は、“完全なる悪意”として描かれている。「万引き&逆恨み暴力少年」は、童子&姫や魔化魍同様の“悪”であり、“善”とは互に理解し合えない相手として、『響鬼』の世界では存在を否定されていた。
 桐矢京介というキャラクターは、29話以前に登場した「万引き&逆恨み暴力少年」と、「明日夢」のちょうど中間に位置している。“完全なる善”も“完全なる悪”も、現実には有り得ない。だから、その中間にいる京介は、実は最もリアルな存在である。我々は、京介のように堂々と憎まれ口を叩かないだけで、実際には常に善と悪の間で揺れ動く不完全な存在なのだ。
 今、京介というキャラクターが描かれていることで、『響鬼』の世界は確実に厚みを持ち、我々の住む現実との間に接点を持ち得ている。

 仮に、ヒビキが明日夢ではなく京介を弟子に選んだとしても、『響鬼』は、そのテーマを成就することが出来る。製作体制の変更は、とんでもない副産物を産んだ。ドラマは生き物だ、と実感する。

 ザンキとトドロキの師弟関係は、親子(父と息子)の関係に近い。
 それと比較すると、ヒビキと明日夢の師弟関係は、兄弟(成人した兄と、まだ小さな弟)の関係に近い。
 「理想的な大人と、理想的な少年」という絵に書いたようなドラマも悪くないが、紆余曲折を経て辿り着いた『響鬼』の泥臭い現状も、決して捨てたものではないと思う。ヒビキの台詞とザンキの台詞が重なる部分もあり、「ヒビキと明日夢&京介」サイドと「ザンキとトドロキ」サイドのドラマの相乗効果も少し出ていたように思う。

 戦闘シーンは前回同様、雑な印象を受けた。
 響鬼だけが格段にパワーアップしている以上、「装甲響鬼がいれば、威吹鬼は要らないじゃないか?」という状況になりやすいのは仕方が無い。しかし、それならそうで、威吹鬼が装甲響鬼をサポートしている(装甲響鬼の背後にいる敵を担当する等)ことが明確に分かる絵作りをするとか、工夫して欲しかった。
 ザンキが変身に至る過程も、説得力に乏しい。アームドセイバーと烈風が同時に弾き飛ばされ、二人一緒にバケガニに周囲を完全に包囲されるといった、「絶体絶命のピンチ」を演出してくれないと、せっかくのザンキの決死の行為が、何だか軽はずみの行動に見えてしまう。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 ヒビキの台詞が良かった。
「運動神経が悪かったり、体力が無かったりするのは恥じゃない。今の自分を越えていくことが大事」
 運動神経や体力に限らず、知識、知恵、優しさなどにも同じことが言えると思う。
 ザンキの台詞も良かった。
「鬼というのは、一つの生き方だ。常に自分に勝つ、そういう生き方だ」

【 次回予告を観て思ったこと 】

 トドロキがリハビリを始めるようで、ホッと一安心。
 ザンキは、朱鬼から学んだ「禁断の技」を使うのか?

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

12/2 up 「完全新生」仕切り直し!『響鬼2』は、このスタイルで放映せよ!!
11/27 up 『響鬼』は何故“マッタリした『牙狼』”になれなかったのか?
11/27 up 『仮面ライダー響鬼』は失敗作である(駄作ではない)
11/18 up 『アマゾン』と『響鬼』
10/30 up 鬼の顔だけ変身解除リアル版 その2
10/30 up あきらも明日夢も京介も変身だぁ!
10/25 up あきらが鬼に変身する過程の想像図
10/23 up 朱鬼の「女の鬼」としてのデザインに不満あり!
10/19 up 最終回までに桐矢京介にやって欲しい10のこと
10/11 up 空想検討「『響鬼』の理想の最終章をファンドで映画化しよう!」
10/4 up 『響鬼』の製作体制変更に関してのまとめ
9/27 up 桐矢京介のモデルはブロガー(アンチ新体制派)だ!
9/17 up もしも『響鬼』が有料番組になったら、金を払ってでも見るか?
9/11 up こんな『響鬼』だったら玩具が売れた!??
9/8 up 『響鬼』の人気低迷を考察する
9/9 up 『響鬼』の商業的失敗の原因を解明する!
9/9 up 『響鬼』の製作体制変更に関する疑問
9/3 up 『仮面ライダー響鬼と七人の戦鬼』
8/20 up ザンキ・スペシャル “元”鬼の裏技「隠し鬼爪」
8/15 up 鬼の「顔だけ変身解除」リアル版
7/26 up ザンキさんレギュラー化計画
7/25 up 『ああザンキさん』
7/22 up 変身裸族
7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
5/15 up 『仮面ライダー響鬼』その他ライダーの変身ポーズを裸で比較検証する
5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
4/18 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える その2
4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

「自分は特撮ファンだなぁ」と思う時

「自分は特撮ファンだなぁ」と思う時


 自転車通勤をしている時、ふと特撮ソングや特撮BGMを口ずさんでしまう。『ライオン丸』や『ロボット刑事』の主題歌が主。BGMだと『響鬼』やゴジラシリーズなど。
 お気に入りの特撮ソングは『ELEMENTS』や『始まりの君へ』なのだが、それなりに頑張ってペダルを漕いでいる時に歌おうとしても、息が続かない。昔の特撮ソングは、自転車を漕いでいても歌えるものが多い。

 会社のタイムレコーダーに社員証を通すために、財布から社員証を抜き出す時
「ドゥウン」
と効果音を口で言ってしまう。(『龍騎』で、バックルからカードを抜くときの真似)

 出勤時、会社のタイムレコーダーに社員証を通す時、
「チェンジ」
と低く呟いてしまう。(『剣』で、始が変身するときの真似)

 退出時、会社のタイムレコーダーに社員証を通す時、
「スピリット」
と低く呟いてしまう。(カリスから始の姿に戻るときの真似)

 アパート自室で、足の小指を何かに強くぶつけて悶絶している時、無意識に
「デュワァッ! デェヘアッ!」
とウルトラマン式発声で痛みを表現している。

「特撮カンブリア紀」

「特撮カンブリア紀」

 1966年(『ウルトラQ』その他)から1977年(『快傑ズバット』その他)までの期間を、私は「特撮カンブリア紀」と呼んでいる。この僅か10年程の間に、ありとあらゆる種類の特撮作品が考え出され、それが実際に連続TV番組として放映された。
 これは正に、特撮作品(ヒーロー作品)における「カンブリア爆発」とも言うべき現象である。特撮作品(ヒーロー作品)が短期間で爆発的に多様化したのだ。この期間に特撮作品(ヒーロー作品)のパターンは全て登場し、その全てが市場で試されたと言っても過言ではない。
 日本で、TV特撮作品(TVヒーロー作品)のバリエーションが最も多かったのは、後にも先にもこの時期以外に無いだろう。日本どころか、おそらく全世界を見渡してもそうだと思う。そうに違いない。
(厳密に言えば、後になって『宇宙刑事シリーズ』など、ビジュアル的なインパクトにおいてはエポックメイキングと呼べる作品も登場しているのだが、分類上は所詮「強化服もの」「宇宙もの」「刑事もの」である)

 現在40歳の私は、この「特撮カンブリア紀」を体験している。当時は再放送が当たり前に存在していたため、『ウルトラQ』はリアルタイム感覚で5歳ごろに観た。実際の「特撮カンブリア紀」を、更に圧縮した状態で体験したのだ。私が今でも特撮番組を好んで観ているのは、子供の頃にそうした濃密な特撮環境に晒されていたことが最大の要因である。
 今の子供は、ピンの巨大ヒーローと言ったら『ウルトラマン』が唯一無二の存在なのではないか。しかし私の場合、『ウルトラマン』は、『マグマ大使』、『スペクトルマン』、『シルバー仮面ジャイアント』、『ミラーマン』、『サンダーマスク』、『ファイアーマン』、『流星人間ゾーン』といった巨大ヒーローのうち一つに過ぎない。また、『ジャンボーグA』、『レッドバロン』、『マッハバロン』、『大鉄人17』といった純然たる巨大ロボも、ピンの巨大ヒーローとして番組を成立させていた。感覚的には、彼らも巨大ヒーローである。

 「特撮カンブリア紀」の後、TV特撮作品(TVヒーロー作品)は4つのシリーズ(3つのパターン)へと収斂していき、それ以外のバリエーションは消滅した。
『ウルトラマンシリーズ』
『戦隊シリーズ』
『仮面ライダーシリーズ』
『メタルヒーローシリーズ』
 このうち、『仮面ライダーシリーズ』と『メタルヒーローシリーズ』はコインの裏表の関係にあり、両者は同時に存在し得ない。内容的にも似通ってきてそれぞれの独自性を失ってきており、パターンとしては両者を併せて『戦隊シリーズ以外の等身大ヒーロー』とするべきだろう。

 しかし近年、状況に変化が現れている。
 『サイバーコップ』や『ガイファード』と同様に単発もので終わるだろうと思われていた東宝の『グランセイザー』が、シリーズ化されて現在3作目の『セイザーX』が放映中である。次回作に関しては不明だが、少なくとも現時点では、『ウルトラ』・『戦隊』・『ライダー』に続く「第4の特撮」という地位を築くに至っている。
 これに加え、来年早々に『魔弾戦記リュウケンドー』という特撮ヒーロー番組が始まる。パッと見は、前時代的な「ジャージ地のヒーロー」なのだが、テレビ愛知が絡んでおり、単なる低予算ヒーロー番組ではなさそうだ。『ガンダム』も『実写版セーラームーン』も、愛知県から発信された番組なのである。
 ライダーが来年も製作されるとすると、来年のおそらく6月頃までは、週に5本の特撮ヒーロー番組が放映されることになる。少子化および子供の娯楽の多様化が進行した今日の状況を考えると、これはかなり凄いことなのではあるまいか。
 「特撮カンブリア紀」と比較すると、番組内容の多様性が乏しいのが特徴だ。収斂した状態での5作品なので、それも仕方ないと言ったところだろう。『戦隊シリーズ』と『超星神シリーズ』は現時点でも内容(基本フォーマットおよびマーチャンダイジング)的にバッティングしており、これに加えて『ライダー』と『リュウケンドー』がバッティングすることになりそうだ。果たして日曜の朝7時にコアターゲット層の子供が起きているのかという疑問を感じるが、『リュウケンドー』が始まったらリアルタイムで視聴したいと思っている。

 来年の月9には『西遊記』が控えており、これでもし深夜特撮が続いていたら、プチ「特撮カンブリア紀」である。人間、生きていれば良いことがあるものだ。

『富江 BEGINNING』

『富江 BEGINNING』
  2005年(4月17日~)のWOWOWで観た映画:14本目
  映画を観た日:2005年12月3日(土)


 富江シリーズと呼べるくらい、『富江』は何作も映像化されているようだが、私が観たのは今回で2本目。随分前に、菅野美穂が主演の『富江』を観ている。当時、菅野美穂は他のホラー系の映画にも主役級で出演しており、“ホラークイーン”のイメージがあったように記憶している。

 私は原作を読んでいないので、その意味での『富江』らしさというものは分からない。私が『富江』に期待しているのは、美少女がマゾとサドの両極端で描かれることだ。
 苛められる → 復讐する → 殺される → 復活して更なる復讐
といった、単純な振り子運動のような展開だが、その触れ幅が大きいからドラマにメリハリがある。しかも、その振幅は1回目より2回目の方が大きくなる。たった2往復で極限まで大きくなった振り子運動は、そこでリセットされる。2往復でリセットすることが前提のドラマなのだ。スタイルとしては、日本の昔話に近いような気がする。怪談とは、基本的にそういうものなのかも知れないが。

 主演の松本莉緒は、以前から(改名前から)知ってはいだが、動くところを観たのはこの作品が初めて。予想以上に綺麗(まさに、「写真で見るより美人!」というタイプ)で、演技も決して下手ではない。ちょっと驚いた。
 だが、松本莉緒の美しさは、庶民的な味に欠ける。例えば香椎由宇も美人であり、しかも濃くてバタ臭い美人なのだが、笑うと何故か日本人的庶民感が出る。「飲み屋で隣の席にいてくれたら最高!」そんな親しみを抱ける美人なのだ。松本莉緒には、これがない。笑えば可愛いかもしれないが、それは親しみやすい可愛らしさではない。「ガラスの向こう側にある感じ」の可愛らしさだ。(決して、整形美人という意味ではない)

 松本莉緒は、普通のドラマに普通の役で出演しても浮いてしまう(ルックスにリアリティがない)のではないか? こういう女優は、もっとバンバン特撮作品に出演して欲しい。
 女優として、菅野美穂と比べるのはさすがに厳しいが、あの美貌で生きたゴキブリを素手で掴んで微笑んでいたら、映像としてのインパクトは凌駕していたかも知れない。実際には、動かないゴキブリの入ったティーカップを手にしただけなので、この部分でも菅野美穂に及ばなかった。

 作品自体は、『富江』のフォーマットを守っていること以外、特に書くべきことはない。
 松本莉緒の非日常的な美しさが、『富江』のフォーマットに載せられた、ただそれだけの作品である。

連想バトンですって

 rihoさん から、『連想バトン』なるものを受けまして。
 実は、以前から『○○バトン』なるものが来たら、絶対に自分のところで止めようと思っていましたので、今回も私のところで止めさせてもらいます。
 一応システム屋をやっていますので、ほんの僅かでもチェーンメールの匂いがするものは、止めるしかないんです。技術屋の勘ですね。こういうのは止めておこう、と。

 で、一応お題には答えますのよ(語尾が何か変だわ)。
 『鰹』。
 カツオと言えばカツオブシ。ダシの元ですね。
 私、約1年前から自炊をしておりまして、朝は味噌汁なんぞを食しておるわけですが、基本的にはダシを取りません。味噌(と具)だけでも、充分味噌汁の味がしますんで。
 それでも、たま~に具にニボシを入れると、確かに「ダシが効いている」と感じるわけです。
 今週は、初挑戦となる「おでん」を作ってみようと思っております。そのダシに、「夏に親子丼を作った際にちょこっとだけ使って以来、ずっと冷蔵庫に入れっ放しになっている、液体の『本だし』」を使っても大丈夫なんだろうかというのが、目下の私の小さな悩みです。匂いをかぐと、まだダシの匂いがするんだけど、賞味期限が…微妙だわ。

『仮面ライダー響鬼』 四十二之巻

『仮面ライダー響鬼』 四十二之巻

【 観る前に思ったこと 】

 頑丈なことでは定評のあるトドロキが大怪我? 人柱ならぬ鬼柱にされたのか?
 うさぎ跳びは、膝に悪いからやってはいけません!

【四十二之巻の感想 】

 トドロキが大変なことに! 予告編では「再起不能らしい」とか言われてるし! これではまるで『ミリオンダラー・ベイビー』だ!
 トドロキはヒビキより人気があるような気がする(玩具としては、烈雷の方が太鼓よりも売れていると聞く)ので、全国のチビッコもショックだったのではないだろうか。
 烈斬が発売された以上、クリスマスまでに斬鬼の復活が1回か2回あるとは思っていたが、まさかトドロキが引退(と言ってもデビューして1年も経ってないのだが)の危機に晒されるとは予想していなかった。それどころが、轟鬼と斬鬼の同時音撃(ギターセッション)は、ほぼ確実だろうと予測していたのに…。
 あざとい展開という気もするが、これで終盤に向けての流れが読めなくなったことも確か。
 胸の怪我をおして斬鬼復活→価値のある殉職という、ありがちなパターンがありがちではなくなってきた。トドロキという駒が一つ欠けることで、ザンキ殉職という同じイベントでも、局面が、局面における意味合いが全く変わってしまうのだ。

 不自然だったのは、前回「鬼を集めろ」という件があり、今回の魔化魍の大量発生という展開があったのに、全国の鬼の集結や関東の鬼のシフトの話が一言も出なかったこと。関東の鬼のシフトの設定は事実上崩壊しているとしても、裁鬼はわりと最近の回にも登場しているのだし、弾鬼その他の鬼の名前を誰一人口にしないのはおかしい。
 また、「鬼を集めろ」とアドバイスし、共闘体制を取るのかと思われた傀儡師夫婦側が、超童子たちを鬼と戦わせる理由も分からない。超童子たちが鬼を喰らえば、オロチにも対抗できる力を得るというのだろうか。
 今回の魔化魍の大量発生は自然現象であり、童子たちのような養育係を必要としないと思われる。それを明確にするため、超童子たちは、鬼ではなく大量発生した天然の魔化魍と戦ったほうが良かったのではないか。あるいは、傀儡師夫婦側が生み出した魔化魍と、今回発生した天然の魔化魍が戦うとか。同種で、色違いの魔化魍同士が戦う映像も観てみたい。
 魔化魍同士が共食いする映像はちょっとドギツイので、超童子たちが、彼ら流の音撃(笛など)を行って退治するというのはどうだろう。装いも、「和」そのものなんだし。

 バトルシーンでは、(CGのクオリティは横に置いとくとして)大小の魔化魍が同時に登場したのは良かった。大小の魔化魍が同一の画面に映っているカットは少なかった(響鬼サイドでは3カットぐらい)が、大型魔化魍がちゃんと大きく見え、奥行きのある絵になっていた。大型魔化魍は、従来は記号的あるいは平面的に大きく見えていたという要素が強かった。今回、立体物としての巨大さを認識できたのは、見てる方としても嬉しかった。

 もう一方のバトルでは、轟鬼がカッパに音撃しているところを、オトロシがカッパごと踏み潰すという、ある意味「それしかない」という戦法が見られた。この戦法自体は良いのだが、当然予想されるものなので、鬼たちに策が無さ過ぎると映った。
 大小混成の魔化魍を相手にした場合、音撃中の自由度が一番小さい弦の使い手は、大型魔化魍に専念するべきだろう(空を飛ぶ魔化魍の場合は別)。轟鬼と威吹鬼のペアの場合は、当然威吹鬼が等身大魔化魍を引き受けることになる。
 最初はそのパターンで闘っていたが、威吹鬼のピンチに轟鬼が助けに入ったことでそのパターンが崩れ、そこをオトロシに狙われて…という流れなら、轟鬼のやられ方にも説得力があったと思う。
 実際には、ザンキのピンチを救う形でトドロキがカッパに音撃を決めに行っているのだが、あそこで音撃に持ち込む必要性はない。ザンキがコガネオオカミ等のDAを駆使しないのも不自然である。

 あるいは、人里離れた場所なのだから、一旦退いて、自分たちに有利な地形に敵を誘い込むという作戦を取っても良かった。
 あと、オオナマズの胃袋は余計だった。アレに音撃斬はマズイだろう。
 トドロキの重大危機というイベントが、雑なシチュエーションで描かれてしまったのが不憫でならない。確かに「魔化魍大盤振る舞い」という派手な舞台ではあったのだが。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 何度も言いますが、ウサギ跳びはやってはいけません(経験者は語る)。
 基礎体力は、若いうちにつけておきましょう。一度付いた筋肉は、衰えても後日、比較的容易に戻すことが出来ます。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 自転車立ち漕ぎで「秘密ひみつぅ~」と走り去っていたモッチー、まさか猛士のメンバーになったのか? お父さんは許しませんよ!
 烈斬を、静かに置く(ザンキ流)のではなく、ザックリ突き刺して(トドロキ流)から変身するザンキ。トドロキは、本当に再起不能になってしまったのか? 『響鬼』も残すところ6話程度。何とか最終話までには復活して欲しい。

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

New! 12/2 up 「完全新生」仕切り直し!『響鬼2』は、このスタイルで放映せよ!!
New! 11/27 up 『響鬼』は何故“マッタリした『牙狼』”になれなかったのか?
New! 11/27 up 『仮面ライダー響鬼』は失敗作である(駄作ではない)
11/18 up 『アマゾン』と『響鬼』
10/30 up 鬼の顔だけ変身解除リアル版 その2
10/30 up あきらも明日夢も京介も変身だぁ!
10/25 up あきらが鬼に変身する過程の想像図
10/23 up 朱鬼の「女の鬼」としてのデザインに不満あり!
10/19 up 最終回までに桐矢京介にやって欲しい10のこと
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7/25 up 『ああザンキさん』
7/22 up 変身裸族
7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
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5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
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4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

『ピッチブラック』

『ピッチブラック』
  2005年(4月17日~)のWOWOWで観た映画:13本目
  映画を観た日:2005年12月2日(金)


 この映画は2000年の作品。1986年の『エイリアン2』を、日本の劇場でリアルタイム鑑賞している私は、この手の映画を無意識のうちに厳しい眼で観てしまう。この『ピッチブラック』も、「『エイリアン2』の亜流」というレッテルを貼ってしまうのだ。
 もちろん、『エイリアン2』にも元ネタがあるのだろうが、私の中では『エイリアン2』がデフォルトに設定されている。後から作られた同系の作品には、この初期値を部分的(瞬間的)にでも凌駕してもらわないと、評価できない。

 『ピッチブラック』は、プロットとしてはそこそこ良く出来ていると思う。乗客を乗せたブロックを非常にも切り捨てようとしたパイロット、警察官を装った賞金稼ぎ、正体不明の殺人犯、その他たまたま乗り合わせた乗客たち。荒涼とした惑星に不時着してしまい、さてどうする…といった流れ。しかし、出来上がった物語は、盛り上がりに欠けるものになっていた。
 まず気付くことは、殺人犯・リディックのキャラが弱いこと。大して強くもないし、大して悪そうにも見えない。中途半端である。アンチ・ヒーローという香りがしない。
 それ以上に問題なのが、女性パイロットに感情移入できないことだ。物語の初っ端で、比較的あっさりと乗客をブロックごと投棄しようとしたのに、その後は身を挺して乗客を救おうとする。不自然なのだ。ご都合主義の香りがする。

 私だったら、リディックは「凶悪犯だが、子供のような純真さも残している」という強烈なキャラにする。女性パイロットに関しても、彼女が乗客を見殺しにしようとしたことを最初からドラマの主軸にすえて、乗客と全面対立させる。その状態で、彼らを「生き残るためには互に協力せざるを得ない状況」に放り込む。サバイバルの過程で彼らが少しずつ対立を乗り越えていき、その要所でリディックが効果的に動くようにする。そうすれば、クライマックスで裏切るか否か葛藤する姿にも共感できるだろう。
 プロレスにしろ映画にしろ、ドラマというものは「過程に感情移入し、結果に納得できる」かどうかなのだ。キャラクターが最後にどんな英雄的行動をとったとしても、そこに至るまでに積み上げてきたものが無ければ、感動は薄い。
 例え安物の花瓶であっても、それがとても大切なものであれば、割れてしまったときの悲しみは大きい。逆に高価な花瓶が割れたとしても、それがどこの誰のものかも知らないものであれば、「あ~あ」で済んでしまうのだ。

 あるいは、「行動に動機が与えられており、現象=結果に説得力がある」かどうか、ということでもある。『ピッチブラック』では、リディックが生き残ったという結果に対して、予定調和以上のものが感じられなかった。
 骨組みは良いのに肉付けが足りない。そんな、ちょっともったいない作品である。

『ドーン・オブ・ザ・デッド』

『ドーン・オブ・ザ・デッド』
  2005年(4月17日~)のWOWOWで観た映画:12本目
  映画を観た日:2005年12月1日(木)


 『ショーン・オブ・ザ・デッド』と比べると、明らかに正統派で分かりやすいゾンビ映画である。
 ただし、この映画のゾンビは、動きが機敏だ。普段はフラフラしているが、いざ人間を見つけると、全速力で走ってくる。こりゃあ怖い。でも、何か反則じゃんという気もする。
 正統派なんだろうけれど、ゾンビ映画というよりはサバイバル映画だったという印象が残る。ゾンビというキャラクターが、シチュエーションとしてしか機能していないのだ。一番ホラーなシーンも、終盤のバスの中で起こった「チェーンソー誤爆」だったと思う。
 「ゾンビ映画」の「ゾンビ映画」らしさって何なんだろう? そんなことをフト思ってしまった。

『ショーン・オブ・ザ・デッド』

『ショーン・オブ・ザ・デッド』
  2005年(4月17日~)のWOWOWで観た映画:11本目
  映画を観た日:2005年12月1日(木)


 ホラー映画は基本的には好きなのだが、「ゾンビ映画とは」とか語れるようなレベルからは程遠いところにいる。『バイオハザード』が、ゾンビ映画に分類される作品なのかすら、私には分からない。
 この『ショーン・オブ・ザ・デッド』も、ゾンビ映画なのか、ゾンビ映画のパロディ映画なのか、判断がつきかねる作品だ。前半は、ゾンビを徹底的にバックグラウンドとして描いて物語が進んでいく。それでいて、ゾンビ発生の理由を何気に説明しているところがイギリス流か。
 いよいよゾンビがストーリーに関わってきても
「ゾンビって言うなあぁぁ!」
「でも、あれはゾンビ…」
「“ゾ”で始まる単語で呼ぶなあぁぁ!」
と、何故かゾンビという呼称を避け続けるのが妙に可笑しい。
 LPレコードを投げてゾンビを攻撃する際も、
「これは投げてもイイや」「あ、これはダメダメ」
「これは?」「俺は好きだけどな」
みたいな感じで、ゾンビそっちのけで掛け合い漫才が展開される。ハリウッド映画では余り見られない種類のギャグのように感じる。
 クライマックスではゾンビ映画らしい状況が濃くなってきて、笑わせたいんだか怖がらせたいんだか感動させたいんだか分からなくなってくる。決してそれが悪いのではなく、最後は一応締まった感じになっていて、上手くまとめたものだと感心させられるのだ。
 最後のオチ?もゾンビというキャラクターを否定せんばかりの黒めのユーモアに彩られている。これがゾンビ映画に分類されるとしたら、最も異色なゾンビ映画の一つということになるのは間違いなさそうだ。

『インストール』

『インストール』
  2005年(4月17日~)のWOWOWで観た映画:10本目
  映画を観た日:2005年11月30日(水)


 若い娘が芥川賞を受賞したと聞いた当時、その処女作だという本が書店に平積みされていたので、どれどれと思って買って読んだ。
「こりゃまた随分と軽いというか淡白だなぁ」という印象しか受けず、速攻でBOOKOFFだかどこかへ売ってしまった。
 そういうわけで原作を読んではいたのだが、この映画を観たのは飽くまでも、上戸彩さんが目当てであった。
 そして、それは正解であった。
 この映画の上戸彩さんは、微妙にエロい。芝居の要所要所で、原作には無いエロスを微妙に漂わせている。原作に拍子抜けしたオジサンも、楽しめる映画になっていました。
 小学生役の、神木隆之介さんも、良い芝居をしている。今年観た『妖怪大戦争』と比べると随分小さく見えるので、ビックリした。あと何年かしたら、上戸彩さんよりも背が高くなるんだろうなぁ。そうなったとき、また二人が共演する映画を観てみたいですね。

「完全新生」仕切り直し!『響鬼2』は、このスタイルで放映せよ!!

「完全新生」仕切り直し!『響鬼2』は、このスタイルで放映せよ!!


 最近、わりと真面目なことばかり書いているので、ここらで肩の力を抜いた話をしようと思う。
 実は、現時点の『響鬼』の放映スタイルというかシステムは、比較的良いモノなのだ。

 『響鬼2』という番組が、『響鬼』の開始当初と全く同じスタイルの「完全新生路線」で放映されるとして、それをその路線のままで放映し続けて欲しかったら、どうすれば良いのか?
 メインスポンサーとなる(であろう)バンダイが発売する『響鬼2』の商品を、視聴者が買い続ければ良いのであ~る。
 『響鬼』の路線変更に文句を言っている大人は、このことを骨身に染みて理解しているはずだ。同じ失敗を繰り返すほど、「大人の『響鬼』ファン」も馬鹿ではあるまい。
 何のことはない、システム変更の必要などないのだ。今までと全く同じ放映スタイルで良い。
 実に分かり易く、最も実現性の高い話である!

 逆に、普通の番組の放送スタイルにしてしまうと、こうはいかない。番組スポンサーの商品が、その番組に特化した商品ではないからだ。
 例えば、『響鬼2』が深夜枠で放映され、その筆頭スポンサーが大手飲料水メーカーで、流れているCMが普通の缶ジュースのCMだったとする。
 『響鬼2』の視聴者が、その缶ジュースをじゃんじゃん買えば、その部分だけ見れば売り上げは確かに増加する。しかし、以前からその缶ジュースは『響鬼2』とは全く関係なく普通に売られているわけである。その缶ジュースの売り上げが、流通全体における別の理由で大きく落ち込めば、『響鬼2』の視聴者の努力も水の泡と化す。
「全体としては売り上げが落ちましたが、『響鬼2』の視聴者は頑張って買ってくれました」
なーんてことが、スポンサーに伝わることはない。万一、番組とのタイアップキャンペーン中にそんなことが起こったら、それこそ逆の意味に取られかねない。

 これに対し、現在の『響鬼』スタイルの場合はどうか。
 『響鬼』の視聴者が、『響鬼』の商品(メインスポンサーの商品)をじゃんじゃん買って、それを「ヒット商品」に導けば、番組は安泰なのである。スポンサーにとっても視聴者にとっても、もう当たり前すぎて間違えようがない。何と素晴らしい仕組みであろうか。
 関連商品がバカ売れすれば、視聴率はあまり関係なくなるのも、このシステムの強みだ。
 実際に、『ダグラム』の視聴率は『響鬼』よりも多分低かった(内容的にも、ある意味『響鬼』よりもマッタリしていた)と思うのだが、玩具がヒットしたために放送期間が延長されたという例がある。
 路線変更どころか、マッタリしたまま放送延長。『響鬼』の「完全新生路線」支持者が聞いたら、もうウハウハであろう。
 これは実話である。『ダグラム』の商品を買った『ダグラム』の視聴者が、『ダグラム』という低視聴率(言い過ぎ?)番組を支えたのだ。(視聴者が本当に作品そのものを支持していたかどうかは微妙だが、私は結構好きだった。特に最終話は素晴らしかったと今でも思う)。

 現在放映中の『響鬼』の場合も、
「オレ、今月1万円以上『響鬼』でスッちまったよ~」
「アタシも、昨日5040円『響鬼』に貢いできちゃった~」
とまぁこんな感じで、【全国の29話までの『響鬼』ファン】が、毎月『響鬼』の商品を買い続ければ良かったのだ。
 「『響鬼』の商品は、子供向けだから大人は買えない」という趣旨の意見を稀に目にするが、そんなものは、視野狭窄に陥った大人の身勝手な言い訳以外の何物でもない。

 ちょっと視野を広げれば気付く。
 CSなどの有料放送では、番組を視聴するために金を払っても、番組を視聴する以外、基本的には何も手に入らないのである。私はスカパーにもWOWOWにも長いこと金を払い続けているが、視聴している番組の玩具はもちろん、ボールペン1本貰ったことすらない。
 しかし、『響鬼』を観るために金を払うと、もれなく玩具が手に入る。そう考えれば、何と素晴らしいサービスだろうと感激せざるを得ない。お金を払えば、番組を視聴できるだけでなく、玩具まで貰えるのである。スカパーやWOWOWよりも、遥かにお得ではないか。

 その玩具が要らないといういう人は、捨てればいいだけのことである。
 「買った玩具を捨てるのは、金を捨てることだ」などと勘違いしてはいけない。
 金は、スポンサーを介して『響鬼』という番組に渡っているのである。

 このように、現時点の『響鬼』の放映スタイルは、比較的優れた形態である。
 が、もちろん欠点もある。
 私は29話までの『響鬼』をそれなりに楽しんで観ており、バンダイ製の『響鬼』玩具もそれなりに買っている、それなりの視聴者だった。そして私がバンダイ製の『響鬼』玩具に2万1千円くらい注ぎ込んだところで、番組にテコ入れが入った。
 このときはさすがに
「私が今まで払った2万1千円の意味って一体…?」
と思った。
 しかし、バンダイ製の『響鬼』玩具を買い続けることは、決して「番組と視聴者の契約(路線変更しないという約束)」を意味するものではない。玩具の取扱説明書のどこを読んでも、そんな条項は書かれていない。
 ごく少数の大人の視聴者が玩具を買い続けても、圧倒的多数を占める子供の視聴者が玩具を買い続けなければ(そのように親に求めなければ)、全体の売り上げは低いものになってしまう。
 これで視聴率だけはやたら高いとかだったら対処の仕方も変わってくるのだろうが、そうでなければ業界お決まりのテコ入れ・路線変更の運びとなるのは自然の成り行きである。
 『響鬼』は、そうなった。
(結果的に、私は30話以降の『響鬼』もそれなりに楽しんでいるので、今となっては余り問題とは感じていない。トータルで考えると「路線変更後の方が楽しめた」ということになる可能性もある)

 えらく前置きが長くなってしまった。本題に入ろう。
 『響鬼』のように、ごく少数の大人には人気があるが圧倒的多数の大人には人気がなく、子供にもあまり人気がなくて玩具が売れていない番組が、途中で路線変更しないで済む方法は無いのだろうか?
 いや、可能性としてなら、有る。
 『響鬼2』というタイトルの番組を、【「完全新生」仕切りなおし!】というキャッチフレーズで放映するとしたら、お勧めの放映スタイルが存在する。
 それは、番組および番組を取り巻く状況を、毎回エンディング時に報告するというスタイルである。(エンディング時の報告内容はトピックスのみで、詳細は番組HPで行なわれるものとする)
 このスタイルの目的は、番組が路線変更を迫られるような事態を、視聴者の行動によって事前に回避させることである。
 なお、このアイディアは、77maru77さん(ブログは こちら )から、拙ブログに頂いたコメント にインスパイアされたものである。

(1)番組の予算と、現在のキャッシュフロー状況、計画
 例えば、1話当たりの予算が3000万円だとすると、年50本の総予算は15億円。
 この予算が現時点で幾ら手元にあるのか、今後どんな収支になっていく計画なのか。大前提となるベースの部分を伝える。

(2)玩具の売り上げと番組製作費への還流
 各種玩具の売り上げ目標と、その実績の報告。
 玩具が幾ら売れれば、幾ら番組製作費に流れるのかという仕組みと、その現状を説明する。
例えば、
「今週の【DX音撃棒セット2】の販売数は○○個でした。この売り上げの△%が製作費に回されます。今週の【DX音撃棒セット2】の売り上げから、□□万円が製作費に入ります」
という報告が行なわれる。

(3)予算における作品の見通し
 例えば、5話まで作った時点で、1本当たりの製作費が5000万円と大幅に予算超過で推移しているとする。現時点で製作予算が手元に3億円しか残っておらず、収入が予算超過分を補えない場合は、
「このままだと『響鬼2』は、後9話しか製作できず、第14話で終了する見通し」
という報告が行なわれる。

(4)納期における作品の見通し
 現時点で何話分のストックがあり、それ以降の撮影および納期がどういう計画で、実際にはどうなっているのかを報告する。例えば、
「現在撮影中の作品の納期は○日遅れる見込みであり、このままのペースでは第16話で放映が終了する(撮影が放映に追いつかなくなる)見通し」
という報告が行なわれる。

(5)現時点で、何話まで放映可能なのかという見通し
 (1)~(4)を総合して、現時点で何話まで放映可能なのかという見通しを報告する。

(6)問題回避策の案内(視聴者への協力依頼)
 (5)で、予定されている最終話までの製作が不可能になっていたり、スポンサーから路線変更の依頼が出されている等の問題が発生している場合、その問題を回避するための策(作戦)が提示される。

 エンディング時の報告内容は、以上である。
 番組のノリとしては、飽くまでも「番組の窮地を楽しむ」である。もちろん窮地に陥らなければそれに越したことはないが、陥ったら陥ったで、それを視聴者と一緒に乗り越えることで楽しんでしまおうというコンセプトだ。
 番組そのものが、「貧乏脱出作戦」の主体となるのだ。
 『響鬼2』の場合なら、
「『路線変更』回避のためには、今月末までに【DX音撃棒セット2】を5000個売らなければならないんです!」
と大々的にアピールし、
「【DX音撃棒セット2】を5000個完売まで、あと3809個!」
と、路線変更回避のための閾値を明快かつ正確に打ち出す。
 視聴率とか広告収入とかは、ほとんどの視聴者は介入できない事象なので、詳しく知らせる必要はないと思う。
「広告収入が減ったので、その分を玩具販売でカバーする必要が生じました」という影響の出る部分に関する報告があればあれば良い。
 また、番組側が特に卑下する必要もない。現在、『響鬼』終了時にマンドラ坊やとスモーキーが掛け合い漫才のようなことをやっているが、あの雰囲気で良いのだ。戦隊もののキャラクターにやらせるのが不自然ならば、DAを擬人化するとか、他にも「軽いノリ」を演出する方法はあるだろう。

 ここまでやっても目標を達成できず、『響鬼2』が路線変更に至ったとしても、視聴者は皆納得するだろう。『響鬼』30話からの路線変更は、ほとんどの視聴者にとって事前に知らされていなかったことだったので、一部から不満の声が上がったのだ。
「事前に知らせてくれれば、無理をしてでも玩具を買ったのに」
と思った人も、確実に存在しているのだ。その数は、決して多くはないとしても。

 もちろん、大人向けの商品も幾つかリリースし、販促運動を行うといった、新商品の展開もあった方が良い。TVCMを流し「インターネット(Amazonなど)でも販売中!」と謳ってURLを出すことは、玩具だと難しいかもしれないが、大人向け商品なら問題ないのではないか。
 猛士のロゴ入りタオルに加え、エプロンなどの開発コストの安そうな商品は、ローリスクだと思う。
 個人的には、音錠(音枷)のアクセサリーなども良いと思う。ギミック無しで良いから、本物と同じサイズ、同じ質感(全体がメタリックとかでも良い)のブレスレットが欲しいのである(もしかしたら、腕時計機能付きのほうがニーズがあるのかも知れない)。
 ついでに言えば、鬼が普段腰からぶら下げているDAの束(ホルダー込み)も、アクセサリーとしてイケルと思う。これもギミック無しで、玩具より薄くて軽くて丈夫なものとする。(銀色だから、夜道を歩くときは反射テープの代わりになるかも?)

 正直な話、こういった大人向けの展開が『響鬼2』で行われたとしても、番組を支える大きな力になるとは思えない。
 29話までの『響鬼』の視聴率は、8%程度。『マジレン』と大して変わらない。放送枠の構成上、『マジレン』→『響鬼』と連続して観ている世帯が大半であると考えるのが自然だ。子供が『響鬼』を観ていない世帯、あるいは子供がいない世帯における『響鬼』の視聴率は、1~2%程度だと思う。劇場版でも、学生や一般といった世代の客は、そんな程度しかいなかったように見受けられた。

 最後に書き記しておきたいのは、30話以降の『響鬼』の路線変更に文句を言っている人で、まだ「DX音撃棒セット」を買っていない人は、今からでも遅くないから1つ買うべきだということ。
 「DX音撃棒セット」は、29話までの『響鬼』を支える筈だった商品なのだから。 
 29話までの『響鬼』への香典代わりに、「装甲声刃」ではなく、「DX音撃棒セット」を買うのが、文句を言っているファンの義務だろう。玩具売り場で安売りされている「DX音撃棒セット」を見かけるたびに、そう思う。
 文句を言うのは、やるべきことをやってからだ。

 イカンイカン、肩に力が入ってきた。最後に、もうちょっと柔らかい話を紹介しておこう。
 元・モー娘。で、現在はW(ダブルユー)の辻希美さんが、自ら語った、教訓を含んだお話である(一部、私の空想が混じっていますが、大筋はこの通りです)。
 辻さんが、「デパ地下」に行ったときのこと。辻さんは、ハムの試食コーナーで、売り場のお兄さんに勧められるまま、試食品を口にした。
「おいしい!」と、辻さんは心の中で叫んだ。
 しかし、辻さんは試食品を食べただけで、そこを去った。想像するに「タダで美味しいものを食べることが出来た」という「得をした」感が、彼女をそうさせたのではないだろうか。
 試食品を食べるという行為は、その商品を買うという約束を意味しない。試食は飽くまでも試食である。「試食したら、絶対に買ってもらう」というルールだったら、ほとんどの人が試食などしないだろう。試食して気に入らなかった商品を買う義務など、無いのが当然である。
 でも辻さんは、食べた試食のハムを、大いに気に入った。コーナーを一回りすると、辻さんは再び同じ試食コーナーに立ち寄った。このときの辻さんの心には、当然ながら葛藤が生じていた。2度もタダで食べるのは図々しくは無いか。でも、「試食は1回だけ」とは、どこにも書いてない…だけど、やっぱり恥ずかしい。
 辻さんは、その日たまたま被っていた帽子を反対向きに被り直して別人を装うと、2度目の試食を決行した。
「やっぱり美味しい!」
 そう心の中で叫んだ辻さんと、売り場のお兄さんの目が合った。売り場のお兄さんは、嬉しそうな顔をしていた。
「あ、試食してもらうと嬉しいんだ」
 そう思った辻さんは、「美味しかった」と「私は良いことをした」という二つの幸せな気分に包まれて、試食コーナーを後にした。当然、商品は買っていない。
 調子の出てきた辻さんは、コーナーをぐるっと一周すると、三度試食コーナーへとやって来た。辻さんは今度も、帽子を横向きに被り直して、一応別人に変装している。
「ああ、やっぱり美味しい!」
 3度食べても、美味しいものは美味しい。辻さんは満面の笑みを浮かべて、売り場のお兄さんの顔を見た。
 売り場のお兄さんは、笑顔の中に、ちょっと悲しそうな表情を浮かべていた。
 辻さんは、「あ、試食だけで買ってもらえないと、やっぱり悲しいんだ!」と気付き、慌ててハムを1個、買い物籠の中に入れた。
 結局、辻さんは試食を5回決行し、商品を3個買ったそうである。
 何とも心温まる話ではないか。
 
 「試食」を視聴、「商品」を『響鬼』の玩具に置き換えれば、我々の取るべき行動は明らかである。
 我々は、「試食」だけしていてはイカンのである。
 タダで提供されているのだから、何度だってタダでいただいてしまえば良いというものではない。
 モラル的には、それでは「食い逃げ」と同じである。
 商品を買わずに番組を観続けるという行為は、試食コーナーで商品を買わずに試食だけを続けることと同じである。「食い逃げ」ならぬ「観逃げ」だ。
 「食い逃げ」され続ける試食コーナーが遠からず潰れるように、「観逃げ」され続ければ番組も潰れる。また、一般的に試食は単なるサービスで、客との間に何の契約も結ばれていない。昨日試食に供されていた商品が、今日も出されるという保証など無いのが普通だ。
 
「いつもの和食を頼んだら、それはもう無いと言って洋食が出てきた」とか憤慨していた人。
 あなた、その和食、金を払って食べていたんですか?
 もし払っていたとしても、店と「年間和食提供契約」でも結んでいたんですか?
 欲しいものがあれば、それ相応の対価を支払うのが当然である。
 そして、例え対価を支払ったとしても、契約外の項目に関しては何も保証されないのだ。

 あ、「観逃げ」がイカンと言っても、観る番組全ての商品を買うべきだとは言いません(そうすることが理想ではあるとは思うが)。何となく観続けている番組は、何となく買わずに済ませてしまっても構わないと思う。
 ただし、「毎週これだけは見逃せない」と楽しんで観ている番組に対して、それではいけない。
 私が言いたいのは、そうことである。

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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。

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