2005-08

劇場版『響鬼』、初日の舞台挨拶は4段コンボ(4劇場スライド方式)だった!

劇場版『響鬼』、初日の舞台挨拶は4段コンボ(4劇場スライド方式)だった!


 劇場版『響鬼』、初日の舞台挨拶は池袋シネマサンシャイン5番館 という記事に、
「(池袋シネマサンシャイン5番館の初日初回上映で舞台挨拶が行なわれるので)自分が行こうと思っていた劇場に関しては、少なくとも初日の初回の回に舞台挨拶がないことが分かった」
と書いたが、これは大きな間違いだった。『響鬼』初日の劇場舞台挨拶は、

【池袋シネマサンシャイン】 初回上映開始前、9時30分より舞台挨拶
               ↓
【渋谷TOEI(1)】 初回(9時からの回)上映終了後11時より舞台挨拶
               ↓
【丸の内TOEI(1)】 初回(10時からの回)上映終了後12時15分より舞台挨拶
               ↓
【109シネマズ名古屋】 3回目終了後16時45分より舞台挨拶

というように、4劇場で時間をずらして次々に行なわれるらしい(追っかける連中が出そうだなぁ~)。
 そのうえで、都内の3劇場は舞台挨拶を全て初回に組み込んでいたのだ。普通に考えたら有り得ないような気がするが、初回の上映時間をずらし、かつ舞台挨拶のタイミングを上映前と上映後に分けることで、それを可能にしている。
 「電子チケットぴあ」の検索では、池袋シネマサンシャインしかヒットしなかったため、この「都内3劇場初回スライド方式」に気付かなかった。
 私が行こうと思っていた丸の内TOEIでは、舞台挨拶があっても「2回目の上映前(2回目に組み込まれる)」だろうと高をくくっていたのだが、実際には「初回の上映後(初回に組み込まれる)」だったというわけだ。

 ネタばれ防止の為に舞台挨拶を避けようとしていたので、舞台挨拶の回を観られないこと自体は全然問題ないのだが、ハシゴする『NANA』との時間が合わせにくくなったことが痛い。
 『NANA』も9月3日が初日のため、舞台挨拶がある。私はそれを避けて3回目の上映を観ようと思っていた。『響鬼』初回→『NANA』3回目というハシゴである。これが今回、不可能になってしまった(『響鬼』初回の整理券の配布は、とっくに終了している)。
 『響鬼』の2回目を観ようとすると、『NANA』3回目とぶつかるし…う~ん、困った困った。当日は他に観る予定の映画もないし、帰りが遅くなるのを覚悟するしかないのか。

 『NANA』の初日遅めの回って、客層はどうなんだろう? ピチピチの女子高生の群れの中にオッサン独り(私のこと)っていうのは正直どちらかと言えば嬉しい(『下弦の月』のときがそうだった)けれども、「映画鑑賞→食事経由ホテル合意済」みたいなカップルで一杯の中に…というのは何かヤダなぁ。
 しかし、『響鬼』の最終の回はチビッコが少ないだろうから、これも極力避けたい。遅い時間でなくても、土曜は日曜と比べたらチビッコが集まりにくそう(『妖怪大戦争』のときがそうだった)な気がするし。
 あ~あ、丸の内TOEIが舞台挨拶を2回目の上映に組み込んでいれば、スムーズにハシゴして早く帰れるのに。トホホ…だわ(「都内3劇場の舞台挨拶は全て初回に組み込まれている」ということ自体は統一感があって良いとも取れるが)。
 意地でも初日に観るべきか、それとも翌日もしくは翌週に延期するべきか? チビッコ一杯を期待するなら、日曜の2回目(TVの『響鬼』を見た後お家を出発)の方が良いのか?
 不惑なのに、迷ってしまう私なのであった。


☆☆ 追記 ☆☆

 迷った結果、渋谷で観ることにしました。『NANA』→『響鬼』の連絡が良かったので。ついでに、『THE FIRST』の前売り券を買ってこよっと。
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『妖怪大戦争』

『妖怪大戦争』
  2005年の映画館で観た映画:19本目
  映画を観た日:2005年8月27日(土)


 これまたハズレである。前半はそこそこ良かったが、全体としては駄作と言える。とてもじゃないが1300円払って観るような価値はなかった。個人的にはこの映画の対価は300円以下なので、1000円丸損した気分である。

 前半はそこそこ良かったにもかかわらず、観終わった直後の印象が最悪に近かったのは、後半の出来の悪さが相当に酷かったからである。後半の出来の悪さだけ取り出したら、あの駄作『ゴジラ FINAL WARS』すら凌駕する愚作ぶり。一体、どうしたらここまでつまらなく出来るのか、寒心する、いや感心するぐらいだ。まぁ、答えは明確なのだが。

 いかにもありがちなデザインのCGバリバリのモンスターをメインに出して、肝心の妖怪は添え物。これで面白い妖怪映画が出来るとでも思っていたのか?

 水木しげる、荒俣宏、京極夏彦、宮部みゆき。この4人がチームになってこの映画のプロデュースをやったことになっているらしい。実際にどこまで関わったのかは分からないが、一つだけハッキリしているのは、この4人が関わっても「妖怪の魅力を映画化することに大失敗した」ということ
 この4人は、妖怪映画に関しては才能がないとしか思えない。今後一切妖怪映画のプロデュースには関わらないように強く願う。その昔、小松左京が関わった『さよならジュピター』がダメダメだったが、そんなことをこんな風に思い出すことになろうとは、本当にやるせない。

 こんなつまらない映画を作るくらいなら、その予算の範囲でアニメの『鬼太郎』の面白い話を何本か実写化して、オムニバス映画として提供してくれた方が遥かに良かった。妖怪映画というのは、妖怪独特の魅力を描いてナンボだろう。特に今回は夏休み中の子供に日本土着のキャラクターである妖怪を紹介する絶好の機会だっただけに、この映画の失敗は残念でならない。

 いかに神木隆之介が良い演技を見せても、栗山千明の演じるアギが魅力的でも、映画としての基本構造が駄目な映画は面白くない。これで次に期待しろといわれても到底無理だ。
 今思い出したが、この映画よりもかなり低予算で造られたであろう『さくや妖怪伝』の方が、遥かに面白かった。日本に、特撮絡みで期待できる監督は樋口真嗣しかいないのか? 本当に、お寒い状況である。
 今年8月後半時点で分かったことは、邦画は駄作の確率が高いということ(洋画はある程度選抜された作品が配給されているので、当然といえば当然なのだが)。来年は、邦画のチケットを買う際は、よく吟味してから買うことにしよう。原則として、邦画に「期待」するべきではない。

『仮面ライダー響鬼』 二十九之巻

『仮面ライダー響鬼』 二十九之巻

【 観る前に思ったこと 】

 響鬼がバイクに乗るようになったので、見たい映像がまた一つ増えた。
 「ヒビキがバイクを運転しながら変身する」という映像だ。 (イブキに関しては既に言及済み)
 その際に「数秒間バイクを片手運転する」という点が、問題になるのかも知れない。以前、トークショーか何かで『アギト』の監督が「今の時代、“バイクに乗りながら両手離しで変身ポーズを取る”という絵は許されない」という意味の発言をされ、藤岡さんが「そうだねぇ」と相槌を打っていたのを見たことからの推測だ。

 『剣』での、バイクに乗った状態でのターンアップのアクションは、一瞬ではあるが片手運転となっていた。しかし、それは一瞬であり、バイクに跨った姿勢では動きとしても特に目立たなかった。このため、『剣』ではバイクを運転しながらの変身は問題視されなかったのだと思う。
 ただし、『響鬼』のライダーの変身動作では、事情が異なる。これが放送コードに引っかかるのかどうかは別にして、番組側が自主規制の対象にする可能性は低くない気がする。
 しかし、『響鬼』のコアターゲットは、未就学児である。小学校3年生にもなれば、「スーパーヒーロータイム」はほぼ完全に卒業だろう。『響鬼』の主たる視聴者の大多数は、自転車に乗る場合は補助輪付きだと考えても良いのではないか。補助輪付きなら、運転しながら「ヒビキの変身ごっこ」をしても危険は少なくて済む。両手を大きく回したりすれば、補助輪付きでもサドルから転げ落ちる危険性があるが、『響鬼』のライダーの変身ポーズならその心配もないと思う。
 だから、イブキとヒビキ、あるいは“4人目の鬼”には、バイクで疾走しながらの変身を見せてもらいたい。

 ヒビキは、足元に枯葉などの可燃物がある状況でも変身したこともあるので、バイクを運転したまま変身してもバイクが燃えてしまうことはないだろう。第一、変身しても音角、バチ、DA、鬼ベルト、鬼ふんどし(略して鬼フン)は全く無事なのだ。バイクのシートも、鬼フンと同じ素材で造れば焦げもしない筈である。

 ついでに書くが、都会で、人目を避けての変身シーンというのも見てみたい。
 これに関しては、ヒビキよりもイブキやトドロキの方が面白いだろう。
 イブキの場合、人目を避けるため、ビルとビルの間の狭い通路に入って変身。イブキの姿は外からは見えないものの、変身の際に発生する風の影響で、ビルとビルの間から乱気流が噴き出す。道路を行き交う若い女性のスカートが捲り上がり、通路の出口付近に立っていた香須実はマリリン・モンロー状態に…。

 予告映像を見ると、鋭鬼は復活しているようですな。
 紅と武者童子の初顔合わせは実現するか? あるいは、強化されたツチグモに紅で跨って、久し振りのドンドコ連打か?
 前回のツチグモ戦では単なる足手まといだった明日夢、今回は少しでもヒビキのサポートが出来るのか? 全国のチビッコたちに、ちょっと逞しくなったところを見せてやるんだ!
 そう言えば、明日夢は今まで鬼の生姿は響鬼のノーマルフォームしか見たことがなかった(番組内の描写では)のだが、今回で一気に3鬼プラス紅の生姿をゲットか?
「轟鬼さんの鬼の姿って、意外にカッコ良くってビックリしました…あ、でも一番かっこいいのは、ヒビキさんの紅です!」

【二十九之巻の感想 】

 「今回は少しでもヒビキのサポートが出来るのか?」という予想は、直接的には外れた。ヒビキが敵の攻撃を受けてバチを飛ばされ、それを明日夢が拾ってパスするといったイベントを期待していたのだが。
 それでも、ヒビキのコンディションが良かった(あるいはいつも通りだった)のは、明日夢がヒビキよりも先に起きてお茶を入れていたからだと言うことは出来る。ヒビキを起こさずにテントを抜け出し、火を起こす所まで出来たのだから、大したものである。朝起きて山を降りる準備が出来たところまでは、ヒビキが単独で行動していた場合よりも作業がはかどった筈だ。
 明日夢が鎧ツチグモと遭遇してしまったのは、逃げる方向を指示しなかったヒビキの責任である。響鬼に救出された後、明日夢は自力で安全圏に退避した。明日夢が魔化魍と遭遇したのはまだ2回目であることを考えると、これも立派である。普通の人間なら、腰を抜かして動けなくなっていても不思議ではない。

 勢地郎と明日夢母が初顔合わせ。
 安達家には父がおらず、立花家には母の姿が見えない。勢地郎と明日夢母が一緒にいると、家族が完成したという安定感を感じる。実際の設定は知らないが、立花家の母を登場させないのは、物語のバランスを取るために必要な処理である。もしこの場面に立花家母が同席していたら、明日夢母の収まりが悪くなる。物語の各キャラクター(個人単位、グループ単位)は、それぞれが少しずつバランスを欠くことで物語全体のバランスを取るのである。
 完成された戦士であるヒビキもまた、弟子を持っていないという点ではバランスを欠いている。当然ながら、ヒビキが弟子を有していたら、この物語そのものが成り立たない。

 バトルシーンは、テンポは良かったが全体的に雑な印象だった。前回から引っ張ってきた「鎧で強化されたツチグモ」のキャラクターが、ほとんど生かせていなかった。
 本来、威吹鬼の音撃射は、硬い外殻を持つ相手には通じない筈である。そうでなければ、弦、太鼓の存在意義がない。今回は、鬼石が弾かれてしまって音撃に持ち込めないという描写をするべきだった。
 轟鬼の音撃斬も、烈雷を突き刺した瞬間に思わず「か、硬い!」と叫んでしまうことで鎧の効果を伝えるべきだった。バケガニと比べて刃の刺さりが浅いため、雷轟を装着することすらできずに簡単に振り落とされてしまうという描写だ。
 そこで、鋭鬼が音撃打を行う。太鼓なら、どんなに装甲が厚くても音撃の遂行そのものには支障とならない。これで、太鼓の存在意義が表現できる。正に、音撃打は「必殺必中」というわけだ。しかし、残念ながら鋭鬼の音撃打は効果はあるもののでは倒すには至らず、脚で叩かれて吹き飛ばされてしまう。
 逃げる鎧ツチグモ、どうする…という流れで紅の「爆裂真紅」の披露となれば、筋の通ったバトルシーンになっていたと思う。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 正しいことをやって傷ついても、それは敗北ではない。悪意に踏みにじられても、自分に負けなければ、いつか必ず乗り越えられる。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 「嫌な奴」系?のイケメンキャラが登場。そのキャラクター云々よりも、役者の演技力が心配。
 魔化魍は、お稲荷さんみたい。夏の魔化魍の期間って、いつまでなんだろう?

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

8/20 up ザンキ・スペシャル “元”鬼の裏技「隠し鬼爪」
8/15 up 鬼の「顔だけ変身解除」リアル版
7/26 up ザンキさんレギュラー化計画
7/25 up 『ああザンキさん』
7/22 up 変身裸族
7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
5/15 up 『仮面ライダー響鬼』その他ライダーの変身ポーズを裸で比較検証する
5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
4/18 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える その2
4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

劇場版『響鬼』、初日の舞台挨拶は池袋シネマサンシャイン5番館

劇場版『響鬼』、初日の舞台挨拶は池袋シネマサンシャイン5番館


 「電子チケットぴあ」では、今日(2005/8/27(土))からチケットが発売される。大きなお友達が注目している舞台挨拶は、初日の初回の回だけみたい。「上映前舞台挨拶あり」とのことなので、ネタばれ嫌いな私はパス。まぁ、どっちにしろアッという間に完売するだろう(初日の初回の分は)。

 これで、自分が元々行こうと思っていた有楽町の劇場に関しては、少なくとも初日の初回の回に舞台挨拶がないことが分かった。舞台挨拶によるネタばれを避けるため、初回をパスするつもりだったが、その必要がなくなった。ちょっと大人気ないけど、初回で観ることにした(寝坊しなければの話)。

 久し振りに、チビッコで一杯の劇場での鑑賞! もちろん映画自体も楽しみだけど、この非日常感溢れるイベント感覚が、心ウキウキさせるんだよなぁ。鞄に、子供心と一緒に音錠を忍ばせていこうっと!

…と思ったら、大きな勘違いだった!
 衝撃?の、と言うよりはトホホな続編は こちら

『仮面ライダー響鬼』 二十八之巻

『仮面ライダー響鬼』 二十八之巻

【 観る前に思ったこと 】

 傀儡を操る「傀儡師夫婦」(仮称)。二十七之巻終了時点において、敵キャラ側の最高意思決定者である彼らは、一体何を目的に活動しているのか?
 傀儡師夫婦の目的が「鬼の抹殺」でないことは明らかだ。
 更に、彼らの真の目的が「魔化魍を人口密集地に放って大量捕食させる」ではないことも明らかだ。2体の魔化魍を合成してナナシを造り出した際の彼らの行動から、それが分かる。

 「鬼の抹殺」が目的なら、金縛りにされて無防備になったイブキとあきらは、童子と姫(あるいはウブメ)によって命を絶たれていた筈である。同日、ヤマアラシ戦で一敗地に塗れた轟鬼も同様。
 当然ながら、このときに両鬼を抹殺し(実際には殺さずに重傷を負わせた方が、ザンキ達が救出に回らなければならなくなるので、より効果的)、ウブメとヤマアラシが人口密集地へ向かっていれば、2体の魔化魍は人間の大量捕食に成功していた可能性が高い。けれども、その時に傀儡(を操る傀儡師夫婦。以後、この表記省略)が選択したのは、2体の魔化魍を人里離れた場所で合体させることであった。
 しかも、そこまでして合体させた魔化魍を、鬼が3人がかりで音撃しても、傀儡は介入しない。まるで、鬼たちがどうやって合体魔化魍を倒すのか見守っているかのようであった。

 ウブメとイブキの戦いに介入した傀儡が、合体魔化魍に対する鬼の三重奏には介入しなかった…ということは、傀儡はイブキを抹殺したいのではなく、「合体させる前のウブメ」に手を出して欲しくなかっただけなのである。傀儡は「(合体した後の)ナナシ」と鬼が戦っているところを見たかったから、鬼の三重奏には介入しなかった。
 つまり傀儡師夫婦にとって、「鬼と魔化魍を戦わせること」は手段ではなく、それ自体が目的なのだ。魔化魍が人間を餌といているのは、そうしないと「鬼が魔化魍と戦かってくれない」からなのだ。
 こう考えると、傀儡師夫婦が原則として戦い自体に直接介入しないことや、戦いに敗北した鬼を殺さないことにも合点が行く。

 それでは、傀儡師夫婦は「自分の望む形で、魔化魍と鬼が戦うところを見たい」というだけの、バトル・ウォッチャーなのだろうか?
 いや、そうではあるまい。傀儡師夫婦にとって、魔化魍と鬼の戦いは、単なる暇つぶしの「ショー」ではない。あれは、「実験」なのだ。研究し、開発し、製造した「製品」の「実証テスト」なのだ。
 兵器のメーカーは、自社で開発した兵器という「製品」を、実際の戦場に出来るだけ近い環境で「テスト」しようとする。ときには、小規模な紛争地域に試作品を提供して、「実証テスト」をすることもあるかも知れない。それと同じように、傀儡師夫婦は、鬼(猛士)を相手に「童子&姫、魔化魍」という「製品(試作品)」の「実験(テスト)」を行なっているのだ。

 そうだとすると、「童子&姫、魔化魍」という「製品」の提供先は、誰なのだろう?
 傀儡師夫婦は、誰に完成した「製品」を差し出すため、実験を行なっているのだろう?
 換言すると、傀儡師夫婦に「童子&姫、魔化魍」という「製品」を造るように依頼した依頼主は、何処の誰なのだ? その依頼を出したのは何時(いつ)で、「製品」の「納期」は何時(いつ)なのか?
 傀儡師夫婦は、遥か昔に受けた「依頼」に従い、「童子&姫、魔化魍」という「製品」の研究・開発・製造を、今日までずっと行い続けているのか? いつ、「依頼主」から「最終要求」が来るのかさえも分らないままに。
 もしかしたら、「鬼」さえも、その「依頼主」に由来する存在かもしれない。「童子&姫、魔化魍」の性能を評価するための、「試験装置」として「鬼」が人間側に与えられたのかも知れない。(「魔化魍」・「傀儡」の文字には、どちらも「鬼」と「人(人偏)」が含まれている)

 …な~んて、まぁ、 『響鬼』も『ガイバー』を元ネタにしている部分がある ので、こういう設定も有りかな、なんて思ってます。
 魔化魍が人を捕食せず、魚とか木の実とかを食べるんだったら、基本的には熊とか象と同じ「希少な大型生物」だもんなぁ。WWFとかが保護に乗り出すかも。魔化魍の国際保護条約が作られて、「日本は魔化魍を退治し過ぎだ」とか国際的に非難されたりして。日本も「魔化魍の数は増えている」「調査の為に退治している」とか言って反論。国境を越えて渡りをする魔化魍なんてのも、面白そう。

 実際の設定でも、傀儡師夫婦はマッドサイエンティストか? 負けるな僕等の美人マッドエンジニア、みどり!  みどりの出番が、今後増加の一歩をたどることを期待! 「今週のみどりさん」てな感じのシーンが欲しい!
 何か見かけない鬼が映っていたような気がしたけど、よく分かりません(ネタばれ防止のため、公式HP等は一切見ない主義)。ボディは太鼓の使い手で、角は3本あるみたい?
 あと、鎧童子が久し振りに登場のようですな。

【二十八之巻の感想 】

 予想通り、番組中ではお初となる「鋭鬼」が登場。ボディの形状から、太鼓の使い手であることは確定。響鬼と威吹鬼を足して二で割った感じで、カラーリングを除けばハッキリ言って響鬼よりもカッコイイ(ただし、頭部のデザインがデビルマンっぽいのが気掛かり。『龍騎』のナイトっぽいとも言えるが)。バチの鬼石の色もくすんだ感じで、意図的に脇役カラーにされているのが可哀相。
 ここで気になるのは、管の使い手のみ、複数登場していないということ。これは、“4人目の鬼”が管の使い手であるということを意味するのか? 太鼓やギターと違い、銃や吹奏楽器は玩具化できるデザインのバリエーションが豊富(サブマシンガンの烈風に対してライフル、トランペットに対してフルートとか)なので、その可能性はけっこうあると思う。冬のボーナス時に、フォームの新バージョンだけでは、フィギュア系の玩具展開しか出来ないことになるし。

 天然の木材であるにもかかわらず、変身や紅化の際の高熱でも燃えず、打撃時の強大な負荷にも耐えてきた烈火の柄が折れた。前回は霊験あらたかな神木みたいな樹から柄の材料を調達したが、今回も同様なのだろうか? まぁ、ヒビキと明日夢が一緒に山に入るというイベントの意味合い(最初の出会いのシチュエーションの再現)がメインなので、深くは語られないとは思うが。

 傀儡師夫婦は、ほぼ予想通り。眠る眠らないの話からは、彼らが基本的には人間であるように思える。この傀儡師夫婦は首都圏担当で、他の地区には別の傀儡師夫婦が存在するのだろうか?
 女性タイプの傀儡の登場は嬉しいが、黒だったのでちょっとガッカリ。夏も残り少ないので、次は白の女性傀儡を出して欲しい(無論、その方が露出が大きいから。出来れば、ヘソ出しファッションで!)。
 魔化魍は、今までは童子と姫が産んでいたように思えていたのだが、今回は傀儡が発生に直接関与している様子。傀儡師夫婦(夫)も、「傀儡経由で魔化魍を強くする」と言っていた。今回のツチグモは鎧化されるのか?

 今回は女性キャラの描写が多かった。みどりの台詞の多さに感激し、モッチーの涙にハンカチを噛みしめ(すいません、これは嘘です)、香須実の「最近、油断できなくなってるから」という発言に眉毛がピクリ。うーん、この会話の際のイブキのリアクションを、どう判断するべきなんだろう?

 バトルシーンも結構豊富で、今回は前編ながらバランスの取れた構成になっていた。
 ただ、イブキとトドロキを背後から捕らえた童子たちが、そのまま変身したのは演出ミス。あそこは、イブキとトドロキの変身のイフェクトで振り払われた後に変身するべきだった。
 快傑ズバット風のヒビキ、次回は「チッチッ… 日本じゃあ二番目だ」とか言っちゃうのか?

【小学一年生の心で学び直したこと】

 万引きを邪魔されたことを根に持って、暴力をふるう奴は最低だ。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 鋭鬼、復活しているようですな。
 紅と武者童子の初顔合わせは実現するか? それとも、強化されたツチグモに、紅で跨って久し振りのドンドコ連打か?

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

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7/26 up ザンキさんレギュラー化計画
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『バトルスター ギャラクティカ』

『バトルスター ギャラクティカ』
  2005年(4月17日~)のWOWOWで観た映画:6本目
  映画を観た日:2005年8月20日(土)


 WOWOWの“夏のSF大特集”の一環。
 その昔、日本でも放映されたTVシリーズ『宇宙空母ギャラクティカ』のリメイク版。2003年に全米放映され、人気を博したそうだ。
 『宇宙空母ギャラクティカ』では、ヘルメットがエジプト風のデザインであったり(地球に辿り着いたギャラクティカの人々がエジプト文明を築いたという設定)、テーマ音楽がファンファーレ風であったりしたのが印象的だったが、それは『バトルスターギャラクティカ』には引き継がれていない。この点、ちょっと寂しくもあった。ただし、『ガンダム』のジオン側モビルスーツのモノアイの元ネタとなった、サイロン兵の眼のデザインは踏襲。やはり、これがないとサイロンじゃないでしょう。

 前後編で合わせて3時間以上の尺があるため、ドラマとしての作りはしっかりしている。戦争の悲惨さ・非情さを骨太に描いた点も評価できる。
 特撮に関しては、戦闘機パイロットのヘルメットのバイザーが息で曇ったりする部分もあったが、全体としては(TV特撮としては)良好。CGを中心としたVFXも、日本の劇場版映画『リターナー』よりもレベルは上。空母ギャラクティカは、サイロンからのサイバー攻撃対策としてローテクで構成されているという設定なのだ。この設定によって、科学考証を省略するとともに製作費を抑えることに成功している。

 ギャラクティカのエースである女性パイロットのスターバックが、カッコ良かった。この女優、『エイリアン』でリプリーを演じたシガーニィ・ウィーバーみたいに、ブレイクする予感がする。そういえば、日本にはこういうタイプの女優はいないんだよなぁ。
 DVDも発売されている。SFファンとしては、押えておかざるを得ないだろう。

ザンキ・スペシャル “元”鬼の裏技「隠し鬼爪」

ザンキ・スペシャル “元”鬼の裏技「隠し鬼爪」

【鬼の「顔だけ変身解除」リアル版】の番外編でもあります


 以前書いた記事 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える の中で、「美数鬼」に変身するミカヅキという女性キャラを考えた。手の甲だけではなく足(爪先)にも鬼爪を備えており、鬼に変身していなくても鬼爪を出すことを出来るという設定(忍者系キャラ)だ。

 この設定、実際のTV版のザンキに使えるんじゃないだろうか?

 ザンキはサポーターの中でも一番危険なポジションにいる。飛車のようにキャンプで待機しているだけではなく、弟子のように戦場現場へ同行するからだ。弟子ならばDAと変身鬼弦を携帯して、いざとなればDAを駆使するか変身するかして戦うことが出来る。しかし、ザンキはDAも変身鬼弦も携帯していない。また、ザンキは音枷を外した今でも「鬼の気」を漂わせているらしく、二十七之巻では、童子と姫と遭遇してしまい、変身しないままの戦いを余儀なくされた。
 ザンキは現在も変身可能であり、更に音枷なしでも変身することが出来るとしても、変身開始までに要する時間(精神集中開始から無敵状態になるまでの時間)は、音枷ありの場合よりも長くなる筈である。当然、敵はそこを狙うであろうし、無防備の状態で攻撃を喰らったらザンキといえども無事では済まない。
 前回は、童子と姫も余裕こいて(あるいは、彼らなりの仁義?)変身しなかったので、ザンキも互角に渡り合えたが、童子と姫が変身していたらどうなっていたか分からない。

 そこで、ザンキが「ザンキ・スペシャル」とも言うべき裏技、「変身していない状態で鬼爪を出す」を使ったらイイんじゃないか、と提案したい。名付けて「隠し鬼爪」。元ベテランの鬼だったザンキなら、こういう裏技が使えても不自然ではないと思う。
 その際、鬼になった際顔に出来る隈取が、素顔に浮かび上がるのだ。変身はしていないものの、「鬼の能力を使っている」ことを表す演出である。そしてこれは、漫画原作版初代ライダーへのオマージュでもある(更に言えば、その元ネタは『虎よ!虎よ!』)。

 と言うわけで、このアイディアをイラストで表現してみました。
変身しないで鬼爪を出したザンキ

 肝心の鬼爪がテキトーになってしまっていますが、最後に描いた部分なので(末端部分なのでどうしても最後になる)やる気が尽きてしまいました。第一、人間の手を描いたのは20年振りなんです。
 更にぶっちゃけて言えば、実は【 鬼の顔だけ変身解除】の番外編という意図で描いたので、首から下はあまり考えずに描いてしまったのであります。だから、まるで『サンダーバード』のマリオネットみたいな頭デッカチになってしまいました。(あと、隈取は最後に塗るべきだったなぁ。この失敗を「トドロ鬼」のときに生かそう)

「平成仮面ライダーシリーズが『ガイバー』を元ネタにしている」ことに関して

「平成仮面ライダーシリーズが『ガイバー』を元ネタにしている」ことに関して

(遅れ馳せながら)祝! 『強殖装甲ガイバー』、WOWOWでTVアニメ放映開始!

 8月6日(土)から、WOWOWにて『強殖装甲ガイバー』のTVアニメ放映が開始された。連載開始時からの読者(当時は私もまだ二十歳、ピチピチの学生でした)としては嬉しい限りだ。
 単行本を学校に持って行き、クラスメートに読ませたら評判が良かったことを今でも鮮明に覚えている。

 最初に断っておくことがある。私は “悪の側と由来が同じ”ヒーロー、“巻き込まれ型”ヒーロー という記事で「ワンセブン、ガイバー、クウガは、“悪の側と由来が同じ”&“巻き込まれ型”ヒーローであり、日本のヒーローものの王道を行っている?と言えます」と書いたが、このタイプのヒーローは日本が元祖というわけではない。
 私はリアルタイムでは観ていないのだが、日本では1968年に『キャプテン・スカーレット』が放映されている(イギリスでは1967年放映)。この作品は地球を守る組織の隊員が色分けされており、主人公は“悪の側と由来が同じ”なのだ。
 この『キャプテン・スカーレット』が、『ゴレンジャー』と『仮面ライダー』の部分的な元ネタになっていることは想像に難くない。ちなみに、『仮面ライダー』の漫画版において、一文字号ライダーは洗脳済みの悪の手先(ショッカーライダー)として送り込まれ、戦闘時(事故)のショックによって自我を取り戻している。これは、キャプテン・スカーレットの設定そのまんまである。(ついでに言えば、漫画版の本郷は怒りが昂ぶると顔に手術痕が浮かび上がるが、これは『虎よ!虎よ!』が元ネタと思われる)

 さて、本題に入ろう。
 私は以前から「平成仮面ライダーシリーズは『ガイバー』を元ネタにしている」と感じていたが、それを具体的に挙げてみる。

 まずは、『クウガ』から。
(1)変身アイテムが遺跡から発見された物体であり、現在の人類によって造られた物ではない。
(2)最初に装着した際、アイテムが装着者の体の内部に入っていく。
(3)変身アイテムは、当初は独立したユニットとして登場するが、主人公が装着後は、主人公と分離することが不可能となる。
(4)変身時、生体装甲(生体甲冑)が形成される。
(5)生体兵器(生物兵器)という概念。
(6)物語の途中でヒーローが死亡、その後復活する。
(7)物語の途中で、追加装甲というコンセプトの強化アイテムが登場する。
(8)ヒーローの最強の攻撃技は威力が強すぎて、市街地で使うと大きな被害が発生してしまう。

 これらは全て『ガイバー』で展開された要素であるが、その後に放映された『クウガ』にも同様の要素が入っている。『クウガ』の場合、『ガイバー』のパクリという部分はないものの、かなり元ネタとして使っているというのが実感である。

 次に、『アギト』。
(1)ギルスのデザイン。余りにもガイバーに似ている。『ガイバー』側の許可を得ていないなら、パクリと言える。
(2)変身する度に肉体が消耗するキャラクター。
(3)人類の創造主という概念。
(4)主役ヒーローと属性を同じくする、ダークサイドのヒーロー(洗脳されているわけではなく、自分の意思でダークな行動をとる)。

 『アギト』の場合は、ギルスに尽きると言ってもいい。刃物が肘ではなく踵に付いているところも、パクリのイメージを増加させている。『ガイバー』側の許可を得てるんでしょうね?と突っ込まずにはいられない。

 続いて、『龍騎』。
(1)変身アイテムが、最初から複数個(一定数)存在する。
(2)変身アイテムは、誰でも使える(変身アイテムを手に入れたら、誰でも変身することが出来る)。
(3)変身アイテムは、変身する者に合わせてカスタマイズされるが、外部からの影響によって初期化することも可能。
(4)ボスキャラのデザインとイメージ(オーディンは、アルカンフェルに似ている)
(5)変身中に○○が壊れると、変身している人間は△△に喰われてしまう。

 『龍騎』の「あのシーン」を観て、『ガイバー』のパクリだと思わなかったガイバーファンはいないだろう。あれは衝撃的なパクリであった。
 あと、変身アイテムが単なる装置で、使用する人間を選ばず(訓練等を行っていない素人でも使用可能)、しかも最初から複数存在するというのは『ガイバー』独自のアイディアだったのではないだろうか。ただし『龍騎』では、使用者が死亡した場合、変身アイテムを他人が使用できるようになる。この点は、『ガイバー』のガイバーユニットの設定とは異なっていると思われる(『ガイバー』においては、殖装していない状態のガイバー使用者が死亡したケースがまだない)。

 『555』では、巨大企業が実は悪の組織というパターンや作品の雰囲気が『ガイバー』を連想させることもあった。しかし、その部分は『ガイバー』を引き合いに出すよりも、『メタルダー』を引き合いに出すべきとも言える。
 個人的には、『555』に『ガイバー』を元ネタにした部分があるとは思っていない。(ぶっちゃけ、『555』は好きではなかったので、印象に残っていない)

 次の『剣』では、明らかに『ガイバー』を元ネタにしている部分があった。
(1)敵の中に、他とは全くタイプの異なるものが存在する。
(2)その敵は、相手の情報を読み込み、その相手の姿と能力をコピーすることが出来る。(相手の情報を入手したら、「それ」に変身することが出来る)
(3)その敵が、主人公の仲間になる。

 要するに、『剣』のジョーカーは明らかに『ガイバー』のアプトムを元ネタにしている、ということ。ジョーカーの造形を初めて見たとき、アプトムの「カブラール・バージョン」に似ていると思ったのだが、改めて見直すとそれ程でもない。設定が似ていると、デザインも似ているように感じてしまうということか。

※サンドマンさんのご指摘により8月20日に追記(ここから)
(4)変身時、衝撃波によって付近のものを弾き飛ばす。

 これを忘れていました。ブレイドの変身シーンでこれを見た瞬間、「あ、『ガイバー』の“殖装衝撃波”のパクリだ!」と思ったものです。
 ライダーは変身時には隙が出来るというのがお約束だったのに、それをこういう形で破るとは、良い意味で大胆だなぁと感心しました。『ガンダム』におけるライトセーバーのパクリと同じくらい大胆です。
※サンドマンさんのご指摘により8月20日に追記(ここまで)

 そして、『響鬼』。
(1)斬鬼、轟鬼の顔のデザインが、ガイバーIに似ている。
(2)カッパの武器と使用時の描写は、獣化兵(損種実験体)・ソムルムのパクリ。

 斬鬼、轟鬼の顔のデザインは、他の鬼とは明らかに異なっている。このことから、この件はパクリというよりオマージュあるいは「『ガイバー』さんには、お世話になってます!」といったメッセージのように感じられる。
 実際、カッパのアレは、ソムルムの明らかなパクリ。ちなみに、描写としては元ネタであるソムルムの方がシリアスである。

※サンドマンさんのご指摘により8月20日に追記(ここから)
(3)変身時、360度無敵状態になる。変身時、一定距離内にいるものは変身の際に発生するエフェクトによってダメージを受ける。

 ガイバーを殖装する際、殖装者の体表付近から衝撃波が発生し、周囲のものを吹き飛ばす。変身時、360度無敵状態になると同時に、変身すること自体が周囲に対する攻撃になるのだ。「ヒーローが変身するときは隙だらけなのに、そこを狙って敵が攻撃しないのはおかしい」という指摘に対する完全な回答である『ガイバー』における変身方法は、コロンブスの卵というべきオリジナル・アイディアだ。
 『剣』同様、『響鬼』の変身シーンも『ガイバー』を元ネタにしていると言って然るべきだろう。
 ライダーが変身時に一瞬無防備になるというのは、ハラハラさせるという要素から魅力の一つ(効果的な弱点)になると思うので、次回作では『ガイバー』方式の変身から脱却して欲しいと思う。
※サンドマンさんのご指摘により8月20日に追記(ここまで)

 単行本が最新刊一冊しか手元にない状態でも、これだけの実例を挙げることが出来た。
このように、『ガイバー』が平成仮面ライダーシリーズの元ネタになっている(されている)ということは、『ガイバー』がマイナーな存在ながらも優れた作品であることの証明に他ならない。今回WOWOWでTVアニメ化されたことを機会に、特撮ファンの間にもっと広く認識されるようになってもらえたら…と思う。
 TVアニメ化に合わせて、新装丁の単行本が発売されているのも嬉しい限り。ファンとしては、もちろん両方ともチェックしていくつもりだ。

鬼の「顔だけ変身解除」リアル版

鬼の「顔だけ変身解除」リアル版

  【その1 … 響鬼の顔だけ変身解除】
         (今回は練習というか色鉛筆のテストです)


 私は、2002年3月2日(土)に、『仮面ライダー イブキ』というライダーの私案記事を某BBS(既に閉鎖されている)に書き込んだ。その内容は、 『仮面ライダー響鬼』考1 : 『仮面ライダー イブキ』が実現した日 で紹介してある。
 この記事の中で、私はこ「変身の過程で、顔に歌舞伎の隈取をイメージした模様が現れる」というアイディアを示した。これは、漫画原作版初代ライダーへのオマージュである。そして漫画原作版初代ライダーの「手術痕が浮かび上がる」の元ネタが、『虎よ!虎よ!』にあることも意識している。

 また、『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える では、「着ぐるみはもっとリアルにしなければならない。当然、頭部だけ変身解除したときの、首(鬼の体と人間の頭部の継ぎ目)の特殊メイクは欠かせない」とも書いた。
 『響鬼』の鬼たちは、「変身によって自分の肉体そのものを変化させている」と私は捉えている。公式HPとか雑誌の設定記事を意図的に読まないようにしている(ネタばれ防止のため)ので断言は出来ないが、変身した鬼の体表は血の通った生身の皮膚そのものであり、『剣』のライダーのように戦闘スーツを装着しているわけではないという認識だ。
 もちろん、頭部のみ変身解除した姿は「鬼スーツを着ているだけ」にしか見えないが、それは飽くまでも「子供向けTV特撮の限界」からそう見えてしまうだけのこと。ここに不満を感じた私は、どうにかして「鬼スーツを着ているだけ」のように見えない工夫(演出)をして欲しいと思っていた。

 そこで思い出したのが、仮面の考察2 で指摘した、『ハリケンジャー』方式の「顔だけ変身解除」である。
 『響鬼』の鬼は、「顔だけ変身解除」と言いつつ「頭部の変身を全部解除」するから、「ヘルメットを脱いだ」というイメージになり、それによって、変身したままの「肉体」である筈の躯が「(鬼)スーツを着ている姿」に見えてしまう。これを『ハリケンジャー』方式の「顔だけ変身解除」にし、なおかつ顔の隈取状の模様をそのまま残したら、どうだろう。「顔は見せたが、変身自体はまだ解除していない」というテンションの高さを維持できるのではないだろうか?
響鬼の顔だけ変身解除リアル版

 前口上が威勢良かったわりには「お間抜けな絵」になってしまっているが、これは飽くまでも練習の意味で描いたものである。実は、響鬼の造形はあまり好きではないのだ。次の威吹鬼が「練習その2」、その次の轟鬼で本番という流れで描いてみたい。(それにしても、「ヒビ鬼」の眉間は肌色にするべきだったなぁ。この失敗を「トドロ鬼」のときに生かそう)
 また、気が向いたら、自分で考えた鬼である「美数鬼」、「貫鬼」の設定画も描いてみようと思っている。たまには色鉛筆を使ってやらないと、「もったいないお化け」が出てきそうなのだ。

『バットマン ビギンズ』

『バットマン ビギンズ』
  2005年の映画館で観た映画:18本目
  映画を観た日:2005年8月6日(土)


 最初に書いておくが、この映画『バットマン ビギンズ』は、現時点で今年最高の映画である。

 前売り券を買っていたのだが、観るのが遅れに遅れて8月6日。前売り券を買った丸の内ピカデリーでは、既に上映が終わってしまっている。仕方なく向かった劇場は新宿ピカデリー4。座席数が、たった44席しかないミニシアターである。
 ちなみに銀座シネパトス3でも上映しており、こちらは座席数72。本当はそっちの方に行きたかったのだが、前売り券が使えるかどうか分からなかったことと、『亡国のイージス』とハシゴするタイムスケジュールの関係上、新宿ピカデリー4を選択せざるを得なかった。
 何しろ44席しかないから前もって座席指定券を入手せねばなるまいと思い、『亡国のイージス』を観る前にチケットの引き換えに行った。しかし、『バットマン ビギンズ』の整理券(座席指定券ではない)は、15時(映画開始の1時間30分前)からしか発行しないとのこと。
 『亡国のイージス』を観終えて再びテケツに行くと、「17番」の整理券を渡された。
 テケツから上に伸びる階段の壁に、番号が書いてある。整理券をもらったら、その番号の位置に並んで待つことが出来るのだ。しかし、この階段は全く空調が効いていない。冬はガチ寒いだろうし、夏である今はモロ蒸し暑い。もう季節感満点である。(ちなみに、劇場内も入場してしばらくは冷房の効きが悪く感じられたが、上映開始頃にはしっかり冷えていた) 
 暑さに耐えて階段で待つこと15分、劇場内に入る。予想通り、スクリーンは小さい。ミニシアターというよりホームシアターに近いというのが第一印象だった。しかし、思い切って最前列に座って映画を観たら、映像の質は充分に高く(画面の粒子がキメ細かくて緻密)、スクリーンの小ささもそれ程に気にならなかった。最前列でスクリーンがかなり近いため、普段よりも目が疲れたが、それも許容範囲といったところ。もっとも、それも『バットマン ビギンズ』という作品が「当たり」だったからこそ、なのかも知れない。

 私はバットマンには詳しくなく、映画も過去2本を各1回観ただけである。そんな私が、映画の世界にスーッと入っていくことが出来た。タイトルに『ビギンズ』とあるのは伊達ではなかったのだ。
 
 全くのゼロから始まるヒーローというのが、私にとっては新鮮だった。私は平成仮面ライダーシリーズを観ているが、現在の『響鬼』、前作の『剣』はともに「ヒーロー(組織)は既に出来上がっている」ところから物語が開始されている。ヒーローが存在していることが当たり前、存在することが前提の世界なのだ。
 しかし、この映画は違う。ヒーローがいないことが当たり前。ある意味リアルである。リアルと言うよりも、シリアスと言うべきか。私たちの住む現実の世界にも、ヒーローなどいない。
 ヒーローがいなかったら、どうするのか? 
 前々作の平成ライダー『555』でも、最初はヒーローがいなかった。ヒーローは、第三者によって変身装備一式が与えられたことによって出現した。いわば「第三者によって与えられたヒーロー」である。
 この映画のヒーローは、そうではない。ヒーローのいない世界に住む主人公が、自らの意思で自らをヒーローへと仕立て上げていくのだ。「第三者によって与えられたヒーロー」ではなく、装備も、姿(モチーフ)も、戦略も全て自分で造り上げた「自己発生型ヒーロー」なのだ。

 復讐心に突き動かされる自分を嫌悪し、単に犯罪を憎むのではなく犯罪者自身を知るために自ら犯罪者となる。この屈折した、しかし「そうする以外に彼は何をすれば良かったのか?」と思わざるを得ない行動に惹かれてしまう。
 「復讐は正義ではない」という主人公。これは、アメリカの国家としての信条である「報復は正義」を真っ向から否定しているように思える。その意気や好し。
 この映画のヒーローは、「なぜ、蝙蝠をモチーフにした姿を選んだのか」という問いに対して、明確に答えている。これが、「ヒーローのカタチ」に強い説得力を与えている。意味があるものは、強い。意志が込められているものは、強い。だから、この映画に登場する「自らの恐怖対象を形取った暗黒の騎士」の姿には、信念と覚悟、そして存在感が感じられる。

 コミック的な外連味を極力抑えた、リアル(現実)と言うよりも、シリアス(深刻)な世界観も良い。この映画のゴッサムシティは、漫画の国でも御伽の国でもない。シリアス(深刻)な問題を抱えた、私たちの社会の暗黒部の縮図である。私たちの心の縮図である。「復讐は正義ではない」という主人公の信念を、本当にずっと自分の中に飲み込みんでい続けることが出来るのかということも含め、私たちの縮図なのだ。

 是非とも、同じキャスト、スタッフによる続編が見たい。その為にもDVDは“買い”である。

『仮面ライダー響鬼』 二十七之巻

『仮面ライダー響鬼』 二十七之巻

【 観る前に思ったこと 】

 前回、みどりが夏の魔化魍に対して身も蓋もない説明をしたのは、どういう意味があったのだろうか? 私には、脚本家あるいは設定サイドからの
「番組として、夏場は等身大の魔化魍をメインでやりたい、ただそれだけ。深い意味はないので視聴者は追求しないで下さい」
というメッセージのように聞こえた。
 あるいは素直に「みどりは単なるエンジニアであり、魔化魍の生態自体には詳しくない(気にしていない)」と受け取るべきなのかも知れない。いわゆる専門バカ。包丁と塩を持ってうろついている様子は、ちょっと常識に欠けているマッドエンジニアの匂いが漂っていて、とても素敵だった。多分、「たちばな」で接客するのは無理な性分なのだろう。湯飲みの中に親指を突っ込んでお客さんに出しそうな気がする。作務衣姿は似合うと思うのだが。

 気にしないでおこうと思いつつも気になってしまうのは、なぜ猛士は「魔化魍の元を断とうとしないのか」ということ。みどりが白いメーターマンと黒いメーターマンのことを説明したとき、「そこまで分かっているなら、いつまでも後手後手に回ってないで、そいつをやっつけろよ」と心の中で突っ込んでしまった。
 以前イブキがメーターマンと遭遇した際、文字通り手も足も出なかった。猛士としてもメーターマンを倒して魔化魍の元を断ちたいのはヤマヤマだが、いかんせん倒す方法がないということなのかも知れない。
 もっと不自然なのはメーターマン自体の方である。鎧童子とか乱れ童子とかを生み出して明らかに「鬼対策」を行い、自身の戦闘能力もイブキに何もさせない程であるにも関わらず、基本的には傍観者を決め込んでいる。鬼(変身前)を金縛りにする能力があるのなら、自身に攻撃能力がなくても童子や魔化魍を使って止めを刺すことが出来る筈だ。グロンギのソロバン担当者のような立場で、自分自身が戦闘に参加してはいけないという立場にある(ルールに縛られている)ようでもあるが、その必然性が見えてこない。
 メーターマン自身が直接関与するのがルール違反だとしても、魔化魍に鬼を殺せと命令を出していたら、裁鬼は2回死んでいる。ヤマアラシに負けたときは童子たちも健在だったのに、何故か止めを刺さない。響鬼を圧倒した鎧童子たちもそうだし、轟鬼を追い詰めた童子たちも同様である。おそらく、斬鬼の場合も状況は同じだったと思われる。鬼は戦いに敗れても「見逃してもらっている」のだ。
 これではまるで「鬼を殺してはいけない」というルールがあるかのようだ。例外としては、オオナマズ戦の際の威吹鬼のケースがあるが、あれは「殺す」のではなく「食べる」だったと見ることが出来る。
 童子や魔化魍は食べるために人間を殺しているだけで、それ以外の目的で人間に危害を加えてはいない。たまたま食物連鎖で人間の上位にいるだけなら、これ自体を悪とするのは人間のエゴ以外の何物でもない。人間だって、他の生物を殺して食べて生きているのだ。
 以前、「鬼は魔化魍の数を調整するために“間引き”をしているだけで、実は魔化魍を保護しているのだという設定だったら面白い」と書いたが、むしろ
「敵は人間の数を調整するために魔化魍を使って“間引き”をしているだけで、実は人間(鬼を含む)を保護している」
と捉えるべきなのかもしれない

 努が、みどりの研究室で懐かしそうに?音撃棒を手にする。努は太鼓の使い手だったのか?
で、で、肝心のみどりは?! みどりと明日夢と努の3人で、いろいろ話をするシーンが必要だ!
 ヤマアラシの回で良いアクションを披露した姫役の芦屋さんが、再び格闘シーンに挑む。期待大!
 もちろん、遂に「たちばな」のバイトに進出?したモッチーのラブリー振りにも期待大!

【二十七之巻の感想 】

 今回はメーターマンこと傀儡と、イブキ曰く「傀儡でもない」男女(仮に「傀儡師夫婦」と呼称)がシンクロして描かれていた。ザンキは吹っ飛ばされたのにイブキは吹っ飛ばされなかったことから、傀儡師夫婦が傀儡を操っていたと考えられる。傀儡は童子や姫を生み出す存在であると同時に、より高位の傀儡師夫婦に操られる存在ということだ。
 「傀儡」には、「操り人形」の意味と、「人形を操る芸人」の両方の意味がある。前回から登場した傀儡師夫婦が最上位のキャラクターなのか、『剣』における広瀬義人(トライアルB)のように実は中間管理職でしかないのか、今のところは分からない。現在、3クール目に入ったところなので、もう一仕掛けあると見たほうが良いだろう。
 いずれにせよ、「魔化魍」・「傀儡」ともに、「鬼」と「人(人偏)」が含まれていることに、少し期待している。「結局、人の敵は人である」というパターンが、私は好きだから。

 イブキが傀儡師夫婦を「傀儡でもなかった」と表現したことから、傀儡師夫婦は少なくともイブキにとっては未知のキャラクターだと思われる。「傀儡使い」とかの名称を与えられてその存在が認識されていたのなら、あの場合「傀儡ではなく、傀儡使いでした」と言っていた筈だからだ。最近、個人的には『響鬼』の展開の遅さにちょっと退屈してきているので、この辺の謎解き話のテンポを上げて欲しい。
 今回みどりに「今戦ってる奴って…割とポッと出なんだけど…悪意があるにも程がある」という台詞があった。みどりは「今戦ってる奴は1年位前に現れた新顔で、以前戦っていた奴とは違ってタチが悪い」と言っているわけである。「今戦ってる奴」が「以前戦っていた奴」と交替したのか、「以前戦っていた奴」を倒したら「今戦ってる奴」が現れたのか? 努の受け答えと合わせても、いまいち不明。また、「今戦ってる奴」が、傀儡を指しているのか、傀儡師夫婦を指しているのかも不明。更に言えば、みどりが傀儡師夫婦の存在を知っているのかどうかも不明なのだが。

 今回の見所は、ザンキと姫&童子のアクションシーン。やっぱり、生身の徒手格闘は緊張感が違う。
 姫&童子は猫だけに猫パンチというか引っ掻き系の攻撃。ザンキは対照的に拳を固めた攻撃に終始するかと思いきや、開掌での攻撃や構えも見せた。細身でリーチがない人が、拳を固めて攻防してもあまり見栄えがしないので、あれは正解だったと思う。空手の掌底のような“豪”でもなく、骨法の掌打のような“柔”でもなく、ザンキらしい“鋭”な感じが出ていたのは良かった。 
 ただ、キックをガードしたときの腕の向きが気になった。私の知る限り、フルコンタクトの打撃格闘技において、手の甲を完全に相手に向けてキックをガードすることは滅多にない。骨を折り易い(骨の断面形状の関係)し、手首も傷めやすい。ボクシングにおけるカバーリング・アップは、打撃がグローブ越しのみでガードする側もグローブを着用しているから成立する、特殊なガードである。またボクシングでも、そういった極端なガード以外は、手の甲を完全に相手に向けた防御は行われないのが普通だ。

 ザンキとイブキが金縛りにされたときの絵も、表情(非対称苦悶系と対称耐える系)・ポーズ(直立不動系と膝付き系)ともに差をつけあり、良かった。あれが二人とも直立不動系だったら、結構マヌケに映っていたと思う。

 ラストの花火のシーンは、久々の「ヒビキ合成だぁ~」な感じ。でも、女性陣の浴衣姿が美しかったので良しとしましょう。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 お菓子の食べすぎには注意しよう。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 傀儡師夫婦はマッドサイエンティストか? 負けるな僕等のマッドエンジニア、みどり!
 何か見かけない鬼が映っていたような気がしたけど、よく分かりません。
 あと、鎧童子が久し振りに登場のようですな。

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

7/26 up ザンキさんレギュラー化計画
7/25 up 『ああザンキさん』
7/22 up 変身裸族
7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
5/15 up 『仮面ライダー響鬼』その他ライダーの変身ポーズを裸で比較検証する
5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
4/18 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える その2
4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

『亡国のイージス』

『亡国のイージス』
  2005年の映画館で観た映画:17本目
  映画を観た日:2005年8月6日(土)


 期待して劇場に足を運んだが、最悪に極めて近かった。期待外れの印象込みで、『亡国のイージス』は、現時点での今年最低の映画である。
 パンフレットには「映画化不可能と言われた小説」云々の記述があったが、そのことが実証されたのがこの映画だと思う。「映画化不可能と言われた小説」とは、「映画化したら駄作になる小説」のことだった、というわけだ。

 ワクワクして観ていられたのは、一旦は艦を離れた先任伍長が海に飛び込み、開口部から艦に侵入したところまで。「よし、ここから『ダイ・ハード』だ!」と拳を握ったが、全然そういう展開にならない。一応は計画阻止のために動くのだが、「敵中突破」という緊張感がまるで出てこない。
 反乱を起こしたイージス艦副長の要求も拍子抜け。そんなこと、マスコミにリークするなりマスコミを脅迫して強制放送させるなりして、衆目に晒せば良いではないか。

 大体、ミサイルで東京の要所をロックオンしていると言いながら、その場所が具体的に描写されないという軟弱さ。観ているこっちには、何も伝わってこない。
 首相が明らかに引き伸ばし工作に出ているのに、警告の意味で一発打ち込むことすらしない。これは、娯楽映画における重大な「お約束」違反である。通常弾頭または空弾頭でも良いから、東京の重要施設に最低でも一発は打ち込まなきゃ駄目だろう。狙いが僅かにそれて、松竹本社が入っているビルに命中するとかでも良い。とにかく、そういうことだ。

 テーマ?的にも、「日本は守るに値しない亡国」云々と副長の要求がリンクしていない。反乱部隊が描いていたシナリオ、最終的に何をどうしたかったのかという具体像が見えてこない。

 自衛隊の全面協力を得たのかどうか知らないが、映像的には「本物の自衛艦が海に浮かんでいる」というだけで、何も興奮するものがなかった。(物語的な駄目さ加減は『戦国自衛隊1549』も同じくらい酷かったが、この絵の部分でどうにかカバーされていた)

 全般を通して、弱ヨワの腰抜け映画だった。
 あの『メテオ』に匹敵するような作品を、金を払って観てしまった。
この映画のプロデューサーや監督は、この作品に「邦画は所詮『亡国の映画』である」というメッセージでも込めたつもりだったのだろうか?

『仮面ライダー響鬼』 二十六之巻

『仮面ライダー響鬼』 二十六之巻

【 観る前に思ったこと 】

 明日夢が久し振りにバチならぬスティック捌きを披露。和太鼓ではなく、ドラム風の音撃も見てみたいなぁ。やっぱり明日夢には鬼になってもらわないと。音撃鼓ではなく音撃ドラムセット(音撃鼓のように一塊になっている)を魔化魍に取り付けて、魔化魍の体の叩く場所によって違う音(太鼓だったりシンバルとか)が出るようになる。賑やかで派手な音撃になること請け合い。
 姫が四つん這いポーズでオヤジ族を悩殺(ほぼ死語)か? こりゃもう朝から鼻血ブーッ!(完全に死語)。これで猫耳もつければ、ナウいヤングにもバカウケだ(死語3連発)

【二十六之巻の感想 】

 汗を滴らせながら、エアギターならぬ座布団ドラムを披露する明日夢。「なかなかやるねぇ」と言いたげなヒビキ、弟子を見守る師匠のようにも見える。明日夢はガンスピンならぬスティックスピン(正式には何て言うんだろう?)まで出す余裕ぶり。こうして見ると、やはりヒビキと明日夢は同じ「太鼓の使い手」、日菜佳でなくても、猛士関係者が見たら弟子に勧誘したくもなるだろう。あきらは、明日夢のこういう側面を見たことがあるのだろうか?
 スーパーの安売り目指して駆け出すヒビキを座布団ドラムで送り出す明日夢が微笑ましい。しかし、明日夢役の栩原さんは大人っぽくなっていますね。この年代は、少女よりも少年の方が成長による変化の度合いが大きいのかな?
 
 香須実に間接的に「弟みたい」と言われて、拗ねるイブキ。そういうところが「弟みたい」なのだが、それでもイブキは一人の男として見て欲しいのだ。ミニスカート(しかも、側面がやや短くなっているデザインで、素材も軽め。イブキの電話中に、しゃがんだ勢いでパラシュートみたいに開いてパンチラ?有り)姿の香須実も、そのことは承知かつ満更でもない様子。この二人の関係は、今後どっちに傾くのか? その鍵を、あきらに握っていて欲しいところなのだが。

 既にバケガニ退治のスペシャリストになった観のあるある轟鬼。雷パンチと雷キックを短いインターバルで繰り出し、一撃必殺を二連発。こうなると、徒手接近戦においては最強の鬼だろう。
 今回も「なぜ雷轟を最初から烈雷に組み込んでおかないのか」が気になった。音撃直前まで分離しておく意味を、一寸説明して欲しい。

 バケネコに襲われる女性たちが何気にナイスバディっぽくて後の展開にちょっと期待したのだが、蔓で縛られた状態での着衣の乱れは無し。これは不自然である。シャツがめくれてヘソ出しするとか、胸のボタンが一個(全部なら尚良い)外れる位していて当然だろう。断固抗議したい。まぁ、それでも「オッサンが蔓で縛られている」よりは遥かにマシではあるのだが。
 あきらも、店の奥で雑談しているときぐらいは胸元を緩めるべきである。明日夢だって緩めているのである。これは不公平だと思う。

 イブキが追った男女は、その動きやDAの撃退の仕方から、童子と姫そのものではなく、童子と姫のオリジナル的な存在だろう。白と黒のメーターマンと同じく(雰囲気的にはより高位)、いわゆる幹部クラスだと思われる。

 努は、ちゃんと手土産を持ってたちばなを訪問。あきらに対して努はすれ違いざまに半ば反射的に会釈したのみで、あきらの方は見つめるだけ。
 努は、2年間ザンキの元にいたトドロキとかなりの面識があるので、あきらと全く面識がないというのは時系列的に不自然。あるいは、トドロキとは剣道繋がりの付き合いが主で、トドロキが猛士に入るのと入れ替わりで努が辞めているのか? しかし努は少なくとも変身できるところまではいっている筈なので、この解釈も時系列的に無理がある。さて、真相はいかに?

 今回の姫は、魔化魍をモチーフにした動きでイイ感じ。今までは、バケガニのときにカニっぽい「ちょっきん」ポーズがあったくらいなので、久し振り。エイっぽい動きとか、ヤマアラシっぽい動きとかは表現しにくいからねぇ。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 包丁の取り扱いには注意しよう。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 みどりさん?! みどりさんは?! みどりと明日夢と努の3人で、いろいろ話をするシーンが必要だ!
 姫の格闘シーンにも期待大。

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

7/26 up ザンキさんレギュラー化計画
7/25 up 『ああザンキさん』
7/22 up 変身裸族
7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
5/15 up 『仮面ライダー響鬼』その他ライダーの変身ポーズを裸で比較検証する
5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
4/18 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える その2
4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

『HINOKIO』

『HINOKIO』
  2005年の映画館で観た映画:16本目
  映画を観た日:2005年7月31日(日)


 ヒノキオのVFXは特筆に価する。
 単純に質ということのみに注目すれば、ヒノキオのVFXは、『スターウォーズ』に登場するあらゆるキャラクターのVFXを上回っている(これは飽くまでもキャラクターの話である。モンスターが踏み潰した自動車のVFXが本物と勘違いするほどリアルだったとか、そういう類は対象外である)。
 とにかくヒノキオのCGは、パッと見ではCGかプロップ(現実の造形物)なのか分からない。特に、プロップからCGに切り替わった瞬間を正確に見極めるのは相当難しい。VFX作品を見慣れている私でも、「この動き(演技)はプロップでは出来ないから、CGなんだろうな」という、いわゆる状況証拠から判断することの方が多かった。

 ドラマ自体は普通の「学校もの」ジュヴナイルであり、「パーガトリー(煉獄)」というオンラインゲームを狂言回しに使っていることに少々今風を感じるくらいだ。その使い方も、ゲームジャンキーになった健太が現実に復帰できた経緯を全く描かないなど、ご都合主義的な側面が目立つ。
 スミレがHPのプリントアウトを何枚か掲げただけで、クラスメート全員が一斉にヒノキオを糾弾し始めるのも不自然な描写だった。あんな風にプリントアウトを掲げたって、正面にいる2、3人くらいしか視認できないし、その彼らだって唐突に紙ペラ見せられただけでは、せいぜい「ホントかよ~」といったリアクションを示す程度だろう。あの場面では、全員が端末でそのHPを見るようにスミレが誘導して、クラスメート自身に「ヒノキオは戦闘ロボット」という情報を確認させるべきだった。
 また、親子の実質的な和解を、死後の世界(臨死体験中の夢)で終わらせてしまったのも物語を弱くしている。飽くまでも、現実世界の問題は現実世界で決着を着けるべきだった。ヒノキオが母親のの日記か音声メッセージを見つけて、父親との関係を見直すとか…(電車に撥ねられるのは事故にする)。
 ジュンが煙突に登るシーンも、物語に相応しくなかった。直前に、健太がゲームから簡単に現実復帰できたような描写があるので、「パーガトリー(煉獄)」というオンラインゲームに物語を動かす説得力が感じられないのだ。このゲームとサトルの関わりも曖昧なので、ゲームと同じ事をすればサトルが「帰ってくる」という実感も弱い。ゲームをご都合主義的に使ってきたツケが、クライマックスに出てしまっていた。

 中途半端は、弱い。生きるか死ぬかのクライマックスにおける行動は、強い根拠(モチベーション・動機付け)が必要だ。信念や覚悟というものは、しっかりと納得できる裏付けがなければ成り立たない。キャラクターの行動の説得力とは、そういうものである。
 『HINOKIO』のクライマックスには、二つのパターンが考えられる。一つは、ゲームと現実世界のサトルとのリンクをもっと強く描いた上で、ジュンがゲームの仮想現実に没入してサトルを救い出す。もう一つは、ジュンが(ゲームとは全く関係のない)現実世界の障害を克服してサトルの傍に駆けつけ、彼の手を握ってこの世へと呼び戻す。テーマと呼ぶほどではないが、この映画には「バーチャルリアリティからの脱却」が描かれているので、より相応しいのは後者だろう。

 15歳前後の役者たちは、ちょっと小学生には見えなかったものの、演技力でカバーしていて、それほど気にならなかった。監督ともども、今後の活躍に期待したい。

『スターウォーズ エピソード3』

『スターウォーズ エピソード3』
  2005年の映画館で観た映画:15本目
  映画を観た日:2005年7月23日(土)


 中学生の時に、エピソード4即ち旧三部作1作目を観た私は、以降スターウォーズを全てリアルタイムで観てきた。その意味では「スターウォーズ世代」である。生まれて初めて観た洋画が、スターウォーズなのだ。私にとっては、スターウォーズが“洋画のデフォルト”に設定されているように思う。飽くまでも、“刷り込み”のような、無意識下の設定なのだが。
 
 そんな私だが、スターウォーズに特別な思い入れがあるわけではない。今回の『エピソード3』も、付き合いで観たような感じである。「誰か」との付き合いで観たというのではなく、『スターウォーズ』という「映画」そのものとの付き合いで観たという意味である。

 ネタばれ嫌いの私は、この『エピソード3』も事前情報を一切入手せずに劇場に望んだのだが、いかんせん今回ばかりは内容を推測できる要素が多すぎる。実際に映画を観ると、その予想通りに話が進んでいく。予想外の展開を創れないわけではないだろうが、無難にまとめようとすると、どうしてもこうなるだろうなという展開である。
 アナキンが暗黒面に落ちる過程に少し無理があると感じたが、自分の子供が双子であることを知らなかったというのは、無理を通り越して矛盾と言うべきだろう。最初のデススターの建造に凄い年月を要しているような印象を受ける映像も、マイナスである。設計図を見せるだけの方が良かった。

 前二作と比べて、もう一度観てみたいと思わせるシーンがなかった。強いて言えば、オビ=ワンがアナキンの両脚と左腕を瞬時に斬りおとしたアクションを確認したいということぐらいだ。
 スターウォーズ全6作品中、この作品だけはDVDを買わないことになりそうだ。

もりさぶさんへ

 この記事は もりさぶさんのブログ に対するトラックバックです。

 昨日訪問したら、ブログ閉鎖の記事が表示され、突然のことで驚いています。
 何があったのか詳しくは分かりません。ただ、私は毎週『スーパーヒーロータイム応援団』を読むのを楽しみにしていました。『響鬼』二十五之巻の記事を読ませてもらった時点でも、もりさぶさんのブログに問題があるとは感じませんでした。
 詳しい事情が分からないので迂闊なことは言えませんが、私は『響鬼』の記事をこれからも書く予定ですので、もりさぶさんがブログを再開されたら、またTBして下さい。私のIEの「お気に入り」には、『スーパーヒーロータイム応援団』を残しておきます。
 これからも『響鬼』を楽しんで生きましょう(←あ、誤変換だけどイイ感じ!)。
 そういえば、『響鬼』劇場版まで、あと1ヶ月ですねぇ。

「既成作品に関する、私の考えたアイディア」の類の発表について

「既成作品に関する、私の考えたアイディア」の類を
ブログに載せることについての私的考察


 15年ほど前のまだ若かりし?頃、私は同人誌活動を行っていた。
 当時、少なくとも私の周囲では同人活動を「創作系」と「既成作品のファン系」の二つに分けて考えていた。もっと端的に言えば、「創作」か「創作ではない」という捉え方である。ここで言う創作には、いわゆる二次創作(二次著作物)は含まれない。創作と言えば、それはもう自分の完全なオリジナル作品以外は有り得なかった。
 当時、少なくとも私の周囲では、二次創作(二次著作物)という言葉や概念さえなかった。既成作品に関して自分流のストーリーを書くことは、既成作品に登場するキャラクターの似顔絵を描くことと全く同じ次元のものであり、ファンの「作品の楽しみ方・遊び方」の一つ。要するに、消費活動であるという認識だ。「消費」であるから、「創作」全く反対の行為。そんな代物に、「創作」とか「著作」などという単語がくっついてくるとは、全く思っていなかった。
 
 転勤したことで同人誌活動から遠くなり、代わりにBBSでの書き込みを行うようになった。主に書き込みを行っていたのはゴジラ関係のBBSで、その内容のメインは「既成作品に関する自分の考えたアイディアの発表」だった。現在このブログに載せているゴジラの二次著作物に相当するものは、当時BBSに書き込んだものの一部である。
 あるBBS(今はもう閉鎖されている)の管理人が中心になって、有志が「ゴジラ映画の自分流のアイディア・ストーリー(要するにゴジラの二次著作物)」を持ち寄り、それをまとめてゴジラ映画のプロデューサー(富山さん)ご本人に提出したことがあった。このときは、富山さんからお返事を頂けた。
 これとは別件で、ゴジラ映画の脚本家の方から個人的に連絡を受け、私がBBSに書き込んできた「ゴジラ映画の自分流のアイディア・ストーリー」をまとめて手渡したこともあった。このときは、最新作の台本を少々見させて頂きました。
 また、ゴジラ関連のBBSのオフ会では、ゴジラ映画の監督や、造形関係の方々とお話をする機会もあった。
 時系列は前後するが、私の書いた「ガメラ映画の自分流のアイディア・ストーリー」が同人誌に載ることになったとき「せっかくだから大映の広報にも見てもらおう」と思って原稿を封筒で送ったこともあった。このときは、お返事と一緒に映画のチケットまで頂き、恐縮した。

 このように私は、二次著作物を書いたことが縁となって、その製作側と直接コンタクトを得る機会を何度か経験してきた。しかし、一度として製作側から二次著作物を書いたこと自体の是非を問われたことはなかったし、自分自身も二次著作物を書いたこと自体に問題があると思ったことはなかった。
 このとき、製作側が実際にどう考えていたかは分からない。ただ、少なくとも私は「既成作品に関する、自分流のアイディア・ストーリー」が創作物だとか著作物だとか思ったことは一度もなかった。
 自分を含めたBBSへの書き込みメンバーによる書き込みは、一つのパターンがあった。作品の感想を書いているうちに、ここはこうしたほうが良かったとか、いやそうじゃなくて自分としてはこういう場面を見たかったとかいう流れになるのである。結果的に二次著作物を書いているわけだが、誰もそんな意識など持っていない。
 作品に対する自分の要望が積み重なると、自然に「既成作品に関する、自分流のアイディア・ストーリー」になっていく。感想の行き着く先であり、感想の最終形態と言っても良い。「私はこういう作品が見たいんです」という製作側に対する要望であり、メッセージでもあるのだ。
 それを「二次著作物」とか言われても、「何のことですか?」というのが正直なところである。
 「著作権の侵害です」とか言われても、「はぁ?」である。
 やっていること自体は、プロ野球の試合結果(自分が望む試合結果)をBBSで予想したり、サッカー日本代表の先発メンバーやフォーメーションを希望的予測してブログに書くのと、何ら変わらないではないかと思う。

 もちろん、それで金儲けをしたら問題となるだろう。だから本来は、そういった内容の同人誌を有償販売した場合は、売り上げの一部を然るべき先に納めるべきだと思う。しかし、無償で閲覧されているBBSやブログは対象外だろう。

 著作者が、何か不利益を被っているとは思えないのだ。
 既存のキャラクターのイラスト(トレースではない)や、既存作品の自分流ストーリーがブログに載せられ、それが不特定の人々に閲覧されたとしても、一体どういった不利益が生じるのか?
 作品自体との間に、何の競合もないではないか?
 子供がライダーの似顔絵を描いてブログに載せたら、ライダーの商品のどれかの売り上げが落ちるのか?
 大人がライダーの次回のストーリーを予想(これも二次著作に相当する筈だ。そうでなければ、自己流ストーリーも二次著作ではなくなる)してブログに載せたら、その回の視聴率が落ちるのか?

 自分の書いたイラストやストーリーが著作者に対して不利益とならないと思うのなら、著作者に対して堂々と「二次著作の許可」を得れば良いとも思う。しかし、実際の工数を考えると、その行為こそが著作者に対する不利益となるだろう。
 全国のブロガーが、イラスト一枚、次回予測1回upするたびに、著作者に対して「二次著作の許可」を申請したら、どうなるのか? 作品によっては1日に何百件という申請が届き、その1件1件を審査し、登録し、発行するという作業が、放送期間中は毎日(放送終了後も?)続くのだ。そんなことを、著作者は本当に求めているのか?
 私には、とてもそうは思えない。
 自分だったら、絶対やりたくない。
 やるとしたら、1件ごとに許可料を徴収するとかして、コストを回収しなければ割に合わない。しかし今の時代、「あなたが『忠犬戦士 シバドッグン』の作品キャラクターのイラストを描き、それをブログに載せた場合、1枚につき500円を徴収します」という方針が支持されるだろうか? 著作者が描いたイラストをダウンロードするのに1枚500円支払うのなら、納得できよう。しかし、自分が描いたイラストをアップロードするのに500円支払わなければならないというのは、大抵の人は納得できないだろう。
 金を払ってまで自作イラストをブログに載せたくないと思わせ、これを止めさせれば、即ち二次著作物の無断掲載を禁止させたことになる。だが、これが著作者側の勝利なのだろうか? 結果的には、公式HPに「『忠犬戦士 シバドッグン』の二次著作物(作品キャラクターのイラストや自己流のストーリーなど)をインターネット上で公開することは全面禁止します」と掲示するのと同じだろう。そんなことなら、現時点でも出来ることだ。

 結局のところ、本気で無許可の二次著作物(作品キャラクターのイラストや自己流のストーリーなどに限定、以下同じ)を一掃したいのなら、検索エンジンを使って二次著作物掲載サイトを見つけ、裁判沙汰にしてでも片っ端から処理していくしかない。これにはコストがかかる。しかも、金銭的なメリットはない。既に述べたように、無許可の二次著作物の存在は、著作物の商品的側面と競合しないからだ。
 言うまでもないが、あるDVDの売り上げを不正に減少させる可能性があるのは、そのDVDそのものの違法コピー(インターネットでダウンロードされるものを含む)等であり、そのDVD作品に関するファンのオリジナル小説(インターネットで閲覧可能なもの含む)等ではない。違法コピーを取り締まれば正規の商品の売り上げが増加することが期待できるが、無許可の二次著作物を取り締まっても、関連商品の売り上げには何の影響もないだろう。
 
 これで話はぐるっと一周して元に戻った。
 著作者に対して「二次著作の許可」を申請する必要があるのか?
 私の結論は「あえてそうする必要はない」だ。
 もちろん、著作者から訴えられたら、その内容に従うのは言うまでもない。

 私は、ファンクラブのような包括的なサービスの一環として、二次著作物の許可を与えるという方式を期待している。こちらとしても許可を与えてもらったほうがスッキリするし、ファンクラブの会員に登録することで、著作者側としても個人情報の合法的入手、メールによる商品購入誘導、アンケートによる意識調査などのメリットが生じるからだ。
 二次著作物の一括許可を、有料のコンテンツにしても良いだろう。審査もせず、一度IDとパスワードを与えた後は特に管理もしなければ、特別なコストは生じない。それでも把握だけは出来るし、二次著作物以外の著作権等に関する啓蒙にも多少は効果があるだろう。
 関連商品を購入すると、ポイントが加算されて会員のアカウントが向上する等のシステムに関しても、吝かではない。こちとら、関連商品を購入する気のないような作品に関しては、最初から二次著作などに及ばないのだから。

 商品購入の話が出て、再び振り出しに戻る。
 要するに、「消費者」としての「消費」行為なのだ。
 作品を視聴することも消費、感想を書くことも消費、自己流ストーリーを書くのも消費、関連商品を買うのも消費、買ったグッズを使ってコスプレするのも消費。これらは全て、自らの要求を満たす消費行動の一環なのである。それを二次著作物うんぬん言い出すから、おかしくなる。
 特に知識がなくても運用可能、かつ無償公開が原則のブログというツールが普及してきた今、著作権という概念も変わらなければ現実と乖離していくだけだ。
 消費の自由が制限されたコンテンツは、いずれ消費者から見放されて衰退していくだろう。製作者側と消費者側のバランス感覚が、今試されているのかも知れない。

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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。