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2005-04

『ナショナル・トレジャー』

『ナショナル・トレジャー』
  2005年の映画館で観た映画:4本目
  映画を観た日:2005年4月1日(金)

 この日は料金1000円の「映画の日」だったので、『ローレライ』とハシゴして観た。朝イチで『ローレライ』のチケットを購入した際に、13時30分からの『ナショナルトレジャー』のチケットも購入。仕事では抜かることがあっても、こういうところでは抜かりはない。

 この映画は推理小説系というか、RPG系というか、パズル系というか、とにかくそっち系の作品である。テーマとか人間ドラマとかは基本的にはどうでもよくて、とにかく一つ問題を解いて次のイベントへ進むこと自体が主題の、言うなればスゴロク映画。
 アクション映画は好きだが、こういう徒歩ラリー(オリエンテーリング)みたいな形式は好きではない。ただし役者は好みが揃っているし、映像のクオリティは申し分ないので、それなりに満足は出来た。『タイムライン』を観たときと似たような満足度である。
 ヒロインのダイアン・クルーガーは、「どっかで観たことのある美人だなぁ」と思っていたら、『トロイ』の王妃役を演じた女優だった。キーラ・ナイトリィと同様、バタ臭くないスッキリ系の美人で、今後も要チェックである。
 この映画で日本初登場となったライリー・プールも、イイ味を出していた。ハリウッド映画では、三枚目的なキャラは黒人俳優が演じることが多いような印象があるのだが、このライリー・プールがそのポジションにおけるホワイト・ホープとなるのかどうか。

 テーマ云々は関係ない映画だと書いたが、この作品を観て、アメリカ人は自国の歴史にコンプレックスを抱いているのだと感じた。
 アメリカには元々先住民(かつてインディアンと呼ばれていた民族)が住んでいたのにも関わらず、イギリスが植民地化を進め、彼らから土地を騙し取り、乗っ取ってしまった。
 だから、アメリカには大した歴史がない。歴史がないから遺産もない。この映画で主人公たちが苦労して見つけ出したお宝も、全部外国の文化遺産であった。まさに、略奪の積み重ねそのものである。文化遺産といえば自国のものが当たり前だという認識を持つ国の人間が見たら、嘲笑しつつ皮肉の一つも言いたくなるところだ。

 アメリカ人は、「自分の国には、何かスゴイ物が存在して欲しい」と思っている。
 アメリカ人は、「自分の国が誕生したことに、何かスゴイ歴史が絡んでいて欲しい」と思っている。
 アメリカ人は、「自分たちが侵略者の子孫ではなく、汚れのない開拓者の子孫だ」と思いたがっている。
 そんな気がしてならない。同時に、それらは全て、劣等感の裏返しであると。

 この映画では独立宣言書が非常に重要なアイテムとして描かれているが、日本にはそういったアイテムは存在しない。最初から独立している国には、独立宣言書など必要ないからだ。あるいは、独立しているという自覚さえ持っていないのかもしれない。
 日本人は、自分たちが先祖代々この土地に住んできたということを、体のどこかで覚えている。その“感覚”は、「独立宣言」という“概念”に勝る。考えるまでもなく、我々は「ここにいてよい」のだ。

 現在の日本人の遺伝子を調査した結果から、日本人は、極東の人種の混血集団だということが分っている。我々には、肌の色こそ同じだが種類の異なる幾つかの民族が、互いの存在を許して共存してきた長い歴史があるのだ。
 そんな自分のルーツを、ふと思い起こさせるような映画でもあった。
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『ローレライ』

『ローレライ』
  2005年の映画館で観た映画:3本目
  映画を観た日:2005年4月1日(金)

 今年は1本目、2本目と観た映画が続けて期待外れ(しかも邦画)だった。3本目も邦画で、しかも期待せずにはいられない樋口監督の映画である。ここで裏切られるようなことがあったら、もうこの手の邦画を今年は観ないでおこうと思っていた。
 しかし、それは杞憂に終わった。気が付けば、『ローレライ』を観終わったその足で、『戦国自衛隊1549』の前売り券を買っている自分がいた。邦画に絶望しないで済んだということだ。

 この映画のコンセプトである「第2次大戦のファンタジー化」は、危険な要素を孕んでいる。一時期粗製濫造された“架空戦記もの”が、その悪しき例である。
 端的に言えば、後出しジャンケン式に第2次大戦の戦史をいじくり回し、史実では開発に失敗している兵器をじゃんじゃん登場させ、「こうすれば日本は勝っていた」という話をこしらえるというものだ。“架空戦記もの”というジャンル自体には問題はないと思うが、当時の日本の情勢を無視したシミュレーションは単なるご都合主義でしかないし、「日本の戦勝、即ち良きこと」という安直な発想は、日本が史実において行った侵略行為すら美化しかねない。

 『ローレライ』は、日本が戦争に勝利する話ではないし、史実では負けていた戦いを引っくり返す話でもない。史実には存在しなかった「(無条件降伏の拒否を受けての)東京への原爆投下」というアメリカの作戦を、史実には存在しなかった日本の部隊が、史実には存在しなかったドイツ兵器を使って阻止するという、いわば三重の虚構を描いた作品である。
 つまり、この映画は最初から史実には存在しない対象を題材にすることにより、純粋な意味においての「第2次大戦のファンタジー化」に成功しているのだ。これが、従来の“架空戦記もの”とは一線を画している点である。これまでは所詮「史実では負けていた戦いに勝つから面白い」のであり、「始めに敗北という史実ありき」で成り立っている「史実依存型エンターテインメント」であった。そこから脱却し、『ローレライ』は虚構それ自体のみで成立する、本来のエンターテインメントになっているのだ。

 しかも、登場する架空兵器は虚構性が相当に高い。それを、原作の福井晴敏は「俺は恥じることなく“ガンダム”をやる」という明確な意思の元で創り出した。監督の樋口真嗣は、それをケレン味たっぷりかつ絶妙のバランスを保って映像化した。
 これは、かなり画期的なことである。本来こういう作品は、アニメ等では日本が得意としている日本のお家芸的分野だ。しかし今回その得意分野で、邦画が久し振りに成功したのである。(『ジュブナイル』以来か?)
 ティム・バートン監督の『シザーハンズ』や『ビッグフィッシュ』といった映画を始め、「現実世界のファンタジー化」に成功した例は存在する。しかし、戦争ドラマでそれをやった例は、おそらくかつて存在しないのではあるまいか。もし過去あったとしても、今後そう簡単には出てきそうにない。ハリウッドが戦争ドラマをファンタジー化しようとすると『スターウォーズ』になる。『ガンダム』にはならないのだ。

 CGは決してクオリティが高いとは言えないものの、作品全体を通して統一性・調和性があり、個人的には許容の範囲であった。潜水艦内の映像も、邦画にありがちなチャチさは感じられず、リアリティを感じられた。セットの表面的な完成度もさることながら、分解可能な構造にしたことによって、カメラワークの自由度が得られた点が大きかったのだと思う。
 特筆すべきは“水”の表現を、どうにか克服したことである。
日本の特撮系映画は、円谷監督作品も含めて、“水”の表現にはことごとく失敗してきた。こと“水”に関しては、「模型をプールに浮かべただけ」あるいは「着ぐるみがプールでバチャバチャやってるだけ」といった、撮影風景バレバレで興醒めする低レベルな映像のオンパレード。とにかく過去の作品は、波や水飛沫を見た瞬間、ミニチュアの出来が良くても直感的に「あ、小さいな」とガックリさせられてきた。今回、これを感じなくて済んだことは大きい。

 劇中、文字通り紅一点であるパウラは、とても美しく撮れていた。現実感ギリギリの特殊スーツ姿、綾波レイを思わせるアンダースーツ姿、そして変装して甲板に出たときの帽子を被った姿と、この映画の中では唯一変化に富んだキャラクターであり、そのどれもが魅力的だった。
 彼女に感情移入してしまい、パウラが死に至るかもしれない苦しみを目前にして「(あなたと)一緒なら、耐えられる」と健気に言った場面では(それが予告フィルムでネタばれしているにもかかわらず!)、思わず涙してしまった。

 この映画のベストショットは、最後の戦いを前にして、伊507からN式が切り離されるシーン。これから死地に赴こうとする親が、未来を託して子供を産み落とす姿をイメージさせる映像であり、ストーリーの展開と完全に一致している。切断されたケーブルがN式から伸びている様子は、まるで臍の緒を付けたままの赤ん坊のようだ。その中にいるのが、若い男女のペアであるというのも象徴的である。

 作品全体を見渡せば、『U-571』の下手なパクリとしか思えないような無駄なシーンもあったりするが、概ね良作と言える。映画館に足を運んで良かったと思えたし、DVDが販売されたら必ず購入するだろう。
 樋口・福井のコンビが、これからも良い作品を生み出してくれることを願ってやまない。

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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。