2005-03

ディスクアニマルを買った! そして他人に見せた!

 アカネタカとルリオオカミを購入!

 いわゆる変形玩具の一種ではあるものの、ちょっと新しいそのセンスが気に入って、ディスクアニマルを購入した。まずは、アカネタカとルリオオカミを各一個。その翌日、アカネタカをもう一個購入。二つめのアカネタカは、実家用だ。
 デザインと鮮やかな色、そしてキラキラしているところがオブジェっぽい。TV周りのインテリアとして、ルリオオカミは左側にあるスカパー受信機の上に、アカネタカは右側にあるスピーカの上に置いた。
 なかなかイイ感じである。インテリアとしてもイイ感じだし、「TV番組の、あのキャラクターが家にいる」感もあって、更にイイ感じ。実物大の強みだ。TV画面から本物のディスクアニマルが飛び出してきて、左と右に分かれて鎮座している、そんなイメージ。
 
 ディスクアニマルは、『仮面ライダー響鬼』において、鬼(ライダー)のサポート・メカとして登場する。劇中で活躍する際はCGで描かれているのだが、ディスクアニマルのデザインが元々CGっぽいので、違和感が少ない。「CG丸出し感バリバリ!」の魔化魍とは、対照的である。
「CGで描くのだから、最初からCGっぽいデザインにしておこう」という逆転の発想で生み出されたというより、玩具化を前提にするとこういうデザインにするしかなかったのだろう。それでも、結果的には大正解だったと思う。

 最近ちょっと久しぶりにお店に行った際、話のネタとして、このディスクアニマルを持って行った。
 と言うのも、お店のYさん(キーラ・ナイトリィ似の美女!)は、「昔、仮面ライダーブラックを再放送で見ていたことがある」という経験の持ち主。倉田てつをさん目当てだったそうだが、今でも日曜の朝早く目が覚めると何となく『○○レンジャー』を見ちゃったりするらしい。そんな彼女が『仮面ライダー響鬼』関連の玩具にどんな反応を示すか、興味があったのだ。

 話してみると、Yさんは『響鬼』を全く観てなかったものの、「ケータイで変身するやつ」とか「トランプで戦うやつ」とか、平成ライダーを少しは見ていた様子。ディスクアニマルの件にも、ごく普通に「持って来てくれたのなら見るよ」といった反応。
 ディスク状のアカネタカを見せて「何に変形すると思う?」と聞くと、「えーと、鳥! ワシ? タカ?」と結構即答。アッサリ当てられてしまって、こっちはちょっとガッカリ。変形させて見せると「尾羽は動かないの?」とちょっと不満そう。ハイ、私もそう思いました。
 続いてディスク状のルリオオカミも当ててもらおうとしたが、さすがにこちらは正解できず。変形させている途中でも「あ、トカゲだったんだ」と仰る。顔のデザインと色のせいでしょう。私も顔のデザインは不満です。そんな自分を慰める意味も込めて「顔はトカゲみたいだけど、尻尾はカワイイんだよ、ほら」とルリオオカミの尻尾を引き出す。Yさんも「あ、ホントだ」
 Yさんは、パッケージに載っていないキハダガニが気になる様子。「カニは買わないの?」
「カニは、動きはカワイイけど、形がカニそのものだからなぁ。部屋にカニ飾ってもなぁ」
 あと、変形が単純(そうに見える)な点も、購買意欲を削いでいる。でも、ニビイロヘビは買う予定。ヘビ、好きだから。

 可笑しかったのは、Yさんがパッケージに書いてある文章を読んで「連続稼働時間51時間って、なにコレ、動くの?」と言ったこと。「あ、それは劇中の設定ね」と応えると、「そうだよねー、これがホントに動いたらスゴイよねー」と的確すぎるコメント。でも、童心に返れば、ホントに動くんだろう。私も子供の頃、怪獣の人形同士を戦わせたりしたもん。
 もう一つは、私がディスクアニマルを変形させているとき。
Yさん:「番組でも、ライダーがこうやって手で変形させるの?」
私:「いやいや、ディスクが自分で勝手にパッと変形します」
 ヒビキが一枚一枚ディスクアニマルを手でチマチマ変形させているシーンを想像したら、噴き出しそうになった。

 Yさんに『響鬼』を観るように勧めつつ、ディスクアニマルを鞄に戻した。
 さて、観てくれるかどうか?
 今度お店に行くときは、ニビイロヘビを持って行こうっと。
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『仮面ライダー響鬼』 九之巻

『仮面ライダー響鬼』 九之巻

【 観る前に思ったこと 】

 「このところ魔化魍の出現回数が増えている」という設定であり、一回魔化魍が出現すると数人は犠牲者(行方不明者)が出ているので、そろそろ警察が動いたりマスコミが騒ぎ出さないと不自然。猛士が警察やマスコミのトップにも入り込んでいるという設定なら、もうボチボチそれとなく描く必要がある。
 予告で見せられたCGは、相変わらず酷い。予告で見ると本編以上にガックリする。今日の子供が幼稚園の頃からゲームで高品質CGを目にしていることからも、“CG丸出しの魔化魍を動物同様の存在として描く”という選択は誤りであったと思えてならない(これに関しては後日別項で)。
 変身しようとしているヒビキが、変身音叉 音角を奪われた! ヒビキが音角なしで変身するところが見られるのか? 集中力を高めるため、変身ポーズとか取ったりして。

【九之巻の感想 】

 ヒビキは、川向こうに放り投げられた音角を拾って変身。今後は、音角が壊されたり溶かされたりするシチュエーションもあるのだろうか。変身前のヒビキのアクションは、ほんのチョビットだけ。これも今後に期待。
 響鬼が二つ目の飛び道具を披露。しかし、童子たちには有効でも魔化魍には効かない。反面、バチによる直接打撃は音撃そのものではないのにも関わらず、魔化魍にも有効。響鬼は飛び道具を使えるものの、飽くまでも“格闘戦(接近戦)用の鬼”であることが分かる演出で、なかなか良かった。
 しかし、一気火勢の型は、ぜんぜん一気呵成ではなくてガッカリ。前からやって欲しかった“仁王立ちでドンドコ”ではあったが、爽快感はかなり低め。
 掛け声の「はぁ~~」も、相変わらず脱力気味。細川さんは、一度きちんとボイストレーニングをやった方が良い。その歌声を“脱力音波”と評されていた、モー娘。の紺野も、ボイトレで鍛えている。細川さんも頑張らないと。
 これまで単に、各地に散在する“人を襲う野生動物と、それを世話する奴”として描かれてきた魔化魍と童子たちが、実は全体的な繋がりと統一された意思を持つ組織的存在であることが示唆された。狩猟協会が淡々と害獣を駆除し続けるような話ではないとは思っていたが、童子たちの背後に何があるのか楽しみ。人間だと良いな。(人間の敵は人間、ということ)

【小学一年生の心で学び直したこと】

 前回は、「その場、その時、自分にできることをやれば良い」ということ学び直した。前回の明日夢は、お茶を入れて労をねぎらうことしかできなかったが、それがそのとき明日夢ができる全てだったから、それで良い。
 ヒビキですら、目下で後輩のイブキに対してお茶を入れて労をねぎらっていた。これは、別にへりくだった行為ではない。上下差を越えた、人同士の交流の一環なのだ。後輩に対しても「お疲れさん、まぁ、お茶でも飲んで一息ついて」と自然体でできる人は、善き人である。
 今回は「他人の、人として誤った行為に直面したとき、どう振舞うか」ということを考えさせられた。日本人では、諸外国に比較すると「見て見ぬ振り」をする傾向が多いとも聞く。
 私自身も、確固たるポリシーを持っていない。自分自身の行動に対する道徳心はあっても、他人の行動に対する道徳心は、学校や親からの教育で刷り込まれていないから、反射的な行動が出来ない。つまり、その場で考え迷ってしまうので行動に移せない。今回の明日夢のように、報復を受ける可能性があれば尚更である。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 あきらが姫達に対して「あんた達のような人殺しは許さない」と言っているが、魔化魍は生存の為に人間を捕食しているだけである。人間だって生存の為に他の動物を捕食しているのだから、魔化魍の行為も自然全体では許される行為だ。
 人を襲うという理由だけで熊や鮫を絶滅させて良い筈はない。この辺りのロジックを、どう処理していくのだろうか。
 早くもダブルライダー共闘! 久し振りに明確な先輩後輩関係にあるライダー(『剣』もそのはずだったんだけど…)なので、世代的にはちょっと嬉しい。

『あずみ2』

『あずみ2』
  2005年の映画館で観た映画:2本目
  映画を観た日:2005年3月26日(土)

 金子監督が『あずみ2』を撮ったということを知り、劇場に足を運んだのだが、これが全くの期待外れ。早くも“今年観た最低映画”に有力候補がリストアップされてしまった。
 思いっきりの駄作というわけではないが、とにかく盛り上がりに欠ける映画だった。

 まず、脚本が駄目。
 この映画の中盤のピークは、ながらがこずえに殺されて、あずみが最後の仲間を失ってしまう場面のはずである。しかし、この大事な場面で、あずみはその場にいないのである。後になって、こずえから「私が殺った」と聞かされるのだが、何の証拠も提示されない。ながらの遺品のような物でも見せ付けられたら少しは説得力が出るのだが、それもない。あずみに感情移入しながら見ていると「ながらが殺されたなんて、全然信じられない」のである。マイナスの感情という“ブレーキ”を踏みながら、プラスの感情という“アクセル”を踏んでいるようなものだ。感情が爆発しないのである。感情が爆発しなければ、カタルシスは生じないのだ。

 全般に渡ってこんな調子で、まるで湿気た花火のような映画だった。
 線香花火に例えると、中途半端にチリチリパッパと燃え続け、一度もパパパパパッと派手に火花を咲かせることなく火玉がポロッと落ちてしまったという状態。一つ一つのイベントがベルトコンベア式に処理されていく出来事の羅列を見ているようで、ジェットコースター感覚とは程遠かった。

 絵的にも、チャンバラシーンに爽快感がなく、前作よりも劣っていたと思う。
 酷かったのは、最後の戦闘シーンにおける空如の衣装。何とピンク色なのである。場違いも甚だしい。絵的に浮きまくっていた。
 テーマ的にも「使命とは」・「戦さを止めるということとは」を浮き彫りにするには程遠く、何とも淡白で印象の薄い作品だった。
 
 『あずみ2』は、前日まで日比谷映画で公開されていたのだが、この日から収容人数が半分以下のシャンテ・シネに移されていた。逆に、それまでシャンテ・シネで公開されていた『オペラ座の怪人』は日比谷映画に移された。これは『オペラ座の怪人』の客入りが多くてキャパシティの小さいシャンテ・シネでは「混雑する」ため。要するに『あずみ2』は客入りが悪く格下げ、『オペラ座の怪人』の客入りが良かったので格上げということだ。公開時期が同時期だとすれば、2作品の差は公開後の評判の差か、リピーターの差ということなのではないか。

 根本的な問題は、東宝という会社にあるように思う。
 1作目の『あずみ』を撮った北村監督を『ゴジラ FINAL WARS』に起用して、興行的には大敗(内容的にも酷かったと私は思う)。
 かつてゴジラ映画を撮って興行的には成功(内容的にも比較的良かったと私は思う)した金子監督を、『あずみ2』に起用して、この出来。
 逆ではないのか。『あずみ2』を北村監督に、『ゴジラ FINAL WARS』を金子監督に撮らせていたら、両作品ともまともな映画になっていたのにと思うと残念でならない。

『マトリックス・リローデッド』 と 『あずみ』

『マトリックス・リローデッド』 と 『あずみ』

  映画を観た日 … 2003年6月13日(金)
  (明日『あずみ2』を観に行くので、以前書いたものを引っ張り出した)

                   ミスマッチ?

 今年に入ってから10本目と11本目となる映画、『マトリックス・リローデッド』と『あずみ』。
 観る前は、「『~リローデッド』の後に『あずみ』を観たら、『あずみ』のクオリティの低さが比較強調されてキツイかな」と思った。実際、『あずみ』の冒頭シーンでは、それがモロに出た。背景の山岳の合成が酷いのである。日本画あるいは紙芝居的な風情も何もない、ただバレバレの酷い合成。そこには、怪傑ライオン丸のオープニングのような美しさは全くない。平成ゴジラ映画一般によく観られる、単なる“レベルの低い作り物”であった。
 しかし、『あずみ』全般に渡ってそうであったかと言えば、答えは否だ。映画を観終わった後、作品全体としての完成度に関しては、『~リローデッド』と『あずみ』に大きな差は感じなかった。これは意外だった。

                 日本人には日本が似合う

 両者はアクション映画という要素において共通している。観る前は、こんな基本的なことさえ意識していなかった。それほど、両者は“別物”という先入観があったということだろう。しかし、この先入観はある意味で正しい。アクションよりはSFのカラーが強かった前作に比べ、『~リローデッド』はアクション映画の比重が大きくなっていたからである。『~リローデッド』は、「90%のアクションと、10%のSF」という比率の映画になっていたと思う。前作が「SFにアクションを絡めた作品」であるのに対し、『~リローデッド』は、「アクションにSFを絡めた作品」なのだ。
 『~リローデッド』と『あずみ』に大きな差を感じなかったというのは、このアクション映画という要素に関する部分が大きい。すなわち、アクション映画としては、『~リローデッド』と『あずみ』は大差無いのである。予算も製作期間も大きな隔たりがある両者に大差がないのは何故か。それは『あずみ』が、日本の映画、日本の役者に適したアクションを採用したからだ。それは日本芸能の伝統とも言える、日本刀を中心にした殺陣。俗に言うチャンバラである。

 このチャンバラは、日本人役者のポテンシャルを最大に引き出すアクションであることが分った。『あずみ』が、『~リローデッド』のような打撃格闘中心のアクションをやっていたら、目を覆わんばかりの酷いものになっていたことは想像に難くない。手足が短い日本人には、打撃格闘よりも剣による斬り合いの方が適している。
 また、剣による斬り合いといっても、発達した上半身を持たない日本人が、大きくて重い剣を振り回しても様にならない。細身で素早く振り回せる日本刀を使ったチャンバラというアクション(実際の日本刀を用いた合戦がどういったものであるかは全く別の話)なら、一般的にも鑑賞可能なクオリティを実現出来る。
 邦画に対して何度も「まともに出来ないことはやるな」と批判しつつ、「では、邦画は何をすれば良いのだろう」と自問していた私にとっては、目から鱗が落ちる思いだ。日本には、世界に通用する“チャンバラ・アクション”がある。『あずみ』のチャンバラシーンのクオリティは、それが経験の浅い若手俳優に対しても効率的に運用可能であることの証拠である。生きたノウハウが現時点でも存在しているのだ。

 また、ファッションに関しても、日本刀や和服といった国産のものが、やはり日本人を一番美しく見せるようだ。そもそも、『あずみ』を観ようと思いたったのは、和服姿の上戸彩が、思いのほか美しく、絵になっていたからなのである。

 『あずみ』は、あずみ達の“洗脳度”その他において、説明を織り込んだ描き込みが雑であり、映画全体の出来は決して良くない。漫画原作の1巻目を読んだ限り、原作の方が緻密かつ自然で、分りやすい。邦画は全般的に、こういった基本的な部分がダメなのだ。洋画との決定的な差は、むしろこういった基本的な部分にあると思う。しかし、映画は先ず“絵”であり、その点からすれば『あずみ』は合格なのである。
 映画のヒロインを比較すると、「前作と比べると、やっぱり歳取ったなぁ」という印象のあるキャリー=アン・モスよりも、フトモモ丸出しで頑張る17歳の上戸彩の方に軍配が上がる。ただし、アクション俳優としては、上戸彩よりも筋肉質で高所も平チャラな松浦亜弥の方が優れていると思うし、実際観たかった。もっとも、中性的なキャラクターという意味では、上戸彩が相応しかったとも思う。

                  連続体としての映画

 『~リローデッド』と『あずみ』には、アクション映画であるということ以外に、もう一共通点がある。映像の連続体として、映像的閉鎖性が成立しているという点だ。『~リローデッド』では、CGのクオリティにおける映像的閉鎖性、『あずみ』では、セットや衣装のクオリティにおける映像的閉鎖性が、それにあたる。
 『~リローデッド』では、明らかに計算してそうなるように作り上げられていたが、『あずみ』の場合はどうだろう。単なる偶然によって、幸運にもそうなったような気もする。
 映像連続体としての映像的閉鎖性の成立と、論理連続体としての論理的閉鎖性の成立。虚構である映画には、この“二つの閉鎖性の成立”が必要だ。そんな基本的なことを、改めて思い出した今日この頃である。

『ハウルの動く城』

『ハウルの動く城』
  2005年の映画館で観た映画:1本目
  映画を観た日:2005年1月22日(土)

 ハウルの城が動くシーン、損傷した軍艦が港に入ってくるシーン。この二つのシーンをスクリーンで観たことで、1300円の元は取れたと思う。
 しかし、それ以外は特にこれといって語るべき点はない。何故なら、まだ中年である私は、この映画の主たる対象年齢から外れているからである。

 『ハウルの動く城』は、老人をコアターゲットにした映画だ。
 老人は今、日本で一番時間に余裕があり、お金を持っていて、人口に占める割合も大きい。今後、老人はほぼ現在をピークにして徐々に裕福ではなくなっていくが、同時に徐々に人口に占める割合を増やしていく。少子化が叫ばれて久しい日本では、子供を対象にしたマーケットよりも、老人を対象にしたマーケットの方が遥かに有望だ。
 60歳以上になると映画の料金が1000円となるが、老人はリピーターになりやすい性質を持っている。二回来てもらえれば2000円である。
 日本の医療費が膨れ上がっているのは、老人が足繁に病院に通っていることが要因の一つである。老人にとって、通うことは苦痛ではない。行く場所がない、自分たちが楽しめる場所がないことが苦痛なのだ。『ハウルの動く城』は、それを与えた。病院と、ゲートボールのできる公園以外の場所を。
 
 老人が楽しめる映画。そこに、ジェットコースターのような目まぐるしい展開は必要ない。観覧車や、メリーゴーランドで充分だ。
 老人が活躍する映画。そこに、戦時中のつらい記憶を蘇えらせるような、直接的な描写は必要ない。今の老人にとって、戦争とは、娯楽の対象として扱われるほど遠い存在ではないのだ。彼らに戦争を伝える場合は、間接的な描写だけで充分に伝わる。

 私も時が経てば老人になる。
 老人に必要なのは医療だけではない。娯楽も必要なのだ。
 老人医療が商業として成立しているように、“シニア映画”も商業として成り立つはずである。
 私が老人になった頃には、“シニア映画”が映画の1ジャンルとして確立していて欲しい。勿論そのためには、今の時点から老人向けの映画がどんどん作られていなければならないのである。

『ゴジラ200X 大怪獣大江戸決戦』企画案

 映画『ゴジラ200X 大怪獣大江戸決戦』企画案
  (1999年11月12日頃に書いたものに後日加筆修正したもの)


1.作品コンセプト 「枷を外して、自由奔放な、楽しくて凄いゴジラ映画を!」

 平成シリーズや『ゴジラ2000』とは「全く別の世界」で、「自由奔放で、楽しくて凄い」、そんなゴジラ映画を創りたい!
 今までゴジラにはめられてきた全ての枷を外すため、思いきって「大江戸」という「江戸時代のような日本」という舞台を選びました。陽性の大衆娯楽作品で、物語の基本フォーマットは、『三大怪獣 地球最大の決戦』です。
 江戸時代のような日本が舞台ですが、時代考証などあってなきがごとし。でも、ハチャメチャというわけでもない。パラレルワールドとしての江戸時代風の日本という世界観で、論理的整合性はキチンと取ります。
 また、大江戸というのは土地の名前ではなく、この世界の年号です。この映画は、大江戸200X年の物語なのです。
 
2.登場人物 「“超時代劇”的キャラクターと、豪華なキャスティング」

 キャラクターは個性的かつバランスの取れた構成です。キャスティングには、ジャニーズ系やアイドル系を起用し、ティーンエイジャー向け雑誌やTVのワイドショーなどのメディアによる話題作り、および映画の宣伝を狙います。( )内はキャスティングです。

お菊(鈴木あみ)…
  主人公。普段は飯屋の看板娘だが、代々忍者の家系であり、必要とあらば、女忍者として活躍する。
 普段は下町の元気のいい娘だが、忍者の時は、プチエロスの漂う切れ長の眼を持つ妖少女となる。木村拓哉が演じるさすらいの若武者に恋心を抱くが…。

お富士(藤原紀香)…
 お菊の姉(血は繋がっていない)で、飯屋の女主人。お菊と同様、忍者の家系であり、生活をともにしているのも元々はそのため。もっとも、お互いに大の仲良しであり、本当の姉妹のような信頼関係がある。
 普段は竹を割ったような性格かつ色っぽい女主人、忍者の時は冷酷な一面も持つ妖艶な女戦士となる。佐野史郎演じるマッドサイエンティストとイイ関係?

平賀源内(佐野史郎)…
 大江戸のマッドサイエンティスト。お富士・お菊姉妹の店の常連であり、ただ1人、彼女たちの正体を知っている人物。ただし忍者ではなく、お富士・お菊姉妹でさえその実体を掴みかねている。
 謎めいた人物だが、基本的には根っからの善人。自分が発明した、からくり仕掛けの見せ物の興業で金を稼いでいる。お富士に迫られると、何かと理由を付けて逃げてしまう?

小太郎(滝沢秀明)…
 源内の助手で、大江戸の若き天才科学者。小太郎自身は特にマッドではないが、源内のマッドぶりに対しては特にためらいを見せず、彼を師と仰いで一緒に生活している。
 お菊とはケンカ友達? 純情派。正義感は強いが、ケンカの腕っ節はてんで弱い。飯田圭織の演じる天女(宇宙人)に恋心を抱く。

虎影丸(木村拓哉)…
 さすらいの若武者。通称は虎影。フラリとお菊たちの住む町にやってくる。クールでドライを装っているが、実は血の気の多い熱血漢で、義理人情派。剣術と弓矢の達人で、長身にも関わらず身のこなしが軽い。
 権力を振りかざすやつは大嫌いだが、女風呂を平気で覗いちゃう面もある、マジンガーZの兜甲児的なキャラクター。この映画では、とってもオイシイ役所。高島政宏演じる弁慶とはいいコンビ。

弁慶(高島政宏)…
 虎影と一緒に旅をしている元僧兵。怪力の持ち主で、文字通りの10人力。なぎなたと棒術の達人。いわゆる、気は優しくて力持ちタイプ。虎影に誘われて一緒に女風呂を覗く時も、遠慮がちな純情派。

カオリ(飯田圭織…モーニング娘。の一番背が高い娘)…
 異星からやってきたお姫様。ある事情によってら母星から逃避行、その途中で遭難して地球に墜落、お菊たちの住む町の浜辺に流れ着く。天女の風貌とイメージを持つ。
 母星に残してきた弟に似ている小太郎を可愛がるが、恋心を抱くのは、お菊同様、虎影。しかし、彼女の持ってきた玉手箱に悪大名が目を付けたため、大変な事態に。

悪大名(ビートたけし)…
 お菊たちの住む町を治めている殿様。支配欲に凝り固まった、時代劇における典型的な悪役。「殺されても同情の余地なし」といったキャラクター。

黒田(佐藤B作)…
 悪代官。悪大名の手下。ただし忠誠心は上辺だけで、自分がこの世の支配者になること夢見ている。これまた典型的な悪役で、殺されても同情の余地なし。

3.怪獣 「“時代劇”的怪獣映像は、一度見たら一生忘れられない!」

 映像的には、「一度見たら一生忘れられない」ような、「絵になる怪獣映像」を創り出します。
それはズバリ、「ゴジラと江戸時代風の城とキングギドラと武士」が一つのフレームに収まっているという絵です。
 日本特撮でしか表現できない「“時代的”怪獣映像」で、観客の心を掴みます。
 江戸時代風の町が舞台であるため、ゴジラもキングギドラも、かつてない小さなサイズに設定でき、その結果、人間と絡む芝居が可能で、今までにない魅力的な絵造りが可能となります。

ゴジラ …
 体高25m、初代ゴジラに似ているが、目線は定まっている。純和風のイメージ。
 お菊たちの住む町を中心とした一帯の「ヌシ」のような存在で、普段は海底に潜んでいる。50年くらい前に一度現れただけなので、長老クラスの者しか見たことがなく、世間一般的には「伝説の荒ぶる神」のような認識。
 劇中、ゴジラより背の高い建物は原則として画面には登場しない。

キングギドラ …
 異世界からやって来た邪悪な、しかし美しい破壊神的怪獣。西洋のドラゴンのイメージを持っており、過去のギドラよりも頭部が小さめで首が長め。
 普通に首を曲げた姿勢での体高が約40mで、城の天守閣とほぼ同じ高さ。カオリの持ってきた玉手箱状の装置の中に封印されていた。

4.ストーリー 「痛快な時代劇アクション! 二大怪獣が大暴れ!」

 江戸時代風の城下町。
 表通りの飯屋に、黒山の人だかり。机の上で、源内が新作のからくり茶飲み人形のデモンストレーションをしている。デモは見事に成功。看板娘のお菊も、女主人のお富士も、その他大勢の客も拍手喝采。
「源内先生、あんたぁやっぱり天才だ!」 「今度の興業はいつだい?」 「満員御礼は間違いないねぇ!」
平賀源内、その助手の小太郎、二人とも嬉しそう。
 そこへ、町人が駆け込んでくる。
「てえへんだ! そこの浜に、異人の船が流れ着いたってよ!」
「異人の船っていうと、異人は乗ってるのか?」 「それがな、身の丈七尺、口が耳まで裂けた、鬼のような怪物だそうだ」 「エーッ」
 尻込みする客を後にして、源内と小太郎の馬車は、お菊とお富士を乗せて現場へ急行。すると、そこには円盤状の船と、そのハッチから身を乗り出すようにして倒れている天女(カオリ)?
 カオリは、玉手箱をシッカリと抱いている。源内達は気を失っているカオリをとりあえず船から出し、お菊達の店に連れていって介抱することに。
 お菊達の店で目を覚ましたカオリ。
「どう、気分は? 痛むところはない?」と話しかけられた途端、カオリはいきなり宙に浮かび上がり(羽衣の能力)、浮かんだまま宇宙語?で何やらまくし立てる。しかし、すぐに落ち着きを取り戻すと、床に降り立ち、髪飾りをいじったと思うと日本語で喋り始めた。
「すいません、気が動転してしまって…助けて下さったのですね、どうもありがとうございます」
 源内達は、カオリから、ことのいきさつを聞かされる。それによると、カオリの国(星)では軍によるクーデターが起き、カオリは大事な玉手箱を守るために、たった一人で仲間のいる国(星)から脱出してきたのだと言う。
「そうまでして守らなければならないその玉手箱の中には、一体何が入っているのですか?」
「恐ろしい…とても恐ろしいものです。一つの星、いえ、国を滅ぼしてしまうような恐ろしい力が、この箱に封印されているのです。この箱は、決して開けてはならない禁断の箱なのです」
 カオリが乗ってきた船のことが話題に上ると、カオリは大慌て。
「あの船がないと、私は故郷に帰れなくなってしまう!」
すぐさま羽衣の能力を使って文字通り飛んでいきそうになるが、目立つことをすると後が面倒になるからと説得されて、源内達の馬車で再び現場へ。
 しかし時既に遅く、宇宙船は大名達の大部隊によって運び出されている最中だった。遠隔操作をしようとしたカオリだが、装置が故障しているらしく動かない。カオリは顔面蒼白。しかし源内は余裕。
「なあに、出入り口は閉じているし、連中にはなんにもできはしないよ。正義の味方が運び場所を突き止めて、すぐに連れていってくれるさ」
と、お富士に目配せ。「ふふふん」と自信満々のお富士&お菊。
 お店に戻ると、虎影と弁慶が勝手に飯を食っていた。
「なによあんた達は~?!」怒るお富士&お菊。弁慶は素直に謝るが、虎影は屁理屈?でクールに切り返すもんだから一悶着。
 そこへ、カオリを捜索中の岡っ引き部隊が店へ。ズカズカと上がり込もうとしたので、怒るお富士&お菊。飯の邪魔をされたので虎影&弁慶も怒る。で、大乱闘。
 お富士&お菊、虎影&弁慶は、それぞれ八面六臂の大活躍で、岡っ引き部隊はあえなく退却。このことがきっかけで、その夜、虎影&弁慶もお富士&お菊の店に用心棒として泊まり込み、カオリの一部始終を知ることに。
 その後、女風呂を覗こうとしている虎影&弁慶。
「おい、揺らすなよ、バレちまうじゃねぇか」 「俺、揺らしてないよ」
「だって揺れてるじゃねぇか…あれ、もしかして地震か?」
 地震ではなく、ゴジラの上陸だった。半鐘が打ち鳴らされ、町はパニック。源内達が助けに来て、お菊達は避難。その途中で、火事の炎に照らし出されるゴジラを目の当たりにしたお菊達は、その荒ぶる神のごとき姿に圧倒される。
 事なきを得たお菊たちだが、店に帰ってみると、カオリの玉手箱がなくなっていた。
「あいつらだ~!」
 お菊たちの推理通り、玉手箱は悪大名の城に持ち運ばれていた。
 悪大名は玉手箱の中にはとんでもない財宝が入っていると決めつけ、手下を使って何とか開けようとするがビクともしない…。
 玉手箱が万一開いてしまったら、と気が気でないカオリ。他のメンバーが奪回作戦を練っているうちに、責任を感じて単身で奪回に行く。羽衣で飛んだり、その他の装備で何とか玉手箱のある部屋まで辿り着くが、なんと小太郎が人質になっていた。カオリの単独行動をいち早く知り、彼もまた単独で追いかけてきたのだが、先に捕まってしまったのだ。カオリは玉手箱の実体について説明するが、悪大名は全く信じようとしない。
 玉手箱を開けなければ小太郎が殺されてしまう。小太郎に故郷に残してきた弟の面影を見るカオリは、小太郎を見殺しにできず、ついに玉手箱の封印を解いてしまう。
 玉手箱から現れたのは、目も眩むような宝物ではなく光の渦。光の渦は少し離れた上空で何かの生き物の形になっていく。宇宙竜キングギドラだ。
 キングギドラは、城の一帯を破壊する。カオリは玉手箱の中に入っていた笛でギドラを操り、なんとか再び玉手箱の中に封印することに成功する。それを見た悪大名は、自分の城の周りがメチャクチャになったにもかかわらず大喜び。
「その笛であの金色の竜を操れば、俺はこの世の支配者になれる!」
 結局囚われの身となったままの小太郎とカオリ。小太郎を盾に取られたカオリは、玉手箱の開け方や、ギドラの操り方を悪大名に教えることに…。
 お富士&お菊、虎影&弁慶が共同作戦で小太郎とカオリの救出を計画し、悪大名の城に乗り込む。
 しかし、小太郎とカオリだと思っていた人質は替え玉だった。悪大名が高笑いしながら、本物の小太郎とカオリを連れて現れる。このまま、全員囚われの身に?
 そこへ、大凧に乗った源内が現れ、城の窓から突入、戦闘仕様のからくり人形をばらまく。この奇襲は大成功! お富士&お菊、虎影&弁慶が、悪大名の手下を次々と打ち倒す。
 しかし、その混乱の中、悪大名は玉手箱を開け、キングギドラを出現させる。カオリは、玉手箱の中の補助アイテムを奪い返すが、箱そのものと笛は悪大名に持ち去られてしまう。
 脱出するカオリやお菊達を、悪大名はギドラを操って殺そうとする。しかし、ギドラは全く従わない。カオリは、ギドラの出し方以外は、全てデタラメを教えていたのだ。お菊たちは無事脱出、悪大名一味も逃げ出す。
 ギドラの出現に反応してか、ゴジラが出現。二大怪獣の対決となる。
 城を破壊しながらの、ゴジラとギドラの怪獣バトルが展開される。
 序盤の力による真っ向勝負ではゴジラが勝るも、空へ飛び上がったギドラの高機動かつ上空からの攻撃には、ゴジラは圧倒的不利を余儀なくされる。ゴジラは徐々に海へと後退し、ついには崖から海へと転落する。
 お菊たちは、ゴジラとギドラの戦いの最中に、悪大名一味から玉手箱を奪い返すことに成功するが、笛は壊れてしまう。ゴジラは海に消え、ギドラは空へ消えた。
「キングギドラは、必ずまた現れます。この世の全てを焼き尽くすまで、キングギドラは何度でも現れます…。私が来たせいで、みなさんの、かけがえのないこの星が…」
 しかし、希望はまだあった。玉手箱と、笛以外の補助アイテム、そしてカオリが乗ってきた宇宙船の部品を組み合わせれば「エレキテルによる力の場」を作り出すことができ、それによってギドラの動きを封じ込め、笛無しでも玉手箱の中に封印することができるかも知れないという。
 しかし、それは宇宙船が再起不能になり、カオリが故郷の星に帰れなくなることを意味していた。
「全然、構いません。皆さんの世界を守ることの方が、ずっとずっと大切です」
 宇宙船の奪回作戦は成功し、源内、小太郎、カオリによって「エレキテル発生装置」が3台造られ、町の職人達によって同時進行で造られた「からくり馬車」(設計は源内)に搭載される。
 再び出現したキングギドラに突撃していく、からくり馬車部隊。搭載したエレキテル発生装置がギドラの光線をはじき返し、逆にギドラを力場に閉じこめていく。
 あと少し、と言うところで、玉手箱を奪い返しに来た悪大名一味の邪魔が入り、作戦は失敗。悪大名一味は、ギドラに踏みつぶされることに。
 お菊たちもピンチに! そこへゴジラが現れ、結果的にお菊たちを救う。
 虎影&弁慶、源内&小太郎は、ギドラに肉薄して火薬による攻撃(投石機や弓矢を使用)をかける。
 虎影&弁慶は、馬車が壊れたあとも、一撃とはいえ、刀やなぎなたによる肉弾戦をギドラに仕掛ける!
 ゴジラは、そんなお菊たちの援護もあって、ギドラをダウンに追い込む。
 そこをすかさず、カオリ&お富士&お菊が、アイテムを使った方法でギドラを玉手箱の中に封印!
 危機は去った…。喜ぶ一同。ゴジラも、怒りが静まったのか、海へと帰っていくのであった…。
 しかし、故郷に帰る術を失ったカオリは、一人落ち込む。皆が慰めるが、心からの笑顔はない。
 そして、その夜。空から宇宙船の大群が出現し、天女の群が舞い降りてきた。うやうやしくカオリを迎える天女達。軍事クーデターは失敗し、平和が戻ったということらしい。
「お姫様だったのか…」驚く一同。頷くカオリ。
「みなさん、私は自分の国へ戻らなければなりません…。短い間でしたけど、本当にありがとうございました」
天に舞い上がるカオリ。宇宙船の中へ吸い込まれ、宇宙船もまた、夜空に吸い込まれて星の海へと消えていく。
 朝が来た。虎影&弁慶も、また旅に出るという。引き留めるお富士&お菊。しかし、
「俺達、同じ所には、長く居続けられない性分なんだ」
 見送るお富士&お菊、源内&小太郎。お菊の目に涙が光る。
 大江戸200X年の、ある日の朝の光景でありました…。
                    《 終 》

エリック・モラレス VS マニー・パッキャオ

WOWOW エキサイトマッチ 
               2005年3月20日深夜0:00~ 放送分


 エリック・モラレス VS マニー・パッキャオ

 試合前の私の予想は、 マルケス兄 VS パッキャオ と同様の展開で、モラレスの判定勝ち。前半はパッキャオ、後半はモラレスが支配するが、マルケス兄の試合をよく分析してから試合に臨むモラレスは、ダウンすることなく前半を凌いでポイントアウトするだろうという予想である。
 私はパッキャオに対して、メキシカン・キラーというよりも単に初顔合わせに強い選手なのだと思っている。サウスポーの強打者で、対戦者のイメージ以上に伸びて来る左ストレートでダウンを奪える。その距離とタイミングを読まれない間に倒してしまえば、相手はメキシカンだろうが誰だろうが関係ない。逆に言えば、その左ストレートのイメージを把握されてしまったら、苦しくなる。
 モラレスに対しては、強打者というイメージを持っていない。右アッパーのタイミングが絶妙な、タイミングの選手という印象だ。メキシカンの割にはフック系のレバーブローを打たない、どちらかと言えばヘッドハンター。
 前回のバレラ戦で防御が雑になっていたのを、どこまで戻してこられるかが気になる。初回にパッキャオの左ストレート貰ってしまった場合、マルケス兄のような回復力とイメージ修正能力があるのかどうかといったところにも不安が残る。攻撃面では、ピンポイントで命中させる伝家の宝刀・右アッパーが決まれば、決して打たれ強くないパッキャオをリングに這わせることも十分に可能だろう。

 試合が始まると、パッキャオはいつものように思い切り良く前に出る。
 ステップインの速さなのか、パンチの出所が見え難いのか、モラレスは十分警戒していたはずのパッキャオのワンツーを割とあっさり貰ってしまう。やはりパッキャオの初回のワンツーは警戒されていても当たる。
 そして、1ラウンド残り20秒になろうとした時、パッキャオの右ロングフック→左ボディアッパーのコンビネーションがカウンターでヒット。ワンでテンプルを狙った右ロングフックを当てて間合いを詰め、ツーで自分の太腿の横を通過させる低空軌道のボディアッパーを突き上げたのだ。
 当然ながら、モラレスには2発目の低空ボディアッパーは全く見えていない。死角からカウンターで肝臓を直撃されたモラレスは、上半身を深く折り曲げるほどのダメージを被った。
 このラウンドを凌いでコーナーに戻るや否や、ファールカップのベルトを自分の手で押し下げたことからも、相当に効いていたことが窺い知れる。
 この1ラウンドのパッキャオのレバーブローが、試合全体を通してのベストショットだったと思う。しかし、皮肉なことにこのベストショットが、5ラウンドのパッキャオの右眉上のカットの伏線になった。

 2ラウンド以降、パッキャオは左ボディブローを多用する。しかしモラレスの右ガードは堅い。モラレスの右肘は、まるで打ち込まれた杭のごとくパッキャオの左拳を止め続ける。パッキャオの左ボディブローはその後、たまにベルトラインの上を叩く程度にしか当たらなくなった。
 モラレスも「腹には腹を」とばかりにワンツーのツーで右ボディへストレートを伸ばすが、サウスポーであるパッキャオのボディはモラレスの右からは遠く、届いても当りは浅い。

 3ラウンド、モラレスは極端にクラウチングして相手からボディを遠ざけ、その低い体勢からスマッシュ気味の右アッパーを放ってパッキャオを後退させる。パッキャオが再アタックをかけると、今度は珍しくボディワークだけで躱し切るという芸当も見せた。

 一進一退の攻防が続き、第5ラウンドへ。
 リング中央の打ち合いの中、モラレスが右→左という逆ワンツーから更に右の打ち降ろしを続けたとき、パッキャオはそのモラレスの右とほぼ同じタイミングで左ボディアッパーを低空軌道で突き上げた。1ラウンドのベストショットと似た状況だったが、今度はパッキャオの方が一瞬遅れた。
 モラレスの打ち降ろしの右は、左ボディアッパーを突き上げる途中のパッキャオの顔面に、芯を外しながらもカウンターで命中。これで何割か勢いを殺がれたパッキャオの左アッパーがモラレスのボディに届いたときには、モラレスの則頭部とパッキャオの右眼周辺が激しくぶつかっていた。
 これでパッキャオは、右眉の上を縦にカットして流血。この流血が、最後までパッキャオを苦しめることになった。

 パッキャオの流血もあって、ラウンド後半はモラレスがポイントを稼ぐ展開。
 しかし10ラウンドでは、パッキャオがマウスピースを入れ直している間、コーナーで待機しているモラレスが何としゃがみ込んで休むという光景が見られた。本来のSフェザーよりも半ポンド軽く仕上げなければならなかった影響なのか、モラレスに余裕がないことが見て取れた。
 最終ラウンドでは、モラレスが1分過ぎた辺りでサウスポーにスイッチし、結果的に試合全体を通して最大のピンチを迎えてしまう。スイッチしてからパンチは喰うわ、空振りしてバランスを崩すわ、遂には右構えか左構えか迷って両足を揃えて正面を向く始末で、もう見ていて危なっかしいたりゃありゃしない。10ラウンドでは残り10秒程度になって突如スイッチして意表を突いたモラレスだったが、最終ラウンドは明らかにやり過ぎ。左拳を痛めたわけでもなさそうで、作戦というよりも奇行としか映らなかった。

 終わってみれば、判定は115対113のユナニマス・デシジョンでモラレスの勝ち。
 3-0とはいえ僅かに2ポイント差、取ったラウンドが1つ多かったに過ぎない薄氷の勝利と言える。私の採点では

モラレス  9 10 9 9 10 10 10 10 9 10 10 9 : 115
パッキャオ 10 9 10 10 9 9 9 9 10 10 9 10 : 114

と、1ポイント差でモラレスであった。

 今回の試合を見て、両選手に対する印象が少し変わった。
 パッキャオに対しては、何となく変則的なファイターというイメージを抱いていたが、単なる錯覚だった。サウスポーではあるものの、上体を自然に左右に振りつつワンツーを主武器にして戦う標準的なボクサーファイターである。
 中間距離から一気に踏み込んでコンビネーションを放ち、すぐに離れて中間距離に戻すというヒット&アウェイタイプ。いきなり左の大砲を打ったり逆ワンツーを放つことはほとんどなく、右のリードで距離を測ってから左に繋ぐ。
 また、接近戦ではパンチが手打ち気味になり、強打を決めることが出来ない。ファイターではあるが、足を止めて打ち合うことをむしろ苦手としている。この辺が、同じアジアのファイターでも池仁珍とは違う(池は互いに頭を付けた間合いからダブルやトリプル、時にはダブルのダブルで4連打を放つこともある)。
 モラレス選手に対しては、前回のバレラ戦で防御が雑な印象を受けていた。しかし今回のパッキャオ戦では、右肘をレバーの前方にピタリと固定させておく丁寧なアームブロックを見せてもらった。ボディから顔面のフェイントにも1回ぐらいしか引っかからず、受けに回ったときの守りは堅かった。
 また、常に腕を折り畳んで角度のあるパンチを打っている選手だというイメージがあったが、今回はジャブをピンポイント(パッキャオがカットした右眉上)でヒットさせるなど、腕を真っ直ぐに伸ばしきって打つ姿も印象に残った。ただ、ワンツーのツーは余り伸びず、あくまでもリードブローだけが長いという印象だ。

 今回、計量時60kgにも満たない、スポーツ選手としては小柄な二人が、一人あたり1試合で2億円以上の報酬を受け取ることが出来た。こんな格闘技は、ボクシングの他には存在しない。
 今後予定されている、パッキャオ VS バレラ の再戦も、盛り上がることだろう。現在最も層が厚いとされているのは二つ上の階級であるSライト級であるが、このSフェザー級も3人のスター選手が揃っている。ハメドがここに加わればより一層盛り上がること請け合いだが、さて、どうなることやら。

『仮面ライダー響鬼』 八之巻

『仮面ライダー響鬼』 八之巻

【 観る前に思ったこと 】

 イブキもビビキ同様、変身の際に衣服を失っているようである。つまり全身の変身を解きいたら、ほぼ素っ裸(鬼ベルトと皮フンドシ?一丁)の姿になってしまう。バイクで現場に来ているイブキさん、帰りはどうするの?
 竜巻はオフロードバイクじゃないから、普通の道路を運転して来たはず。変身した姿のまま、普通の道路を運転してテントまで戻るのか? それとも、頭部だけ変身を解除してヘルメットを被り、体は威吹鬼のままでバイクを運転するのか? 鬼の体はライダースーツっぽいから、ヘルメットを被っても違和感はないだろう。ちょっと見てみたい気がする。
 あるいは、現場で木陰にでも隠れて着替えるのか? あきらが明後日の方向見ながら、イブキさんにズボンとか靴下とか1つ1つ手渡したりして。

 あきらが、「あなたは鍛えていない人なんだから」といった調子で明日夢に食って掛かっていた。今まで、基本的には「だめんず」系として描写されていきている明日夢だが、この辺でちょっといい所を見せないと、主たる視聴者である小学生男子低学年以下児からバカにされてしまうのではないか?
 明日夢は、ガンダムのビームサーベルの如く、バックパックに2本のバチを常備している。これは、野球部員がバットとグローブを常に持ち歩いているに等しい。「伊達にバチを持ち歩いているんじゃないんだぜ」というところが描かれていないのは不自然であり、脚本家の落ち度だと思う。
 ちなみに、私は中学時代はバスケをやっていた。当時は、バスや電車の中で立っているとき、爪先立ちで立ったりしていた。道を歩いていても、電柱相手にカットインの動きをついやってしまったりする。中学生というものは、それくらいやるものなのだ。
 明日夢が、手近なものをバチでリズミカルにダダダダン♪とつい叩いてしまうという芝居が必要だ。ブラバン、ブラバンと台詞で言わせているだけではダメ。いかに基本「だめんず」系とは言え、明日夢くんは主人公。もうそろそろキャラに一本筋を通さないと、作品全体が締まってこない。

【八之巻の感想 】

 イブキもやはり、変身の際に衣服を失っていた。自分が起こした竜巻の勢いで、着ている衣服が剥ぎ取れて散ってしまうという描写。魔化魍を倒した後、別の服を着てテントに戻って来たので、木陰にでも隠れて服を着たのだろう。
 イブキはお母さんまたはOL向けキャラという側面を持っているので、“全身の変身解除シーン”は、今後あるかもしれない。変身解除後も完全にスッポンポンになるわけではなく、鬼ベルトと皮フンドシ?一丁は身に付けているので、大丈夫だろう。あるいは、上半身のみ映すとか。
 今まで2度の変身では、イブキは変身後にタタッとバイクの所に後戻りしてラッパを取り出している。この所作が、微妙にカッコ悪い。バイクの名前が竜巻だし、バイクを運転中に(走行したまま)変身して欲しい。竜巻ごと竜巻に包まれて疾走しながらの変身。絶対カッコイイ。ラッパが、手を伸ばしてすぐ取れる位置にあるというメリットもある。
 変身直後、あきらがラッパを投げて威吹鬼が受け取るというのでも良い。とにかく“敵を目前にして、後ずさりしながらラッパを取り出す”というのは止めて欲しい。イブキは変身シーンでも変身ポーズらしきアクションがあり、ヒビキよりも仮面ライダーっぽい。カッコ良さには、細かいところにまでこだわって欲しいものだ。
 更に言えば、映画化の際には、フィニッシュ技のラッパ吹きの描写も一工夫願いたい。ラッパを吹く前に息を吸うとき、胸部が微妙に拡張するとか腹筋が動くとか、胸のパイプ?に息が送り込まれる描写をするとか。
 そんなわけで、今回は『仮面ライダー威吹鬼』な回であった。
 あと、全体に渡って、物語の設定の説明が多かった回でもあった。ヒビキなんて、今回は完全に説明おじさんだった。おばあちゃんも、伏線張る為に登場したた感あり。

【 次回予告を観て思ったこと 】

 相変わらずCGが酷い。予告で見ると本編以上にガックリする。
ヒビキが変身音叉なしで変身するところが見られるのか? 集中力を高めるため、変身ポーズとか取ったりして。

トラックバックに関して

当ブログでのトラックバックのやり方

 巷ではトラックバックのやり方に関して諸説あるようですが、当ブログでは、トラックバックに関して以下のやり方で行います。
 便宜的に、以下の用語を用います。

◆用語1:実トラックバック
 内容がトラックバック先の記事に対する直接のコメントまたはそれに準じたものになっており、かつ、それを明確に示すような形で記事の中にトラックバック先のリンクが貼ってあるもの。
◆用語2:空トラックバック
 内容はトラックバック先の記事と関連しているが、元々は不特定多数向けに書かれたものであり、記事の中にトラックバック先のリンクが貼ってないもの。
◆用語3:貼トラックバック
 内容的には空トラックバック(関連性は大きくても、元々は不特定多数向けに書かれている)であるが、記事の中にトラックバック先のリンクが貼ってあるもの。


【1】原則
 (1)ブロガーの中には「全ての空トラックバックはマナー違反・ルール違反」と考えている方も見受けられますが、私はそういった考えを持っていません。
 空トラックバックでも、内容に大きな関連性のあるものはリンクとして歓迎・活用します。ただし、私の定義するところのネタばれを含むトラックバックに関してはそうではありません。
 (2)空トラックバックを受けたら、原則として空トラックバックを返します。
 (3)実トラックバックを受けたら、原則として空トラックバックは返しません。
 (4)私から挨拶トラックバックを行うことはありません。
 (5)トラックバック先の記事と関連性が大きいと思えないトラックバックは削除します。
 (6)商業目的と思われるトラックバック(アフィリエイトの性格が強いものを含む)は削除します。 
 (7)私の定義するところのネタばれを含むトラックバックは削除します。この作業を軽減するため、トラックバック禁止機能を使う場合もあります。
 (8)当ブログの記事は「コメント機能ON」をデフォルトにしていますが、意図的に「コメント機能OFF」にしてある記事もあります。


【2】始まりが空トラックバックであるである場合
(1)Aさんから空トラックバックを受けた。
(2)Aさんからトラックバックを受けるのは初めてである。
(3)トラックバック元のAさんの記事の内容は、トラックバック先である私の記事の内容と関連が大きいものだった。

 この場合、私はトラックバック元のAさんの記事に対して空トラックバックを行います。これで記事単位の相互リンクが成立し、トラックバック作業終了です。


【3】実トラックバックに対して、相手から空トラックバックが返ってきた場合
(1)Bさんの記事に対し、自分から実トラックバックを行った。
(2)Bさんから空トラックバックが返ってきた。

 この場合、特に理由がない限り、この時点でトラックバック作業終了です。


【4】始まりが相手からの実トラックバックであるである場合
(1)Cさんから実トラックバックを受けた。
(2)Cさんからトラックバックを受けるのは初めてである。

 この場合、既に記事単位の相互リンクが成立しているので、特に理由がない限り作業終了です。
 トラックバック元のCさんの記事の内容に対して私が特に何かコメントしたい場合は、その記事に対して新たに記事を作成して実トラックバックを行います。(Cさんの記事のコメント欄は原則として使用しません)


【5】2回目以降のトラックバックが空トラックバックだった場合

【1】と同様とします。


【6】実トラックバック記事に対して、第三者から空トラックバックがあった場合
(1)Dさんのブログに対し、自分から実トラックバックを行った。
(2) (1)の実トラックバック記事に対して、Eさんという第三者から空トラックバックが来た。
(3)トラックバック元のEさんの記事の内容は、トラックバック先である私の記事の内容と関連が大きいものだった。

 私は実トラックバックを行う際、記事の始めの部分に「これはDさんのブログへのトラックバックです」ということが分かるような一文を入れ、その中でリンクを貼ります。その記事に対してDさん以外のEさんが空トラックバックを行うのは、本来整合性を欠く行為だと思います(これが実トラックバックなら掲示板でいうところの横レスに相当するが、空トラックバックでは横レスにもならない)。
 しかし、参考となる関連記事のリンクを入手すること自体は、Dさんや私にとって有益です。
 よって、特に理由がない限り削除等は行わず、そのままとします。機会があれば、別の記事からEさんに空トラックバックを行うこともあります。


【7】貼トラックバックに関して

 稀なケースだと思いますが、【1】と同様とします。


【8】リンクの貼ってない(リンクを貼り忘れた)実トラックバックに関して

 例外(補完)処置として空トラックバックを行い、記事単位の相互リンクが成立させてところで作業終了とします。
 その実トラックバックに対して私が特に何かコメントしたい場合は、その記事に対して新たに記事を作成して実トラックバックを行います。(相手方のコメント欄は原則として使用しません)

クレアチン・ローディング期間終了

 昨日で6日間のクレアチン・ローディング期間が終了。
 今日からGWに入るまで、ちょっと短めのメンテナンス期間となる。

 昨日はプッシュアップで、今までとは違う感覚を得た。
 三頭筋の深いところに刺激を感じたというか、使っている三頭筋の形を意識できたというか。

 筋肉痛は、大腿四頭筋に少し張りを感じる程度。

「ネタばれ禁止」とは?

「ネタばれ禁止」とは?

 当ブログ『ネタばれ禁止な日々』は、「格闘技(観戦)と読書と映画とTVと体力作りの日々を、ネタばれ無しで過ごしたい男の随筆みたいなブログ。“NASはなくてもBlogがあるさ”という気分で使ってみる」というものである。

 ここで言う「ネタばれ禁止」・「ネタばれ無し」とは、何を意味するのか。それを整理しておこう。


1. 格闘技(試合観戦)のネタばれ

 私が観たいと思っていた試合に関して、観たいと思っていた形態で観る以前に情報を得てしまった場合、「ネタばれ」となる。
 PRIDEとK1は、基本的にスカパーでリアルタイムに準じた観戦(HDRに生中継を録画しながら追っかけ再生で観る)を行うので、「ネタばれ」の確率は非常に低い。
 UFCはWOWOWで観戦するが、多くの場合1週間以上後になって放映されるため、オンライン/オフラインでスポーツ新聞を見たりすると「ネタばれ」に遭遇する場合がある。これは、戦場でうっかり地雷を踏んだようなものであり、自分の不注意が原因と言える。格闘技のBBSを見て…という場合も同様。いわば「ネタばれ地雷」を踏んでしまったわけである。
 これを防ぐには、スポーツ新聞や格闘技のBBSを見ないようにすれはよい。
 問題なのはボクシング。これが一番ネタばれしやすい。PRIDE、K1、UFCとは異なり、メジャーなスポーツであるため、ビッグマッチに関しては試合翌日の新聞(例えば朝日新聞)朝刊のスポーツ欄に結果が載ってしまうからだ。
 それでも、国内の世界タイトルマッチはTVでリアルタイム観戦しておけばネタばれにならない。しかし、国外のタイトルマッチとなるとリアルタイムで観る機会はほとんどない。WOWOWの『Excite Mach』の、特例的な生中継とビッグマッチ限定の「タイムリーオンエア」だけが頼りというのが現状だ(「タイムリーオンエア」は、1日から2,3日程度の遅れの放送であり、生中継ではない)。
 毎朝何気なく読むごく普通の新聞で「ネタばれ地雷」を踏んだ際のショックは大きい。私は半ばこれが原因で新聞を取るのを止めた。
 『ボクシングマガジン』を毎号購入しているが、当然ながら地雷満載であることを承知して買っている。買ったら即本棚に収納し、翌月号を買うまで棚から出すことはない。最近の『Excite Mach』の放送スケジュールだと、『ボクシングマガジン』の場合は1ヶ月間本棚に寝かせておけば、地雷は(ほぼ)消滅する。とういうわけで、『ボクシングマガジン』は1ヶ月遅れで読んでいるのだ。


2.TVのネタばれ

 私が観たいと思っていた番組に関する情報を、その番組(番組内の予告・CM含む)で放送される前に知ってしまった場合、「ネタばれ」となる。
 平成仮面ライダーシリーズの場合、これがボクシング以上に難しい。
 本来なら、TVガイド誌類で先取り記事を読んでしまったり、迂闊なネットサーフィンさえしなければネタばれに遭遇しない筈である。その筈なのに、ホビー誌は表紙でデカデカとネタばれをかましてくれるのである。私の行きつけの本屋は、入り口からごく近いところにそういったホビー誌を陳列しているので、手にしていない、手に取るつもりさえないそれを「気が付いたときには見てしまっている」という場合があるのだ。
 いかに本屋という限定された空間内であるにせよ、充分に離れた遠隔位置にいながらネタばれ攻撃を受けてしまう。これは「ネタばれ地雷」ではなく「ネタばれビーム」である。自分からネタばれ対象に直接アクセスしていないにも関わらずネタばれを喰らってしまうので、それを全て自分の落ち度だと納得するは難しい。
 つい最近は、『仮面ライダー響鬼』の“威吹鬼”というキャラクターに関して「ネタばれビーム」を喰らってしまった。小さな本屋だから、科学雑誌『Newton』とその手のホビー誌が同じ区画に陳列してある。『Newton』最新号を立ち読みしようと視線を向けた瞬間、「これが“威吹鬼”だ!」てな感じのホビー誌の表紙が飛び込んできたというわけだ。
 もちろん、そういったホビー誌も番組側の許可を得て表紙でネタばれをかましているわけであり、「表紙でネタばれ」を責めることは出来ない。こちらとしては、ネタばれ画像には自動的にモザイクがかかるような眼鏡をかければ良いのだが、そんなものは後10年ぐらいしないと実用化されないだろう。
 田舎ゆえ、本屋の選択肢が限られているのが辛いところだ。
 ホビー誌のあるコーナーへ顔を向ける際は、目の焦点をずらして視野全体にボカシをかけるしかあるまい。
 大きなブックセンター等は特撮専門のコーナーがあり、時期によっては「ネタばれビーム」が出まくり状態になっているだろう。厳重な警戒が必要だ。
 ちなみに、番組公式のHPに載っている情報であっても、放送された番組(番組内の予告・CM含む)に含まれていなければ、ネタばれとなる。実は、『仮面ライダー響鬼』の公式HPを見た際、けっこうなネタばれ情報を仕入れてしまった。役者さんの名前を知るために安易に公式HPにアクセスしたことを反省し、今後は「猛士」という言葉以外は見なかったことにして番組を楽しもうと思っている。


3.映画

 私が観たいと思っていた映画に関して、その情報を、映画館で作品本編を観る前に知ってしまった場合、「ネタばれ」となる(映画館で上映される予告フィルムや映画館で入手するチラシから得るごく部分的な情報のみ除外)。
 TVよりもネタばれの基準が厳しく、映画館で上映される予告フィルムもネタばれの対象になる場合がある。ある作品を観るかどうかを決めるために予告フィルムを観ることはあるが、一旦その作品を観ることを決めた後は、予告フィルムもネタばれの対象になるというわけだ。観ると決めた映画の予告フィルムが上映されている間、映画館の座席で私は「見ザル・聞かザル」態勢になって情報を遮断するのである。館内は暗い。私が「見ザル・聞かザル」態勢になっていても、隣の席の人は気付きはしない。
 ここまで徹底するのは、私に特殊かつ余計な記憶力(記憶癖)があるからだ。
 例えば雑誌『ぴあ』に、ある映画の本編のワンカットを写した写真が1枚載っていたとする。私がその写真を見た後でその映画を観る場合、映画を観ている最中、一瞬だけではあるが、既に見た写真1枚分と同じ画像(映像)を観ることになる。まさにその瞬間、映画館で映画を観ている私は「このカットは雑誌『ぴあ』に写真で掲載されていた」ということをリアルに思い出すのである。「どこかで観た」程度の感覚ではなく、その写真が掲載されていたページの曲がり具合とか、そういったリアルな付随情報が蘇ってくるのだ。
 1枚の写真が、映画に没頭している自分を一瞬だけではあるが現実に引き戻してしまう。これが予告編であったら尚更である。誰でも映画を観ていて「このシーンは予告フィルムで観たな」と感じることがあると思うが、私の場合はその程度が酷いということだ。
 映画に関するネタばれには、もう一つやっかいな種類がある。
 映画を観るために列に並んでいるときに、ごく近傍にいる人が、これから観る映画のネタばれ情報を、こちらに聞こえるような声で喋り出すときがあるのだ。これは明らかにマナー違反であり、通常はまず有り得ない。しかし、世の中にはマナーを守らない人が一定の割合で存在することもまた事実なのだ。
 5年以上前の話だが、私が某シネコンでチケットの列に並んでいたときのことである。列が進み、私は柱の隣に来た。その柱には、映画(私が近日中に鑑賞を予定している作品)のポスターが張ってあった。列の外側を歩いていた二人連れの女性が、そのポスターの前で(要するに私のすぐ隣)立ち止まると、なんと突然その映画のネタばれ情報を喋り始めたのだ。
「これってなあに?」「これは○○っていいうの」
「○○って悪役なの?」
「あのね、○○と、この△△が仲間で、これが最初にやられちゃって」
「死んじゃうの?」
「うん、死んじゃってね、その次にこの××が出てきて戦うんだけど」
…と、もう「ネタばれマシンガン」連射状態である。彼女たちは、1本の仕切りロープで隔てられたすぐ隣に立っている私が「ネタばれショック」でマネキン人形のように固まっていることなど一切関知していない。そのとき私は思わず息を止めていたのだが、そんなことしたって聞こえてくるものは聞こえてくるのである。我に返った私は両耳を塞いで、自分が並んでいる列が前に進んで「ネタばれマシンガン」の有効射程から脱するまで耐え忍んだのだ。私の後ろに並んでいた人は、この私の「両耳を手で塞いだ状態でチケットの列に立ち並ぶ」という一見奇異な行動を理解できなかったことだろう。
 この事件があってから、私はCDウォークマンを購入した。それまで私はウォークマンの類は一切持たないし欲しいとも思わなかったが、「ネタばれマシンガン」から耳を守るにはこれが1番有効である。
 特に、映画際のような特殊な上映の場合は、「ネタばれマシンガン」を乱射する人がそれなりに存在する。世の中には、まだ公開されていない作品の情報を事前に仕入れることが大好きな人がいて、そういう人が2人以上集まると、周囲に他人がいようがお構いなしに、その情報を披露し始めるのだ。しかも、けっこう大きな声で。


 以上が私にとっての三大ネタばれであり、日々これを避けながら人生楽しく生きていこうと思っている。
 当然、他人に対してネタばれさせないように日々過ごしているつもりだが、インターネット越しの他人がいつ何を見るのかは、神ならぬ身の私が知る由もない。

 格闘技の試合観戦コラムは、私が試合を見た後、試合結果も含めてブログに書く。スカパーやWOWOWに加入しておらず、リアルタイムで試合を見られない人のことは考慮しない
 TV番組の感想も、私が番組を見た後、内容も含めてブログに書く。番組の放送が一週間遅れの地方の人のことは考慮しない
 
 別に、タイムリーにブログを更新するつもりはないが、タイムリーにブログを更新した際に特別な配慮もしない。
 TVやインターネット等のメディアが、「ネタばれ地雷原」であるのは常識だと私は認識している。
 私のこのブログは、恐らく永遠に検索エンジンには引っかからない存在であり続けるだろう。それでも、もしも私以外の人がこのブログを読んだ際には、ここに存在する「ネタばれ地雷」を踏まないようにと祈るばかりだ。

『仮面ライダー響鬼』 七之巻

 これはてりぃさんのブログへのトラックバックです。

 あきら(私もどう書くか分りません。字幕放送を表示させようと取説を調べたが…載っていない!)は、今回観る限りでは全然鍛えられてなくて結果的に素人同然だったわけですが、次回は修業途中の成果を見せてくれるのでしょうか。
 ちなみに私は、予告編であきらさんがニュルニュルにズルズルされるカットを見て、彼女をモッチーだと思っていました。歳を取ると若い女性の見分けがつかなくて困ります。
 モッチーは猛士のことをまだ知らないようですので、明日夢くんと奇妙な三角関係になるとオモシロそう。

 イブキを演じる渋江さんは、TV実写版『セーラームーン』で、出世魚の如く強くなっていった経験の持ち主です。今回も『セーラームーン』同様、最後まで生き残ってくれる予感がします。
 あ、でも、物語中盤でロンドンかどこかに左遷?させられるかもしれません。

※ 私は昨日ブログを始めたばかり&タグ云々の知識も全くない初心者なので、トラックバックやリンクのやり方が間違っているかもしれません。問題がありましたら、お手数ですが削除して下さい。

『仮面ライダー龍騎』考

仮面ライダーの枠を越えた佳作『龍騎』

※新規カテゴリー追加に際して、以前書いたものを引っ張り出した。(2003年の1月か2月に書いたもの)

 新シリーズ3作目となった『仮面ライダー龍騎』は、仮面ライダーシリーズ全体を通しても、幾つかの点に関して画期的な作品だった。1つずつ挙げて確認するとともに、感想を記しておきたい。


1.ミラーワールドの導入

 前2作との差別化のため、端的に言えば“ライダーと怪人の戦いに警察を介入させないため”に力技的に導入された設定がミラーワールドである。最初は「マクー空間モドキか?」と思ったりもしたが、実際の映像を見てみると、仮面ライダーシリーズ初となる“鏡の中の仮面ライダーの闘い”は、パラレルワールドを感じさせる新鮮な魅力があった。
 ただし、最初の頃は鏡文字などを使って演出されていたミラーワールドの“パラレルワールド感”が、いつの頃からか弱くなってしまったのは残念(見ている側が慣れっこになってしまったという面もあると思うが)。
 初回のような、“鏡の中からモンスターが襲ってくる”という演出を、もっと一般市民を対象に行って欲しかった。仮面ライダー作品の魅力の1つは“日常と非日常の曖昧さ”にある。巨大な怪獣とは違った“日常の延長上にある、等身大の怖さ”だ。前2作では「無差別あるいは選択的に市民を襲ってくる“怖いもの”」が明確に描かれていたが、『龍騎』では、「鏡という、日常と紙一重の隣に潜む“怖いもの”」が市民を襲うという描写が不足していたと思う。


1. 仮面ライダーであることのマイナス面の描写

 まさに、一度ライダーになったら「戦わなければ生き残れない!」。改めて書くまでもないので説明は省くが、仮面ライダーであることのマイナス面の設定およびその描写は、歴代ライダーの中でも最大値を記録したと言って良い。これを上回ろうとしたら、「体内に時限爆弾を仕掛けられた改造人間である仮面ライダー」や、あるいは『どろろ』のような設定が必要になる。いずれも、今日の子供番組では困難な設定だろう。


3. 新しい変身、戦闘ギミックの登場

 「変身時に(何かを)ベルトにセットし、変身後にベルトから(何かを)取り出す」という動作が、玩具でも再現可能。『龍騎』のカードデッキを中心とするギミックシステムは、長らくマンネリ化していた変身ベルトに革命を起こした。「光る、回る」に並ぶ、エポックメイキングなギミックアイディアでの登場である。
 特に、ブランク状態のベルトにアイテムをセットする(ことによって変身する)というパターンは歴代ライダー初(Xライダーやアマゾンライダーのパターンからの逆転の発想ともいえる)であり、このパターンは今後様々なバリエーションを生むポテンシャルを持っている。
 例えば、ブランク状態のベルトにセットするアイテムを数的に増加(複数化・追加合体化)させたり、質的に増加(差し替え変更・バージョンアップ化)する。または、「ブランク状態のベルトにアイテムをセットする」ことと、「光る、回る」を組み合わせる。ゲームにおけるコントローラ、メモリ、I/O端末として機能させる(多機能化)、等々。
 カードを使ってアイテムを召還したり技を出すという戦闘パターンも、動作・音声・ピクチャーサイン(カード絵柄)といった一連の流れが予告(予測)シーケンスとして滑らかに機能し、ヒーローの所作として実に良くハマッていた。設定を聞いた段階では「仮面ライダーがカードを使って戦うなんて」と思ったが、

【ベルトからカードを取り出す(動作・効果音)→カードの絵柄が一瞬見える(映像からイベントを予測)→召還機にセット(動作・効果音・音声ガイダンス)】

 という一連の流れは、我々が日常的に行っている、

【財布からカードを取り出す(動作)→カードの絵柄を見る(映像で確認)→装置にセット(動作・ディスプレイ表示または音声ガイダンス)】

という行動をよりショーアップし、様式美を持たせたものである。実際に映像になったものを観ると不自然さは感じられず、むしろ遊び心を刺激された。
 仮面ライダーといっても、浮世離れした特別な人間ではない。同世代の人間、すなわち「リアルタイムの一市民」が変身した姿なのだ。カードを使って戦うライダーの姿からは、そういった仮面ライダーの原点を思い出すことができた。我々の生活様式が変われば、仮面ライダーの様式も変わって当然なのだ。
 また、カードを取り出して召還機にセットする間の僅かなタイムラグに、カードの絵柄からどんな技が出るのか予測できたりできなかったりするのも、『龍騎』の魅力の1つであった。
 劇中で、他のライダーのカードを召還機にセットしてそのアイテムを召還することも可能である(ただし、アイテムはカードの持ち主であるライダーの方へ行く)ことを描いたことも、玩具展開に対するメーカー側の配慮を感じさせた。あの描写のおかげで、理屈っぽい子供にとっても、玩具のドラグバイザーに他のライダー用のカードをセットして遊ぶことがナンセンスではなくなったのだ。
 ただ、もう1回ぐらいはフォローが欲しかった(ダウンした他のライダーのカードデッキからアドベントカードを引き抜いて自分の召還機にセットしてモンスターを呼び出し、時間稼ぎをさせ、とりあえずミラーワールドから離脱するなど)。また、サバイブ後のナイトや龍騎は、二つの召還機を使ってソードベントとガードベントを同時に召還するなどの展開の工夫があっても良かったのではないか。


4.力と技のファイナルベント

 仮面ライダーの技の多様さも、『龍騎』の功績として取り上げておきたい。ただ闇雲に多いのではなく、「ソードベント」、「ガードベント」、「ストライクベント」などの共通の性質を持つ技(基本技)と、「フリーズベント」などの各ライダー独自の技(特殊技)が組み合わされた、技の体系が構成されていた。分かりやすくて面白く、13人のライダーの技を上手く表現できていた。
 従来のライダーキックに相当するフィニッシュホールドであるファイナルベントは、自らのシンボル(厳密にはモンスターのシンボル)が描かれたカードを使った文字通りの切り札である。このファイナルベントも、ライダーごとの多様さが描かれており、楽しめた。
 ファイナルベントの基本構造は、技のベースとなるパワーの部分をモンスターが受け持ち、技のテクニックの部分をライダーが担当するというものだ(ゾルダに至っては「狙いを定めて引き金を引く」という、純粋に技術のみの部分しか担当していない)。ファイナルベントは「力と技」という仮面ライダーの定番を受け継ぎながらも、新しい表現方法を確立した、モダンスタイルの“必殺技”と言えるだろう。
 ライダーとモンスターの共同作業で技を成立させるというコンセプトは、シャチやイルカと人間が共同で行う曲芸や、サーカスの猛獣使いの曲芸を連想させ、独特の趣があった。シャチの曲芸には、人間を体の先頭に乗せて(立たせて)水中に潜った後、加速をつけて水面高くへ飛び上がらせる「スカイロケット」という技がある。『ハリケンジャー』とバッティングしていなかったら、是非ともシャチ型モンスターと契約したライダーのファイナルベントとして見たかったところである。
 数あるファイナルベントの中でも、特筆すべきはベルデのパイルドライバー系の技と、インペラーの飛び膝蹴り系の技である。過去の仮面ライダーも同系統の技を使ったことはあるが、“決め技の型”として、ここまで効果的に「パイルドライバー系」、「飛び膝蹴り系」を描き切ったことはない。肉弾技として、久し振りに新鮮なインパクトのある決め技を見た思いがした。


5.チープさを気にせずに観られた

 仮面ライダーシリーズは、少数の例外を除くと、スポンサーサイドからすれば小学校低学年以下(とその親)をターゲットにしたTV番組であり、相対的な括りからすれば低予算SFX系作品である。そのため、親の世代が観ていて、着ぐるみやCGのチープさ(あるいは、子供の視覚認識に配慮したデザインのシンプルさ)が気になることがある。
 過去の仮面ライダー作品に関しても、改造人間だの未確認生命体だの言われても、パッと見てそう納得できるライダーを見つけることは難しい(強いて言えば、仮面ライダーのコスプレをしている“片腕サイボーグ”のライダーマンぐらいか)。
 しかし『龍騎』の場合(劇中で明確に説明されてはいないものの)、仮面ライダーはミラーワールド用の特殊スーツを身に纏っているだけだと解釈できる。改造人間でも未確認生命体でもないのだから、ブーツを履いていようが手袋をはめていようが全然問題ないし、当然観ていて気にならない。
 ミラーモンスターに関しても同様である。単にモンスターと呼ばれているだけで、改造人間でも未確認生命体でもない。ミラーワールドにはああいうモノがいると思えば、パッと見がチープでも見ていて苦痛になるということはない。
 ただ、モンスターに関して言えば、1話か2話の段階で、「モンスターが描かれた絵(子供が描いたと思われる稚拙な絵)」を出しておいた方が良かった。そうすることで、モンスターのチープさと「子供が描いたと思われる稚拙なモンスターの絵」のチープさをセットとして認識(解釈)することが可能になり、「受動的に容認する“チープさ”から、積極的に容認する“ウルトラチープ”へ」と感覚をシフトさせることができたと思う。
 カードと召還機を使ってアイテムを出したり、ライダーとモンスターが共同で技を出すといった行為は、ミラーワールドという曖昧な舞台システムによって支えられている。この、科学でもなければ魔法でもなく、忍術でもない独特の舞台システムには、サーカスの空間のような一種のいかがわしさと危うさが同居している。それ自体がチープな、いやウルトラチープな世界である。
 親の世代が『龍騎』を見ることに特に苦痛を感じなかったとしたら、それは『龍騎』が、低予算作品なりにチープさの調和が取れた世界観を持つ作品だったからではないだろうか。


6.SFX大作として観たいアイディア

 『龍騎』という作品のアイディアが、いつの日か名を変えて『バットマン』・『X-MEN』クラスのSFX映画となることを期待している。これは『クウガ』や、『アギト』に関しても、同様である。

『タイムライン』

『タイムライン』

 映画を観た日 … 2004年1月17日(土)
 このコラムを書いた日 … 2004年1月21日(水)※とりあえず、以前書いたものを引っ張り出した


                先頭から約60番目の幸運

 映画館で予告編とチラシを見て、鑑賞することを決めた作品。前売り券は、ファミリーマートで購入したような覚えがあるが確かではない。
SF作品ということで、私にしては珍しく公開初日に映画館に足を運んだ。箱は『日劇1』。
 11時からの初回上映を観るため、その50分ほど前に入り口に到着したら、既に約60人が並んでいた。SFで、しかも有名な俳優が出演していないのに何故?
 後で知ったが、原作者が結構有名な人(『ジュラシック・パーク』を書いた人)なので、そのせいかもしれない。10時30分頃に入場が始まり、前に60人ぐらい並んでいたにもかかわらず、私は自分にとってのドンピシャリのベストポジション席に座ることができた。

                  いちおうSF?

 さて、この作品に関してはSF映画ということを期待して観た。その結果は、「いちおうSF」といったところである。なるほど、『ジュラシック・パーク』と原作者が同じだと変に納得してしまう。要するに、舞台を設定するための装置としてSFを使っているだけで、舞台そのものはSFではないのだ。過去へ行くことができることに対する“説明”として一種のタイムマシンを一応の理屈をつけて登場させているものの、いったん過去という舞台へ行ってしまうと、そこはSFの要素がない「単なる過去」なのである。
 この点は『戦国自衛隊』と比較すると、対照的である。“戦国時代に、近代兵器で武装した自衛隊の一部隊が登場する”という舞台設定は、それ自体がSFだと言っても過言ではない。「武士の隣に戦車」という映像自体が、既に「映像としてのSF」であるからだ。
 ただし『タイムライン』でも、戦車といったハードウェアの代わりに“考古学者(の知識)”というソフトウェアを過去に持ち込んでいるため、これを上手く使えば「タイムトラベルSF」として構築することが可能だ。しかし、『タイムライン』の原作者も含めた製作者側は、最初からこの作品をSFとして構築しようとしていない。この作品は、あくまでも救出劇(アクション)であり、救出劇の形を取った恋愛物語(ラブストーリー)なのだ。“過去の世界に持ち込まれた考古学者の知識”というソフトウェアも、「自分にとって親しいというだけの、単なる一個人を助け出す」という救出劇にのみ使われ、その救出劇も、恋愛物語を生み出すための「状況設定」なのだ。

                映画は「絵」と「テンポ」

 端的に言えば、『タイムライン』はSFの形を借りた陳腐なラブストーリーである。しかし、それが駄作にならないのは、この映画に圧倒的な映像の力があり、展開のテンポの良いからだ。映像の力と展開のテンポ。『タイムライン』は、この2点に尽きると思う。この2点において、『タイムライン』は良質な娯楽映画と評することができる。実際、映画を見終わった印象は決して悪くなかったし、他人にコメントを求められたら薦めるとはいかないまでも「そこそこ面白かった」と答えるだろう。
 また、過去へ行くことに関してはワームホールがどうのこうのとそれなりに説明しておいて、現代に戻る際の説明は上手く誤魔化した(行きは“箱”に入って行くのに、帰りは“箱”なしで帰れるのは不自然)のは上手かったと思う。マーカーを使用した男がちゃんと戻ってきて、しかも手りゅう弾を持っていたためタイムマシンが大破するという展開の衝撃が強いため、過去から戻ってくる件に関してそれ以降は気にならなくなってしまうのである。「映像による説得力」の効果的な使い方の好例といえる。
 誤魔化したというと聞こえが悪いが、例えばマーカーによって現代に戻る原理を細細と説明されても、観客の大半はクドい感じるだけだろう。台詞で半分説明したら、残りの半分はインパクトのある映像や展開の勢いでもって納得させてしまえば良い。愚痴になるが、こういったところが日本の映画は下手だ。

                  愛着と感情移入

 昨年末に観た『ラストサムライ』は日本が舞台、『タイムライン』はフランスとイギリスを中心にしたヨーロッパが舞台。両作品を比べると、日本人である私は当然『ラストサムライ』に想い入れが残る。フランス人やイギリス人は、当然『タイムライン』の方に感情移入するに違いない。「陳腐なラブストーリー」ではなく、「骨太の歴史ドラマ」と感じるかもしれない。
 ここで、ふと疑問が浮かぶ。『ラストサムライ』と『タイムライン』を観たUSA人は、どんな気持ちを抱くのだろうか。3代目以降の生粋のUSA人に聞いてみたいものである。

                   SFを観たい

 SF映画ということを期待して観た『タイムライン』は、映像・テーマ・舞台・ストーリー・ドラマ・アイディアの6大要素において、いずれもSFが希薄だった(それでも定義上は『タイムライン』はSF映画に含まれるのだが)。今年、少なくとも1本は「SFを観た」と思える映画に、映画館で巡り会いたいものである。

『仮面ライダー響鬼』考1 : 『仮面ライダー イブキ』が実現した日

『仮面ライダー響鬼』考1
『仮面ライダー イブキ』が実現した日

 今から約3年前、私は某BBS(今はもう存在しない)に、『仮面ライダー イブキ』というオリジナル仮面ライダー案の書き込みをした。以下が、当時のBBSの記録である。まずは、概要のみを書いたものから。(注…投稿者名の船木というのが、当時の私のハンドルネーム)

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私案:「大自然が遣わした戦士」としての仮面ライダー 投稿者:船木 投稿日:2002/03/02(Sat) 22:34 No.8021

 以前、「ケイン・コスギさんが主演の“野性的な癒し系”ライダーとしての『仮面ライダー亜真尊』」という案を書き込みました。今回、それとはまた違った意味での「大自然が遣わした戦士」としての仮面ライダーを思いつきました。
 ライダーのスタート時点である1号ライダーよりも、更に原点方向にシフトした「大自然が遣わした仮面戦士」というコンセプトで、いわば“仮面ライダー0号”です。
 タイトルは、平成ライダー風?に『仮面ライダー イブキ』
 「キングギドラBBS」の方に書き込みましたので、興味のある方はお読みください!
 
 日本的な仮面ライダーとしても、親子で楽しんで観てくれると思うのですが、どーですか、お客さん!

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Re: 私案:「大自然が遣わした戦士」としての仮面ライダー ひろうす - 2002/03/03(Sun) 23:51 No.8049

(転載確認を取っていないため割愛)
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Re: 私案:「大自然が遣わした戦士」としての仮面ライダー 船木 - 2002/03/04(Mon) 20:57 No.8077

 このライダーの和風感覚は、全てのものに神が宿っているという原始日本のイメージです。八百万の神の感覚に近いかな?
 でも、雷は、カミナリ様のイメージ。風心・雷心=風神・雷神です。

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Re: 私案:「大自然が遣わした戦士」としての仮面ライダー 堅物 - 2002/03/04(Mon) 21:19 No.8080

(転載確認を取っていないため割愛)
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Re: 私案:「大自然が遣わした戦士」としての仮面ライダー 船木 - 2002/03/05(Tue) 23:59 No.8102

>卍(まんじ)を風車状にアレンジしてはどうでしょう?

 「変身ベルトに風車状の物」は、最初は「三つ巴」マークにするつもりだったのですが、良く考えれば「三つ巴」マークには芯(回転中心)が設けられない。
 卍だったら、中央に小さめの円を設け、卍を曲線手裏剣にした感にして…ポンチ絵を描いてみたら、いい感じです。
 風は太陽が生むという意味も重ね合わせ、「大自然のエネルギーの繋がり」もイメージできそうです。

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 以上が、メインのBBSに概要のみ書き込んだもの。そして、全体を書き込んだものが、こちら。

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オリジナル・アイディア:「大自然が遣わした戦士」としての仮面ライダー  船木  さん 2002年03月02日(土) 22時31分

 ライダーのスタート時点である1号ライダーよりも、更に原点方向にシフトした「大自然が遣わした仮面戦士」というコンセプトで、いわば“仮面ライダー0号”。
 0号ライダーと言っても、「ショッカーが本郷ライダーを生み出す前に存在した“あらゆる仮面ライダーの原型”」という意味ではありません(その線で考えても面白いのですが、今の子供たちにはピンと来ないでしょう)。あくまでもコンセプトしての“原点”です。
 同時に、日本の文化や精神を取り入れて「日本らしさ」を感じさせる仮面ライダーにしてみました。
 タイトルは、平成ライダー風?に『仮面ライダー イブキ』。まず、主人公の設定について説明します。

1.主人公

(1)変身前

 純情・朴訥な青年であるが、素性を一切明かさない、謎の人物。免許証の名前を名乗ってはいるが、その人物は実際には存在しない(各県警のトップは、彼の存在を何故か黙認、あるいは無視している)。
 自称・修行中の武道家。表向きには
「日本中の武道を極めてその集大成を体現するため、日本中を旅して回っている」
と言っているが、旅先で親しくなった子供には
「本当の目的は、人類から愛と未来を奪う悪の秘密結社“零(ゼロ)”の本拠地を見つけて、やっつけること」
と打ち明けている?
 現金収入のため、旅先で色々なアルバイトをこなす。

(2)変身プロセス

① 武道の型の動きおよび「変身」の発声により、腰に“和風”の変身ベルトが現れる。ベルトの中心には回転する風車状の構造物がある。
② 風車が回転し、大自然のエネルギー(風力等の単純な物理的エネルギーではない)を吸収することにより顔面を除く全身が変身する。
 この段階では顔は変身せず、代わりに顔に模様が現れる。この模様は歌舞伎の隈取のイメージ(メイクとしては隈取よりずっと軽め)。
 これは素顔と仮面の中間としての意味合いで、「もうこの時点で人間以外のものになっている」ということをイメージさせる。後述する (4)変身の切り替え(フォームチェンジ) の際、この演出が生きてくる。
  なお、ボディや模様は、吸収する大自然のエネルギーの種類によって色や形状が異なる。
③ 顔のすぐ横の空間に、面が出現する。面の色や形状は、吸収する大自然のエネルギーの種類によって異なる。
④ 宙に浮かんだ面を手で掴み、顔に装着することで変身完了!
  この「面の装着」は、能の面のイメージ。なお、画面上での変身所要時間は、Xライダーのセッタップと同程度。
   
 (3)変身の種類

① 風の精霊の力を吸収した体。装着する面は「風心面(ふうじんめん)」。最も多用される形態。風を操ることが出来る。
戦闘スタイルは、古流空手などの打撃系古武道で、動きも武道の型を前面に出す。
竜巻の中に相手を閉じ込めて動きを封じ、自らも竜巻(横方向)と一体化して相手にキックを放つ「竜巻蹴り」がフィニッシュ技。
② 土の精霊の力を吸収した体。装着する面は「土心面(つちしんめん)」。二番目に多用される形態。大地はもちろん、大地と繋がっている物体を操ることが出来る。
まるでスキーかスノーボードを装着しているがごとく、地面(アスファルトやコンクリートを含む)を滑るように移動する。
ただし、戦闘スタイルは相撲・合気道などの投げ技系。フィニッシュまでは、多様な投げ技を主体にして戦う。滑走も、相撲の四股 → 摺り足 → 滑走 という順番で起動する。舞乃海や寺尾などの技巧&スピード系力士がスマートになったようなイメージ。
 張り手の連発「百烈張り手」で相手をスタンディングダウンに追い込み、地面やビルの壁面を湾曲させてその曲面を滑走、スキーやスノーボードのような空中機動から変幻自在のキック放つ「滑走自在蹴り」に繋げるのがフィニッシュのパターン。
③ 火の精霊の力を吸収した体。装着する面は「火心面(えんしんめん)」。補助的に使用される形態。火を操ることが出来る。
 腕に炎を宿してラリアットを叩き込む技「列火腕」や、肩に炎を宿してタックルを叩き込む技をフィニッシュ技として使う。
④ 雷の精霊の力を吸収した体。装着する面は「雷心面(らいじんめん)」。補助的に使用される形態。雷を操ることが出来る。
天高く飛んで、真上から雷を伴って相手にキックを放つ「雷撃蹴り」がフィニッシュ技。
⑤ 水の精霊の力を吸収した体。装着する面は「水心面(すいじんめん)」。補助的に使用される形態。水面を走ることはもちろん、ゆっくり歩いたり、静かに立ったりすることが出来る(水面は僅かに窪んで波紋が生じる)。また、水を操ることが出来る。

 (4)変身の切り替え(フォームチェンジ)

 変身後も、別の面の名前を叫んで、面を顔のすぐ横の空間に出現させ、面を取り替えることにより、変身の切り替え(フォームチェンジ)が出来る。
 面を取り替える際、顔が露出するが、顔には (2)変身プロセス で説明した模様があり、面の切り替えに応じてこの模様も変化する。歌舞伎の早変わりのイメージ。

 (5)後ろ髪またはマフラー

 a案 … 変身後、ヘルメットの後部から、風になびくストレートの後ろ髪が伸びている。変身の種類によって色が異なる。
 b案 … 変身後、首~肩~背中(肩甲骨の部分)にかけて、風になびくマフラーが伸びている(左右対称)。変身の種類によって色が異なる。

 いずれの場合も単に風になびくだけでなく、センサーとして機能する際や、感情の昂ぶりに応じて能動的に動く。


 …と言うわけで、「大自然が遣わした仮面戦士」=「大自然の力を宿した体と仮面で戦う“精霊戦士”」=「原点としての仮面ライダー」なのです。
特に、「風」を「大自然の息吹」としてとらえて強調し、変身する際にはどこからともなく?風が巻き起こり、髪をなびかせて変身ポーズをとるという演出を行います。
 また、“大自然の力”を意識するということは、“季節”を意識することに他なりません。物語もバトルも、リアルタイムでなくても良いから、「季節感」を取り入れたい。春先には樹の「新芽」と会話したり、秋には「枯葉の力」を借りて戦ったり、などなど。
 主人公は日本中を旅して転戦?しますが、その各地で「日本の文化」・「日本の自然」・「日本の四季」を味わう、感じ取るという演出をします(各地の名物は必ず食べる、とか)。
 更に、大自然のエネルギーを吸収することで変身するということは、大自然のエネルギーを受け取れないと変身できないわけです。と言っても街の中では変身できないわけではありません。街の中にある自然、例えばアスファルトの下から生えている草を見出す・感じることにより、そこからエネルギーを貰って変身するのです。

2.主人公の戦う相手、共に戦うパートナー

(1)怪人
 
① 現代に存在する“もの”そのものに宿る小さな心が集合して大きな魂となり、粗末に扱われたことを恨むなどして怪人として実体化する。
② 各地でひっそりと暮らしていた“もののけ”が、現代社会の影響によって怪人として実体化する。
③ 各地に封印されていた“もののけ”の封印が破られ、怪人として実体化する。

(2)主人公のパートナー

 主人公の乗るオートバイは、単なる機械ではなく、“犬の精霊”が宿ったバイクである。普段は普通のバイクだが、必要に応じて大型犬に化けたり、小さな犬の縫いぐるみに化けたりする。

 「物や自然にも心がある」というのがテーマの一つ。主人公が戦う怪人も、主人公のパートナーであるオートバイも、基本的には同質の存在である。仮面ライダーは「敵を倒す」のではなく「怪人と化した“もののけ”を鎮める・封印する」ために戦う。それは同時に、現代の日本における「人間の悪の心」・「人間社会のエゴ」との戦いでもある。

 「人類から愛と未来を奪う悪の秘密結社“零(ゼロ)”」というものは、表向きには存在しない。しかし、人間一人一人の心の中や、一つ一つの人間社会の中には、比喩としての「人類から愛と未来を奪う悪の秘密結社“零(ゼロ)”」が存在する…これも、『仮面ライダー イブキ』のテーマです。


3.その他のキャラクター、話のフォーマット

 200X年、日本各地で不思議な事件が各地で発生するようになっていた。それはまだ全国ネットのマスコミを動かすほどの規模ではないが、マニア向けのメディアは動き始めていた。

 八代哲哉 … 超常現象肯定派向け月刊誌『超常現象マガジン』(通称『超マガ』)の記者。日本各地で発生する不思議な事件を、超常現象の観点から説明しようとする。

 加藤茉莉 … 超常現象否定派向けの月刊誌『トンデモ通信』(通称『デモ通』)の記者。日本各地で発生する不思議な事件を科学の観点から合理的に説明しようとする。

 佐山悟志 … 日本各地で発生する不思議な事件を密かに調査しているらしい、政府の特命公務員。各県の警察を動かす権限も併せ持つ。

 日本各地で不思議な事件が発生し、八代、加藤が、取材をするために現場に行く。現場には、謎の青年も現れる(旅先でアルバイトをしている)。
怪人が現れるという大事件に発展、八代、加藤がスクープをゲットしそうになると、いつの間にか警官隊を引き連れて来た佐山によって阻止される。
 その隙に謎の青年は「仮面ライダー」に変身し、怪人と戦い、これを封印する。
 八代は、事件を超常現象の観点から説明した記事をまとめて本社へ送信。
 加藤は、事件を科学、社会問題の観点から説明した記事をまとめて本社へ送信。
 佐山はいつの間にか姿を消し、謎の青年は「武道の奥義を求めて(「悪の秘密結社“零(ゼロ)”」の本拠地を探して)」次の目的地へと旅立つ…

 例えば、「怪人かまいたち」の話では、街の一角で実際に「かまいたち現象」が発生し、その後、解消しますが

① 超常現象としての解釈 … かまいたちを祀っていた小さな林を丸ごと移転したため、怪人かまいたちが復活して事件を起こした。林を元に戻したため、かまいたちの怒りは収まり、事件は解決した。

② 科学、社会問題としての解釈 … かまいたちを祀っていた小さな林を丸ごと移転したため、付近のビル風の流れが変わり、かまいたち現象が発生するようになった。林を元に戻したため、風の流れも元に戻り、事件は解決した。なお、林の移転には、市と業者の不正な工事が絡んでいた。

と、どちらにでも解釈できるような演出にします。
 仮面ライダーと怪人の闘いも、映像としては表現されますが、現実の出来事かどうかは、証拠が残らないという意味において明確ではありません。見終わった後、現実感ととファンタジー感がせめぎあう、ダブルミーニング的な印象を与えるのが狙いです。
 「起・承」で前編、「転・結」で後編の、2話構成が基本というパターン(前編にも怪人やライダーの登場シーンはあります。もちろん、決着はつきませんが)が良いかと思います。どーですか、お客さん!

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でんきやさん さん 投稿日:2002年03月03日(日) 09時54分

(転載確認を取っていないため割愛)
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船木  さん 投稿日:2002年03月03日(日) 17時38分
 
>でんきやさん さん

 「洋風ライダー」、良いですね! 変身前は、洋風どころか、完全な「西洋人」の方が徹底していて良いかも。
 「和風ライダー」が古流空手なら、「洋風ライダー」は近代ボクシング、などなど、お互いの個性をより際立たせることが出来そうです。
 キャラクターは、やはり「敵か味方か?」みたいな感じで…。

>お互いの意識の違いに悪戦苦闘しながら、時には反目し、時には共闘する

 理想や目的が同じで、手段や過程が異なるだけなのか、それとも理想そのものが違っているのか。差があるとして、その差は微妙なのか、大きいのか。
 『龍騎』でもやっていますが、こういうドラマは、つい見入ってしまいます。

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 以上が、約3年前のBBSの記録である。
 『響鬼』の放映が始まった時、
「おっ、以前BBSに書き込んだ和風ライダーみたいだ。こりゃ長生きはするもんだな~」
と素直に喜んだ。しかし同時に
「どうせなら『仮面ライダー ヒビキ』じゃなくて『仮面ライダー イブキ』なら、もっと良かったのに」
とも思った。それでも、

・和風のライダー
・歌舞伎の隈取を連想させるデザインのマスク
・「三つ巴」マークが入ったベルト
・敵が“もののけ”系
・額に小さな「面」を貼り付けて(発生させて)変身する
・ライダーが、体は変身したままの状態で、素顔を露にする

といった、自分が観たいと思っていた要素が幾つも入っていたため、十分に上機嫌であった。
 それに加えて、今度は『イブキ』である。遂に、自分が名付けたかった名前を持つ仮面ライダーが実際に登場してしまう。しかも、予告編を観た限りでは、

…「風」を「大自然の息吹」としてとらえて強調し、変身する際にはどこからともなく?風が巻き起こり、

という描写まで実現しているような雰囲気である。
 これは、超嬉しい!!
 あ~、実際はどうなっているんだろう? 「変身する際にはどこからともなく風が巻き起こり」というのは初回だけか? 響鬼は毎回焔に包まれて変身するから、威吹鬼も毎回風を纏って変身するような気がするが。

 さて、3年前の書き込みを引っ張り出すだけでは能がないので、少しは今思いついたことも書こう。

 響鬼を観ていて個人的に一番トホホなのは、フィニッシュシーンである。
 もちろん、CGの酷さは目を覆わんばかりだが、こればっかりは予算がなければ幾ら知恵を絞ってもどうにもならないので、考えないことにする。
 今の響鬼は、敵に跨って?ひたすらドンドコやってるだけ。単調かつ滑稽なのだ。そこへ「はあ~」という力の抜ける気合が追い討ちをかける。もうどうにも絵にならず、カッコ悪い。
 前回バケガニを退治したときは、片腕を負傷しているetcのピンチな状態があったので「頑張ってドンドコするんだ!」みたいな感情移入が出来たが、響鬼もそう毎回負傷するわけにもいくまい(例えそうしたところで、観ている方はすぐにそれに慣れてしまい、ボルテージが上がらなくなる)。

 本来カッコ悪いものを、状況を利用してカッコ良く見せようとしても、やはり所詮誤魔化しにすぎない。
 基本的に「パッと見て、カッコイイ」か、「パッと見て、凄い」と思える映像でなくてはダメなのだ。

 玩具展開として太鼓を使うという前提で、私だったら戦闘シーンをこう描く。

(1)まず、ベルトに太鼓を付けたまま敵と近接格闘し、敵の体の要所に取り付いたときに、バチでドン(あるいはドンドンと2回)ベルトの太鼓を叩く。これは、敵の体に「音によるマーキング」を施しているのである。もちろん、映像的にも「その部分に音波が張り付いた」という特殊表現を行う。
 この際、響鬼には隙が出来やすいので、相手の攻撃を受けることも多い。つまり、「響鬼がピンチ!」の時間帯である。

(2)「音によるマーキング」が終わったら、敵と広い間合いを取ってベルトから太鼓を外す。太鼓は普通の太鼓のサイズになって、宙に浮かぶ。

(3)その太鼓を響鬼がドンドドンドンドンドン位に叩くと、宙に浮かんだ太鼓は敵めがけて飛んでいき、音によるマーキングを行ったポイントに張り付こうとする。(太鼓はディスクアニマルの上位装置といったイメージ)

(4)響鬼も太鼓を追いかけるようにして敵に向かう。ここからが「響鬼が反撃開始!」の時間帯である。

(5)響鬼は、敵の体のマーキングポイントに張り付いた太鼓をバチで思いっきり叩く。叩かれた太鼓は、響鬼の動きに合わせて次のマーキングポイントへ素早く移動する。

(6)響鬼は敵の攻撃をかわしながら素早く敵のマーキングポイントを音撃して回り、最後にトドメの音撃連打を叩き込む(連打といっても時間にして3秒間くらい)。このトドメの音撃連打のシーンでは、響鬼は全身から焔を噴き出して(あるいは口から鬼火を吐きまくりながら)猛り狂うように集中連打する。トドメの連打は、北斗神拳で「あたたたたあッ」と秘孔を突くイメージ。
 ここで重要なのは、フィニッシュは仁王立ちで連打すること。これが、極めの絵になる。

(7)巨大な敵がオオオォ~ンと全身を震わせて爆発霧散。物理的にバラバラになったのではなく、実体が音波に転換されて飛散消滅したというイメージ。

 相手にやられてやられて、それを耐え切った後に、一気に反撃に転じるという王道パターン。(たまに、耐え切れずにそのまま敗退するのも有り)
 敵のマーキングポイントを音撃して回るシーンでは、宙返りして逆立ち状態で音撃するとか、着地して即一撃してまたすぐジャンプするとか、動きにバリエーションとメリハリを付けることが出来る。
 で、最後は「怒涛の仁王立ち3秒連打」でフィニッシュ! 気分壮快!

 こんな響鬼が観たいのだが、実際にはどうなっていくのだろうか。
 少なくとも、太鼓を叩いているときの「はあ~」という気合はどんどん良くなっていくはずだから、その点は期待して良いだろう。
響鬼がドンドコやっているときに、TVを観ている側の私も何かをドンドコ叩けば気分がノルかも。大きな音を立てると近所迷惑だから、マラカスでも買ってきてシャカシャカ振ろうか? 次に響鬼がドンドコやるときは、何かで試してみようっと。

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震電

震電

 写真撮影時40歳。
 いい歳して云々といった決まり文句は私には通用しない。たった一度の人生、他人に迷惑をかけない範囲で楽しみます。