2005-07

Hello! Project 2005 夏の歌謡ショー

Hello! Project 2005 夏の歌謡ショー

 コンサートを観た日:2005年7月23日(土)
 

          カオリンのソロコンサートに行けなかった代わりに

 モー娘。の初期メンバー、カオリンこと飯田圭織のファンである。
 モー娘。は、初期は割とアダルトっぽい楽曲がメインで、今のメロン記念日に近い雰囲気だった(そう言えばタンポポも初期はそうだった)。
 あの雰囲気のままだったら、ファンクラブに入っていたかも知れない。しかし、石黒彩の脱退や4期加入~ミニモニ。の結成によって、モー娘。が一気にターゲットを低年齢層にシフトさせていったことが、既に30歳代に突入していた私を踏み止まらせた。ファンクラブ入会どころか、そのうち行こうと思っていたコンサートにも行く気がしなくなってしまった。
 もともとカオリン目当てでモー娘。を観ていた部分が大きかった私は「カオリンがソロコンサートをやるようになったら、それを観に行こう」と決めた。そしてカオリンのソロコンサートが実現した今年、満を持してチケットを購入しようとしたのだが、入手に失敗。ハロプロのファンクラブ会員でないと、入手は困難なのか? それでも、“チケット入手の為に”入会するつもりは今のところない。カオリン個人のファンクラブになら、今すぐにでも入りたいのだが。
 次のソロコンサートを待つ…と雌伏を決め込んでいた矢先、ハロプロのコンサートが代々木第一体育館で開催されることを知った。カオリンも参加メンバーに入っている。チケットが取れたら行こう(多分取れないだろう)…ぐらいに思っていたら、今度は入手に成功。こうして、初めてのハロプロコンサートを“成り行きっぽく”観に行くことになったのだった。

         オッサンばっかり? まるでプロレス会場のような雰囲気

 会場に到着したのは、13時30分頃。驚いたのは、会場前に群がる客の年齢層の高いこと。オッサンばっかりじゃんか!というのが第一印象である。オッサンは言い過ぎにしても、20代以上が圧倒的多数を占めている感じだ。それも20代前半の「若者・学生」ではなく、25歳以上の「社会人」という雰囲気。
 その反面、子供・ファミリー層は極端に少ない。ベリ工(Berryz工房)やキッズを売り出してきたのは、彼女達と同世代のファンを獲得するためではなかったのか? もしその狙いがあったとしたら、少なくともこの会場に限っては完全に失敗している。ベリ工単体のコンサートは、さすがにこんな客層ではないとは思うが。
 とにかく、当初予想していた「若者ばかりの、場違いな所に来た」という感覚が、全くと言っていいほどない。自分が集団の中で浮かずに済んだのだから本来なら喜ぶべきなのだが、
「客の年齢がこんなに高いなんて、ハロプロはヤバイんじゃないか?」
と思えてしまう。この状態は、過去のある時期以降、新しい若いファンが生まれなくなっていることを意味しているのではないだろうか。
 このネガティブな印象を、以前どこかで体験したことがある気がして、すぐにそれを思い出した。UWFバブル崩壊後のプロレス会場の雰囲気・客層構成と似ているのだ。ハロプロのような10代中心のアイドルのコンサート会場が、UWFが崩壊して斜陽期に入った頃のプロレス会場みたいな雰囲気で良いのだろうか?

                   いたって普通の会場内

 客層のことを私が心配していてもしょうがないので、グッズ売場で最小限の買物をしてから、会場に入った。
 席は北側スタンド席・Cブロック1階のやや上の方。代々木第一体育館は、Aブロックが一番後ろなので、Cブロックも後ろの部類に入る。今回のコンサートの場合、スタンド席の最前ブロックはIブロックあたりだろうか。
 覚悟はしていたが、やはりステージが遠い。早速、持ってきた双眼鏡を取り出して調整を行なう。探鳥(バードウォッチング)用に買ったものだが、外に持ち出したのはこれが3度目(ベランダからの探鳥は除く)くらいである。もちろん、これで人間を見るのは初めて。探鳥のスキルは素人と大差ない私だが、探鳥の苦労そのものは知っている。その意味で、人間を見るのは気が楽だ。人間は野鳥とは比較にならないぐらいデカイし、一瞬で飛んでったりしないもんな。
 公演前の会場内は、ごく普通にざわめいているだけである。時折「あいぼんあいぼんあいぼん~」などと叫んでいる人が2、3人いるだけで、後はいたって普通。奇抜な格好をした人もいない。法被を着ている人すらごく少数に過ぎない。多分、「モーオタ(モーヲタ)」と呼ばれる濃いファンは、夜の部に集中しているのだろう。客席は、まぁ満席と言っても良い状態。それでも冷房が適度に効いているのが有り難い。
 ちなみに、私の左隣の席は、ゴスロリ?風の衣装(ハロプロメンバーのコスプレというわけではなさそう)を着た、20代と思われる女性。最初は「もしかして男性?」と思って出来るだけ見ないようにしていたが、ごっちんに声援を送っているときの声は明らかに女性のそれだった。会場内には20代女性など数えるほどしかいなかったから、隣にいるなんてもの凄い偶然である。私があと15歳くらい若かったら、話しかけていたところだが…。あるいは、女性の方が明らかに三十路を超えたオバチャンだったら…。いやぁ、残念(何が?)。

             過去最高のコンディション?のメンバーたち

 コンサートが始まると、サングラスをかけたハロプロメンバーが登場し、ステージから伸びている花道を走って来てくれた。私の席から見ると、花道の先端部までの距離は、ステージまでの距離の約半分。そこまで来てくれると、双眼鏡で見るよりは、裸眼で見たほうがイイ感じ。
 サングラスをかけていたせいで最初は分からなかったが、北側の花道先端に来てくれたのは、「のの」と「なっち」だった。意外だったのは、なっちから「可愛いオーラ」が出て見えたこと。私はなっちのファンではないのだが「あ、この女性“可愛いオーラ”出てる」と普通に思えた。
 ののは、引き締まって見えた。『ハロモニ』で、カオリンが「のんちゃんの太腿は筋肉質で固そう」と言っていたが、本当にそんな感じ。これは、TVを観ていたときには全然感じられなかったことだ。
 ううむ、遠目であっても、やっぱりライブはTVとは一味違うぞ。

 次に印象的だったのは、セクシーオトナジャンで登場したミキスケ(オヤジっぽい藤本美貴をミキティと呼ぶのは抵抗があるのでこう呼称している)。
 手を高くかざして脇の下を露にした姿が、かなり艶っぽかった。双眼鏡越しに、色気が漂ってくるような感覚。普段は焼肉好きのオッサンみたいなミキスケが、ホルモン全開…じゃなくてフェロモン全開モードになっているものだから、妙にドキドキした。ミキスケもハタチになったことだし、ソロコンサートをやるなら観に行ってもいいかなと思えた。

 ごっちんは、予想外に良かった。私から見て、身体がベストシェープに戻っていた。「セクシーガイ」のPV撮影時のごっちんに戻っていたのだ。今の状態で、PVを全部撮り直してくれたら全部買うぞ!ホントに。一体、いつの間に身体を戻したのだろうか? 最近のごっちんといえば、『ハロモニ』でのペンギンの着ぐるみ姿ぐらいしか見ていなかったから、全然気付かなかった。
 客観的な美しさではカオリンの方が上だが、主観的な好みでは、今のごっちんが理想である。ごっちんももうすぐハタチだし、このコンディションを維持してくれるのなら、ソロコンサートを観に行く価値はある。でも、ごっちんは急に痩せたりするからなぁ…。ベストシェープのごっちんが女性の理想体であるだけに、痩せたごっちんに関しては「壊れた理想像」を見せつけられているみたいでツライのである。
 「やる気!」をメロン記念日(ハロプロユニットの中では1番好き。今のモー娘。より好き)と一緒に歌って欲しかったのだが、残念ながらそれは無し。「やる気!」は全体で歌う曲として使われていました。
 
 カオリンは、もう最高だった。かつてウェートを落としすぎた時期があったが、遅くともプリプリピンクの頃にはベストシェープを回復。それを今回の舞台でも見せてくれた。
 綺麗な顔立ちに、きっちりクビレた素晴らしいボディライン。髪をショートにしたために見えるようになった、えりくびのラインも美しい。
 9頭身はありそうなプロポーションに、すらりと伸びた手脚。寒冷地の北海道出身なのに、どうしてあんなに手脚が長いのか? 私なんか、ヒョロッとしている割には手脚が短い。寒冷かつ起伏の多い地形に適応した、いわゆる極東モンゴロイドの典型だ。カオリンの家系には、きっとどこかでアングロサクソンの遺伝子が入っているに違いない。それとも突然変異のミュータントなのか? もしかしたら宇宙人かも? カオリンが、ある日突然「私は金星人」とか言い出しても、かなりの説得力があると思うぞ?!
 ステージに大勢のメンバーが登場しているときは、原則としてカオリンを見ていた。双眼鏡で、ずっとカオリンを追いかけて見ていると、コンサートを見ているのではなく、カオリンという一羽の美しい鳥を見ている気分になる。カワセミは、その美しさから「空飛ぶ宝石」と呼ばれている。カオリンは、「美しさが服を着て歩いている」・「芸術品が服を纏ってしなやかに動いている」という感じだった。
 この日の個人的なメインは、モー娘。卒業メンバーによる「ラブマ」。もちろん、カオリンも入っている。曲に思い入れがある分、プリプリピンクの曲よりもヒートアップした。発売されるコンサートDVDには、是非とも収録して欲しい。
 この日のカオリンは、衣装も凄く良かった。あれだけスタイルが良いと何を着ても似合うとは思うが、ステージで舞うカオリンは本当にヒロインであり、ヒーローでもあった。
 栗山千明がタランティーノの映画に出られたのだから、カオリンは007の映画にいわゆるボンド・ガールとして出演すべきだ。どう考えても、カオリンは日本の芸能界を代表する美女である。

 機を見てチェックしていたのが、一人編成になってしまったココナッツ娘。のアヤカ。実は、カオリンの次にお気に入りのハロプロメンバーなのである。彼女も、思ったより細くなくて良かった。
 あと、ヨッスィーの腰にクビレが戻っていたことも確認できた。フットサルの効果なのか、食事管理の成果なのかは分からないが、とにかくヨッスィーのクビレ復活をこの目で見た。

 ヨッスィーに限ったことではないが、アイドルたる者、腰周りを大きく露出した衣装を着られる程度には身体を絞っておく義務がある。もちろん、必要以上に痩せて健康美を損なってもダメだ。
 今回のコンサートでは、私が注目したメンバー全員が各々自分のグッドシェープを維持していた。これは、見ているだけで気持ちが良かった。

                     歌って踊れる観客

 コンサート中、ずっと双眼鏡を手にしていたわけではなく、基本的には普通にコンサートを楽しんだ。コンサートが終わって帰るとき、会場前の広場で踊っているオッサンのグループがいたが、あれは多分、夜の部の客が踊りの練習をしていたのだと思う。それを見たとき、私は奇異には感じなかった。コンサート中、踊れるスペースがあれば私も踊りたかったからだ。アリーナ席の各ブロックの最前または最尾列なら、踊ることも出来るだろう。
 「コンサートを観るのと、ストリップを観るのとでは、ここが違うのだな」と、その時思った。コンサートでは、拍手や手拍子をするだけではなく、ステージの上のタレントに合わせて一緒に歌ったり踊ったりすることが出来るのだ。私も一緒に歌うべきところでは歌ったし、腕の動きの分だけでも踊れるところは一緒に踊った。
 
 「もう一度同じ席か、更に後ろの席でもう一度見たいか?」と訊かれたら即答できないが、少なくとも今回のコンサートは楽しめた。
 次に機会があれば、せめて1階スタンド席Fブロックの下の方のチケットを取りたいところだ。直接、ぴあの窓口でチケットを購入すれば座席指定まで出来るのかしら?
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ザンキさんレギュラー化計画

ザンキさんレギュラー化計画

 あるいはザンキがモッチーの相談相手になるための道

  rihoさんのブログの響鬼二十五之巻の記事 を読むと、ここ数週間?の「ザンキ日照り」によるザンメロ隊の方々の「ザンキさん禁断症状」は、それなりに大変なご様子である。
 少しでも癒しになれば?と思って 『ああザンキさん』 という記事を書いたのだが、これは特撮キャリアの比較的長い人限定のネタなのであった。

 そんな気休めではなく、万人向けのネタ、じゃなくて抜本策はないものか…。私はフト現実に返って思った。
「ザンキ役の松田さんが、ホストクラブを経営すれば良いのでは?」
 名付けて、「クラブ音枷」。撮影のない日は松田さん自身にお店で待機していてもらえば、ザンメロ隊の皆さんが団体で押し寄せて…
 ハッ、いかんいかん、ヒーロー番組は教育番組。こんな短絡的な思考、良い子のみんなは真似をしちゃダメだよ!

 …じゃあ、「マンガ喫茶」はどうだろう?
 松田さんは学生時代に漫画家を目指していた時期もあったそうだから、副業としてはイイかもしれない。カウンターの松田さんが、番組でトドロキに入れているお茶と同じお茶を入れてくれる。そのお茶を飲みながらお気に入りのマンガを読むなんて、まさにザンキファンにとっては至福のひと時…

 いやいやいや、そういう風に現実に逃げてはいけない。作品に対する渇きは、飽くまでも作品自体によって癒さなければ。例え時間的には短くても良いから、劇中にてザンキさんの潤いを確保する道を探らなければ。
 お、思いつきました!
 名付けて「たちばな2号店」計画!
 例年にない魔化魍大量発生。その対応に修繕費その他の比例費が増加、猛士は資金不足に陥る。そこで、最近なぜか繁盛している「たちばな」に2号店を作ろうという話になり、その店長にザンキが任命される、というわけ。
 人件費削減のため人員は少なく(正社員はザンキとトドロキの2名だけ?)、店長とはいうもののザンキは店内の切り盛りから外回りまで、フル回転の大忙し。そして、これまた人件費削減のため相場より遥かに安い自給で募集していたバイトに応募してきたのは、モッチーだった…。

 こんな展開だったら、「ザンキがモッチーの相談相手になる」という私の願望も叶って、とっても嬉しいところなんですけど!

『ああザンキさん』

『ああザンキさん』

 実にありがちだと思うのですが、軽くググッても出てこなかったので、upしちゃいます。
 『ああ 電子戦隊デンジマン』(小池一夫/作詩)の替え歌で、『ああザンキさん』です。

(ザンキさん ザンキさん ザンキさん ザンキさん)
乙女が助けを求めてる
どこかで腐女子が叫んでる
急げ ザンキさん 音枷スパークだ
頭にきらめく 金の鬼 (ザンキさん ザンキさん…)
★戦いの海は 烈雷で漕げ 漕げ
 かなしみの海は “萌え” で漕げ 嗚呼ー
 大きな友達 守るため 愛と勇気の 雷 奔る
 ザンキ ザンキ ザンキ ザンキさーん
 ザンキさぁーーん

(ザンキさん ザンキさん ザンキさん ザンキさん)
乙女が救いを求めてる
どこかで腐女子が泣いている
走れ ザンキさん 音枷スパークだ
不敵な笑顔も チャーミング (ザンキさん ザンキさん…)
嵐の海は カエルと漕げ 漕げ
 涙の海は “萌え” で漕げ 嗚呼ー
 ザンメロ部隊は いつの日も 夢と希望の 出番を願う
 ザンキ ザンキ ザンキ ザンキさーん
 ザンキさぁーーん
(ザンキさん ザンキさん ザンキさん ザンキさん)
★くりかえし


 エンディングの『ザンキさんにまかせろ!』は、皆さんで考えてください。それでは!

『仮面ライダー響鬼』 二十五之巻

『仮面ライダー響鬼』 二十五之巻

【 観る前に思ったこと 】

 鬼としての活動を考えた場合、響鬼にバイクは基本的に必要ないのではないか?
 管の使い手は空を飛ぶ魔化魍を担当しているゆえ、前回の威吹鬼のようにバイクで追跡しながら音撃を行う場合も起こり得る。しかし、太鼓と弦の使い手は、そうではない。
 太鼓と弦の使い手が担当してきた魔化魍は、バイク無しでも充分に追跡・補足が可能だ。第一、山などの自然の地形の中には、オフロードバイクでさえ移動が困難な地形が幾らでもある。超人的な脚力を持つ鬼なら、オフロードバイクで移動するよりも自分の脚で走ったほうが速いだろう。
 響鬼の脚でさえ追いつけないような高速移動が可能な、いわゆる高機動型・高速タイプの魔化魍は、管の使い手が担当するべきである。前回、轟鬼や威吹鬼が太鼓を使って戦ったように、響鬼が管を使って戦う必要なケースも有り得るだろう(対アミキリ戦のときがそうだった)。しかし、そういうことを言い出したら、鬼は出撃時に「鼓・弦・管の3セット」を常に完備して行くのが当然ということになる。
 しかし、今までヒビキが2種類以上の音撃武器を装備して出撃した描写はなかった。初めてバケガニと戦うことになったときでも、弦の準備をしていた様子は見られなかった。このことからも、ヒビキが普段から自分の担当外の魔化魍に対する特別な準備を考えているとは思えない。
 キャンプ用具一式を運搬する手段としては、不知火などの自動車があればそれで充分だ。
 さて、響鬼がバイクに乗る理由は何処に? メリット云々ではなく、単に本人が趣味として乗りたいからか?

 ヒビキと比べるとどうしても細く見えたトドロキが、明日夢と並ぶと逞しく見えるかにも注目。

【二十五之巻の感想 】

 バトルは、裁鬼が怪童子or妖姫を倒す瞬間の場面からスタート。ここの描写だけ見ると、裁鬼は弦の使い手で変身鬼弦を装着しているが、属性は炎のようだ。鬼カラー(隈取や腕の色)と音撃鼓&鬼石の色も、響鬼と同じ赤である(鬼石は精錬の具合で色が変わるようだが、響鬼の新タイプのバチも、結局は赤だった。やはり属性との相性・相関があるのではないか)。
 だとすると、弾鬼は威吹鬼と同じ風の属性ということになるのだが…

 音撃の属性が鼓・弦・管の3種、鬼自身の属性が炎・風・雷の3種。つまり、鼓&炎、弦&炎、管&炎、鼓&風、弦&風、管&風、鼓&雷、弦&雷、管&雷という組み合わせがある。これに轟鬼のようなパワーで勝負するタイプか威吹鬼のようなスピードで勝負するタイプなのかという身体能力からくる戦法の違い、響鬼のようにベテランの鬼なのか轟鬼のようなまだ不慣れな新人の鬼なのかという経験値の差から来る戦術の違いも加わってくる。
 裁鬼は、弦&炎でスピードタイプのベテラン鬼ではないか。
 個人的には、柔道などの組技系の格闘技を中心に使う鬼とか、打撃系でもボクシングのようにパンチ&フットワーク主体で蹴りをほとんど使わない鬼とか、格闘スタイルによる違いを明確にして個性を出して欲しいと思う。

 カッパもドロタボウ同様、分裂するタイプなので太鼓で戦わなければならないようだが、元々太鼓が専門の響鬼にとっては問題のない相手。紅モードを発動させれば尚更である。最初からヒビキに行かせればいいと思ってしまうのだが、裁鬼に黒星が増えるというのが一つの伏線なのか。
 新人の鬼である轟鬼には、今のところ同期のライバルがいない。トドロキに、いつまでも新人や後輩であることを強調したエピソードを重ね続けていては飽きが来るので、ここら辺で「二人目の新人」と登場させて、トドロキの芝居に幅を持たせたいところだ。

 今回登場した「ツトム」は、OPのクレジットを見ると「津村努」。自分の決め仕草も披露しており(トドロキは戸田山であるうちは決め仕草をやらなかった)、鬼であるように思えるが、鬼名では呼ばれていない。鬼にいったんなったものの、現在は鬼であることを辞めているとしか思えない。トドロキが鬼になったことすら知らないので、猛士からも完全に離れているということになる(日菜佳の様子からすると、「円満退職」であったことを窺わせる)。
 トドロキが珍しく呼び捨てするところから、トドロキが猛士に入る前からの知人または猛士での同期だと思われる。熱いキャラであるトドロキとは対照的なクールで軽いキャラなので、鬼に復帰してトドロキのライバルになって欲しい。「ツ・ツ」だから、「貫鬼(ツラヌキ)」か?

 今回は泳ぎがテーマ?だった。
 姫の水着姿や泳ぐシーンが見たかったのは私だけではあるまい。ネタばれ防止のため、姫の役者さんのことも調べていないため、どの程度クビレ体型であるのかも分かっていないのだ。
 神戸さんは、さすが元グラビアアイドルだけあって、くびれ体型を維持されてました。蒲生さんは、サキュバスを演じていたときよりも細くなってる? 個人的には、サキュバスのときの線が好みだっただけに、ちょっと残念。
 渋江さんはカナヅチらしく、Tシャツを着たままで濡れシーンすら無し。全国のOLさんお母さん、残念でした。トドロキ役の川口さんの逞しさ加減は微妙なところ。私も頑張って鍛えねば! 夏バテしている場合じゃないぞ!

【小学一年生の心で学び直したこと】

 秋冬春も鍛えるべきだが、夏も鍛えるべきである。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 次回で2クール目が終了。と思ったら、また1週お休みですか。
 明日夢が久し振りにバチ捌きを披露。和太鼓ではなく、ドラム風の音撃も見てみたいなぁ。
 姫が四つん這いポーズでオヤジ族を悩殺(ほぼ死語)? こりゃもう朝から鼻血ブーッ!(完全に死語)。これで猫耳もつければ、ナウいヤングにもバカウケだ(死語3連発)

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

New! 7/22 up 変身裸族
7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
5/15 up 『仮面ライダー響鬼』その他ライダーの変身ポーズを裸で比較検証する
5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
4/18 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える その2
4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

変身裸族

変身裸族


 『仮面ライダー響鬼』に登場するライダー(鬼)たちの特徴として、変身時に身に付けている衣類が焼失するなどして失われ、変身中はほぼ全裸の状態であることが挙げられる。変身を解除すると人間の姿に戻るが、焼失した衣類は戻ってこない。当然ながら、変身を解除した鬼は、ほぼ全裸の人間となる。
 さて、裸になるライダーが登場したのは『響鬼』が初めてかと言うと、そうではない。
 アマゾンは、変身する際どころか、日常的に裸だった。もちろん全裸ではないが、腰道具と“アマゾン模様”の短パン一丁という出で立ちは、変身後の「裸」の姿とほとんど違和感がなかった。変身前の俳優とスーツアクターの体型が良く似ていることも相まって、「アマゾンは、変身してもアマゾン」であった。
 『響鬼』の鬼たちも、変身前から腰道具を装着しており、変身前後で名前の読みが変わらない。やはり『響鬼』の鬼たちは、「裸のライダー」としてはアマゾンの後輩というところだろう。

 変身時に身に付けている衣類を喪失するため、着替えを持ち歩く、あるいは準備しているヒーローも、『響鬼』が初めてではない。漫画作品において前例があるのだ。『重機甲兵ゼノン』のゼノンである。
 サイボーグであるゼノンの全身は、特殊合金ゼノニクスで覆われている。戦闘形態に変身する際、このゼノニクスが膨張することで身体が一回り大きくなるため、衣類が破れてしまうのだ。『超人ハルク』と同じパターンである。
 また、ゼノンは脳改造を受ける前に脱走しているため、頭部には装甲が施されていない。このため、変身しても頭部は人間の姿のままである(後に、戦闘時にはヘルメットを着用するようになる)。
 これは、見かけ上『響鬼』の鬼たちの「頭部のみ変身解除」と同じである。着替えの件と言い、『響鬼』の元ネタになっているように思える。
 ちなみに、『北斗の拳』のケンシロウも戦闘モードに入ると上半身の筋肉がパンプアップして衣装を引き裂き、上半身裸になる。裸になるということは、それ自体が変身の一種なのかも知れない。(そう言えば私も、貧相な身体をしているくせに自分のブログで上半身裸になっている。これも変身願望の顕われだろうか)

 変身時に衣類を喪失するわけではないが、変身中は裸となるヒーロー(ヒロイン)といったら、けっこう仮面その人である。『響鬼』より遥かに以前に実写化もされている。私は未見(本当に見てません。ちなみに漫画もほとんど読んでません)なので、あれが変身と呼べるものなのか、単なる脱衣なのかは分からないが、正体を隠して別の存在になる以上、ここでは変身として扱っておく。

 変身時に一時的に裸になるヒーロー(ヒロイン)といったら、キューティーハニーだろう。エフェクトを伴って(一時的にではあるが)衣装を失う形は、まさに『響鬼』の鬼たちの原型といえる。
 日本のオヤジ族が、女性の鬼の変身シーンを心待ちにしていることは論を待たないが、実は一見純真に見える子供たちも、小学2年生にもなればこの辺りはオヤジと大差ないことを世の女性は知っておく必要があるだろう。『キューティーハニー』をリアルタイム世代で観た人間が言うのだから間違いない。経験者は語る、というところだ。

 『デビルマン』はアニメの印象が強いため、私個人は巨大変身ヒーローだと思っている。デビルマンも変身/巨大化の際に衣類を失い、変身した状態では素裸である。アニメでは変身後もパンツをはいているような絵になっていたが、原作漫画では完全な裸体として描かれていたように記憶している。
 永井豪の作品が三つ挙がったが、作品ごとに変身と裸が違ったパターンで関連付けられているのが面白い。ヒーロー(ヒロイン)には、スパイスとしてのエロスが必要だということか。

 変身時にイメージ的に裸になるヒーローとして、『七星闘神ガイファード』を挙げておこう。
 ガイファードに変身するシーンで、主人公はイメージシーンながら黒いブリーフ一丁になって全身を晒すのだ。本来は全裸のシーンにしたかったところなのだろう。モーフィングを用いた変身描写は、変身が肉体そのものの変化であることを表現していたように思えた。
 ちなみに、ガイファードは日本のTV特撮ヒーローにおける「最後の改造人間」である。悪の組織によって肉体改造された一般人という、初期の仮面ライダーの設定をそのまま引き継いだ最後の変身ヒーローなのだ。
 放映ネットの関係で特撮ファンでも観たことのない人が多いと思われるが、『重機甲兵ゼノン』同様、一見の価値はある作品と言える。

 スーパーマン、スパイダーマン、バットマンといったアメコミ系のヒーローと「裸」に関しては、また別の機会に考えてみたい。

ストリップ私的理想論

ストリップ私的理想論


 「ストリップは“着衣の新体操”」というのが、私の一つの理想である。
 そう言うと、10人中9人までは「“着衣”の新体操ではなく、“裸”の新体操だろう」と指摘する。しかし、新体操は裸体であることを前提にした競技なのである。
 レスリングと柔道を例えに出せば、分かりやすいだろう。

 知らない人はまずいないと思うが、柔道では自分または相手の着衣を掴んだりして利用することがルールで認められている。立技の場合は、掴み方に一部制限があるが、寝技の場合は着衣のどこを掴んでも良い(ただし相手の袖と裾の中に指を入れることは反則)。
 単に掴むだけではなく、自分または相手の着衣を使って相手の首を絞めても良い。帯や裾を使って首を絞めることは禁じられているが、相手の身体を拘束するために使うことは許されている。寝技の際、帯や裾を相手の手首に巻いて拘束する技術は有名である(ただし1周以上巻き付けると反則)。
 このように、柔道は道衣を着用することを前提にした競技であり、その競技技術の殆どが着衣を利用したものとなっている。
 一方、レスリングは薄手のタイツまたはレオタードを着用することがルールで定められているが、その着衣を掴んだりして利用することは禁じられている。薄手とはいえ、あの着衣の胸や背中の部分に手を突っ込んで握り込めばかなり有効な組み手となると思われるが、それが許されていない。つまり、互いに薄手の競技衣を着用しているにもかかわらず、あたかも裸であるかのように振舞って競技することが求められているのだ。

 レスリングに、着衣を利用する技術体系は全く存在しない。
 新体操にも、着衣を利用した技術体系は全く存在しない。
 この意味でレスリングは「裸の格闘技」であり、新体操は「裸の表演競技」と言えるのだ。
 一方、ストリップには着衣を利用した技術体系が明確に存在する。脱衣という行為自体が、着衣前提でなければ成立しないのだ。「ストリップは“着衣の新体操”」という表現をした意味が、分かっていただけただろうか。

 もちろん、着衣を利用した技術体系を持つ舞踊は、ストリップ以外にも存在する。と言うより、舞踊の殆どは着衣を前提としている。
 ストリップはそれらの舞踊の着衣技術を取り込み、そこに脱衣(または脱衣後の再着衣)するというストリップ独特の技術体系に加え、更に「裸の表演競技(正確には、着衣に依存しない技術のみで構成された非着衣表演競技)」である新体操の技術を組み合わせている。

 ちなみに、シンクロナイズド・スイミングやフィギュア・スケートも、原則として「着衣に依存しない技術のみで構成された非着衣表演競技」である。設備的・技術的な面での困難が伴うが、「着衣のシンクロナイズド・スイミング」としてのストリップや、「着衣のフィギュア・スケート」としてのストリップも、理論的には可能な筈である。

 ストリップの理想を語る際に、新体操を引き合いに出す理由は他にもある。
 ダンスや表演系の、エンターテインメントまたは競技の中で、「ソロ、立技、寝技、手具」の4要素を兼ね備えているのは、ストリップと新体操だけではないかと思えるのだ。
 新体操では、リボン、ボール、フープ(輪)、クラブ(こん棒)、ロープ(縄)といった手具が用いられる。ストリップでも同系統の手具あるいは全く異なるアイテム(例えば椅子)が使われることは珍しくない。もちろん、徒手で行なわれる場合の方が多いと思うが、ストリップの場合は着衣自体が一つの手具として機能していることを忘れてはならない。肩にかけたシースルーの布一枚であっても、充分に手具として使えることはストリップの常識である。
 新体操では正方形の演技面(フロア)内で表演されるが、立技や寝技に関するポジションによる制限や特徴は特にないようだ。
 ストリップでは基本的に、比較的面積の大きいステージでは立技中心、面積の小さい盆では寝技中心の表演が行なわれているように思う。もちろん、それぞれ逆のパターンもある。花道では、普通に歩く以外にも這って移動したり転がって移動したりと様々なムーブが見られる。花道をバク転で移動した踊り子もいたように記憶している。

 「ストリップは“着衣の新体操”」と言っても、ストリップに新体操ほどのアクロバットを求めているわけではない。そもそも、ストリップの本質は「エロスをテーマにした舞踊芸能」であり、競技(スポーツ)ではなく芸能の一分野である。しかし、それが競技であれ芸能であれ、素人には容易に真似することのできない「技」が披露されないのなら、お金を払ってまで観る価値はないと私は思う。
 新体操を含む表演競技は、競技の性格上、採点競技と同義となる。採点は技術点と芸術点(表現点)に分けて採点され、それを総合して全体の採点とするというのが大方の基準である。先ほど述べたようにストリップは競技ではないが、評価の基準は競技採点に準じるというのが私の考えである。
 すなわち、ストリップは「技術」・「芸術」・「エロス」の主要3要素に、ボーナス的要素である「双方向性」と、衣装・選曲・構成・企画などパッケージ自体を評価する「設計」を加えた5要素によって評価されるべきものだという考えだ。

 「技術」と「芸術」を分けて列挙するのは、飽くまでも便宜的なものである。私にとって、「着衣の新体操」と「エロスをテーマにした舞踊芸能」の共通解となるものが、「素人には容易に真似することのできない難度を有する各種ポージング」なのだ。
 何気ないポーズがドキッとするほど美しかったりする場合もあるが、長い文化の歴史の中で取捨選択された結果残っている特定のポージングは、やはり見る者を惹きつける。また、女性の身体の美しさを表現する形態は、ある種のパターンに収斂する傾向があるとも思える。
 もちろん、難度が高ければ良いというものではない。しかし、日常ではまず目にすることの出来ない特殊なポーズによって女性の美しさが形造られたとき、それはエロスを宿した生きるオブジェとなって、単なる性的欲望を凌駕する芸術と成り得るのではないだろうか。

 立技においても寝技においても、一定以上の難度を有する「規定技」というべき幾つかのポーズやアクションを取り入れていることが理想だ。
 立技ならY字バランスや、エアロビ、チェア、バレエなどのポーズまたは動作。バク転などのアクロバットでも良い。
 寝技なら、各種開脚、バック、ブリッジ、倒立系。もちろん、新体操で使われているポーズや動作でも良い。
 ちなみに、私はベッドショーが単なるオナニーショーになっている踊り子さんを全く評価しない。どんなに完璧に演じても評価はゼロである(難度の高いポージングと組み合わせた場合は例外)。指と股間さえあれば誰にでも出来ることは評価の対象にならないのだ。

 まず始めに身体ありき。鑑賞に値する身体を作っていることが全ての基本となる。
 次に、創作力。何をどう表現するのか。そのために、限られた時間と空間(と予算)を、どう設計するのか。
 創作したものを具現化する技術力(ベースとなるのは身体能力)。
 その技術(物理的な動作)に魂を吹き込む表現力。愛憎・苦悩・悲哀・歓喜といった情感が動きに宿るとき、人はそこに芸術を見出す。
 美しさは、必ずしも高度な技術に依存しない。芸術は、必ずしもエロスを伴わない。
 しかし、着衣を利用して裸をより裸らしく演出する表現は、チラリズムという名のエロス。
 映画に関しては、「観る側が理屈抜きで凄いと感じる映像は、造る側が理屈を尽くさねば生まれ得ない」というのが持論だが、ストリップにおいてはどうなのだろうか?
 「技術」・「芸術」・「エロス」が分割不能な渾然一体の状態となったところに、ストリップの一つの到達点が在るのかも知れない。

 神話によると、その昔この国は「ほと(女陰)も露に」舞い踊った女神によって救われた、とある。どんな舞踊だったのか、是非とも観てみたい、と思う。

『仮面ライダー響鬼』 二十四之巻

『仮面ライダー響鬼』 二十四之巻

【 観る前に思ったこと 】

 響鬼の新フォームは、目の部分が黒、全体的には真っ赤でシャリバンみたい。レーザーブレードみたいな剣も使うし。
 そういえば『響鬼』の3人の鬼の隈取カラー(ハンドカラー)は、3人の宇宙刑事の基本色と同じ。威吹鬼の新フォームは全身鮮やかで涼しげな青(青空色)、轟鬼の新フォームは全身銀色だったりするのだろうか。
 先輩後輩の順で見ると、鬼は赤・青・銀の順、宇宙刑事は銀・赤・青の順で全然合ってないのだが、キャラクターという面に着目すると、“青”と“銀”は合っている。イブキとシャイダーは3人のうちで一番若く、キャラは「良いとこのボンボン」である(イブキは劇中で「宗家の若い衆」であり、シャイダーは役者が「宗家(円谷)の若い衆」だった)。トドロキとギャバンは、「濃い目の体育会系」というキャラが一致している。

 響鬼の新フォームが単なる夏バージョンなのか、本質的なパワーアップなのかもまだ分からないが、トドロキにはザンキという同タイプの先輩鬼がいるだけに、新フォームの扱いがどうなるのか興味深いところだ。ザンキもかつてはヒビキ同様、夏に備えて鍛えに入り、新フォームに衣替え?していたのか、とか…。

 トドロキが、そして威吹鬼も音撃棒を振るう。色違いの鬼石が目新しくて鮮やかな感じ。
 3人が太鼓を叩くときの、気合の入れ方の違いに注目というか注耳、じゃなくて傾聴。

【二十四之巻の感想 】

 一見スッキリした話だが、前回からの疑問は何ら解決しない話であった。
 夏の魔化魍には弦による音撃は効かないことを知りながら、太鼓の練習の意義に対して強い疑問を抱いていたトドロキ。太鼓の練習の意義を、改めてちゃんと説明しなかったヒビキ。
 ヒビキに弦を教えたのが先代のザンキであるとかは、このこととは直接関係ない。

 出撃前、ヒビキに念を押されていたトドロキが、稲坊主に音撃斬を試みたのは不自然すぎる。稲坊主に音撃斬が効かないことを絵として出したかったのは分かるが、それならそれで展開に説得力を持たせなければ駄目だ。あの場合は、響鬼がピンチに陥って、轟鬼が助けようとしたが敵わず、どうしようもなくて音撃斬をやってしまうといった演出をすべきだった。
 
 逆に良かったのは、威吹鬼が飛行中のイッタンモメンに音撃している際、アカネタカが包囲してその行動を制限しているように見える映像。イッタンモメンが高空に逃げたくても逃げることが出来ない、そんな状況が何となくではあるが伝わってくる。

 明日夢の父親の話とか、トドロキが警察官だった話がチラリとでも出てきたのは嬉しいところ。短期間で鬼になったトドロキの剣道での実績などから、警察と猛士の裏での繋がりを垣間見せてくれると、世界観がグッと深まると思う。明日夢の父と母の馴れ初めに関しても、今後語られそうな雰囲気あり。

 一刻も早く紅になろうと鍛えているヒビキはカッコイイ。これで、ヒビキが川(滝の付近)に飛び込んだとき、高温になったヒビキの体温によって周囲の川水から「シュワーッ」と水蒸気が発生する描写があったらもっと良かった。
 ヒビキ=細川さんはナチュラル・マッチョなのに、変身すると響鬼がやや細身になってしまうのがもったいない気がする。
 
 ドロタボウに関しては、予算の都合上しょうがないとは思うが、着ぐるみの不自然な皴やたるみが目立った。頭部が稲坊主なのも、造形を単純にして少しでも安く上げようとした結果なのだろうか。

 今回は、前半にダブルライダー、後半トリプルライダーという豪華な構成だったが、私にとってのベストシーンは、轟鬼が単独で怪童子を倒したシーン。怪力で相手を空中に放り上げ、落ちてくるまでのタイムラグを使って雷パンチを発動させるという、合理的な技。言うなれば、「逆ハリケーン・ボルト」。
 空を飛べる相手には使用できないが、その類は管の使い手が担当するはず。轟鬼の一撃必殺系の技として、これからも要所で使っていって欲しい。
 響鬼紅が音撃鼓無しで音撃を決められるのは、響鬼との技による差別化・パワーアップ感が出ていて良かった。鬼石はバチについているので、音撃技としての整合性は保たれている(太鼓は発生装置ではなく増幅装置)。
 期待していた「3人が太鼓を叩くときの気合の入れ方の違い」は、特になくて残念。「うぇーい!」に相当するような、個性的な気合が聞きたかった。

 響鬼の炎絡みのVFXは素晴らしかった。この回を含むDVDは、必ず買わなければなるまい。
 劇中、幾つかあったロングショットはいずれも効果的で、舞台の空間性、立体感が良く表現されていたと思う。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 限りある予算は、ポイントを決めて注ぎ込もう。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 ヒビキと比べるとどうしても細く見えたトドロキが、明日夢と並ぶと逞しく見えるか?

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

7/9 up 我が家のキアカシシ
7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
5/15 up 『仮面ライダー響鬼』その他ライダーの変身ポーズを裸で比較検証する
5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
4/18 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える その2
4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

渋谷道頓堀劇場 7/10-20 公演

渋谷道頓堀劇場 7/10-20 公演
  舞台を観た日:2005年7月16日(土)

※注 この記事はイベントとしての記事であり、芸能としての記事は後日別途アップする予定です

 関東圏へ転勤してからは初めてのライブ観劇。4年振りくらいであろうか。ストリップは過去、7年間の期間に20回くらい観ていると思うが、とにかく久し振りである。
 今回劇場まで足を運んだのは、純川セレナさんが出演されているから。セレナさんのブログに、渋谷道頓堀劇場への出演が急遽決まったという記事が載っていたので、観に行ってみる気になったというわけ。
 
 行く前から決めていたことが幾つかあった。渋谷駅に着いたら、帰りの切符を買っておくこと。劇場に行く前に大型書店「ブックファースト渋谷店」に寄ること。セレナさんの舞台は2回観るということ、ナドナド。
 これらは全てその通りに行えたのだが、思わぬ落とし穴があった。観劇前に、ちゃんとした食事を取ることをしなかったのである。ストリップ観劇は久し振りだったので、「観劇中は、拍手・手拍子をすることでエネルギーを消費する」ということをすっかり忘れていたのだ。映画を観るような気分で劇場に向かい、あまつさえ頭のどこかでは「劇場に着いたらカツサンドを買って腹ごなしをしよう」みたいなことを考えていた節すらあった。
 
 朝食をしっかり摂り、10時30分頃に渋谷駅でカロリーメイトを摂取していた私だが、それなりに歩いたこともあり、上演開始時刻の12時頃には既にお腹が減り始めていた。その状態で拍手・手拍子をするもんだから、空腹感は急速に進行していく。そんなわけで、久し振りの観劇は空腹感と戦いながらのものとなった。これは本当に大きなミスだった。

 初めての渋谷道頓堀劇場なので、過去に行った劇場とは進行等が異なっており、戸惑うことが何度かあった。
 先ず、最初の踊り子さんが紹介アナウンス無しでいきなり登場。その次に、2番手のセレナさんがやはりアナウンス無しで登場。香盤を見てセレナさんが2番手ということは知っていたが、確か「オールポラ」だった筈。まさご座や銀映でポラがある場合は、舞台→ポラ 舞台→ポラ …というシーケンスだった(何年も前の話。今もそうなのかは不明)。ここではポラは最後にまとめてやるのか? この調子でポラのインターバルなしで拍手&手拍子を続けていたら、こっちの手とお腹がもたないぞ…
 などと思っていたら、セレナさんの舞台が終わった後に、最初に踊った踊り子さんがポラのために再登場。ますます分からなくなってきた。ところが、ほどなくしてセレナさんもポラのために再登場。つまり、渋谷道頓堀劇場では二人同時進行でポラを撮るのだ。なるほど、このやり方だと一人づつポラを撮るよりも時間を短縮できる。

 セレナさんは、踊りの曲に特撮ソングっぽい歌(後で調べたら、「日本ブレイク工業」という会社の社歌だった)を使っていた。その曲でのフィニッシュポーズは、イブキの決め仕草の女性バージョン。このことから、ポラの際に特撮ネタを使うのもOKだと判断し、私は持参した音笛を胸ポケットに入れて手を挙げた。
 音笛を渡してポーズをお願いすると、予想通りセレナさんは「あ、音笛ね」とごく普通のリアクションでポーズを取ってくれた。そのときのポラがこれ(サイン後のもの)。
女性の音撃戦士? 純川セレナさんのポラ(サイン入り)

 さすがにプロ、ポーズが様になっている。まさに音撃の女戦士! 管の使い手「純鬼」といった感じである。

 この直後、セレナさんは音笛の電源を入れて(鳴らすとまずいと思って私が「切」にしておいた)指でマウスピースを押し、音を鳴らした。私がカメラからポラを抜き出して渡すと、セレナさんは「あ、仕事しなきゃ」と笑って音笛の電源を切った。音笛は、ポラと交換する格好で私のところに戻された。
 ここまで、私が震電であることに気付かれている様子はない。これも予想通り。このまますんなり終わると思ったが、
「サインしますか?」「ハイお願いします」というお決まりのやり取りの後、セレナさんからペンを渡されて「?」となった。
 「終わった後に1階で受け取ってもらうために、ここに名前を書いて下さい」とのこと。
 これは予想外だった。まさご座や銀映の場合、サインポラはその回のフィナーレのときに踊り子さんが手渡しするシステムだったので、ポラに自分の名前を書くなんてことは一切なかった。踊り子さんはポラを撮ったときのポーズと撮った人を大体覚えており、撮った人が盆の傍に来るとポラと照合しつつパッパと手渡すのである。
 「名前を書いて」と言われた私は、咄嗟に偽名を書こうと思った。ここで「震電」と書いたら、せっかくここまで気付かれずに済んでいたところなのに、自分から「来てあげましたよ」と申告するようで嫌だったのだ。もちろん自分を偽るのは不本意だし、一種の罪悪感のような感覚も伴う。しかし、ここでは名前は単なる個人識別用のIDに過ぎない。「身分を明かしてください」といった意味合いなど皆無なのだ。仮に「A」と書いて、受け取るときに「A」と言えば、それで万事スマートに事が済むのである。
 そう思ってペンを持ったら、驚いたことにプルプルと手が震えた。一瞬、「国会中継が静止画像になる原因となった映像」が頭を過ぎった。人間、葛藤しながら筆記しようとすると、本当に手が震えるものなのか?
 やっぱり、嘘をつくのは良くない。そう思ってポラに「震電」と書いて渡したら、セレナさんの表情が一変した。「すいません、全然気がつきませんでした」みたいなリアクションをされたのだが、こっちとしても本来その予定だったのだ。ああ、やっぱり偽名でスルーすべきだったのかも知れない。最初に手がちょっと震えたのは、お腹がペコペコだったせいかも知れない。
 それでも、ブログで知り合った人と顔を合わせ、自分を認識してもらえたのは正直嬉しい部分もあった。セレナさんに「思い切り引いた反応」をされなかったからこそ、そう思えるのではあるが。
 …んん? ひょっとしたら、私は意図的に自分の行動のスマートさを貫こうとしていたのではなく、実は無意識にこの部分のリスクを回避しようとしていたのだろうか?
 今となっては分からない。それは、もしも偽名でスルーしていたら今どんな気分なのかが分からないのと同じだ。

 セレナさんとお約束の握手を交わし、席に戻った。とりあえずホッとした。ホッとしたら、更にお腹が減った。ブックファーストからここに来る間に、マクドナルドがあったことを思い出す…。
 空腹は、人間の判断・行動能力を低下させる。1回目の上演が終わった後、1階に上がればサイン入りポラを受け取れることは分かっていたが、血糖値が下がって省電力モードに入った私の身体は動こうとしない。1回目の上演中の誰かのポラのときにトイレに行った際、通路でタバコの煙に悩まされた記憶も影響していた。
 帰るときに受け取ればいいんだ、と思った。
 結果的には、これがあんまり良くなかった。
 サイン入りポラには、「今日のことをblogに書いても平気ですか」という問いかけメッセージが添えられていたのだ。サイン入りポラに社交辞令以上の何かが添えられていることなど、私にとっては滅多にない。今回で2回目である(ちなみに1回目は青井りんごさんのとき。私の撮ったポラがピンボケだったため、そのポラ以外に別撮りのポラが一枚コメント付きで添えられていた)。
 
 セレナさんの2回目のポラのとき、私は再び手を挙げた。この時点の私は、まだ1回目のポラを受け取っていないので、セレナさんがポラに質問を添えていることを知る由もない。当然ながら、2回目のポラの際、私は質問の件には一切触れず仕舞い。このときの私の振る舞いは、あるいは誤解を招いたかも知れなかった。今回のイベントの、二つ目の反省事項である。
 そんな状況でのツーショット。撮って下さったのは、近くにいたお客さん(ありがとうございました)。
純川セレナさんとのツーショット

 セレナさんは、空いている手も使って余裕のポージング。決まってます。このポーズの延長上には、胸を隠した「女性用の変身ポーズ」が推測できる。それに対し、空腹で電池切れ寸前の私は、ピサの斜塔状態で文字通り倒れそうな感じ(こんな風に身体を傾けた記憶は全然ないのだが)。

 余りにも自分の写真写りが情けないので、今日、自室で自分のソロショットを撮ってみました。が、数枚撮ったところで「メモリーが一杯です」という表示が…。モチベーションが一気に下がってしまったので、とりあえずその中で良さそうなものを選んだのがこれ。
中年音撃戦士?

 部屋が片付けられていないところが垣間見える辺り、この写真が計画性無しに撮られたものであることを窺わせる1枚ではある。

 当初の目的は果たしたものの、反省点もあったこの日のイベント。思い出に残る1日でした。

怪獣映画ヲ「見立て」デ 語ルベカラズ

怪獣映画ヲ「見立て」デ 語ルベカラズ

2002年5月6日(月)頃に書いたもの

 舞台の演出として、細かい紙切れが舞台の上から降ってきたとき、観客は、あるときはそれを春に舞う桜の花びらに、あるときは冬空から舞い降る雪に見立てます。例えそれが、どちらも全く同じ細かい紙切れだったとしても。
 舞台の上に机が一つしかなくても、そこが都会ビルにある会社のオフィスの一角だと見立てることがあります。
「ビルの中のオフィスなら、机が一つしかないわけないだろう。それに、ビルの窓のセットがないのは変じゃないか」
などと、野暮なことは言いません。
 海岸に面した松林という舞台設定でも、本物の松の木を舞台セットに持ち込むことを観客は最初から求めていませんし、本物の海のように波打つ海のセットを舞台に組むことは、まずないでしょう。

 よっぽど酷ければ話は別ですが、セットとして一定の完成度に達していれば、チャチか、チャチでないか、リアルか、リアルでないか、そんなことは舞台では問題視されません。それどころか、セットが全く存在しない舞台もあります。
 また、日本の伝統芸能の中には黒子という補助役または操作者が存在することがありますが、観客は原則として黒子は「見えないものとして認識」します。これも見立ての一種と言えるでしょう。
 これと同様に、日本の怪獣映画、特撮作品に関しても

・ミニチュアのビルや山や乗り物が、ミニチュアであることが丸分りで、とても本物には見えない場合でも、「日本特撮とは、こういうものだ」という認識で、本物のビルや山や乗り物であると「見立て」る。

・着ぐるみの巨大怪獣や巨大ヒーローがほぼ等身大の着ぐるみであることが丸分りで、中に人間が入っているとしか見えない場合でも、「日本特撮とは、こういうものだ」という認識で、それが巨大な怪獣や巨大ヒーローであると「見立て」る。

・プールの中でゴジラの着ぐるみがバチャバチャやっているとしか見えない場合でも、「日本のゴジラとは、こういうものだ」という認識で、海で身長数十メートルのゴジラが動いていると「見立て」る。

 「怪獣映画は着ぐるみを使った日本独特の伝統芸能だ」といったコメント(冗談や揶揄ではない)が、TVニュースで流れたのを聞いたことがあります。
 しかし、日本特撮が海外のニュースで紹介されたとき、
「この一見お粗末な特撮は、この国の伝統芸能だ」
とコメントされたとしたら、特撮ファン以外の日本人は憤慨するかもしれません。第一、海外の特撮系の作品で特撮がチャチだったとしても「これは伝統芸能だから」といったフォローはまずしないでしょう。

 日本の怪獣映画、特撮作品が、本当に“見立て”の精神で観るものならば、操演のワイヤーは丸見えでも構わないはず。
 ビルをセットで組む必要はなく、全て書割りでも良いでしょう。
 セットを組んだとしても、そこがスタジオ内に組まれたセットであることがちゃんと分るような絵作りを、ちゃんとすべき。「見立て」という言葉を使うからには、舞台と同様の前提条件を満たしていなければなりません。

 ゴジラの尻尾から、熱線用のガスホースが伸びていて、ゴジラの尻尾がセットに引っかからないように黒子が尻尾の世話をしている…。怪獣映画や特撮作品が、そんな映像を堂々と映したものばかりになったら、私は
「日本の怪獣映画、特撮作品は、“見立て”の精神で観るものだ」
と言うでしょう。

 そうでないのなら、怪獣映画を「見立て」で語るべからず。

特撮作品における様式美

特撮作品における様式美

2002年6月1日(土)頃に書いたもの


 特撮作品には、一種の様式美があると思う。これは特撮作品を見立ての精神で見るということとは別次元の話である(特撮作品に限らず、西部劇には西部劇の様式美といったように、あるジャンルの作品群には共通の様式美があるのかも知れない)。
 主なものを改めて列挙し、その美しさの背景を考えてみよう。


(1)変身の掛け声、ポーズ、変身直後の出現の仕方

 ウルトラマンの変身アイテムは、簡単に持ち運べる小型かつシンプルなものであり、変身する人間の肉体から切り離された単なる道具である。そういったアイテムの作動動作を複雑にすることは、絵的に不自然である(ウルトラマン自身はメカニックなヒーローでないことも関係している)ため、ウルトラマンの変身ポーズはシンプルで個性に乏しい。
 その代わり、変身には巨大化というイベントが伴う。あの「巨大化の経過を表現した」ような映像の後、巨大ヒーロー・ウルトラマンが出現するという一連の流れは、それ自体が一つの場面展開であり、物語を全く別のステージへとシフトチェンジさせる一種の装置として作用している。

 仮面ライダーの変身ポーズは、ウルトラマンに比べると(元祖の1号を除く)複雑で個性豊かである。それを可能にしている理由は、仮面ライダーの変身アイテムである変身ベルトが、原則として変身する人間と密接に繋がっている(ように感じられる)からだと思う。ライダーの変身は、ウルトラマンのように変身がアイテム単体に依存しているのではなく、変身ベルトと一体になった本人の肉体そのものに依存している。このため、仮面ライダーの変身は、キャラクターの個性を反映させることが不自然ではなくなる。
 仮面ライダーの変身は、個人が己の肉体を等身大で変貌させるための“儀式”なのだ。そこに様式美が見出せるのは当然と言えよう。
 ちなみに、ライダーの中でも肉体とは切り離されたアイテムに対する依存度の高い変身をする、Xや『仮面ライダー龍騎』に登場するライダーの変身ポーズは、ある意味、没個性的である。


(2)変身後の名乗り、ポージング

 これは、戦隊ヒーローやメタルヒーローの様式美としてお馴染み。古来の日本人精神として「正々堂々と名を名乗ること」は美徳とされている。正体を隠した仮面ヒーローが敵との戦いの前に自ら名乗ることは、日本のヒーローに必要とされる美学なのかもしれない。
 集団ヒーローの場合は、相手(敵)から一人一人「お前は○○!」と名前を呼んで(紹介して)もらうのも不自然なので、自分から名乗ることが必要ということもあるだろう。
 また、「変身後、敵を見下ろす高い位置に姿を現す」というパターンはその不自然さのためか最近では見られなくなったが、構図的にも、独特の美しさがあったことを付け加えたい。


(3)技の名前を叫ぶ、ポージングによって技を出す

 技の名前を叫ぶのは、現時点で明確に行われているのは戦隊シリーズのみ。ただし、『仮面ライダー龍騎』のライダーが技を使うごとにアドベントカードをセットして「○○ベント」という音声ガイダンス?がなされるのは、この感覚に近いものがある。
 一般的に、技の名前を叫ぶのは、変身後も普通に言葉を喋るヒーローである等身大ヒーローに多い。逆に、変身後は原則として言葉を喋らないウルトラマン系の巨大ヒーローは、技を出すときも技の名前を叫ばない。
 ポージングによって技を出すことは光線技とほぼ同義であり、光線技を切り札(セールスポイント)にしている巨大ヒーローに多い。


 総合的に見て、特撮ヒーローの様式美は、その“決めポーズ” に集約されているように思う。
 ウルトラマンに代表される巨大ヒーローは、光線技の発射ポーズ。
 仮面ライダーに代表される単体ヒーローは、変身ポーズ。
 スーパー戦隊に代表される集団ヒーローは、変身後の名乗りポーズ。

 TVCMなどで特撮ヒーローの様式美が使われたり、有名タレントが特撮ヒーロー決めポーズを披露することがある。そういった映像を目にするとが、ちょっと嬉しい今日この頃である。

ライダーマシン考

ライダーマシン考

2002年5月5日(日)頃に書いたもの

 仮面ライダーは原則として、オートバイタイプの専用マシンを駆る。
 『クウガ』において、怪人相手のバイクアクションや、マシンの機種変更/ゴウラムとの合体によるパワーアップなど、ライダーとライダーマシンの関わりが強く描かれたことは記憶に新しい。
 最新作『龍騎』に登場するライドシューターは、今のところ現実世界からミラーワールドへの移動手段に過ぎない。これから、ライダーとライダーマシンに新しい描写があるのか、マシン絡みの新しい展開があるのか、期待している。

 さて、仮面ライダーのマシンの中には、空を飛んだものもあった。私は放映をリアルタイムで観た世代だが、バイクが空を飛ぶことの是非以前に、絵として見栄えがしなかった。このことを、最近『ブラックホーク・ダウン』を観て、ふと思い出した。そのココロは?
 空を飛んでいるライダーマシンに、大きなタイヤ(車輪)が付いているからである。空を飛ぶマシンにとって、大きなタイヤはデッドウェイトである。デッドウェイトである大きなタイヤを剥き出しにして空を飛ぶライダーマシンは、正直言ってカッコ悪いのである。
 『ブラックホーク・ダウン』に登場するヘリコプターは車輪を収納する機能がなく、ライダーマシン同様車輪を出したまま空を飛ぶのだが、そのサイズがヘリコプター本体に比べてかなり小さいので余り目立たない。そのため、カッコ悪いとは特に感じられないのだ。

 『アギト』に登場したスライダーモードは、車輪自体は剥き出しそのままだが、マシンのフォルムからオートバイを完全に消し去ることにより、浮上滑走することの説得力と格好良さを出している。

 私が観てみたいライダーマシンは、車輪がなく浮上滑走するバイク型のマシンだ。仮面ライダーが、スターウォーズなどに登場するホバーバイク型のマシンを駆る映像は、かなりカッコイイと思う。

 実は、ホバーバイク型のマシンを駆る仮面ライダーは、既に日本の映像作品に登場している。しかも、女性の仮面ライダーなのだ。
 人呼んで、『仮面ライダー ヒッキー』! 
 …というのは冗談だが、宇多田ヒカルが「Wait&See」のPVで、ホバーバイク型のマシンに乗って街を疾走している映像を見た人は多いだろう。
 あのPVのメイキングVで、ヒッキーは3度もオリジナル?の変身ポーズを披露している。スタッフに言われてやったのかもしれないが、まんざらでもない彼女の表情からすると、それなりに仮面ライダー気分を味わっていたようである。
 ちなみにヒッキーは、変身を解く際にも変身ポーズを取る必要があると思っているらしく、撮影終了直後にポーズを決めているのが何とも可愛らしくて微笑ましい。

 宇多田ヒカルの「Wait&See」のPVを超えるレヴェルの
“ホバーバイク型のマシンに乗って街を疾走する仮面ライダーの映像”
を、観てみたいと思う今日この頃である。

『仮面ライダー響鬼』 二十三之巻

『仮面ライダー響鬼』 二十三之巻

【 観る前に思ったこと 】

 響鬼の新フォームが児童誌の表紙に載っていたり(見たくもないのに不意に視界に入ってしまったよ! 困ったもんだ!)して、いよいよ劇中登場までのカウントダウンが始まった感じ。
 気付けば2クールも残り少なくなってきて、3クール目に入ったら新たな展開があるのか気になるところ。8月に響鬼の新フォーム、9月に威吹鬼の新フォーム、10月に轟鬼の新フォーム、4クール目に入った11月に“4人目”の鬼が登場といったところか。マジンガーZのジェットスクランダーみたいに、上手く引っ張って欲しいものである。

 私は『マジンガーZ』をリアルタイムで観た世代なのだが、子供心に「マジンガーZが空を飛ぶことの必要性」はヒシヒシと感じていた。とくかく、Zは空を飛ぶ機械獣には苦戦を強いられていたのである。
 ドクター・ヘルもZが空を飛べないことを分かっているから、何度も何度も空を飛ぶ機械獣を差し向けてくる。敵ながら、説得力のある行動である。それに対し、Zを擁する光子力研究所もただ手をこまねいていたわけではない。博士達が力を合わせ、「Zも空を飛べるようにする」という計画を着々と進めていた。これまた、子供心に納得のいく対応である。
 そういう具合にキッチリとお膳立てを整え、視聴者のコンセンサスを充分に得た後「もう、今これを出すしかないでしょう」という絶好のタイミングで、スクランダーは登場した。
 しかも、スクランダーの登場に合わせて、そのテーマソングまでが披露された。そんな過剰とも言える演出がごく当然なものに感じられるくらい、スクランダーの登場は有り難かった。鬼の新フォームも、テーマソングに飾られて登場するのが自然に感じられるくらいの演出を経て登場させて欲しい。

 「鍛える夏」。前回、威吹鬼と轟鬼は、連携の取れた童子たちを、音撃武器のない状態では倒せなかった。轟鬼が最初に烈雷を投げていなかったら、あそこまで苦戦はしなかったかも知れないが、逆の見方をすると早々に1体倒しておかなかったら更に苦戦していた可能性もある。
 響鬼は素手で戦う場合でも、鬼ファイヤーという反則技のような飛び道具を使えるのが強みだ。通常の童子たちをほぼ一撃で倒す威力がある上、技を出すまでのタイムラグが少ない。おまけにかなり長い間合いから放って命中させることができるのだから、本当に反則スレスレの技である。
 鍛えるのは良いが、威吹鬼と轟鬼には鬼ファイヤーみたいな技は体得して欲しくない。ライダーと敵とのバトルは、ライダーがある程度苦戦するから面白いのだ。

 “謎のメーターマン”が遂に夏服に衣替え! 涼しげでイイ感じだ。今後の展開は、このキャラクターにかかっていると言っても良いだけに、夏バテしないで頑張って欲しい?ところ。
 そして、モッチーのプリティーなチア姿に、ミョーに愛嬌の良さそうな姫。こりゃあオジサンは朝からウハウハできそうだ!

【二十三之巻の感想 】

 予告によると、響鬼の新フォームは、早くも次の回に登場。7月一杯は引っ張ると思っていたので、これは予想外。
 響鬼が特にこれまでと違った鍛え方をしている訳でもないことや、日菜佳の台詞からすると、次回登場する響鬼の新フォームは特別なパワーアップバージョンではない感じがする。夏の魔化魍に合わせた、夏用のフォームということか。いわば、響鬼の夏服バージョン。

 夏の魔化魍には弦による音撃は効かないことを、トドロキも知っていた。ザンキの元に2年間いたのだから、知っていて当然だろう。それなのに、トドロキが太鼓の練習の意義に対して疑問を抱くというのは不自然である。今年の魔化魍の異常発生状態からすれば、弦の使い手が夏の魔化魍を担当しなければならない場合も十分に考えられるからだ。
 ヒビキが、そのことをちゃんと説明しないのはもっと不自然である。今回のヒビキの台詞「前にザンキさんが使っていた緑色のやつ(音撃鼓一式)」が100%真実を語ったものかどうかは定かではないが、次回の予告で威吹鬼がバチを振るっているところからすると、ザンキが太鼓も使えた可能性は高い。それならば、轟鬼が太鼓の練習をするのも当然ということになる。

 今回のテーマが、「自分の専門外のことをやらされることに対する葛藤」・「先輩と後輩の確執」であるのは分かるが、ヒビキとトドロキの件に関しては、もう少し辻褄を合わせておく必要があると思う。子供番組にそこまで整合性を求めることもないかもしれないが、小学校1年生ぐらいだとこの辺に気付く可能性がある。

 整合性といえば、ヒビキが薄着になってきたので、変身前にヒビキがバチを後腰に装着していないことが分かってしまうのも気になる。ワンカットでいいから、ヒビキのTシャツがめくれて、その下にバチを装着していることが分かる絵を挟むべきだ。
 サンダーバードの飛行メカも、空中静止状態で常に逆噴射の描写がなされていたわけではない。逆噴射を視認できるガスで描写していたのは、着陸シーンなどのここ一番の場面だけである。しかし、それがあるからこそ、他のシーンで空中静止(ホバリング)しているときも、「ガスが目に見えないだけで、逆噴射はしている」という感覚(錯覚)を観ている側に持たせることができたのだ。

 良かった点としては、香須実が音撃鼓一式を届けに行く際、風呂敷に包んでいたこと。以前、ヒビキに音撃鼓が届けられたときもそうだったが、やはり太鼓とバチといえばトランクではなく風呂敷だろう。
 日菜佳がトドロキに対し、ただラブラブしているだけでなくて姉さん女房のようにしっかり支えて励ましている描写も良かった。
 また、姫が完全にヘソ出しルック(今回が初めてか?)のもウハウハだった。姫のお腹は、私の若い頃みたいで余計な肉がついておらず(私は少なくとも二十歳までは腹・背中・二の腕裏の皮下脂肪の厚さが1mm未満だった)、イイ感じだ。ただ、ヘソ出しルックは大歓迎であるけれども、パッと見の性格まで可愛くすると敵らしくなくなるので、その辺のバランスは考慮して欲しい。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 自分の得意分野でないことや好きでないことも、やらなければならないときがある。そんなときは、我慢して嫌々やるよりも、楽しむ気持ちを持って積極的に取り組もう。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 色違いの音撃棒が目新しくて新鮮な感じ。
 太鼓を叩くときの、3人の気合の入れ方の違いに注目というか注耳、じゃなくて傾聴。

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

New! 7/9 up 我が家のキアカシシ
New! 7/5 up ディスクアニマルの使われ方について考える
6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
6/12 up 『仮面ライダー響鬼』キャラクターお気に入りベスト3
6/4 up 劇場版『仮面ライダー響鬼』を、ネタばれ無しで考える
5/23 up 我が家のルリオオカミ
5/22 up 『響鬼』パロディ企画 筒の使い手“仮面ライダー奏鬼”を独占スクープ!
5/15 up 『仮面ライダー響鬼』その他ライダーの変身ポーズを裸で比較検証する
5/2 up 安達明日夢(ア・ア)は鬼になる!
4/18 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える その2
4/13 up 新しいディスクアニマルを、ネタばれ無しで考える
4/10 up 『仮面ライダー響鬼』3人目の鬼を、ネタばれ無しで考える
4/3 up 『仮面ライダー響鬼』ハリウッド映画化計画! を考える

『地球の危機』

『地球の危機』
  2005年(4月17日~)のWOWOWで観た映画:5本目
  映画を観た日:2005年7月9日(土)


 WOWOWの“夏のSF大特集”の第一弾。
 シネマスコープという横長の画面で撮られており、ワイドテレビのワイドモードで映しても上下に黒い部分が出来る。いかにも映画という様式で、TV作品との差別化が感じられる。

 1961年の映画だけあって、特撮のレベルはそれなり。ただし、「燃えている空」の映像は素晴らしい。CGのない時代に、どうやってあの絵を作ったのだろう。
 また、シービュー号のデザインも秀逸。軍艦なのに、エレガントである。
 1963年製作の日本映画『海底軍艦』は、このシービュー号と、1954年の『海底二万哩』に登場したノーチラス号のイイトコ取りをした感じだ。轟天号の回転式衝角は、1900年作『海底軍艦』の原作小説にも記述があるが、『海底二万哩』の原作小説はそれより古い1869年作。小説版にもノーチラス号の衝角に関する記述があるので、衝角を武器にする潜水艦としてはノーチラス号の方が先である。
 シービュー号の艦内のセットが、東宝特撮映画の艦内セット(宇宙船を含む)と良く似ているのも気になった。日本の特撮映画の艦内セットは、シービュー号の艦内のものを真似て作られたのではないか。

 ストーリーやドラマには特に語るべきものはないが、腰のくびれた女性が男ばかりの潜水艦内を闊歩するところなどは、映像的なアクセントとして効果的だった。今年公開された日本の“潜水艦もの映画”である『ローレライ』のヒントになっていたのかも知れない。

我が家のキアカシシ

我が家のキアカシシ


獅子 「我輩はキアカシシであります」
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獅子 「ちゃんと “おすわり” も出来るのであります」
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獅子 「もちろん、ルリオオカミ先輩とは仲良しであります」
狼 「仲良しなのだ~」
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獅子 「ときには、体を交換しちゃったりもするであります」
狼 「キアカオオカミとルリシシなのだ~」
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獅子 「せ、先輩、何をするのでありますか?!」
狼 「お尻の匂いを嗅ぐのは、イヌ属のあいさつなのだ~ クンクン」
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獅子 「体を元に戻して、かくし芸その1であります」
狼 「物体Xなのだ~、みゅぎゃぉ~」
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獅子 「かくし芸その2であります」
狼 「飛行モードなのだ~、きゅいぃぃぃーん」
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飼い主 「うんうん、 “仲良きことは美しきかな” 」

『ザ・リング2』

『ザ・リング2』
  2005年の映画館で観た映画:14本目
  映画を観た日:2005年7月1日(金)


 日本人にとって、一番怖いのは「ジャパニーズホラー」。

 狼男もドラキュラもゾンビも、所詮日本とは縁のない存在だ。キリスト教的な悪魔や化け物の類も、キリスト教のキの字も信じていない私にとっては、一過性のキャラクターでしかない。映画を観終われば、その怖さも消えてなくなる。「だって俺とは関係ないもんな」

 関係があるのは、日本由来の恐怖である。この映画には、それがあった。
 映画を観終わって、館内のトイレに行ったとき、普段とは違う雰囲気を感じた。「水」に対する怖さが、心身から抜け切っていないのだ。いつもなら映画を観終わった開放感から、ホッと一息つけるところなのだが、水洗設備の列を目の前にした私は、開放感どころか緊張感を感じていた。
 ずっと昔からある、心の中に組み込まれた恐怖に関する回路が、目の前の現実に反応していた。恐怖に反応する回路のスイッチが、まだ完全には切れていなかったのだ。恐怖は、体の外にあるのではない。恐怖はいつも、自分の心の中にある。

 日本の怪獣映画、即ち「ウレタンか何かで出来たヌイグルミの中に人が入ってミニチュアのビルを壊したり、ヌイグルミ同士で戦うことを売りにした映画」は、21世紀に入ってこれといった進歩も見せないまま衰退した。KAIJUというキャラクターを主役に据えた映画は、「ジャパニーズモンスター」というブランドを築くことなく終わった。
 その一方で、日本のホラー映画は、遂に日本人監督をハリウッド・メジャーにデビューさせるところまで辿り着いた。「ジャパニーズホラー」が、一つのブランドとして認められつつある。単なるモノ珍しさ等ではなく、日本人の感性が生んだ恐怖映画の一つのスタイルとして、その地位を築き始めているのだ。

 視覚効果主体の、観終わったら容易にリセットできるホラー映画も決して悪くはない。しかし、心の中にジワジワと入り込んで恐怖という染みを作り、それを洗い流すのに少し時間がかかるようなホラー映画も、味わいがある。感性に裏づけされた恐怖を心に宿すという快感は、ジェットコースターのような反射的恐怖から得られる快感とは、また一味違うのだ。

ディスクアニマルの使われ方について考える

 あるいはザンキがDAを使わない理由


  えのらんさんのブログの「サポーター・ザンキさんについて考えてみる2」 という記事に、ザンキがDAを使用しないことに関する疑問(不満?)が語られていました。私もDAに関して少し書いてみようと思います。

 端的に言えば、DAはCGで描かれていますので、予算を食います。湯水のごとく予算があれば別ですが、現状ではポイントを決めて登場させざるを得ないといったところでしょう。
 また、DAが毎回毎回登場すれば、ワンパターン化してしまい、観ている方も飽きが来るでしょう。変な例えですが、女性キャラのパンチラと同じです。DAの登場が当たり前ではないからこそ、観ている側も慣れっこにならず、ありがたみすら感じる場合もあるということです。DAは商品でもありますから、観ている側にある程度の“飢え”を感じさせることも必要でしょう。

 さて、身も蓋もない話はこのくらいにして、ここで一つ好意的に解釈してみましょう。
 DAは量産品です。特に鍛えていなくても、誰でも使えます。でなきゃ、製造・メンテが出来ません。劇中でもみどりがDAを使う様子が描かれています。(ちなみに、昔の“お札型”のDAを起動させて「昔はこんなだったのよ」と言っていましたが、「そっちの方が凄いわ!(超薄型のメカだから)」と思わずツッコミを入れてしまいました)
 鬼に弟子入りする人も、DAの基礎知識や使い方を学んでから、正式に弟子入り(現場入り)すると考えたほうが自然です。

 そこから導かれる一つの答えがあります。
 実は、ザンキはDAの使い方が下手である、と。
 ザンキが、イブキのように若い頃から弟子を取っていたとします。先輩フェロモン出まくりのザンキですから、弟子が一人立ちしても次から次に弟子が入ってきた(時には他支部からの弟子入りがあったことも?)に違いありません。そのため、ザンキはすっかりDAを使う技術が鈍ってしまいました。
「これではいかんな」と、たまにDAを起動すると、そのDAは行ったきり帰って来なかったり(DAの野生化)。そんなことが何度かあって、みどりに「ザンキくんはもうDAを使わないで!」と言われてしまいます(以前はザンキを“さん”付けで呼んでいたみどりだが、DAを何度も野生化させるので“くん”付けで呼ぶようになった)

 どうでしょうか、実にありそうな話です。
 あるいは、意外とお茶目な一面を持つザンキですので、DAを使ってワラビ・ゼンマイなどの山菜採り、野いちご狩りとかをやっていた可能性もあります。これもメンテ担当のみどりにバレて「ザンキくん!!」という結果に…。

 もうちょっと真面目なことも書こうと思っていましたが、時間がなくなってきたのでまた後ほど。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
(…とか言ってるうちに、ザンメロ隊の方々から、ザンキさんに対する思い入れタップリのコメントが! ここからはちょっとベクトルの違うことを書くので、何か悪い気もしますが続けます)

 さて、サポーターとなったザンキが再び音枷を装着してDAを使うシーンは見られるのだろうか?
 理詰めで考えたら、ザンキでなくても、鬼をサポートするものは全員DAを使える/使うことに越したことはない。しかし、そういう話を始めると、ヒーローである鬼の存在感が弱くなってしまう。
 例えば、変身前でも普通に使える烈風などは、サポーターの標準装備にすべきということにもなる。鬼石を使用する必要はない。通常の童子たちは、鬼爪などの通常の物理的な攻撃で倒せるのである。
 ちなみに、「トランペット」の愛称を持つフランス製の突撃銃・FAMAS(1977年に制式採用され、1991年の湾岸戦争でも使われている)は発射時の反動が少なく、女性でも十分に扱えるそうだ。
 サポーターもDAを使うということになると、サポーターも鬼同様、腰にディスクをぶら下げ、音枷のようなアイテムを携帯していなければ不自然である。こうなると、変身前の外見(とDAを使役できる能力)で鬼とサポーターを差別化することが出来なくなってしまうのだ。

 ヒーローは、他とは差別化された、特別なシンボルを有した存在でなければならない。仮面ライダーにおいて、それは変身ベルトだった。ベルトの機能が変身能力とは直接関係ないXライダーも、やはりベルトはシンボル的な意味合いが有った。ベルトという記号を持っているキャラクターは、ライダーだけだったのだ。(アマゾンの場合は、そのキャラクー自体が他とは差別化されていた)
 『響鬼』の鬼たちは、普段は一般社会に溶け込んでいるキャラクターだ。彼らにとっての「ライダーとしての記号」は、常に腰にぶら下げているディスク、そして音枷などの変身アイテムなのである。この「記号」を、「ライダーで有らざる者」に付与するわけにはいかない。ヒーロー番組には、リアリティよりも優先させなければならない要素が幾つか存在するが、「ヒーローとしての記号的独立性」は、その最たるものだろう。

 『響鬼』の鬼たちは、獲物を狩るハンターである。DAは、獲物を狩り出すための猟犬だ。狩りの現場で猟犬に命令を下すのは、ハンターの特権なのである。また、そうでなくてはハンターというキャラクターが立たないのだ。

 ハンターを、単なる「害獣駆除の現場担当者」にしないためにも、メリハリの効いた演出が必要だと思う。
 かつて鬼だったザンキが、再び現場でDAを駆使するとしたら、その時は再び鬼になる決意をするくらいの勢いが欲しい。

 しかし、それよりも私が観たいと思っているシーンがある。かつてザンキが使っていたDAが、ザンキのことを“覚えている”という描写だ。トドロキがDAに招集をかけても、1匹か2匹がザンキの所へ行ってしまう。そんなDAを、ザンキは「おいおい、俺じゃない、あっちだ」と優しく送り返す。
 あるいは、こんなシーン。トドロキが差し入れの団子をパク付いていると、特に命じられたわけでもないのに、DAが団子を咥えてザンキのところへ届けに行く。
「俺はいいから、トドロキにあげてくれ」とザンキが言うと、DAは声を上げた拍子に咥えた団子を落としてしまう。ザンキがそれを空中でキャッチすると、DAは受け取ってもらったと勘違いして大喜び。ザンキは(仕方ないなぁ)という感じで微笑みながら、団子を口に運ぶ…。

『宇宙戦争』

『宇宙戦争』
  2005年の映画館で観た映画:13本目
  映画を観た日:2005年7月1日(金)


 この日は、映画1000円の日。平日の初回であるにも関わらず、日劇のチケット売り場には長蛇の列が。その中に私もいた。いつもは聞き流している「前売り券をお持ちのお客様は、直接劇場の方へ…」というアナウンスが、ちょっと耳障りに感じてしまう。ええ、私は前売り券との差額300円を浮かすために並んでいますとも! 周りの皆さんもそうなんでしょ! そうでなきゃ、金曜の朝9時台から来るもんですか!

 さて、肝心の映画だが、本当にシンプルな作りで、オチは原作と全く同じ。良く言えば、100年前でも通用する普遍的なストーリー。裏返して言えば、現代の大衆娯楽作としてストーリーの面白さを比べると、あのバカ映画『インデペンデンス・デイ』の方が上である。
 ただし、この『宇宙戦争』は「侵略SFもの」と言うよりは、古典的な「災害パニックもの」に属する映画である。私は過去『ボルケーノ』や『ツイスター』、最近では『デイ・アフター・トゥモロー』を観ているが、この系統の洋画は非常に良く出来ている。一種の伝統芸みたいなものすら感じる。

 『宇宙戦争』は「災害パニックもの」に属すると書いたが、『ボルケーノ』や『ツイスター』が「溶岩」や「竜巻」といった「特定のキャラクター以前の物体や現象」を描いているのとは異なり、『宇宙戦争』では「トライポッド」という固有名称を与えられた「特定のキャラクター」が登場する。トライポッドは、この映画にとって、もう一人の主人公とも言えるキャラクターである。映画『ゴジラ』におけるゴジラのようなものだ。
 このトライポッドは異星人の兵器であるので相当現実離れしたデザインなのであるが、地下から初めて出現するシーンが実に丁寧に描かれているため、その非現実感が逆に効果を挙げている。日常に「日常に有らざるモノ」、「未知なるモノ」が徐々にその姿を現していき、その圧倒的な存在感でジワジワと日常を侵食していく過程がキッチリ描かれているのだ。観客は、映画の中の人物と同じ目線になって、日常が非日常に乗っ取られる瞬間を目の当たりにする感覚を味わう。これぞ正しく映画の醍醐味である。

 余談だが、日本のゴジラ映画がダメなのは、この点である。
 いくら子供向け映画だとは言え、20億円もかけて(『ゴジラ FINAL WARS』は、信じられないが本当に20億円もの製作費がかかっているらしい)、あんなチャチな映像しか撮れないのだから、悲しさを通り越して哂うしかない。
 違いは、「何をどう撮ったら観客に如何に伝わるかといった映像設計」が出来るか出来ないかという点にある。予算の大小は、重要ではあるが根本的問題ではない。『宇宙戦争』と『ゴジラ FINAL WARS』では、絵コンテの段階でクオリティに雲泥の差がついていることが明白である。観る側が「理屈抜きで凄い」映像と感じる映像は、造る側が理屈を尽くさねば生まれ得ないのだ。

 圧倒的な映像を観ているだけで満足してしまう『宇宙戦争』だったが、その一方で不満もあった。
 主人公の家族三人のうち、ダコタ・ファニングの演じるレイチェルだけが金髪なのだ。これが、あまり絵になっていない。『ハイド アンド シーク』に出演していた、黒っぽい髪のダコタ・ファニングと比較すると、明らかに見劣りする。
 母親が金髪という設定なので、二人の子供のうち片方が金髪であることが自然なのだろうが、それならば兄の方を金髪にするべきだった。途中から行動を別にするというキャラクターの「色合い」からも、そうした方が適切だったと思う。ダコタ・ファニング目当てで観に行った部分もあるので、この点はかなり残念だった。
 あと、これはこの映画に限ったことではないが、なぜ破片手榴弾を強力な爆弾のように描写するのだろうか。破片手榴弾は、爆発によって飛び散った容器の破片で人間を殺傷することを目的にしており、爆発そのもの威力で物体を破壊する武器ではない(破片手榴弾以外にも焼夷手榴弾などの種類もあるが、主人公が使っていたのは破片手榴弾のように見えた)。徴兵制度のあるアメリカなら、半ば常識だと思えるのだが…。あるいは、「ハリウッド映画のお約束」ということで認知されているのだろうか。
 また、あれ程の科学力と用意周到な計画性を持っている異星人が、猿みたいな行動を取るのは不自然だった。大昔にトライポッドを造ったり侵略計画を立てたときよりも、種族として退化してしまっているという設定なのかもしれないが、少なくとも映像からはそれが伝わってこない。

 それにしても、トライポッドという非現実的なキャラクターを用いながら、『パール・ハーバー』並みの迫力ある映像を演出してしまうのは凄かった。やはり、DVDは“買い”だろう。

『リアリズムの宿』

『リアリズムの宿』
  2005年(4月17日~)のWOWOWで観た映画:4本目
  映画を観た日:2005年7月2日(土)


 つげ義春の原作ということで、録画しておいた映画(原作となった漫画『リアリズムの宿』は、読んでいない)。
 この映画は、“間”の映画だ。細かい笑いと意表をつくイベントで、時間と場面が繋がれていく。
時には“間”の悪さに苦笑し、時には“間”の悪さに観ているこちら側まで居心地が悪くなる。
 どうにも間が持たなくなってくる頃、予想していなかったような展開が起こったりする。それにも一応伏線のようなものがある。伏線というよりは、「現象の駄洒落」と表現した方が良いかもしれない。
 不思議な居心地の良さを感じる“間”もある。タイミングさえ合えば、つまらないことでも笑える日常の微妙さ加減が表現されていて興味深い。まるで料理の味を少しずつ調えるように、ネタを小出し小出しで入れていく雰囲気も、日本的で趣があった。
 たまには、こんな映画を観るのも面白い。

『仮面ライダー響鬼』 二十二之巻

『仮面ライダー響鬼』 二十二之巻

【 観る前に思ったこと 】

 苦しんでいるお師匠さん(おばあさん)を見つけたヒビキが、救急車を呼ばずに掛かりつけの医者を呼びに走ったことを疑問視するブログが散見されたが、私はヒビキの取った行動は正解だと思う。
 えのらんさんのブログ海さんのブログ に記述されていたように、ケースバイケースで考えるべきだ。あの場合、ヒビキは走って行ける距離に掛かりつけの医者がいることを知っていたのだから、その医者を呼ぶのがベストだろう。
 初診でゼロから調べる場合は、原因究明までにかなり時間がかかることもあるだろう。医者にも得意不得意があるから、その場で最善の治療法を見出せるとは限らない。その点、主治医なら、過去の治療実績から今何をすべきか短時間で答えを導き出すことができる。

 また、特殊な治療が必要な場合は、救急車で運ばれた先の病院では対応できないかも知れない。
 ちなみに私は、一度だけ救急車で運ばれた経験がある。その際に連絡ミスがあったのか、運び込まれた病院は手術室が空いていなかった。私は待合室の隅っこに運ばれ、待合室に置いてある普通の長椅子の上で手術を受けた。ほぼ縫うだけの簡単なものだったからそれでも良かった(とは言っても、頭を結構強打してたんだけどなぁ…)のだろうが、あのときもっと重傷だったら、どうなっていたんだろう?

 さて、苦しんでいるおばあさんを目の前にして、明日夢は何を思いついたのか?
 迷うことなく掛かりつけの医者を呼びに走ったヒビキの行動を見れば、このおばあさんは以前にも同じような状態になったことがあると想像できる。つまり、これは持病が発症した状態なのだ。
 持病ならば、薬は常備している筈だ。その薬はどこに置いてあるのか? 普通だったら薬箱の中だ。でも、毎日のように飲むものだったら、飲むための水とセットで置いておくだろう。私だったら、台所か洗面所といった水道の傍に置く(ちなみに薬ではないが、毎日飲むサプリメントは台所に常備してます)。お茶の先生なら、もっと優雅に薬用の水差しとセットにして、机の上に置くかも知れない。もちろん、常に携帯している可能性もある。
 明日夢は、おばあさんが薬を携帯していないと判断し、台所や洗面所などの薬が置いてありそうな場所を見に行ったのではないだろうか(明日夢は盲腸の手術の後、一定期間薬を飲み続けていたようだから、その経験から何かを思いついたのでは)。

 もう一つの選択肢として、おばあさんを良く知っているであろう「たちばな」のメンバーと連絡を取って指示を仰ぐという行動が考えられる。ただし、明日夢はケータイを持っているから、電話をかけるためにどこかへ行く必要はない。おばあさんの方から、緊急連絡先に電話をかけてもらう(喋るのは無理でも、番号を押すのは出来るかも)場合でも、同様である。

 魔化魍が合体(交尾ではナイ)。でも、ヤマアラシの身体が飛べるようなったようには見えない。だとすれば、むしろ弱くなったのでは? 合体解除=分離した方が良いのでは?
 えっ、「僕らの音撃が通じなくて」? そりゃ大変だ! ということは、鬼がバンドを組んで音撃演奏会? “音撃♪鬼バンド”結成か? こうなりゃキーボードも欲しいところだ!
 そして見事、魔化魍を撃破したら、轟鬼は例の演奏をするのだろうか。「イブキさんも一緒に!」とか言われて、「えぇ~?」なんて応えつつ威吹鬼も一緒になってラッパを吹きそうな予感。でも響鬼はどうする? その辺の岩にでも太鼓貼り付けてドンドコできるのか?
 ザンキは指揮者を担当? こうなったらDAも群れを成して踊れ踊れぇ! あきらもバストを揺らしながら踊ってくれたら、オヤジ的には嬉しいぞ!

 そう言えば、成長した魔化魍は、自力で繁殖する能力があるのかしら? あるいは、成長した魔化魍が「姫と童子」を生んで育て、「姫と童子」→「魔化魍」→「姫と童子」→「魔化魍」というサイクルで数を増やすとか?

【二十二之巻の感想 】

 明日夢は、布団を取りに行ったのでした。それも、ナイス判断だ。ちゃんと枕も持ってきたし。後でモッチーが指摘したように、お師匠さんの手を握ってあげたのも良かった。あれは絶対効く(精神的に)と思う。
 鬼になって戦うばかりが人助けではない。今回、明日夢とモッチーは立派に人助けをしました。

 今回は戦闘シーンが多かったせいか、全体が短く感じられた。普段はドラマの合間にバトルがあるという感じなのだが、今回は連続するバトルの合間にドラマが挟まっている感じ。
 バトルが多くてライダーの競演もあるのは嬉しいが、それによって矛盾点というか突っ込みどころも多くなってしまっている。

 ヤマアラシが以前「弦の使い手でないと」と言われていた理由が、今回ますます不明瞭になった。と言うより、硬い外殻を持つ魔化魍以外は、管の使い手が担当するべきだと思えてしまう。鬼が10人必要な地区では、そのうち7人は管の使い手で良いのではないか。残り3人は弦の使い手。鼓の使い手の必要性が見えてこない。鼓の使い手でないと倒せない魔化魍って、存在するのだろうか?
 考えられるのは「強固な甲羅で全身を覆っていて刃を突き刺せない魔化魍」だが、関節が存在する以上、烈雷を突き刺す隙は全身に散在する筈。
 響鬼が剣を使うようになり、轟鬼と武器の属性が被ってきたのも好ましくない。響鬼は飽くまでも「打撃する鬼」であり続けたほうが良かったと思う。アイテムがパワーアップするとしても、棍棒系(ヌンチャクとかも含む)などの打撃系に限定するべきなのではなかったか。“4人目”の鬼が、レンゲルみたいに棍棒系になるとかの理由があるのかもしれないが…。

 危惧した通り、合体魔化魍は空を飛べないので、単体の音撃が効かないこと意外、特に強くなったようには見えない。また、合体魔化魍が自分にとって不利な地形に留まり続け、響鬼に飛び乗られたり烈雷を突き刺されたりしても、じっとしたまま動かないのは不自然に映った。
 全ては3人同時の音撃を絵に収めるためなのだが、轟鬼の音撃はかなり絵的に苦しかった。音のほうも、共鳴させているというよりは不協和音発生という感じで、特に響鬼の太鼓は合っていなかった。

 そんなわけで、今日の見所は、登場人物の表情か?
 「たちばな」に戻った明日夢とモッチー。作務衣に着替えた明日夢が注文の品を届けに来た時点で、モッチーは「たちばな」を貸し切り状態。同時に「明日夢」も貸し切り状態(これってデートと同じじゃないのか?)。モッチーのつぶらな瞳からは“幸せビーム”が出まくり状態。そして、モッチーファンの私の両目からも“幸せビーム”。このシーンは、DVDに焼いておこっと。
 そして、超久振りの感がある“ヒビキ”の変身シーン。仲間の鬼がピンチに陥っているというのに、余裕の笑みを浮かべて変身。おっさんライダー、面目躍如! まさに、貫禄を見せ付けたカットだ。でもまぁ、これはDVDに焼かなくてもいいかな。

【小学一年生の心で学び直したこと】

 不安や苦しみを和らげてあげたいときは、愛情を込めて手を握ってあげると良い。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 “謎のメーターマン”が遂に夏服に衣替え! 涼しげでイイ感じだ!
 モッチーのチア姿に、愛嬌の良さそうな姫。次回もオジサンはウハウハできそうだ!
 予告ではないが、ニンテンドーのCMで踊っていたイケメン二人組がチョット気になった。次のライダーは、彼らを推したいね! 演奏するライダーの次は、踊るライダーとか? マーチャンダイジング的にイケル感じだ。

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 『響鬼』に関して以下の記事を書きましたので、こちらも読んでいただけたら幸いです。

6/19 up “鬼”ごっこ(『仮面ライダー響鬼』ごっこ)で遊ぼう!
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 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。