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2005-08

『バットマン ビギンズ』

『バットマン ビギンズ』
  2005年の映画館で観た映画:18本目
  映画を観た日:2005年8月6日(土)


 最初に書いておくが、この映画『バットマン ビギンズ』は、現時点で今年最高の映画である。

 前売り券を買っていたのだが、観るのが遅れに遅れて8月6日。前売り券を買った丸の内ピカデリーでは、既に上映が終わってしまっている。仕方なく向かった劇場は新宿ピカデリー4。座席数が、たった44席しかないミニシアターである。
 ちなみに銀座シネパトス3でも上映しており、こちらは座席数72。本当はそっちの方に行きたかったのだが、前売り券が使えるかどうか分からなかったことと、『亡国のイージス』とハシゴするタイムスケジュールの関係上、新宿ピカデリー4を選択せざるを得なかった。
 何しろ44席しかないから前もって座席指定券を入手せねばなるまいと思い、『亡国のイージス』を観る前にチケットの引き換えに行った。しかし、『バットマン ビギンズ』の整理券(座席指定券ではない)は、15時(映画開始の1時間30分前)からしか発行しないとのこと。
 『亡国のイージス』を観終えて再びテケツに行くと、「17番」の整理券を渡された。
 テケツから上に伸びる階段の壁に、番号が書いてある。整理券をもらったら、その番号の位置に並んで待つことが出来るのだ。しかし、この階段は全く空調が効いていない。冬はガチ寒いだろうし、夏である今はモロ蒸し暑い。もう季節感満点である。(ちなみに、劇場内も入場してしばらくは冷房の効きが悪く感じられたが、上映開始頃にはしっかり冷えていた) 
 暑さに耐えて階段で待つこと15分、劇場内に入る。予想通り、スクリーンは小さい。ミニシアターというよりホームシアターに近いというのが第一印象だった。しかし、思い切って最前列に座って映画を観たら、映像の質は充分に高く(画面の粒子がキメ細かくて緻密)、スクリーンの小ささもそれ程に気にならなかった。最前列でスクリーンがかなり近いため、普段よりも目が疲れたが、それも許容範囲といったところ。もっとも、それも『バットマン ビギンズ』という作品が「当たり」だったからこそ、なのかも知れない。

 私はバットマンには詳しくなく、映画も過去2本を各1回観ただけである。そんな私が、映画の世界にスーッと入っていくことが出来た。タイトルに『ビギンズ』とあるのは伊達ではなかったのだ。
 
 全くのゼロから始まるヒーローというのが、私にとっては新鮮だった。私は平成仮面ライダーシリーズを観ているが、現在の『響鬼』、前作の『剣』はともに「ヒーロー(組織)は既に出来上がっている」ところから物語が開始されている。ヒーローが存在していることが当たり前、存在することが前提の世界なのだ。
 しかし、この映画は違う。ヒーローがいないことが当たり前。ある意味リアルである。リアルと言うよりも、シリアスと言うべきか。私たちの住む現実の世界にも、ヒーローなどいない。
 ヒーローがいなかったら、どうするのか? 
 前々作の平成ライダー『555』でも、最初はヒーローがいなかった。ヒーローは、第三者によって変身装備一式が与えられたことによって出現した。いわば「第三者によって与えられたヒーロー」である。
 この映画のヒーローは、そうではない。ヒーローのいない世界に住む主人公が、自らの意思で自らをヒーローへと仕立て上げていくのだ。「第三者によって与えられたヒーロー」ではなく、装備も、姿(モチーフ)も、戦略も全て自分で造り上げた「自己発生型ヒーロー」なのだ。

 復讐心に突き動かされる自分を嫌悪し、単に犯罪を憎むのではなく犯罪者自身を知るために自ら犯罪者となる。この屈折した、しかし「そうする以外に彼は何をすれば良かったのか?」と思わざるを得ない行動に惹かれてしまう。
 「復讐は正義ではない」という主人公。これは、アメリカの国家としての信条である「報復は正義」を真っ向から否定しているように思える。その意気や好し。
 この映画のヒーローは、「なぜ、蝙蝠をモチーフにした姿を選んだのか」という問いに対して、明確に答えている。これが、「ヒーローのカタチ」に強い説得力を与えている。意味があるものは、強い。意志が込められているものは、強い。だから、この映画に登場する「自らの恐怖対象を形取った暗黒の騎士」の姿には、信念と覚悟、そして存在感が感じられる。

 コミック的な外連味を極力抑えた、リアル(現実)と言うよりも、シリアス(深刻)な世界観も良い。この映画のゴッサムシティは、漫画の国でも御伽の国でもない。シリアス(深刻)な問題を抱えた、私たちの社会の暗黒部の縮図である。私たちの心の縮図である。「復讐は正義ではない」という主人公の信念を、本当にずっと自分の中に飲み込みんでい続けることが出来るのかということも含め、私たちの縮図なのだ。

 是非とも、同じキャスト、スタッフによる続編が見たい。その為にもDVDは“買い”である。
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『仮面ライダー響鬼』 二十七之巻

『仮面ライダー響鬼』 二十七之巻

【 観る前に思ったこと 】

 前回、みどりが夏の魔化魍に対して身も蓋もない説明をしたのは、どういう意味があったのだろうか? 私には、脚本家あるいは設定サイドからの
「番組として、夏場は等身大の魔化魍をメインでやりたい、ただそれだけ。深い意味はないので視聴者は追求しないで下さい」
というメッセージのように聞こえた。
 あるいは素直に「みどりは単なるエンジニアであり、魔化魍の生態自体には詳しくない(気にしていない)」と受け取るべきなのかも知れない。いわゆる専門バカ。包丁と塩を持ってうろついている様子は、ちょっと常識に欠けているマッドエンジニアの匂いが漂っていて、とても素敵だった。多分、「たちばな」で接客するのは無理な性分なのだろう。湯飲みの中に親指を突っ込んでお客さんに出しそうな気がする。作務衣姿は似合うと思うのだが。

 気にしないでおこうと思いつつも気になってしまうのは、なぜ猛士は「魔化魍の元を断とうとしないのか」ということ。みどりが白いメーターマンと黒いメーターマンのことを説明したとき、「そこまで分かっているなら、いつまでも後手後手に回ってないで、そいつをやっつけろよ」と心の中で突っ込んでしまった。
 以前イブキがメーターマンと遭遇した際、文字通り手も足も出なかった。猛士としてもメーターマンを倒して魔化魍の元を断ちたいのはヤマヤマだが、いかんせん倒す方法がないということなのかも知れない。
 もっと不自然なのはメーターマン自体の方である。鎧童子とか乱れ童子とかを生み出して明らかに「鬼対策」を行い、自身の戦闘能力もイブキに何もさせない程であるにも関わらず、基本的には傍観者を決め込んでいる。鬼(変身前)を金縛りにする能力があるのなら、自身に攻撃能力がなくても童子や魔化魍を使って止めを刺すことが出来る筈だ。グロンギのソロバン担当者のような立場で、自分自身が戦闘に参加してはいけないという立場にある(ルールに縛られている)ようでもあるが、その必然性が見えてこない。
 メーターマン自身が直接関与するのがルール違反だとしても、魔化魍に鬼を殺せと命令を出していたら、裁鬼は2回死んでいる。ヤマアラシに負けたときは童子たちも健在だったのに、何故か止めを刺さない。響鬼を圧倒した鎧童子たちもそうだし、轟鬼を追い詰めた童子たちも同様である。おそらく、斬鬼の場合も状況は同じだったと思われる。鬼は戦いに敗れても「見逃してもらっている」のだ。
 これではまるで「鬼を殺してはいけない」というルールがあるかのようだ。例外としては、オオナマズ戦の際の威吹鬼のケースがあるが、あれは「殺す」のではなく「食べる」だったと見ることが出来る。
 童子や魔化魍は食べるために人間を殺しているだけで、それ以外の目的で人間に危害を加えてはいない。たまたま食物連鎖で人間の上位にいるだけなら、これ自体を悪とするのは人間のエゴ以外の何物でもない。人間だって、他の生物を殺して食べて生きているのだ。
 以前、「鬼は魔化魍の数を調整するために“間引き”をしているだけで、実は魔化魍を保護しているのだという設定だったら面白い」と書いたが、むしろ
「敵は人間の数を調整するために魔化魍を使って“間引き”をしているだけで、実は人間(鬼を含む)を保護している」
と捉えるべきなのかもしれない

 努が、みどりの研究室で懐かしそうに?音撃棒を手にする。努は太鼓の使い手だったのか?
で、で、肝心のみどりは?! みどりと明日夢と努の3人で、いろいろ話をするシーンが必要だ!
 ヤマアラシの回で良いアクションを披露した姫役の芦屋さんが、再び格闘シーンに挑む。期待大!
 もちろん、遂に「たちばな」のバイトに進出?したモッチーのラブリー振りにも期待大!

【二十七之巻の感想 】

 今回はメーターマンこと傀儡と、イブキ曰く「傀儡でもない」男女(仮に「傀儡師夫婦」と呼称)がシンクロして描かれていた。ザンキは吹っ飛ばされたのにイブキは吹っ飛ばされなかったことから、傀儡師夫婦が傀儡を操っていたと考えられる。傀儡は童子や姫を生み出す存在であると同時に、より高位の傀儡師夫婦に操られる存在ということだ。
 「傀儡」には、「操り人形」の意味と、「人形を操る芸人」の両方の意味がある。前回から登場した傀儡師夫婦が最上位のキャラクターなのか、『剣』における広瀬義人(トライアルB)のように実は中間管理職でしかないのか、今のところは分からない。現在、3クール目に入ったところなので、もう一仕掛けあると見たほうが良いだろう。
 いずれにせよ、「魔化魍」・「傀儡」ともに、「鬼」と「人(人偏)」が含まれていることに、少し期待している。「結局、人の敵は人である」というパターンが、私は好きだから。

 イブキが傀儡師夫婦を「傀儡でもなかった」と表現したことから、傀儡師夫婦は少なくともイブキにとっては未知のキャラクターだと思われる。「傀儡使い」とかの名称を与えられてその存在が認識されていたのなら、あの場合「傀儡ではなく、傀儡使いでした」と言っていた筈だからだ。最近、個人的には『響鬼』の展開の遅さにちょっと退屈してきているので、この辺の謎解き話のテンポを上げて欲しい。
 今回みどりに「今戦ってる奴って…割とポッと出なんだけど…悪意があるにも程がある」という台詞があった。みどりは「今戦ってる奴は1年位前に現れた新顔で、以前戦っていた奴とは違ってタチが悪い」と言っているわけである。「今戦ってる奴」が「以前戦っていた奴」と交替したのか、「以前戦っていた奴」を倒したら「今戦ってる奴」が現れたのか? 努の受け答えと合わせても、いまいち不明。また、「今戦ってる奴」が、傀儡を指しているのか、傀儡師夫婦を指しているのかも不明。更に言えば、みどりが傀儡師夫婦の存在を知っているのかどうかも不明なのだが。

 今回の見所は、ザンキと姫&童子のアクションシーン。やっぱり、生身の徒手格闘は緊張感が違う。
 姫&童子は猫だけに猫パンチというか引っ掻き系の攻撃。ザンキは対照的に拳を固めた攻撃に終始するかと思いきや、開掌での攻撃や構えも見せた。細身でリーチがない人が、拳を固めて攻防してもあまり見栄えがしないので、あれは正解だったと思う。空手の掌底のような“豪”でもなく、骨法の掌打のような“柔”でもなく、ザンキらしい“鋭”な感じが出ていたのは良かった。 
 ただ、キックをガードしたときの腕の向きが気になった。私の知る限り、フルコンタクトの打撃格闘技において、手の甲を完全に相手に向けてキックをガードすることは滅多にない。骨を折り易い(骨の断面形状の関係)し、手首も傷めやすい。ボクシングにおけるカバーリング・アップは、打撃がグローブ越しのみでガードする側もグローブを着用しているから成立する、特殊なガードである。またボクシングでも、そういった極端なガード以外は、手の甲を完全に相手に向けた防御は行われないのが普通だ。

 ザンキとイブキが金縛りにされたときの絵も、表情(非対称苦悶系と対称耐える系)・ポーズ(直立不動系と膝付き系)ともに差をつけあり、良かった。あれが二人とも直立不動系だったら、結構マヌケに映っていたと思う。

 ラストの花火のシーンは、久々の「ヒビキ合成だぁ~」な感じ。でも、女性陣の浴衣姿が美しかったので良しとしましょう。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 お菓子の食べすぎには注意しよう。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 傀儡師夫婦はマッドサイエンティストか? 負けるな僕等のマッドエンジニア、みどり!
 何か見かけない鬼が映っていたような気がしたけど、よく分かりません。
 あと、鎧童子が久し振りに登場のようですな。

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

7/26 up ザンキさんレギュラー化計画
7/25 up 『ああザンキさん』
7/22 up 変身裸族
7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
5/15 up 『仮面ライダー響鬼』その他ライダーの変身ポーズを裸で比較検証する
5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
4/18 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える その2
4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

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震電

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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。